第五十九話『北の森』
昼食を食べ終わったアーシャ達はウルスラグナで購入した武器や服を身に着け、北の森へと足を踏み入れた。
北の森は暗殺者育成のために使用する事が多い。
そのため、意図的に迷いやすいよう手が入れられている。
方角を知るための味方である太陽も、今は鬱蒼と茂る緑に遮られ木漏れ日を溢す程度。
等間隔に生命を伸ばす木々。それは方向感覚を狂わせるには十分だ。
――妙ね。動物も、鳥もやけに静かだわ。
森には狼などの肉食獣も生息している。
森に根付く動植物は、時に魔獣へと姿を変え、迷い込んだ人間を手厚く出迎えてくれるはずだ。
だが、あるはずの歓迎がない。
――魔物の影響かしら?
アーシャが考え込んでいると、シャオラスが感心したように呟いた。
「こりゃ案内されねェと迷うわ。迷いの森なんて比じゃねェな」
「迷いの森は、迷わせるというより、見つからないようにって、作られたんだろうから……。この森とは、コンセプトが違う」
「ルーナの言う通りね。この森は意図的に迷わせようと人工的に作られた森よ」
いつもとは違う服装に感覚を合わせるため、くないでジャグリングをしていたアーシャが頷く。
「誰もツッコまねェからオレが言うけど、アーシャちゃん。それ、いつまでやってんの?」
「魔服は袖が長いから少し重いの。だから、感覚の調整をしているのよ。わかってないわね。それでも同業だったの?」
「え、これ、ツッコんだオレが悪い感じ!?」
呆れた視線をシャオラスに向けるアーシャは、くないを音もなく袖口へしまってみせる。
そんな彼女に大げさなリアクションを返したシャオラスだが、いつもなら割って入ってくる男がなんの反応も示さないため、なんとも言えない顔をした。
「んでよォ、アルはいつまで考え込んでんだ?」
「そうだぜ旦那! やっと暴れられんだからよぉ! こんな楽しいこたぁねえだろ?」
「いや、俺はスノーみたいに戦闘狂じゃないからね」
レモラの裏切りで溜まったストレスのはけ口に、魔物と相まみえようとするスノーは、言葉だけ聞けば戦闘狂だ。
しかし、彼女の見た目は虫一匹殺した事の無いような姿なのだから、詐欺でしかない。
「それで、何に悩んでいるの?」
「魔法を使った戦闘の予行は魔獣としてきただろ? でも、緊迫した本当の意味での実践はまだだよね?」
「そうね」
「魔物の出どころは、洞窟。ってことは、今の俺達は魔物の巣窟に実践なしで突入しないといけない」
アルバートの言いたいことが理解出来たアーシャは眉を困らせた。
――魔物を倒せるだけの力をつけられたのか知りたいのね。当たり前だわ。
「かといって、そんな都合よく魔物が現れるわけじゃないでしょう? 探し出して向かって行かない限り、不可能だわ」
「そうだぜ、アル」
足音を殺さずに進みながら、爪痕の残る大木を通り過ぎる。
ここは映像で魔物を初めて見た場所だ。
アルバートやスノー、シャオラスにはずっと同じ森の中に見えるだろう。しかし、この森で育ったアーシャやルーナには一目瞭然だ。
――新しい爪痕……? 森の奥に近づいているとはいえ、ここはまだ中央付近よ。まさか、新たな魔物がもう出てきているというの……?
アーシャは現実的でない自身の考えを振り払う。だが、一度彼女を背を伝う不安は簡単には払拭されない。
「俺が手出ししなくても、ちゃんと倒せるか確認しとかないといけないと思わないか?」
ことさら言い立てる彼を擁護するようにスノーが最もなことを口にする。
「あー……なんだあ。旦那が言いたいのは、もし誰かが負傷して旦那の手が離せない時、決定打に欠けるアタシらじゃ足手まといだっつーことだろ」
「貴女に言われなくても分かっているわよ、そんなこと」
「だったらブチブチ言うんじゃねぇよ! 箱入りお嬢サマがよお!!」
「……なにが言いたいのかしら?」
「そんなことも分かんねぇのぉ?」
「必要以上に侮られている事は理解できたわ。今ここであの時の決着を着けてもいいのよ?」
「はいはい。言い争いはそこまで」
「ったく、懲りねェなァ」
くつくつと笑うシャオラスをスノーが睨む。しかし睨まれたはずの彼はどこ吹く風で笑うだけだ。
アーシャとスノーの間に割って入ったアルバートが、案内のために先頭を歩くルーナを呼び止める。
「ルーナ。止まって。で、こっちに戻ってきて」
彼の呼びかけにルーナは迷わず足を止めた。彼は止まった彼女を手招きで呼び戻す。
戻ってきた彼女と入れ替わるように、アルバートは前へと進む。
「なに? アルバート」
「いいから。皆、そこから動かないでね」
五メートル離れた辺りで、驚くほど冷酷な笑みを浮かべたアルバートがくるりと振り返った。
ぞわりとアーシャの背筋が凍る。
闘技場で一瞬見せた彼の冷酷そのもののような顔つき。
初めてその顔を見たであろうシャオラス達は氷像のように動かない。
――なんて冷たい顔。これを見るのは二度目ね。
木々のざわめきが大きくなる。
鳥が何かから逃げるよう飛び立った。
その刹那。
アルバートに襲いかかろうと茂みから、魔物が姿を現した。
「よっと。じゃあ、俺は見てるから。四人で対処してみて」
自分の何倍もの巨体を踏み台にして、颯爽と彼は木々の中へと消えた。
獲物がいなくなった魔物はピタリと動きを止める。
――あの様子、魔物がいるって分かっていたわね!?
