レミと白竜
神殿内だというのに土が敷き詰められた円状の部屋。
天空闘技場と呼ばれるそこはかつて古代の人間同士が戦い合っていた場所。観客席があるのもそれが理由で、闘技場という名前に相応しい空間だろう。
そんな天空闘技場で二人の男女が先程まで戦っていた。短い赤髪の女が息を荒げたまま土床に仰向けで転がり、白髪オールバックの男は無傷で彼女を見下ろしている。男の圧勝という形で勝敗は決していた。
「だらしない。もうこれで何度目だ?」
侮蔑の込められた眼差しを向けられた女、レミは答える気力さえない。
実はこの敗北、一度目ではない。もう〈圧縮炎〉を使用しながら何度も何度も戦いを繰り広げているのだ。手加減すると告げていた男、白竜は実際かなり合わせてくれている。それでも〈圧縮炎〉を使用していると体力の消耗が激しく戦いは長く続かない。
「これでは効率が悪いな。仕方ない、いい頃合いだし飯にしよう。立てるようになってからでいいから食事部屋へ来い。神殿内の地図なら入口の方にあるからそれを見ろ」
そう言って白竜は天空闘技場を出て行ってしまう。
自分勝手というか何というか、彼は特訓に付き合ってくれているわりにレミに冷たい。カシェからの命令だからしょうがなく付き合っているという気持ちが透けて見える。
暫くしてから呼吸が整ったレミは立ち上がって衣服などに付いた土埃などを払う。水浴びしたい気分だが早く来いと言われたしどうしようか迷う。ただ、地図を見てみれば大浴場なんて名前の場所があるし、汚れたまま食事部屋へ行くというのも王族としてどうなのか。悩んだ末、やはり食事をするのに清潔さは欠かせないと思い大浴場へと向かった。
「あれ、何かしら?」
通路を歩いていると美味しそうな料理が乗ったトレーを見つけた。
通路最奥、瞑想の間というらしい部屋の前だ。魔法陣の書いてある純白の扉の前に豪勢な料理が置かれている。
「もしかして……セイム?」
黒髪褐色肌の死神の生存を思い出したレミは大浴場を通り過ぎて、瞑想の間の前に立つ。
カシェは生きていることをサトリに知られてはならないと告げていた。瞑想の間で監禁状態となっているなら遭遇確率はグッと減るだろう。料理さえ運んでやれば外出はほとんどなくなる。
魔法陣の書いてある純白の扉を開けて、恐る恐るというように中の様子を窺う。
あまり広くない、民家の一人部屋のような場所。紺色の石材で作られた床、その中心には虹色の魔法陣が描かれており、虹のオーラが天井にまで立ち昇っている。
「……サトリ?」
魔法陣の上で正座して両目を瞑ったまま動かない女性がいた。
セイムではなかったが仲間の一人を発見出来たのは嬉しい。声を掛けようかとも思ったが、彼女はレミに気付くことなく眠ったように祈っている。おそらく、どういう意図か不明だがサトリに課せられた特訓内容なのだろう。邪魔をするのは悪いと思い純白の扉をそっと閉じる。
瞑想の間から離れたレミは大浴場へ直行した。
扉を開けた先には大きな脱衣所があり、開放されている奥の扉からは気持ちのいい熱気が漏れ出ていた。レミは王族らしさなど欠片もなくパパパッと衣服を脱ぎ捨てて竹籠に入れる。
「うん、変化は……ないわね」
水浴びや入浴の際、全裸になってから己の体を見下ろすのは日課だ。相変わらずの貧しい胸を凝視して、何の成長もないことにガッカリしつつ浴室へ入って扉を閉める。
浴室に入ったレミは「うわああ」と感動を抑えきれずに呟く。
とても広い。アランバート城にも浴室はあったがここに比べれば狭すぎる。それもそうだろう。アランバートでは石製の浴槽に水を川や井戸から運び入れ、浴槽真下に入れた木材を燃やすことで湯を沸かす。あまり浴槽が大きいと水量が多くなって沸かす人間の仕事が大変になってしまう。それに比べて天空神殿の浴槽は城の自室より広い、さすが神の住居にある風呂場といったところか。
この相当大きな浴槽に水を運び、湯を沸かしたのは白竜だろう。あんなに偉そうにしていた男がせっせと仕事をする様を想像すると少しスカッとした。大変なのを理解しつつ「ふふっ」と笑みを零してしまう。
「さーてと、まずは体を流さないとっ」
レミは浴槽へ向かって歩き出す。
