第五十六話『帰還』
あれから二週間。
アーシャ達は実践で使えるレベルの魔法を習得していた。
「まさか魔獣を召喚して実践をさせるなんてよ。ふつー考えつかねぇだろ。王サマの側近はクレイジーだぜ」
「そうですね。そのおかげで、実践でも臆することなく魔法を行使出来そうです」
「魔紙もいっぱい貰えたしな! 流石太っ腹だよな」
「ええ。とてもありがたいですね。なにせ消耗品ですから」
「だよなぁ。粗悪な魔紙もあるってんだから、やってらんねぇよ」
スノーとレモラの会話を聞き流しながら、アーシャは潮風に靡く長い銀髪を鬱陶しそうに払う。
今、彼女達は小さな船の甲板にいる。
ヘーリオスは約束通り二週間後の今日、船を出してくれたのだ。
挨拶もそこそこに出立したが、未練はない。むしろ、まっさらな心で帝国に戻れる喜びの気持ちが強い。
今まで帝国で見てきたものは、アーシャが思っているほど美しくはなかった。
妄信的な崇拝の意味も、今では分かる。
――魔の国に来てよかった。お父様やお母様が皇帝に祈りを捧げない理由も、失われたとされていた魔法の事も知れて、満足よ。
ウルスラグナは自由だった。
宗教も、行動の制限もなく、好きに国内を移動できる。
帝国は規律を重んじ、城郭都市内と外で分断されているのが現状だった。
――皇帝が規律だと言えば、それが正義。そうして不要だと分断された国民は、何を思っていたのかしら。
目を背け続けてきた真実。アーシャは今になってやっと向き合う覚悟が出来た。
――遅すぎるわね。
帝国の歪さに気が付いていた両親。アーシャは、どうして子供の頃から帝国は悪だと育ててくれなかったのかと、責任転嫁をしてしまいそうな自身の心を叱咤する。
――お父様はそんな甘い人ではないわ。この状況はわざと。きっと私が選ぶ道を見極めているのね。私が真に公爵家に相応しい人間か、試されている。
帝国を出る前に会った父——アザミはただの親バカではなかった。
用意周到に信書を用意しヘーリオスとの繋がりを作るような、したたかな男だ。
もしもアーシャがなんの疑念も抱かずに皇帝の手先となっていたら。もしもアルバートと共に行動せず、ウルスラグナを悪だと決めつけていたなら。もしもアルバートと心を通わす事なく、帝国の闇を見てみぬふりを続けていたのならば。
アザミは実の娘でも容赦なく始末するであろう。
――あら? だとすれば、反帝国派の正体が掴めなかったのは……。
背筋が強張る。
バクバクと大きく高鳴る心臓の音がアーシャの耳を支配する。
「シャオラス。あと十分もしないうちに、着くって」
「おう! ルーナもちゃんと支度しろよ」
「うん」
遠くでルーナ達の会話が聞こえる。
ウルスラグナから一時間半ほどで帝国に着く予定だった。その速さを聞き、改めてウルスラグナの技術力に驚かされた。
帝国に占領されたバンブ島を横切った際に、金色の龍とその後ろに双剣が描かれた帝国旗がはためいているのを目にした彼女は、自身を落ち着かせるため大きくため息をついた。
――そもそも、まだそうと決まったわけではないわ。落ち着くのよ。それにしても、皇帝は何を考えているのかしら。守人がいる時点で勝ち目なんてない。アルが何千人といるようなものなのだから……。
魔法も科学も進歩しているウルスラグナを蹂躙し、属国にしようと画策する事は、愚の骨頂でしかない。それを彼女は身を持って体感した。
バンブ島に攻め入ったレガリア騎士団が無傷で島を占領出来たのも、国際条約で戦う事を禁じられているからに過ぎない。
住民が本土へ避難し、もぬけの殻となった島を手に入れたところで有効活用できる頭を、皇帝が持っているとはアーシャは思わなかった。
――そんなことも分からず、騎士団は自分達の手柄だと威張り散らしているのでしょうね。
帝国の本土が見えてきた頃に、アルバートが声をかけてきた。
「アーシャ」
「アル。どうしたの?」
アーシャが返事をすれば、彼女の隣に移動したアルバートは手すりへと前のめりにもたれかかる。
目もくらむような笑みを浮かべる彼は、雲ひとつない空のように清々しい顔をしていた。
「帝国に帰ったら、俺の話を聞いてくれる?」
「いきなりどうしたの?」
「もっと俺の事を知ってほしいと思っただけだよ」
「……そう。私もアルの事もっと知りたい。あなたの過去も、未来も全て受け入れるわ」
アーシャの素直な言葉に、アルバートは虚を突かれたのか、己の目を疑うように何度も瞬きをする。
そんな彼にアーシャはくすりと笑う。
「意外?」
