第五十三話『謁見』
転移魔法で移動したそこは、すでに玉座の間だった。
「なんも聞こえねェ空間だなァ」
シャオラスがぼそりと呟く。
王座の間が静寂に包まれているのは当たり前の事だ。
当たり前の事を呟いた彼を呆れの目で見たアーシャは、辺りを観察するように視線だけを動かす。
白で統一された内装。繊細で緻密な装飾を施された柱。奥は壇上になっており玉座があり、その両隣には守るように双子の側近が待機していた。
アーシャは玉座に腰掛ける人物を視界に入れた瞬間、腰を折った。
公爵令嬢として完璧な笑顔を浮かべ、完璧なカーテシーを披露したのだ。
彼女に続き、アルバートも貴族顔負けのボウ・アンド・スクレープを行う。
釣られてルーナやシャオラス達も同じように礼を捧げた。
――本当、どこでその所作を覚えたのかしら。……何度考えても、異世界で王族だったとの結論に至ってしまうわ。
アルバートの様子を横目で見ながら、声が震えぬよう息を吸い込んだ。
「拝顔の栄を賜わりましたこと、恐悦至極に存じます」
「よい。楽にせよ」
体勢を戻しウルスラグナの王――ヘーリオス・アズ・フォン・ウルスラグナ――を見上げ、アーシャは息を呑んだ。
――なぜ……?
初めて目にするヘーリオスは、アルバートとよく似た顔立ちをしていた。
ヘーリオスは彼と比べてダウナーな雰囲気だが、とても他人だとは思えない。
違うのは、すこし長い髪と瞳の色ぐらいだろう。
彼と同じ黒髪は少し長く、手入れの行き届いた艷やかな髪。
オニキスのような真っ黒な瞳は何を考えているのか読めず、畏怖を感じさせるには十分だ。
身にまとうのは黄櫨染の魔服だ。濃紫で描かれた菊花の刺繍が施されている。
「ふむ。想像以上に似ているな。そう思うだろう?」
双子の官僚に話を振るが、白い方は無視を決め込んでいるようで返事をしない。
しかし、黒い方は咎めるような厳しい目つきでアルバートを一瞥し、無礼にも鼻で笑った。
「似ているものですか! 例え血が――」
「ハク。やめなさい。それは禁句です」
「ちっ。くそですね。コクだって本心ではそう思っているでしょうに」
白い方がコク、黒い方がハクという名らしい。
突然喧嘩をし始めた双子にアーシャ達が固まっていると、苦笑したヘーリオスが申し訳無さそうに言葉を紡ぐ。
「こちらの者が失礼した。久しぶりだな、目隠れの令嬢」
「お久しゅうございます。その節は寛大なお心でお許し頂きありがとう存じます」
いつになく饒舌に喋るルーナに面を食らったのはアーシャだけではない。シャオラスやレモラも驚きに固まっていた。
「よいよい。我も楽しんだ」
――私が来れなかった時に何があったの……? お父様が無礼を働くなんて考えられない。じゃあルーナが? いえ、それもありえないわ。
不可解な会話についていけず押し黙っていると、ヘーリオスが嘲笑うかのように吐き捨てた。
「外交に訪れたウォフ=マナフ当主はな、我の顔を見てこう呟いたのだ。ひどく落胆した顔で『違う』と」
――違う……? 一体、何が……?
「焦った目隠れさんが腕を引き我に返って挨拶を述べていましたね。実に滑稽でした」
「コクよ。口が悪い」
「これは失礼致しました」
「のぉ、ウォフ=マナフ令嬢よ。一体なにが違うのだろうな?」
意味ありげに視線をアルバートへと向けてから、アーシャへと問うヘーリオス。
その問いの答えをアーシャは持ち合わせてはいない。
――お父様は一体何を考えていらっしゃるの……?
返答できず戸惑い眉を下げるしかない彼女に、彼は小さく息を吐いた。
「お主に言うてもしかたないか。許せ。遊びが過ぎた」
「いえ……とんでございません」
「本題に入ろう。ウォフ=マナフ家からの信書は確かに受け取った」
キキョウに渡したはずの信書がヘーリオスの手に現れる。ヘーリオスもまた、魔法の使い手ということだ。
信書には何が記されているのかアーシャは知らされていない。そのため、ヘーリオスの言葉を待つしかなかった。
ヘーリオスはしばらく信書と禁色を纏うアーシャを交互に眺め、ニヤリと笑う。
「悲願が叶った暁には、貿易を再開させようじゃないか」
――悲願?