途中でたくさん設置されているホースを見たが何なのかは分からない。先端には大きめの丸い頭が付いており、小さな穴が多く空いている。初めて見るものなのでじっくり観察してみたがやはり使用方法は分からなかった。
ホースの傍に置いてあった桶を手に取ってから再び浴槽へと歩く。
浴槽へ辿り着いてから桶でお湯を掬い、頭上へと持っていって一気にひっくり返す。丁度いい湯加減のお湯がドバっと一気にかかる。頭から足までの汚れをお湯が洗い流してくれる。一回では不十分なので三回ほどお湯を被ってから浴槽へとゆっくり入った。
「はああ……お風呂ってほんと、癒やされるわあ」
町から町への旅途中は水浴びしか出来ない。しょうがないので川などの水に浸かるが、水とお湯では気持ちよさに天と地ほどの差がある。
目を瞑ってゆっくり考え事を出来るのもいい。風呂場ではついつい気を抜いてしまう。セイムが仲間になってすぐは覗かれるかもと警戒していたが今はしていない。あの男は女好きを前面に押し出しているくせに度胸がないのだ。
「白竜、か。ムカつくけど……」
ふと、特訓に付き合ってくれている男のことを考える。
強い男だった。邪遠と戦えばどっちが勝つのか分からないくらいに。
第一印象は最悪。エビルを悪魔だと知って侮蔑するような目を向けたのは今でも気に入らない。ただ彼も彼なりの事情があるのだろう。レミだってエビルの性格を知っているから好きなのであって、もし初対面の男が悪魔だと判明したなら警戒する。だから許そうとは思う。
印象は偉そう、上から目線がムカつくと更新されていき、最終的にはその偉そうな態度が許されるくらいに強い男となった。正直なところまだ底を見せない白竜の強さには憧れる。
彼との特訓でレミはもっと強くなれるだろう。他の三人も各々特訓しているはずだが一人でやるより相手がいた方が効率がいい。もしかすれば四人の中で一番成長出来るかもしれない。
「感謝しなきゃね。色々と」
白竜の協力は非常にありがたい。彼に協力するよう言ってくれたはずのカシェにも感謝だ。どうせなら誰よりもレベルアップして驚かせてやろうと目標を立てる。
「そうか。ならさっさと風呂から出て食事部屋へ向かえ」
突如掛けられた声に反応して目を開けた。
ここは大浴場。正面には眉間にシワを寄せて見るからに怒っている白竜。風呂なので当然レミは生まれたままの姿を晒していた。
状況を理解していくとみるみる顔が熱くなって赤くなるのが分かる。
「きゃ、きゃあああああああああああ!? 何でここにいるのよ変態!」
叫びながら水面を持ち上げるようにして大量のお湯を正面の男へかけた――つもりだったが高速で避けられて一滴も当たらなかった。攻撃が無駄だと悟ったため首まで沈み、ささやかにしか膨らんでいない胸部を両腕で隠す。
「なぜだと? 貴様がいつまでも食事部屋へ来ないからだろうが。カシェ様がここかもしれないと予想してくれなければ神殿中を捜し回ることになっていた。俺は言ったはずだ、すぐに食事部屋へ来いと。なのになぜ呑気に風呂へ入っているのか説明してもらおうか」
「何よいいじゃないちょっとくらい! だいたいアタシ土とかで結構汚れてたのよ!? 汚れたまま食事しろっての!? 冗談じゃないわ!」
「貴様如き女の汚れなど俺は気にはしない」
レミの中で羞恥よりも怒りが勝ってきた。青筋が浮かぶ。
「ア、タ、シ、が、気にするのよ! 何、アンタはカシェ様に汚れたままの姿を見せるって言うの!? 清潔感のない奴は誰からも嫌われるわよ?」
「……はぁ、あと五分だ。俺も入る」
「何でアンタと一緒に入らなきゃいけないのよ。出てけ」
入浴する意味を説明して権利を勝ち取ったのはいい。だがどうして白竜と一緒に入浴しなければいけないのか。断固拒否するという姿勢をレミは崩さない。
結局、いくらレミが拒否しても白竜は勝手に全裸で入って来た。
まさか初めて共に入浴する異性が出会って間もない奴だとは、過去の自分も想像出来ないだろう。出来ることなら燃やしているが特訓に付き合ってもらっている恩がある。レミは諦めて受け入れた。幸い性的な目を向けて来なかったのでそれだけは良かったと言える。




