白と黒
緑の上を転がったシャドウはすぐに立ち上がる。
「へっ、あん時とは違うってわけかよ。だが、強くなってんのがお前だけだと思ってんじゃねえぞ。俺だって、俺だって相当強くなってんだからよお!」
「思ってないさ。でも、負けるつもりはない!」
ここから二人が行ったのは剣戟の嵐。
特殊な技を使うことなく、純粋な剣技だけの打ち合い。
身体能力はまだシャドウの方が上らしいのでエビルは押される。だがビュートとの特訓で掴めたものがあり、技術的な部分が向上したエビルは苦戦程度で戦況を維持していた。今までだったら瞬殺だったにもかかわらず苦戦とはいえ戦えている。
やがて勝敗は決した。エビルの敗北だ。
「ククッ、どうした、負けるつもりはないんじゃねえのか?」
確かに負けてしまった。でもシャドウもエビルと同じく息を乱している。
「九日間の総合勝利数じゃ負けない」
「ふーん。いいぜ、乗ってやる。だったらこっちは全勝だ。お前に負けるなんざ死んでも御免だからなあ、完膚なきまでに叩き潰してやるよ」
互いに好戦的な笑みを浮かべ、十分な体力が戻るまで休憩してから再び摸擬戦を再開した。
今度はエビルも風の秘術を使用し、シャドウも影の力を使用している。能力ありにしたもののシャドウは手の内を全て見せていない。明らかに何かを隠蔽していると感じ取れる。それでもエビルは二戦目も敗北してしまう。
決め手はやはり戦闘経験、身体能力の差。一夕一朝で覆せるものではないので一戦ごとに自身の癖を見直し、相手の動きを観察し、剣技と秘術の熟練度を向上させていく。
――そして、同じことを繰り返して日数が経過する。
特訓を始めて九日目。シャドウとの摸擬戦を行える最終日。
その日も何度も摸擬戦を繰り返してようやく――勝った。
相手の疲労もあったかもしれないとはいえ同じ条件だ。何があったにせよ勝ちは勝ち、エビルの初勝利である。
「……か、勝った?」
歯を強く食いしばって四つん這いになっているシャドウを眺めながら、現実を受け入れるのに時間がかかるため呆然とエビルは呟く。
互いに息を切らし、ギリギリの戦いであった。段々と初めて勝利した実感が湧いてきて喜びに打ち震える。自然と笑みが浮かび、無意識にガッツポーズする。
「ふ、ふざけんな! たかが一勝だろうが!」
「でも確か全勝するつもりだったんじゃなかったっけ」
「それを言うならお前も合計の勝利数で勝つんじゃねえのかよ。ああ? もう最終日だなあ! どう足掻いても俺の勝ち星の方が多いなあ!」
立ち上がったと思えばシャドウは距離を詰めて顔を近付けて来る。
勝てた途端チンピラにも見えてきた。滑稽かもしれないが同時にエビルは一理あると納得する。確かに自分は九日間の勝利数合計で勝つと言っていた。あまりに一勝が嬉しすぎて忘れかけていた。
シャドウは「まあいい」と距離をとる。
「次だ、時間的にも次がラスト。今の勝利がマグレだったと教えてやるよ」
「なら、次も勝てばマグレじゃないって証明になるわけか」
「勝てれば、な。万が一にも勝てれば、そうなんじゃねえのか」
尋常ではない怒り、憎しみ、悔しさが伝わって来る。今日の時間ギリギリにもかかわらず、感じ取った感情からもう一戦を提案してくるだろうと予想していたので驚きはない。
悔しい気持ちは理解出来る。これまで何十、下手すれば百以上負けているのだから。その敗北分だけ勝利への渇望が強くなっていった。執念というべきか、一回でいいから勝ちたいと必死になった結果が先程のもの。もしかすれば今までは気持ちで負けていたのかもしれない。
エビルは次も勝てると思っている。
自惚れと言われても構わない。ただ、エビルはこの九日間でかなりのレベルアップを果たした。集中必須だが相手の動きも先に感じ取れるし、風の秘術も剣技も熟練度が増している。先程だって正攻法で勝てたのだから自信を持つのも当然だ。
「――あ? おい、お前それ」
急にシャドウが呆けたのでエビルは「なんだ」と問う。
「血……色が微妙に変わってねえか?」
呆けた理由を理解したため「え?」と目を見開き、戦闘中ついた頬の傷から滲む血液を指で擦る。実際に自分でも見て血の気が引く。
――ほんの僅かにだが、赤い血に緑が混じっていた。
黒に近い緑の血液は魔物でしかありえない。
今はスルーしてしまいそうなくらい微細な変化だが、確かに混じっている異色。予想が正しければエビルの体が変化し始めている。
「まさかこれは……悪魔の」
「なるほどねえ。おそらく、ハイエンドでの件がきっかけだな。お前が俺と融合しかけたから体に変化の兆候があるんだろうよ」
「そうか……あれが、原因か」
今まで自分を悪魔と認識していても、外見や血の色が人間と同じだったから隠すのは苦労していない。だがもし、血の色が魔物と同じになってしまったら、誰かにバレる可能性が高くなる。