「いや……うん。まさか君から言われるとは思わなかったから」
「アルが言ったのよ。結婚したいと思ったら教えてくれるって」
「えっ……?」
アーシャのプロポーズとも取れる言葉にアルバートが固まった時、船はブランジェの港町の端へと停泊した。
彼女は少し赤く染まった頬を隠すよう、固まるアルバートを放置して船から飛び降りた。
我に返ったアルバートは言い逃げをしたアーシャを追いかけ、船を降りる。
全員が降りた後、船はすぐに元来た海路を戻って行った。
「アーシャ、待って。今のは――」
「いたぞ!!! 捕えろ!!!」
アルバートの言葉をかき消して、怒号が響き渡る。
驚いたアーシャ達が声のする方へ目を向ければ、そこには帝国旗を掲げた騎士団がいた。
騎士団全軍を引き連れているのか、副団長が一人馬に乗り、狙って下さいと言わんばかりに真ん中でふんぞり返っている。
――阿呆がいるわ。
日頃の訓練をサボっているのが丸わかりな、バラバラな並びで迫力に欠けるのが残念なところだろうか。
一糸乱れぬ洗練された動きなど、到底出来ないのだろう。
しかし、アーシャ達は六人。相手は騎士団員達。多勢に無勢だ。時に数は個々の力をも凌駕する。油断は出来ない。
「レモラ、これはどういう事だよ!」
「っ申し開きは、ありません」
シャオラスに両肩を揺さぶられたレモラは寂然として一層唇を固く閉じ、眉間にシワを深く刻んだ。
今、彼を支配するのは、後悔だろうか。それとも、罪悪感だろうか。
迫りくる騎士たちの相手をしながら、アルバートは笑った。
「大丈夫だ」
「何が大丈夫なんだよ!? こうも包囲されてちゃ逃げ場なんてねェよ!」
「いまさら怖気づいたのか? シャオラス。俺達は反乱軍だろ?」
「けどよォ、レモラはどうすんだよ。物言わぬ石像と化してっけど」
「レモラはお前と同じだ」
「ちっ、嫌な国だぜ」
納得したシャオラスが、一切動こうとしないレモラに同情の視線を向ける。
その言葉の意味が分からないスノーだけが怒り心頭の様子だったが。
二ヶ月前に定期市が催されていたそこは、すでに戦場となってしまった。
しかし、 アーシャ達は本気を出すまでもなく騎士団をのしていく。
「撃て!! 出し惜しみするな!!」
――弓兵や銃兵はいなかったはず……!?
アーシャが視線を巡らせたと同時に、彼女達の後ろに佇む灯台の上から弓矢が降ってきた。
「うぉぉらあぁぁぁぁ!!!!」
身長の倍ほどの戦斧を地面に叩きつけ、その反動を利用し高く飛んだスノーが軽々と戦斧を薙ぎ、全ての弓矢を落とす。
その神がかった御業に、一瞬だが騎士団は動きを止めた。
目に見えた隙を見逃すほど、彼女達はお人好しではない。
この場から離脱せんと、目配せを交わし散開しようとした。
その間際。
突き上げるような振動が、彼女らを襲った。
雷が落ちたのかと錯覚しそうなほどの地鳴り。
轟然たる地響きが、大地を揺るがし、つんざく。
半狂乱で逃げ惑う騎士達。
彼女達はもう一度この混乱に乗じて逃亡を試みる。
散開するため、アーシャは周りの状況を素早く確認した。
周りを見渡した彼女だけが、唯一それに気づく。
「アルッ!!」
アーシャが彼を突き飛ばす。
どん、と破裂するような音がしたのはその時だ。
勢い良く鉄の杭を壁に打ち込むような、瞬間的ながら激しい響きが、アーシャを貫いた。
――熱い。
「アーシャ!!」
アルバートは倒れかけた彼女を抱きとめ、焦った顔で彼女の名前を呼ぶ。
声を出したくても出せず口をはくはくと動かす彼女に、彼は顔を歪める。
彼は瞬時に回復魔法をかけるが、治りが遅い。
「くそっ、なんでっ!」
――そんな顔をさせるために、助けたんじゃないわ。
「主! アルバート、ここ。ここに飛んで! 絶対安全だから!」
声を荒げることのないルーナが、懐から取り出した地図を彼に差し出し、場所を指差す。
「っ、だが」
「はやく。騎士達が、統率を取り始めてる。奴らが気がつく前に」
いつの間にか収まっている地震。ルーナの言う通り、騎士達が正気を取り戻しつつある。
だが、傷口が塞がらないまま施している回復魔法を止めれば、今は止まっている血がまた垂れ流されるだろう。
大量の血を失えば、命に関わる。
「わかった。そこから、動かないでくれ」
しかし、騎士団に囲まれたこの場所では治療もままならない。
アルバートは悲痛な面持ちで、転移魔法を発動させたのだった。
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