秘めた恋心
闘技場で掻いた汗や、土埃などの汚れを大浴場で流し落とした後。
レミは前を歩く白竜に付いて行って食事部屋へとやって来た。
澄んだ青が揺れている床はまるで海のよう。壁は巨大な鳥が優雅に飛んでいる絵が描かれており、天井は開放的でそもそも存在しなかった。バルコニーらしき場所へは最奥の扉から進めるようだ。
食事部屋には既に二人の男女が席へ着いている。
一人は封印の神カシェ。足元にまで伸びる長い金髪は艶があり、よく手入れをしているのが分かる。頭頂部に乗る銀のティアラは、真ん中に赤い宝石で作られたハートが埋め込まれていて何度見ても綺麗だ。蒲公英色の裾が長いドレスを着ており、肩部分には読めない赤文字が書かれた白い札が何枚も貼られている。
もう一人は死神の末裔セイム。黒髪褐色肌で、黒いボディースーツの上にボロボロの黒いマントを羽織っている。愛用の大鎌は壁際に立てかけられている。
「おっ、レミちゃん。来たか」
いつも通りの姿に安心したレミは「セイム!」と名を呼んで駆け寄った。
言葉で聞くのと実際に会うのでは安心感が違う。まだ一日も経っていないとはいえ久し振りに見た気がする仲間の姿に嬉しくなった。
「まったくアンタは心配かけてえ! カシェ様から聞くまで本当に死んじゃったと思っていたんだからね! まあでも元気そうで何よりだわ!」
「ははは、悪い悪い。……サトリも心配してたか?」
「心配っていうか……アンタが生きてるの知らないからね。見てらんないくらい落ち込んでたわ。再会した時にどう声を掛けるかちゃんと考えておきなさいよ」
気まずそうな顔で問われたのはサトリのことだった。
天空の大地に着いた当初の彼女の落ち込みようはかなり酷かった。動揺のあまりレミは彼女を責めそうになったが言葉を止めていて良かったと思う。今も自分のせいだと思い込んでいる彼女に酷いことを言ってしまえば、これまで紡いできた絆が容易く崩れるかもしれない。
生きているは生きているで衝撃も大きいだろうが安心だ。再会すれば落ち込んだ様子はすぐに改善されるだろう。
「ああそうする。それで、よ。あいつ、何か言ってなかったか?」
「何かって何よ」
「好きがどうとか……俺が死んだこと以外で、何か……さ」
思い返せば何かを隠していたようにも思える。しかしレミにその内容は分からないので何も伝えられない。
「何も言ってなかったわね。何で気になるの? アンタの悪口を言った奴なんていないわよ。別に気にする必要ないと思うんだけど」
「……実は……好きだって叫んじまってよ。……伝わってねえのかなあ」
「は? いや、アンタ今何て言って」
「愛の告白しちまったって話だ。落下してる時に勢いで」
聞き間違いでなければ愛の告白と言っていた。つまりそれはカップルになる時などに言うアレだろう。衝撃発言にレミは「はああああ!?」と驚愕で叫ぶ。
「レミちゃんはどう思う? 死ぬ間際での告白」
「……重いわ、滅茶苦茶重い。アタシがサトリの立場だったらすっごい苦しむと思う。答えようとしても相手が死んでるんじゃ意味ないし。……でもまあ、アンタの気持ちが分からないわけじゃないわ。勢いに任せたとはいえ、気持ちを伝えたことだけは評価しないとね」
好きだという気持ちを伝えるのはどうにも恥ずかしい。友達としてではなく異性としてだとハードルは上がるし、まだレミが初心だというのもある。
少しセイムが羨ましくも思えた。出会った当初は素直になれていなかったのに、まさか先を越されるとは思ってもいなかった。少なくとも魔信教を壊滅させるまで自分の恋心は封印しようと決意していただけに、レミは自分が馬鹿らしくなる。自分は何かと理由を付けて後回しにしていただけだ。
レミだって伝えたい、密かに抱いてしまった自分の恋心を。
純粋に憧れに向かって駆ける……あの、自分にとっての勇者へと。
「――おい、いつまでもくだらん話をするな。席に着け」
彼のことを考えていたレミはハッとして「そうね」と返事をする。
白竜の言う通りだ。別にくだらなくはないと思うが元々ここへ来たのは食事をとるため。むしろ再会して話をする時間をくれただけでもありがたい。白竜なりに気遣ってくれた証拠だ。
カシェ達はまだ食事に手をつけていなかった。おそらくレミが席に着くのを待っていたのだろう。待たせるのは悪いと思ったレミは慌ててセイムの隣の席に腰を下ろす。
改めて見てみると置いてあるテーブルは随分と大きい。横に長いそれの上には豪勢な料理の数々が端から端まで、明らかに四人では食べきれないくらいに用意されていた。
テーブルが大きいからか椅子の数も多い。カシェは最奥の席へ座っており、白竜はその隣。意図したわけではないが向かい合う形で四人は座っている。
「さて、全員揃いましたね。これより十日間、食事はこの四人が揃ってからにしましょう。今までは白竜と二人だったので少し寂しかったですが、人数が倍にもなるとやはり違いますね」
