全感
岩が少数ある緑の草原で二人の男が戦っている。
エビルとビュートは剣戟を繰り広げていた。決定的に違うのはエビルが全力なのに対してビュートは様子見なこと。全力を出していない彼は笑顔のままでエビルの剣技を捌く。
その戦闘を少し離れたところでシャドウがつまらなそうに見ていた。……といっても集中していないわけではない。彼の目はビュートだけを追って弱点がないか探っている。
やがて大きな隙を作ってしまったエビルはそこを突かれて木刀で頭を叩かれる。
笑顔のまま、どこまでも優しい打撃だった。子供を宥めるためのような一撃。思わず目を丸くしてエビルは戦意を全て消してしまう。
「うん、だいたい分かった。エビル君とシャドウの欠点らしき欠点はない。強いて言うならエビル君の方はもうちょっと秘術の力を使いこなせるようになればいいくらいだね」
「僕はまだ使いこなせていないんですか? 色々技も使えるのに」
これまでの旅で色々と学んできたつもりだ。技も斬撃の鋭さを上昇させる〈風刃〉や打撃の威力上昇を狙える〈烈風打〉など、技以外で言えば誰かの感情を感じ取れる力もある。エビル自身はそれなりに秘術を使えているつもりであった。
「そうだね、風を操っているのは確かだ。でも結局のところ操るだけなら初歩中の初歩。熟練者は誰かの動きや思考すら風として感じられるようになる。凄いでしょ」
「す、凄いですね……ビュートさんも分かるんですか?」
「まあね。もっとも、出来るようになったのは魔王と戦った後だけど。他にも空を飛べるようになったりするからバンバン使って経験を積まないとね」
相手の動きや思考も感じ取れるなら戦闘中で遥かに有利な立場になれる。いつかそういったことも出来るようになってみたいと思い、エビルはビュートへ尊敬の眼差しを向ける。
「……そもそも、風って何だと思う?」
「風、ですか? 何かビュオッと吹くようなやつじゃないんですか?」
具体的に答えろと言われてもエビルは分からない。
秘術で操っているのも何となくそこにある気がするから、出来る気がするから。感じ取ったもののことは考えていたが風自体について考えたことはない。
「風っていうのは流れる空気とその流れについて。普通は目に見えず、そこらを漂っている。目に見えないっていうのは人間にとって結構特殊でさ、古代じゃ風は神の囁きだなんて言われるくらい神聖化されていたんだ。まずは実際に俺が使っていた技を紹介しよう」
そう言いつつビュートは己の技を使用しながら語る。
エビルの使う〈風刃〉の上位互換、武器に纏わせた風を圧縮して回転を極限まで高めた〈暴風剣〉。それと同じもので全身を覆う〈風鎧〉なんてものもある。
圧縮した風を一気に解き放ち加速する〈爆風加速〉。相手に向けて放つことで動きを阻害する〈逆風〉。さらには全方向へ向けて強力な突風を叩きつける〈全方位への風撃〉。
ビュートが語る技の豊富さは聞いているだけでもタメになる。
実施しなかったが他にもあるようで、想像もつかないが雲を呼んで雨を降らすことすら出来るらしい。それもやりすぎれば嵐を発生させて雷すら落とすという。雨を降らすくらいならリジャーなどの降らない地域で使えば感謝されるだろう。
「いいかい、風とはつまり空気の流れ。一見どこにもないようでも実はこの世界を満たしているそれを操る。自由自在に操れば誰かの周囲だけ空気を無くすなんてこともやれるさ、災害を起こすこともね。やろうと思えば秘術使いは災害以上の力を行使出来る。君だってもっと色々出来るはずなんだ」
「……空気の……流れ。……空気が……風」
空気を、そしてその流れを感じる。
エビルは静かに目を瞑って集中した。
視界は消えたが――分かる。およそ周囲三十メートル。何がどこにあって、誰がいて、どんな風に動いているのかを細かく感じられる。再び目を開けてもそれは変わらない。
風への理解を深めることによってエビルは急速に成長していた。
「秘術って創造神アストラルの感情に役目を与えた力なんだってさ。風の役目は全てを見通して全員を安全へと導くこと。誰かの感情を感じ取れるのも、あらゆるものを感じて害を見抜くためらしい。全知でも全能でもないけど――全感。それが風の秘術使いだよ」