「ありがとう存じます」
アーシャは内心とは裏腹に全て理解しているという体で礼を述べる。それが貴族というものだからだ。
彼女は何食わぬ顔で頷いて見せた。それを視認したヘーリオスは意地の悪い笑みを浮かべる。
「まったく、あの狸も意地が悪い」
「……なんの話でしょう?」
「こちらの話だ。ここに招いた6人の活躍に期待してる」
「……もったいないお言葉です」
微妙に噛み合わない会話にアーシャはため息をつきたくなったが、この場でため息をつくわけにもいかず、口から漏れそうなため息を飲み込んだ。
そんな彼女を横目に、アルバートがお手本のような笑顔を貼り付け問う。
「発言をお許し頂けますか?」
「許す」
「なぜ俺達全員を呼ばれたのですか? 信書の件だけならば、ウォフ=マナフ家のご令嬢だけで事足りたのでは?」
「お主は敏すぎて面白みがないな。そこな令嬢だけを呼んで、嫉妬の炎を向けられてはかなわんだろう?」
言葉とは裏腹に、目を細め少し色の籠もった視線をアーシャに贈るヘーリオスは、まるでわざとアルバートを焚きつけようとしているかのようだ。
彼は目に見えて挑発に乗るような事はなかったが、鋭い視線をヘーリオスへと向けていた。
それを不敬だと言うこともなく、ヘーリオスは愉しげに笑った。
「やはり血は争えんわな」
聞き覚えのある言葉にアーシャがぴくりと反応を示す。
――前にも言われていたわね。
この世界とは別の世界から召喚されたはずのアルバート。
だが、バンブ島でも言われていた『血は争えない』という言葉。それが意味するのは……。
――なんなのかしら。この言い様のない違和感は。
大切な何かを見落としている。
しかし、それが何なのか検討もつかない。否、見ようとしていないだけなのかもしれない。
地雷畑でダンスさせられているような、そんな焦燥感が彼女を蝕んでゆく。
彼女の内面などお構いなしに話は進む。
「……なんのことだか分かりかねます」
「そう言うと思うたわ。雑談はこの辺にしておこう。主らを呼んだのはこれだ」
パチンッと指を鳴らし、現れた魔法映写に映し出されたのは、鬱蒼とした森林。
その森林に、アーシャは見覚えがあった。公爵家の領地であり、暗殺者を育成するための場所だ。
ウルスラグナの間者をいとも簡単に招き入れ、あまつさえ魔法で通信を許している目の前の信じられない光景に、彼女はゴクリと息を呑む。
「……マナフ領」
ルーナの呟きに肩を揺らし反応したのはレモラだ。
彼も気が付いたのだろう。帝国に間者が野放しにされているこの状況に。
「そんな怖い顔をしなさんな。ほれ、見てみよ」
獣とはまた違った、咆哮が轟く。
魔法映写に映されたのは、獣のような『なにか』だ。
真っ白な巨体。左右非対称の体の造形が悚然とさせる。
生物にあるはずの眼はなく、口を閉じていても収まりきらない鋭利な歯が、それの凶悪さを物語る。
異質なそれを仕留めようと飛びかかった一人の男。しかしそれから放たれた炎の塊に直撃し、火だるまと化してしまう。
彼は地面を転がることで消火していたが、今まで通りの生活は出来ないだろう。
氷柱が『なにか』を囲うように現れ、一斉に襲いかかった。
人間の悲鳴のような断末魔を上げた『なにか』は、言葉通り最後の力を振り絞って爆発した。
映像はそこで途切れていた。
「これは……?」
衝撃から我に返ったアーシャが絞り出した声はとても小さく、震えていた。
「突如現れるようになったようだ。まだ数は少ないが、一般人が目にするまでそう時間はかからんだろうな。我らは便宜上これを『魔物』と呼ぶことにした」
「魔物、ですか」
「見たであろう? 彼奴らは魔法を自在に使う」
アーシャは青褪めた顔でアルバートに縋るような視線を送る。
彼女の視線に気が付いた彼は神妙な面持ちで頷いた。
「早く戻らないと……!」
「まぁ、待て」
「ですがっ!」
「お主は魔法が使えるのか?」
「……いえ」
「使えるようにならねば、身に待つのは死のみぞ。魔を制すのは魔だと心得よ」
ヘーリオスの言葉にアーシャは奥歯を食いしばる。
――なんて無力なの。自国の危機に、指を咥えて見ている事しか出来ないなんて……!
着飾ったドレスにシワがつくのも構わずに彼女はドレープを握りしめる。
片眉を上げ「ほぉ?」と呟いたヘーリオスが口角を釣り上げた。
「二週間だ」
「陛下、なにを……?」
困惑した様子のハクがヘーリオスを見つめる。
「ハクとコクを貸してやる。二週間で魔法を会得してみせよ」
「はぁ!? 何を言いやがるんですか!! 私は嫌ですよ!!」
「陛下のお遊びに付き合うのも側近の務めですよ、ハク」
「はぁー」
大きなため息をついたハクが、アルバートに向かって指を指す。
「私はお前が嫌いです! お前なんかに教えてやる事など何もありません!!」
「いえ。教えてもらわなくとも魔法は使えるので、結構です」
「なんですって!?」
「はいはい。そこまで。明日から二週間よろしくお願いしますね」
コクは言い終わると指を鳴らした。
一瞬にして旅館のエントランスホールへと戻され、唐突な出来事に頭がついていかない。
「んぁ? 旦那がいねぇな」
「本当ですね。アルバートさんがいません」
「つっても、オレらじゃどうしようもねェだろ? おおかたアルだけに話したい事でもあったんだろ」
――アルだけに用があるとは思えないけれど……。
シャオラスの言葉にアーシャが考え込んでいると、彼女の目の前にアルバートが姿を現した。
彼はアーシャの顔を見た瞬間に破顔する。
「ただいま」
「何を話していたの?」
「んー、またの機会に話すよ。というか、正装って思っていた以上に肩が凝るね。さっさと着替えよう」
――いつもならもっと砂糖のような言葉を吐くのに、いやに投げやりね。疑ってくださいと言っているようなものだわ。私達が帰ったあと、陛下となにかあったのでしょうね。
待機していた女性たちに上着を渡し自身の部屋へと戻っていくアルバート。そんな彼らしくない行動にアーシャは疑惑の目を向けたのだった。
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