レミは「え」と声を上げる。
四人だ、四人なのだ。サトリがいないのは事情を知っているから納得出来るがエビルがいない。誰かと会わせないようにする必要も彼にはないはず。共に食事が出来ない理由がレミには思い当たらない。
「あの、エビルは呼ばないんですか?」
「サトリは……って俺がいたらダメなのか。まさか断食!?」
「エビルは特訓関係でここへは来れません。サトリには部屋に食事を届けています。よってここへ集まれるのは我々のみ、理解しましたね?」
二人は頷いて肯定を表す。
特訓関係で来れないとはどういった特訓内容なのか気になるところだ。
「それではいただきましょう。どうぞ遠慮せず召し上がってください」
訊きたいが今は食欲を優先するべきかもしれない。気付けば空腹で、レミとセイムの二人の腹からぐうううううううっと音が鳴る。目を丸くした二人は顔を見合わせて苦笑。目前の料理を瞬く間に腹の中へと収め始めた。
アランバートの焼肉を思い出す、こんがりと焼かれたジューシーな肉。ノルドを思い出す魚料理。他にも並んでいる数多くの料理には見たこともないものが多くある。驚くべきはその大半を白竜が一人で食べてしまったことだ。どうやら一見多い食事も適量であったらしい。
さすが神が口にする料理と言うべきか、あまりの美味しさに咀嚼が止まらなかった。さらに衝撃を受けたのはこれらの料理全てをカシェ一人で作ったという事実。容姿端麗で料理も上手など非の打ちどころがない。まさに理想の女性像だとレミは憧れを持つ。
「ふふ、素晴らしい食べっぷりでしたね。満足していただけたようで何よりです。これで夜の特訓も頑張れるでしょう」
「うげっ、まあそうなるわよねえ」
「レミちゃんはどんな特訓してんだ? 随分と嫌そうだけど」
「倒れるまで組手」
うんざりな気持ちを前面に押し出した表情と声を聞いたセイムも理解したらしい。この特訓がどんなに辛いか、想像したようで「うわぁ」と引き気味な顔になる。
遠くでカシェと何やら話をしている元凶に目をやるが気にしていないようだ。……というより話に夢中で気付いていない。あれほど夢中になるなど、白竜がカシェに向ける感情も恋愛的なものなのだろうか。それともレミを見下しすぎているだけだろうか。平然と風呂に入って来たことから後者の方がありえそうだ。
「セイムはどんな特訓してるの? まさか休憩してるだけじゃないわよね。アタシがこんなに苦労してるのに特訓してなかったら恨むわよ」
「い、一応してるって! 俺の特訓はこれだ!」
そう言ったセイムは紅い液体が入ったグラスを見せつけてくる。
飲んだこともないので分からないが思いつくのは赤ワイン。芳しい香りもずっと嗅いでいると癖になりそうだ。
「何よそれ、そういえばここへ来た時からアンタの傍に置いてあったっけ」
「何って……神様の体液」
思わぬ答えにレミは「へ?」と間抜けな声を上げる。
「た、たい、体液って……! え、え、エッチ!」
「想像したのが何かは知らねえけど、これは神様の血だぜ」
「紛らわしい言い方すんな! 普通に血液って言えばよかったじゃない!」
体液と聞いて何を想像したのかは黙秘権を行使する。レミは絶対に言わない。逆に言えば口に出すのも恥ずかしいものを連想していたのだが。
「……で、なんでカシェ様の血を飲むわけ? 飲んで強くなるの?」
「説明されたけどよ、俺も詳細はよく分かってねえんだわ。なんでも代々薄くなっている神性を高めることで〈デスドライブ〉の強化に繋がるらしいぜー。まあ強くなれるなら理屈はどうでもいいけどさ」
「飲むだけでいいとか楽すぎでしょ」
あまりに不公平だと思う。
食事の後にグラス一杯の血を飲むのと、疲労困憊になるまで組手するのでは明らかに前者の方が楽だ。出来ることならレミもそっちがいいのだが聞く限り元々ある神性を高める特訓らしい。元から神性のない、火紋の力を扱っているだけのレミが飲んでも意味なき代物なのだろう。
「……あのさ、レミちゃん。やっぱり不公平だと思うんだよな俺」
「ええそうね、アンタも倒れるまで組手しなさいよ。白竜は滅茶苦茶強いから一人増えても大して変わらないでしょ。決定、はい決定。アンタも地獄を味わいなさい」
「丁重に断る。俺は神様から安静にしてるよう言われてっから。……俺が言ってるのはさ、俺だけ告白したのが不公平に感じるってやつなんだよ」
「何、サトリからも告白してほしいってこと? 実質それって返事じゃない」
「違う違う。俺が言ってるのはさ、レミちゃんのことなんだぜ」
不公平は特訓ではなく告白。ならなぜここで無関係のはずのレミに話が移るのか。
疲労から頭が回らない。いや疲労は食事で回復したはずだ。答えを分かっているからこそ考えないようにしているだけだ。
「――エビルに告白しねえか? 好きなんだろ?」