「は? ちょっ、アル!? おまっ魔物が近くにいるの分かってただろ!!」
アーシャの心の声と同じ言葉を口にするシャオラス。
その声に反応した魔物が、首をもたげる。
左右非対称の巨体が目のない頭と思われる場所をアーシャ達へと向け、にたりと笑った。
口に収まりきらない鋭い歯が、残虐性をより際立たせる。
魔法映写越しに見る姿と間近で見る姿では迫力が桁違いだ。
「っ!」
「及び腰なお嬢サマは引っ込んでな!!」
「あっ、ちょっと!!」
薄く赤色の線が入った戦斧を頭の上で大きく横に回転させ、スノーが魔物に突っ込む。
スノーに続き、アーシャ達も各自武器を取り出し走り出した。
アーシャは帯刀していた刀を抜き、魔素を送り込む。
すると、刀は薄っすらと青色の輝きを放った。
ウルスラグナで鍛え直してもらったアーシャ達の武器は、魔素の通りが良くなっている。
そのため、スノーのフェロニエールのように他の武器も色が少しだけだが変わるようになっていた。
――偶然って怖いわね。いえ、先見の明ってやつかしら?
武器を鍛え直そうとアルバートが提案した時には魔物の情報は入っていなかったはずだ。
魔法でしか決定打を与えられないのであれば、武器にも魔法の効果を宿らせればいい。
子どもでも思い付く発想。
しかし、実行するにはアルバートが持っていた孔雀緑色の水晶が必要らしい。
その鉱石を使った武器は一般の冒険者でも魔物に対抗する手段として役に立つだろう。しかし、帝国では手に入らない鉱石であり、ウルスラグナでしか加工できない代物なのだ。
「ぅおらああああああ!!!!」
戦斧が魔物へと振り下ろされる。
魔獣であればスノーの一撃で真っ二つに割れただろう。
だが、相手は魔物。
巨体を物ともせず、木々をなぎ倒しながら彼女の攻撃をすんでのところで避けた。
戦斧が地面を抉り、突き刺さる。
「なに!?」
大振りをし隙だらけのスノーに、魔物は火の塊を吐いた。
無防備な彼女を庇うように陣取ったアーシャは魔物に向かって氷魔法を発動させる。
魔物に複数の氷が突き刺さり、地の底を這うような雄叫びが上がった。
知能の低い魔獣であれば、逆上して何も考えず襲いかかってくるこの間合。
しかし、魔物はじっと隙を伺っているのか動かない。
アーシャ達の眼前に迫った火の塊と同じ大きさの水の塊が、彼女達の横を通り抜ける。
同じエネルギーがぶつかり相殺され、辺りを水蒸気が包んだ。
アーシャとスノーは魔物と間合いを取るため、軽やかに後ろへ飛ぶ。
「一人で突っ走りすぎなのよ。魔物はそれなりの知能を持っているはずよ。魔法が使える。その上、怒り狂って襲ってこないのがいい証拠。貴女の頭はなんのためについているの?」
「はっ! 調子が戻ってきたじゃねぇか! お嬢サマはそうやって威張ってりゃいいんだよ!!」
「減らない口ね」
「主。スノー。ちゃんと連携、しよう」
「そうだぜ。今までみたいに連携なしってわけにゃいかねェだろ」
水魔法で魔物を牽制しながらルーナはスノーの隣に立った。
先程の水魔法での援護は彼女だろう。
その証拠に、彼女の手には魔紙が握られている。
ルーナの後ろで、賛同するようにシャオラスがうんうんと頷いていた。
「わかったわ」
「しゃあねぇな」
「オレは身体強化しか出来ねェから、囮になるぜ」
「うん。任せた。トドメは、あたしと主に任せて」
亜人であるシャオラスは魔素を魔法として放出する事が苦手なのだ。これは亜人や獣人共に持つ特性であるため、誰も彼を責めることはない。
「よしきた! 囲い込むのは任せろ。ひひっ試して見たかったんだよなぁこれ」
「笑い方が汚いわよ」
「お嬢サマには関係ねぇだろうが。じゃ、行っくぜええええ!!」
スノーの言葉に反応した魔物が今度は雷の塊を吐いた。
魔物に向かって走り出した彼女はそれを戦斧を薙いで防いだ。
と同時に、戦斧の動きに合わせ地面が盛り上がった。
もこもことモグラの通った跡を更に大きくしたような、土の両手が数秒で出来上がる。
「っだらああああああああ!!!!」
彼女はそれを自身の手足のように操り、土製の両拳を魔物へと振り下ろした。
メキャッと何かが折れた音が響く。
土だとは到底思えない威力の攻撃。しかし、魔法ではない物理攻撃は、魔物に有効打は与えられない。
叩きつけたれた体を無視した魔物が、スノーにもう一度魔法を放とうとした瞬間。
「でくの坊!! こっちだ!!」
スノーの影からシャオラスが姿を現す。
彼の後ろに素早く身を隠すスノー。
撹乱など物ともせず、魔物は正確に二人へ向かって火の塊を吐き出した。
「うォ!?」
「ひゃっ!?」
すんでのところで避けた二人の間からルーナとアーシャが飛び出す。
魔物へと飛び出した彼女達はすでに魔力を込めた魔紙を指で挟み、いつでも魔法を発動できるよう準備をしていた。
「王手」
ルーナの声と共に水が魔物を包む。
「上出来よ、ルーナ」
秀美な笑みを浮かべ、アーシャは魔物を凍らせた。
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