さらに集中度を上げれば予測出来る。
シャドウがこれから欠伸をするのも、ビュートが「て、らしくなく語っちゃったな」と後頭部へ手をやって照れるのも、穏やかな風が吹き抜けるのも全て感じ取れた。
これが何かと言えば未来視が一番近い。そう、エビルが感じ取ったのは未来なのだ。極限まで集中すれば何がどう動くのかを感じられるようになった。当然疲労も凄まじいので呼吸が荒れる。
息遣いを深呼吸で元に戻したエビルはにこやかに笑う。
「ありがとうございます、秘術について説明してくれて。これで僕はもう一段レベルアップ出来た気がする。今ならビュートさんと善戦くらい出来るかもしれない」
「自惚れ、と言いたいところだけど君がそう感じたんならそうなんだろうね。的確に相手との戦闘力の差を感じて結論を出しているはずだ。事実俺もそうだ、今の君と戦えば少し危ないかもしれないと感じている」
「もう一戦お願いしてもいいですか? 今ならもっと――」
効率的に特訓が出来る、と告げようとしたら「いや」と遮られる。
「一先ず対戦相手を変えよう。君とシャドウ、今度は二人で戦うんだ。一度戦ったら三十分の休憩と反省、終われば戦っての繰り返しを五回。それが終わったらゆっくりと眠って明日の特訓に備える。これを基本として九日間、出来るかい?」
戦えと言われたエビルとシャドウは互いの同じ顔を見やる。
顔の造形は同じだし、表情も同じで笑っている。エビル自身はいい特訓になりそうだと思っての笑み。向こうがどう思っているのかはシャドウ本人にしか分からない。熟練すれば思考すら感じ取れるようになるのだろうが。
「その笑い、やる気ってわけだね。シャドウ」
「勘違いすんな。丁度いいサンドバッグを見つけただけだ」
「あ、俺は暫く君達の戦闘を観察するために遠くで見ているよ。だから存分にやり合うといい。邪魔は入らないし入れさせない、もし殺しそうになったら止めるけどね。分かったならいつでも始めてもらって構わないよ」
ビュートが歩いて離れていく。
エビルは相手の顔を見ながら木刀を構えると、シャドウも黒剣を影から出して構える。普通に考えれば武器の質が違いすぎて勝負にもならない。しかしその酷く離れた差を秘術を用いて埋めることは出来る。すぐに〈風刃〉を使ったことで木刀を薄緑の光が覆う。
こうしてシャドウと一対一で剣を構えて向き合っているとあの日を思い出す。
村が壊滅した日。嬉しくないことに目前の男と出会った日。エビルの未来を捻じ曲げた最悪な日のことが頭に浮かぶ。
あの時はまだまだ弱くて相手にならなかったが今はどうだろうか。
数々の戦いを経験し、特訓を積み重ねてきた今のエビルなら届くだろうか。
少なくとも簡単に負けはしないと意気込む。滲む殺意と敵意を感じながら腰を落として構えを変える。木刀を水平に構えたそれは師匠の技にして、これまでの戦いで役立ってくれた強力な技。――〈疾風迅雷〉。
あの時は片手の指で止められた。
愕然としたのを今でも昨日のように思い出せる。自分はこの程度なのかと思い知らされた。そして強くなった今は確信している。シャドウと本気で戦ったとして、もうあんな惨めな敗北はしない。
「……行くぞ」
ダンッと踏み出して地面が爆ぜる。
急接近して木刀を突き出す瞬間、後ろに集めておいた風の塊を解放して加速させる。二倍には届かないが相当なスピードアップを果たした一撃をシャドウは黒剣で受け止める。目を丸くした彼はすぐに血走った目になって全力で弾き返そうとしている。
普段の〈疾風迅雷〉なら止められたかもしれない。しかし今放っているのは、そこに後ろで圧縮した風を解放して加速する〈爆風加速〉を追加した全く新しい技。
――〈真・疾風迅雷〉。
徐々にシャドウが押されていき、もう一押しというところでさらに〈爆風加速〉を使用。一気に威力を増した突きに耐えきれずシャドウは吹き飛んだ。これが真剣だったなら黒剣は折れていただろう。
彼が地を転がったことこそが強さの、成長の証明。
強くなったと実感したエビルは僅かに口角を上げた。




