第六十二話『魔物の出どころ』
「ここは?」
我に返ったアーシャが疑問を口にする。
認識阻害の魔法がかけられた通路に入ったアーシャ達だったが、進むべき道がわからず立ち往生していた。
なぜなら、通路は左右に分岐しているからだ。
――そもそも、この通路はなんのために作られたものなのかしら?
「ここはね、物資の搬送経路。地下都市の裏側だよ」
魔導輪がすれ違いしても余裕がある広さの通路。天井も高く、十メートルは余裕であるだろう。
しかし、なぜ彼は隠された通路の存在を知っているのだろうか。
「それに書いてあんの? つーか、なんで先人はそんな便利なモン残してんだよ。ふつーの都市にしちゃ変じゃねぇ?」
「おっ、たまには冴えた事言うじゃねェか! こういう場合は、そうだな……残さなければならなかった、が正しいだろうよ。なァ、アル」
「そうだろうね」
――残さなければならなかった。地下都市の存在すら伝えられていないのに、いったいなにがあるというの……?
「きゃっ!?」
思考を巡らせていたアーシャの耳に、指を鳴らす音が聞こえた。
それと同時に、浮遊感が襲う。
アルバートがアーシャの腰を抱き、飛んだのだ。
「進もうか」
彼が浮遊魔法をかけたのは、アーシャだけではない。
シャオラスやルーナ、スノーにも浮遊魔法をかけていた。
説明もなく行われたそれに抗議するのは、自然の流れだろう。
「アルゥ!! 魔法かけるなら、そう言えよォ!!」
「指、鳴らしただろ?」
「そういう問題じゃねェ!! もうちょっと、手心つーか……」
「あぁ、ごめん。気をつける」
「ったくよォ。ここに来てから、なんか変だぜ。アル」
「……そうかな」
自覚のないアルバートに、彼以外の全員が頷いた。
報連相を欠かさない彼らしくない行動の数々。
――らしくない、なんて言いたくは無いのだけれど……。明らかに彼の様子はおかしい。
「何を焦っているの?」
地下都市へ足を踏み入れた直後、彼に抱いた疑問をアーシャはここに来て初めて口にした。
やはり自身の状態に自覚がなかったのだろう。首を傾げるアルバートは、彼女の言葉を口の中で反芻する。
「焦る……。焦るか……。そうか、俺は焦ってたのか。焦ってるつもりはなかったんだけどな……。うん、もう大丈夫」
「そう? じゃあ、浮遊魔法でどこに行こうとしているのか教えて」
大きく深呼吸をしたアルバートは、いつもの自信に溢れた顔つきへと戻っていた。憑き物が落ちたようだ。
「えっとね。さっきも言ったように、この隠し通路は地下都市の裏側だ。ここに来た時の魔法陣は俺しか使えない。……それを踏まえて、ここで問題」
「問題ィ?」
「しゃらくせぇな。さっさと教えろよ」
シャオラスとスノーは答えを急く。
しかしアルバートは天井を見上げ、意地悪な笑みを浮かべた。調子が戻ってきたらしい。
「じゃあ、魔物はどこから外に出たんだろうね?」
――アルの言う通りだわ。一層に魔物はいなかった。それに、魔物が暴れたような痕跡もなかったわ。
彼の見上げる天井をアーシャは何気なく見上げた。
彼女の目に飛び込んできたのは、とても大きな換気口。
――……地下都市と命名されているのだから、この場所は地中に埋まっているのよね。息が出来なくなってもおかしくはないはずだわ。でも、息はいつも通り出来ている……。
「まさか、換気ダクトが外に繋がっているの? 換気ダクトから魔物が……?」
「正解。そのまさか、だろうね」
シャオラスとルーナも顔を見上げ、換気口を視界に入れた。
「で? オレらも同じ道を通って行こうって?」
「そういうこと」
「それなら、そうと、言ってくれれば、いいのに」
「側近の言う通りだぜ。んな回りくどい事しなくてもいいだろうが」
口々に文句を垂れる。
「俺だけ理解していても駄目だろ?」
