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公爵令嬢の裏稼業  作者: 藤烏あや@『死に戻り公女は繰り返す世界を終わらせたい』発売中
第三章『反乱軍と魔物』

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第五十七話『目覚め』

 清潔感の現れである真っ白な部屋。

 その部屋に響く相応しくない言い争い。寝台に横たわるアーシャの固く閉ざされた瞼が、騒がしさに少しだけ反応を示した。


「あれだけお膳立てしていたっていうのに、まだ手を出していない……!?」

「アーシャの心が一番大事なので」

「娘の魅力が足りないと!? こんなに愛らしい生娘だというのに、なにが足りないというのだ!?」


 ――……ん。なんだか騒がしいわね。


「そんなことありません。彼女はとても魅力的な女性ですよ。だからお義父さん、落ち着いて」

「お前にお義父さんと呼ばれる(いわ)れはない!」

「俺を婚約者に仕立て上げたのはあなたでしょうに」

「くっ! それは、そうだが……」

「それが親心ってものよ〜進歩したわね、ア・ザ・ミ♡」


 ――ちょっと待って。今、なんて……?


 アーシャの沈んでいた意識が一気に浮上する。

 勢いよく起き上がった衝撃でじくりと左肩が痛み、片目が引き攣った。


「痛っ」

「アーシャ!」


 左側からアザミが。右側からはアルバートが。それぞれ彼女の言葉に反応して、腰や背中に手を回し彼女を支える。

 神の悪戯か、美しすぎる造形が二つ並ぶ様は実に壮観だ。

 高雅で美しい顔を見せつけるかのように計算され尽くされた銀のオールバック。自信に満ちたその顔を惜しげもなく晒すアザミ。

 彼とは対称的に、精彩(せいさい)を放つ顔を黒髪で目立たないようにするアルバート。

 双方ともに自身の顔の良さを自覚しているからこその行動のはずだが、並ぶと性格の違いが顕著(けんちょ)に現れていることが伺えた。


「無理に体を動かしちゃ駄目よ〜」

「……先生」

「久しぶりねん。あんた、三日三晩昏睡してたのよ〜? 肝が冷えたわぁ」


 アザミの横で、頬に手を当ててくねくねと体をくねらせるミルクティー色の髪と瞳を持つ屈強な男――ローゼダン・インパチェンス――は、アーシャの母の主治医だ。

 彼がいなければアーシャはこの世に留まることは出来なかっただろう。

 それだけ腕のいい医者なのだ。

 命の恩人ではあるが、女性的な立ち居振る舞いに当初アーシャは困惑していた。しかし今では気にもならないほどに交流を重ねていた。


「本当、アーシャが生きていて良かった」

「お父様……。先程のお話なんですが……婚約者の……」

「あぁ、それか。聞いた通り、お前の婚約者はアルバート・ミトラだ」

「……そうなのですね」


 アーシャを安堵の膜が包む。

 婚約者がいる身でありながら、その人意外に肌を晒してしまった罪悪感に苛まれていたが、ようやく解放された。


 ――婚約者がアルでなければ、私から直談判していたわね。


 彼女は帝国へと帰国したら、アザミに告げるつもりでいた。アルバートを婿にしたいと。

 願うはずの思いは、いつの間にかアーシャの手のひらに転がり落ちてきていた。


「これで俺が君のお父さんとやり合う事はなくなったね」

「物騒なこと言わないで」

「心配しないで。俺が勝つよ」

「いや、たとえ英雄だとしても、私は負けない」


 アーシャを挟んで口論を始める二人に、彼女は肩を落とした。

 彼女を挟んで火花が散る。

 そんな中、顔は笑っているが目は笑っていないローゼダンが口を開く。


「怪我人の前ってことを弁えなさ〜い」

「す、すまない」

「ごめん、アーシャ」

「大丈夫よ。あの後どうなったか、聞いていい?」


 この部屋にはアーシャとアルバート達の四人しかおらず、少し物足りなさを覚える。


 ――私は、もう彼らを仲間だと認めているのね。


 柔らかな笑みを浮かべたアーシャ。

 あまり見ない彼女の表情をまじまじと見つめるアルバートだったが、思い出したかのようにゆっくりと喋り始める。


「……そうだな。こうなった現況は覚えてる? 君は灯台の上から狙撃されたんだ。俺を庇って」

「ええ。もちろん覚えているわ」


 アルバートの責めるような視線に、アーシャは目を逸らす。

 彼には防護魔法がある。

 仮に彼が狙撃手に気が付かなくとも発動するだろう。


 ――私が助けなくてもアルは防いだでしょうね。


 後悔や悲壮感漂う彼を前に何も言えずアーシャが黙り込んでいると、ローゼダンが医者の立場から口を挟んだ。


「弾丸が貫通せず体内に残ったままで大変だったの。破裂しなかったのは運がよかったわぁ」

「治癒魔法を使って彼が治そうと躍起(やっき)になっていたよ。でも魔法では傷口の治りが遅くてね。……女神に連れて行かないでくれと祈ったのは二度目だ。あの時と同じで生きた心地がしなかった」


