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公爵令嬢の裏稼業  作者: 藤烏あや@『死に戻り公女は繰り返す世界を終わらせたい』発売中
第二章『魔の国』

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第五十四話『魔法とは』


 アーシャはあれからアルバートと会おうとするも、なかなか時間が取れず、気が付けば日が明けてしまっていた。

 太陽が登りきらない時間に中庭へ集められたアーシャ達は、バンブ島とはまた違った趣の風景に心を洗われていた。

 自然に囲まれた旅館ならではの、手入れの行き届いた新緑(しんりょく)。日差しに秋色(しゅうしょく)が増した頃になれば、真っ赤に染まった木の葉が目を楽しませてくれることだろう。

 波紋を描く石畳の奥には小さな川が流れ、せせらぎが心地良い。

 川を堪能できるよう朱色の橋が架けられていた。

 そこにはすでに陛下の指示通りコクが待機しており、魔法の指南を受ける事となった。

 アーシャ達の飲み込みは早く優秀で、その飲み込みの早さは指南に来たコクが冷や汗を浮かべるほどだった。


「つーか、アルが教えてくれたらいいんじゃねェの?」


 だらしなく縁側に座りながらシャオラスがぼやいた。

 その言葉を聞いたアルバートは申し訳なさそうな面持ちで笑う。


「俺は感覚で魔法を使ってるからなぁ。師範としては未熟も未熟で、向いてないと思うよ」

「アーシャちゃんに手取り足取り教える、美味しいイベントだとは思わねェの?」

「うーん、そうは言っても人に教えるのあんまり得意じゃないんだよね」

「意外ですね。なんでも出来そうなアルバートさんもちゃんと人間だったってことですか」

「レモラ、それ褒めてる? 貶してる?」


 彼はレモラの冗談に冗談で返しながら、いつもと変わらない顔で笑っている。

 アーシャはその様子を眉間にシワを寄せて眺めていた。


 ――いつもと変わらない表情。でも、他の誰も気が付かなくとも私には分かるわ。


 何かがズレているような、釈然としない感覚。

 例えるならば、チェスをしている際、相手の手番で何故か死路に駒を置かれたようなそんな気分だ。

 それはアーシャにしか分からない感覚だろう。


「無駄口を叩く暇があるのでしたら、一つでも多く魔法理論を頭に叩き込みなさい」

「はいはい。わーってるよ。謁見の時には静止役買って出てたくせに、意外と挑戦的なんだな?」

「ただの阿呆(あほう)であれば市販している魔法陣転写済み魔紙を買えばいいだけですが、あなた方はそうではないでしょう? あの未知なる魔物と相見(あいまみ)えなければならないのですから」


 新しいおもちゃを見つけた子供のような表情でスノーが笑う。

 しかし彼女の挑発に乗ることなく、コクはすました顔を崩さない。

 アーシャは彼女らの会話を聞きながら、アルバートの隣に腰掛ける。

 彼は彼女達の勉強の邪魔にならないようにと一歩引いた位置を陣取って座っていたからだ。


「アル」

「ん? どうしたの?」


 アーシャから彼の隣へ座ることは珍しく、少し驚いた様子ではあったが笑って受け入れられる。

 たったそれだけで愛されていると自覚出来るのだから恐ろしい。


「これなんだけれど」


 アーシャが彼に見せたのは氷を生み出す魔法理論だ。

 体内を巡る魔力には相性がある。

 そのため相性の良い魔法理論を構築しなければ、威力のある魔法は使えない。


「あぁこれか。アーシャの得意属性は火だから、簡単に使えるようになるはずだよ。氷魔法は火魔法の応用だからね」


 ――私、得意属性のことアルに話したかしら……?


 まぁいいかと違和感を放置して、アーシャは覚えたての知識を口にする。


「魔法陣って一つ一つ手書きなのね。それに魔力を込めないと使えないのも実に合理的だわ」


 魔紙と呼ばれる小さな紙に、理論を覚えた魔法陣を書いていくという地道な作業。

 魔法陣は普通の紙に書いても使えず、魔紙に書かなければ発動すらしない。

 それはなぜか。

 全ては悪用を防ぐためである。

 悪用防止のため、魔紙の購入には身分証明書が必須。

 さらに対策はそれだけではない。

 そもそも魔素の含んだ紙でなければ魔法理論が成立しないのだ。

 その上、魔法陣を書いただけで魔法が発動してしまっては元も子もないため、魔力を込めなければ発動しないよう、魔法陣へ組み込む必要もある。

 