「そりゃそうかもしんねぇけどよぉ……まっ、旦那の調子が戻ったんならいいか」
「うん。心配かけてごめん。じゃあ、行こうか」
「そうね。行きましょうか」
アルバートは換気口を魔法で取り外し、大きな音を立てないように床へと置く。
そして、アーシャ達は換気ダクトに入ったのだった。
どれだけの時間が過ぎただろうか。
光のない空間は時間間隔を狂わせる。
――お腹の減り的には、暮れ方頃ってところかしら。意外と時間がかかっているわね。
アーシャは暗殺者として鍛えられた感覚から、時間を割り出していた。
――地下都市にどれだけ魔物がいるのか分からない。北の森で相まみえた時は、夕暮れ時だったけれど、北の森は一日中、陽光が差さない場所。夜行性の可能性は否定出来ないわ。もし、今、ここで、魔物と遭遇したら……。
直黒の中では、悪い方向へと思考が飛びそうになる。
そんな思考を吹き飛ばすかのように、スノーが声を上げた。
「やっぱそうだ!」
大声が反響する。
「うォ!? いきなり大声上げるの止めろよ!? 耳が痛ェ!」
「わりぃ、にーちゃん」
「それで、何がやっぱりなのかしら?」
横道に逸れそうになった話をアーシャが引き戻した。
「滝の中で聞いた籠もった風の音あっただろ」
「あぁ、確かにそんなこと言ってたね」
「あん時と同じ音がする」
彼女の言葉にアーシャは耳をすませてみるが、音は全くと言っていいほど聞こえない。
暗殺者という職業柄、耳は人よりも良いと自負していたアーシャだったが、彼女の言う音が聞こえない事に少しだけ苛立ちを覚えた。
――足りないものを数えるよりも、今持てる力を誇るべきだわ。
頭を振り、邪念を捨てる。
彼女は常人では聞こえない音を拾っているのだろう。弱視であるがゆえの発達。
それを手に入れるためには、彼女と同じ土俵に立たなければならない。つまり、両の目を潰さねばならないのだ。
彼女は自分には出来ないと、潔く諦めた。
「私には聞こえないわ」
「あん? 聞こえるだろうが」
「貴女が聞こえるからって、皆が聞こえると思わないでちょうだい。どうしても気になるなら行くべきだと思うわ」
「そうだな」
「懸念は、少ないほうが、いい」
「わかった」
浮遊魔法で動きを制御しているのはアルバートだ。彼に行き先を伝えなければ、思う通りには動けない。
少し速度を上げて進む。すると、水音が聞こえてきた。
暗闇に一筋の光が灯る。
アーシャ達はそれを目指し、外へと出た。
直後。
「うわっ」
「きゃぁ」
「っ!?」
「冷てェ!!」
「ひゃっ」
アーシャ達は大量の水をかぶることとなった。
すぐに濡れない場所まで後退する。
ぐっしょりと濡れた服は重く、肌に張り付いて気持ちが悪い。一瞬にして濡れ鼠になってしまった。
――突然雨に降られる事はあっても、これは予想外ね。
轟々と鳴り響く水音に、アーシャは肩を落とす。
彼女達が辿り着いたのは、地下都市に入る灰色の扉のさらに上。滝の裏に隠された地下都市への入り口の上だ。
一度、見上げたはずの扉。はるか上にはあろうことか換気ダクトが繋がっていた。
視界に入れば確実に認識出来る大きな排気口がそこにあった。それはもう、堂々たる様で隠そうという意思も見て取れない。
なぜ気が付かなかったのかと落胆するほどに。
――もう少し注意深く観察するべきだったわね。彼女の感覚は、常人のそれではないのだから。
唯一、存在に気が付けたであろうスノーは「アタシの言う通りだっただろ!?」と少し誇らしげに騒ぐ。
驚きのあまり口を閉ざしていたアルバートが、やっと口を開いた。
「まさか戻ってくるとは……」
呟くやいなや、彼は思い出したかのように指を鳴らし魔法を発動させた。
すると、水分を含んでじっとりと張り付いていた服は、新品に戻ったかのように綺麗になった。
「ありがとう」