 一度目はアーシャが幼い頃。他国の間者に遅れを取り、生死の境を彷徨った時だ。

 あの当時、彼女は理解できなかった。両親から青い顔で抱き締められる意味を。だが、今であればアザミの心労が痛いほど理解できる。

 アーシャはアザミの顔を見上げ、笑う。


「ただいま帰りました。お父様」

「っ、あぁ。アーシャが無事でよかった」


 幼い頃とは違い、アーシャからアザミに抱きつく。

 父親の潤んだ目に気が付かないふりをして、彼女はすり寄った。


「成長したわねん。でも、もう二度と無茶すんじゃないわよぉ。何度もタイミングよくアタシがいるとは限らないいんだからぁ」

「先生……。手を尽くしてくれたのね。ありがとう」

「あんたが素直すぎて、アタシちょっと怖いわ〜」


 おどけたローゼダンに小さな笑いが訪れる。

 しかしアルバートが笑うことはなかった。

 アーシャは逸らした視線を彼へと向ける。だが、視線が絡むことはない。


「ローゼダンさんがいてくれたおかげで首の皮一枚繋がったんだから。お義父さんの言う通り、俺の治癒魔法はあまり効果がなかった。自分がどれほど無力な存在か、思い知らされたよ。英雄なんて担がれて調子に乗ってた報いかな」


 目も合わせず眉を下げて笑うアルバートは、今にも消えてしまいそうなほど弱々しい。


 ――こんな顔をさせるために、庇ったわけじゃないわ。


 彼を安心させるため、少し震える手にアーシャは自身の手を重ねた。


「そんなことない。アルがここまで連れてきてくれたんでしょう? そのおかげで私は生きているわ」

「そんなの、結果論だ。俺は君を危険に晒した。俺は狙撃手に気付いていたんだ。俺が狙われていたことも知っていた。でも撃たれたとしても、防護魔法がある。だから、庇わなくてもよかったんだよ……」

「体が勝手に動いたのだから仕方ないじゃない」

「でも! 俺を押しのけなければ、アーシャを守れたのに……。俺の前に立っただけなら防護魔法の範囲だった」


 大切な人がいなくなるかもしれないという恐怖。それは体験した者にしか分からない感情だ。

 焦燥と不安、絶望。それらがぐちゃぐちゃに混ぜ合わせられ、さらに崖の下へと落とされた気持ちになっている事だろう。

 どんな言葉をかければ彼の傷は癒えるのか。アーシャには分からなかった。


 ――くよくよ悩むのは、私らしくないわね。


 アルバートを安心させるため、彼女は素直な気持ちで言葉を口にする。


「心配をかけてごめんなさい。これからは怪我をしないよう努めるわ」


 アーシャは少し痛む体を無視して、ゆっくりとアルバートを抱きしめる。

 その行動はまるで、自身がここにいると分からせるようだ。

 彼女の少し早く脈打つ鼓動が、彼の沈んだ心を釣り上げる。


 コバルトブルーの瞳が、アーシャを映す。


 真っ直ぐ見据えられ、ようやく彼女が戻ってきたと安心したのかアルバートの強張った顔から力が抜けた。

 そして、ふにゃりと気の抜けた笑みを見せる。


 ――やっと笑ってくれた。


「そこは、これからは怪我をしないって断言するところじゃないか?」

「……善処するわ」


 内心とは裏腹に、アーシャはふてくされたように呟いた。


「まぁ、いいか。これから俺が目を離さなければいいだけの話だし。目が覚めてよかった。無事……とは言えないかもしれないけど、今度は守るから」

「期待しとく」


 アルバートの顔が近づく。

 口づけをされると分かったアーシャが受け入れるように目を閉じた。


「こほんっ」

「……空気を呼んで黙っている場面じゃないですかね。お義父さん」


 アザミの咳払いで固まったアーシャと、じとりと空気を読めと睨むアルバート。


「お前にお義父さんと呼ばれたくはない!」

「まぁまぁ、アザミ。落ち着きなさぁい。今のはあんたが悪いわよ〜」

「娘を守れない弱い男へみすみす嫁にやるほど落ちぶれちゃいない!!」

「ちょっとぉ言ってることが訳わかんなくなってるわよぉ。ほら、おじゃま虫は退散しましょ」

「おい! ローゼ!! 離せっ!!」

「あんたが始めた物語(こと)でしょうに。いまさらよぉ。それじゃ、また来るわぁ」


 てこでも動かこうとしないアザミを引きずってローゼダンは部屋を出た。部屋に残るアーシャ達二人にウインクをしていくことも忘れずに。

 ほんの少しの静寂。

 放心していた二人が我に返る。

 そしてお互いに顔を見合わせ、どちらからともなく声を上げて笑ったのだった。

Copyright(C)2022-藤烏あや

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