 それゆえに魔紙は無くてはならない物となっている。


「面倒だろ? 俺もちまちま書いていた時期があるよ」

「使ったら消えるのよね?」

「うん。そうだね。魔法理論さえ覚えてしまえばいくらでも応用が効くから、頑張って覚えないとね。覚えれば、自分で新しい魔法も生み出せるんだから」

「ええ、公爵家に恥じないよう頑張るつもりよ。それにしても、瞳に魔法陣を埋め込みたくなる気持ち、分かる気がするわ」


 一部でも間違ってしまったらその魔紙は使えない。そのうえ、一度発動すれば消えてしまう。

 奇跡や驚異、神の御業と呼ばれるものだと思い込んでいた。

 しかし蓋を開けてみれば、魔法とは、なんと不便な代物だろうか。

 そんな手間のないアルバートが羨ましくも感じてしまう。


「だろ? これでアーシャも頭がおかしいって言えなくなったね」

「意地悪だわ」


 彼の家へと招かれた時の言葉を出され、アーシャは苦虫を噛み潰したような顔をするしかない。

 そんな彼女を見て、アルバートは声を出して笑った。


「ははっ。冗談だよ」

「……ねぇ。アル」


 アーシャは唇を固く結び、強い意志の籠もった瞳をアルバートへ向けた。

 すぐに取り繕っていたが、彼の顔が一瞬強張ったのを、アーシャは見逃さなかった。

 前のめりになった彼女に彼は少し体を後ろへ仰け反らせる。

 その行動はまるで彼女が何を口にしようとしているのか知っているようだ。


「な、なに? アーシャ」

「何を怯えているの?」


 アーシャの全てを見透かしそうな目から視線を逸らし、ぎこちない笑顔でアルバートが返事をする。


「俺が? なんで?」

「ちゃんと私の目を見て答えて」


 たたみかけるアーシャに彼は参ったっと両手を上げる。


「全く、敵わないな」


 力なく笑ったアルバートは調子が戻ったのか、アーシャの腰を抱き引き寄せた。唐突なスキンシップに彼女の体が強張った。

 彼はいまだ初々しい反応を示す彼女に遠慮することなく、お構いなしに頬へ口づけを落とす。


「俺が思っていた以上に、俺のこと見てくれていたんだね?」

「っ!? そ、そんなわけ……」

「あるでしょ。じゃなきゃ、こんな些細な変化に気が付くはずがない」


 溢れ出る歓喜を抑えられないといった顔でアーシャを揶揄(からか)うアルバートはいつになく楽しそうだ。


「はぁ。戯れるなら、課題はちゃんと出来ているのでしょうね?」


 コクの大きなため息で我に返ったアーシャは、慌てて課題である魔法陣を書いた魔紙を差し出す。

 魔紙を受け取ったコクは「理解が早いですね」と頷いた。


「ありがとうございます。コク様の教えが良いからですわ」

「当たり前のことです。陛下にお仕えする人間として、完璧であらねば」


 胸に手を当てながらコクはアルバートに視線をやり、鼻で笑った。

 嘲笑われても笑顔を崩さなかったアルバートだが、額に青筋が浮かんでいる。

 どうやらヘーリオスの側近とアルバートは相性がすこぶる悪いらしい。

 コクが一方的に彼を見下しているだけかもしれないが。


「では完璧でない俺は失礼するとしましょうかね。アーシャ、おいで」

「え? あ、ちょっと!」


 吐き捨てたアルバートは立ち上がるとアーシャの手を強引に引いて、旅館の奥へと歩みを進めたのだった。




 アーシャとアルバートがいなくなった縁側では、レモラが空気を読まずコクへ質問を投げかけていた。


「これが分かりにくいのですが……」

「え? あぁこちらですか。これはですね……」

「いや、レモラお前メンタル強すぎだろ。今の見てなかったのかよ」

「いつもの事じゃないですか。いいかげん慣れましたよ」

「確かに、いつものことだね。あ、あたしもここ分からない」

「オメェら呑気かよー。アーシャちゃんのピンチかもしれないだろォ」

「それはねぇな。旦那がお嬢サマの嫌がる事すると思えねぇし」

「スノーまで……。まぁ、それもそうだな」


 納得したシャオラスは大きく息を吐いて、空を見上げる。

 彼はアーシャの安否は諦め、縁側から見える夕景(ゆうけい)を眺める現実逃避を決め込んだのだった。

Copyright(C)2022-藤烏あや

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