「どうする? まだやんのか?」
「……やるさ。もう始めてもいいかい?」
シャドウは遠くでこちらを眺めているビュートに視線を送るのを止めて、振り向いてから「ああ」と答えた。あれだけの負の感情を今表に出していないのは流石だと思える。
始めはゆっくりと〈暴風剣〉を使用した木刀で黒剣と打ち合う。
以前の〈風刃〉よりも緑の淡い輝きと回転が強くなっている。威力は段違いなので使用するのは強敵相手のみと決めた。
シャドウが持っている黒剣は魔剣と呼ばれる特殊な剣の一本。これが市販の剣で安物なら数回打ち合えば砕けていただろう。業物ならまともに打ち合って十回から二十回だろうか。それほどまでに〈暴風剣〉は強力なのである。
「なあお前、リトゥアールを説得するって言ってたよな」
次第に速くなる剣戟の最中、シャドウがそんなことを言い出した。
「……ああ、何か思うところでもあるのか」
「俺は殺すべきだと思っている。説得なんざ生温い」
言葉を聞いて集中が途切れる。相手の剣を捌けず数メートル後退する。
「どういう意味だ。ビュートさんは言ったじゃないか、救ってほしいって! お前はあの人の懇願を無視するっていうのか!」
エビルは駆けて剣を振るうが難なく防がれる。
動きが怒りで単調になっていたかもしれない。反省しつつ連撃を放つとシャドウも連撃を放って相殺される。
「救済ってのは何だ? 必ずしも生かして反省させるってのが救いか? ビュートは救ってほしい、助けてほしいと言ったんだ。生かしてほしいとは言ってねえ」
「まずは生きないと、罪を償えないだろ!」
「仮に償ったとしてあいつはどう生きる。不老だぞ、誰かに殺されない限りあいつは死なねえ、死ねねえんだよ。あの性格だ、自殺はしねえだろうさ。あいつにとっての救いは囚われた過去から解放してやることだ。そこに生死は関係ねえはずだぞ」
「過去からの解放っていうのには同意するけど……! 助けるために殺すなんて間違っている。おかしいだろ。本人が本気で死にたいと思っていない限り、そんなのはおかしい。ビュートさんだって生きてほしいと願っているはずだ」
リトゥアールが魔信教を作った理由。現在で正義から悪に堕ちた理由。
きっかけはやはり好きな人間に守られて生き延びてしまったことだとエビルは思う。シャドウも同意見なことは台詞からだいたい分かった。詳細は不明のままだがリトゥアールは過去に囚われている。
「大事なのはビュートの意思じゃねえ、リトゥアールの意思だ。俺には今のあいつが自暴自棄に見えて仕方ねえ。魔王を復活させる目的はおそらく……仇である悪魔王様とぶつけるため。魔の王同士の戦争を行ってあわよくば同士討ちを狙う。悪くない案だが魔王がリトゥアールの命令を聞くとは思えねえ。復活させたら殺されるのがオチだ。あいつはおそらく全て承知したうえで計画を遂行しようとしている。死にてえのさあいつは、あいつは自分に相応しい死に場所を求めている!」
「その計画が本当だとして間違っていると思わないのか。説得が無理なら戦うしかない、けど、僕はリトゥアールさんに昔の心を取り戻してあげたい。……ビュートさんのためだ。あの人が今のリトゥアールさんを見てどう思っているのか、分からないわけじゃないだろう。悲痛な思いを感じた。僕はリトゥアールさんを殺さずに助けたい!」
「リトゥアールは俺が殺る!」
「リトゥアールさんは僕が助ける!」
ありったけの力を込めた一閃同士が衝突する。
叫びながら力を入れ続け、数秒の拮抗を見せた後にエビルが吹き飛ばされた。
まだだ、摸擬戦は終わっていない。体勢を立て直してからシャドウを見つめる。目で語り、話し合い、この摸擬戦の敗者がリトゥアールを救済する立場を勝者へ譲ることに決める。
全力の全力、エビルはシャドウと同時に駆け出して剣を振るう。
「――両者そこまで!」
木刀と黒剣の衝突前、ビュートが割り込んで来たので剣を止める。
「もう一日が終わる時間だよ。摸擬戦は止めて二人は寝ること」
エビルは困り顔で木刀を下げ、シャドウは舌打ちして黒剣を影へ収納した。
精神世界は明るいままなので現実の時間が分かりにくい。ビュートは時折現実世界を見ているため時間も分かるらしい。
一応「……聞いてましたか?」と訊ねると「何がだい?」と逆に訊かれる。
ただあれだけ叫んでいたし聞こえてないわけがない。はぐらかされたのだと理解したエビルは表情に影を落として身を翻す。
「シャドウ、僕はやっぱりお前が嫌いだ。仇とか関係なく」
「お互い様だ。お前の正義は虫唾が走る」
二人は離れた場所で草原に転がって疲労回復のために眠る。
相変わらず不仲な様子にビュート「やれやれ」と肩を竦めた。