「どういたしまして。さて、驚いてもいられない。戻って、他の換気口に行ってみようか」
彼の提案に各々頷く。
「賛成〜。欲を言やァ下に続く道があれば、文句なしだな!」
◇◆◇
「とは言ったけどよォ! これはなんか試されてねェか!?」
シャオラスの叫びが、木霊となって消えた。
現在。暮れる陽光を全身に浴びるアーシャ達は、永久凍土の氷山の上にいた。
氷山を見下ろせる高さ。そんな上空に浮いている彼女達は苦笑いを浮かべるしかない。
「まさか、氷山の上に出てくるとは思わなかったわ」
「予想外」
「だけどよぉ、丁度いい隠れ蓑ってやつじゃねぇの?」
本来なら、寒さに震え凍死したり、高山病の症状が出たりするはずの場所。
彼女達が白魔に苛まれないのは、ひとえにアルバートのおかげだ。
防御魔法が無ければ、ひとたまりもなかっただろう。
「スノーの言う通りだな。この氷山を登ろうとする頭のイカれた奴は、ただの自殺志願者だけだ」
シャオラスが吐き捨てる。
――あまりにも普通で忘れてしまうわ。シャオラスは教会の間者だったのよね。
教会の間者ならではの経験だろう。存在に気が付かれた他国の間者は、例外なくこの氷山に踏み入り行方を眩ますのだ。
氷山に立ち入ってまで後を追うことはしない。
なぜなら、死が確定しているから。
顔をしかめるシャオラスを打ち見なから、同じくそれをよく知っているアーシャはため息混じりに呟く。
「氷が溶けている所があるわね」
永久凍土だと思われていたはずの氷山だが、その頂上にはところどころ緑が生い茂っており、小さな森となっていそうだ。
アーシャは氷山を見下ろし、奇妙な光景に眉を寄せた。
「今出てきたのが……滝から西に来た所だね。同じ間隔の場所があと二つ。これは多分、一層に繋がってるんじゃないかな?」
一つ一つ確認するように、アルバートは緑を指でなぞる。
しなやかな指を追っていれば、それが四角形になっていると気がついた。彼は同じ間隔に配列されていることから、滝の裏と先程出てきた排気口と同じ一層へと続いていると考えたのだろう。
「んじゃ、あれか。こっから下に行ったトコが別の層に繋がってるんだな? アル?」
「うん。多分ね」
「今から、潜るのは……危険」
「分かっているわ、ルーナ。一度休憩を挟みましょう?」
アルバートに視線を送ったアーシャに、スノーが刺々しい言葉を投げつける。
「ひよってんのか? お嬢サマよぉ!」
「まったく……。貴女はもう少し慎みを覚えたらどうなの? 今から潜って、あの中で魔物と遭遇したら……?」
「ちっ」
舌打ちをしながらも彼女はアーシャの言わんとしている事が理解出来たようだ。
やれやれといった視線を感じたのだろう。スノーがシャオラスを睨む。睨まれた彼は降参と両手を上げた。
「それじゃあ、一番草木の生い茂ってる所で休もうか」
アルバートはアーシャ達を連れて、氷山へと降り立った。
「まずは寝床の確保だな!」
シャオラスの明るい声に皆が頷く。
「身の回りには気をつけないとね。何があるか分からないから」
「そう、だね」
最悪の想定をしながら、アーシャ達は小さな森の中で寝床を決めた。
その頃には日が落ち、辺りを闇夜が包んでいた。
魔物は夜行性かもしれない。
そんな疑惑を抱きながらも、彼女達はつかの間の休息に目を閉じたのだった。
それに気が付いたのは、誰だったか。
何かが忍び寄る気配に、アーシャはふと目を開ける。
アルバートも気が付いたのか、目を開け一点をじっと見つめていた。
声を発しようとしたスノーに、アルバートが静かにとジェスチャーで伝える。
彼女は反発する様子もなく口を閉じた。
しだいに小さな地響きが鳴り始め、息を潜め身を隠すアーシャ達をあざ笑うかのように、それは現れた。
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