閑話『酒盛り』
時は遡り魔力測定の前夜。
アルバート、シャオラス、レモラの三人はテーブルを囲んで買い込んだ酒を飲んでいた。
「もっと飲め飲め!」
「いや、もう結構飲んでるだろ」
「なんだよアル、連れねェな。ほらレモラももっと飲め!」
「いや……大丈夫れす」
明らかに呂律が回っていないレモラのグラスが空く度にシャオラスが酒を注ぎ足す。
そのため、必要以上に呑まされたレモラの顔は真っ赤だ。
アルバートは呆れたと言わんばかりにため息をついて、顔を赤く染めた彼に水を差し出した。
「おい、シャオラス。流石に飲ませ過ぎじゃないか?」
「そんなことねェって。久しぶりの酒なんだから楽しもうぜ」
「お前もだいぶ酔ってないか……?」
「多少は酔ってるかもなァ。でもこんな状況じゃないと話せない事もあるだろォ?」
「例えば?」
「あー、そうだなァ。……レモラ好きな女とかいねェの?」
唐突なシャオラスの質問。
普段のレモラなら「いるわけないでしょう」と一蹴するような内容だ。
しかし、酒の力とは偉大である。
「僕、聖女様に憧れてたんです」
「おォ?」
「神秘的な月白の髪。白菫色の瞳は弱視で。崇拝というよりも支えてあげなければと庇護欲を掻き立てる……そんな存在だったのに……」
「だったのに?」
「あんな野蛮人だったなんて!!!!」
ダンッとテーブルにグラスを叩きつけた音が響いた。
グラスを叩きつけた勢いでうつむいていたレモラがゆらりと顔を上げる。
「顔。レモラ顔! やっべェ……地雷踏んだ」
「シャオラスのせいだぞ!? ちょっ落ち着け、レモラ」
「これが落ち着いていられますか……?」
「ヒェッ」
じとりとした目を向けられ、シャオラスがらしくない声を上げる。
「聖女様は、可憐で清らかなお方なんです。それなのに……それなのに何故……民衆に向ける優しげな眼差しも、護衛にお疲れ様と微笑み労って下さったあの神々しさも、全てがまやかしだった僕の気持ちなんて……。アーシャさんやルーナさんとイチャイチャしている貴方達にはわからないでしょう!?」
彼の言葉にアルバートとシャオラスはお互いの顔を見合わせ、どうしたものかと視線で会話する。
「疲れ切った僕に微笑んで下さった聖女様はそれはそれは美しくて、呼吸も忘れるほどでした。形の良い唇が紡ぐ声は麻薬のように人を虜にする魅力があり、一度笑みを浮かべれば天に召されるかと錯覚しそうなほどで……。可憐で清楚で、慈悲深いのが聖女様なんです。それが幻想だったなんて……」
「レモラ〜話がグルグル回ってんぞォ」
やけくそ気味に水を呷ったレモラ。
アルバートは空になったグラスにもう一度水を注いだ。
あわよくば酔いが早く冷めるようにと。
「レモラって案外純情なんだな」
「どういう意味ですか」
「聖女なんて、民衆が崇拝するように教会が仕向けてるに決まってるだろォ?」
教会の間者をしていたシャオラスの言葉には説得力がある。
しかし、レモラは止まらない。
「わかってますよ、そんなこたぁ! 聖女という重荷が下りた彼女はイキイキしていて幸せなのでしょう。でも僕は聖女様に救われたんです」
「救われた?」
「ええ。僕が騎士団長に就任してすぐの事です。僕に従わない騎士たちに疲弊していた時、聖女巡礼に立ち会いました」
「そんなもんもあったなァ。真っ白なドレスで着飾ってジャラジャラ宝石もつけて仰々しさ満載だった」
「すごく綺麗でした……。その時、聖女様の警護をボイコットした騎士達の代わりに僕一人で警護に当たってたんです」
レモラの話に耳を傾けていたアルバートは「ろくなことしないな、あいつら」とぼやきグラスに口をつけた。
「一人での警護に疲れ果てた僕に、聖女様は優しい言葉を下さったんです。あの時の事を僕は生涯忘れないでしょう。これだけは、幻想じゃないはずだ」
「それが分かっていたら良いんじゃないか? その言葉に救われたのは事実だろ?」
「アルバートさん……。そう、ですよね」
「そうだぞ、レモラ。お前が見た聖女がたとえ分厚い仮面を被っていたとしても、お前にかけた言葉は嘘じゃないだろォが」
なんとか沈静化したレモラに、アルバートとシャオラスはホッと息を吐いた。
しかしその安寧も一瞬で、地を這うような声がレモラの口からまろび出た。
ビクリとアルバートとシャオラスの肩が揺れる。
「ですがアレはないでしょう……。人の食べかけの皿から手づかみで掠め取ったり、淑女らしくない食べ方……」
「気づいてないのか?」
「何にです?」
「そういう行動、レモラにしかしてないよ」
アルバートの言葉にシャオラスが頷く。
「おまっ気づいてなかったのかよ」
「案外自分の事には鈍感なんだな、レモラは」
ケラケラと笑うシャオラス。
彼らの言葉に固まったレモラがやっと放った言葉は、
「……は?」
だった。
彼の素っ頓狂な声にシャオラスが腹を抱えて笑い始める。
「マジか!! ははは!!」
「もしかしたら覚えてるんじゃないか? レモラの事」
「……え?」
「レモラ、バクってやんの! やっべェははは!!」
「人はそんなすぐには変わらないよ。もしかしたら、乱暴な口調も素行も自身を守るための手段かもしれない」
「アルバートさん何か知ってるんですか」
視線を向けられたアルバートは苦い笑いをその彫刻のような美しい顔に浮かべ、言葉を選びながら喋り出す。
「アーシャとスノーの話を盗み聞いただけなんだけど、皇帝に組み敷かれて逃げ出したら指名手配されたらしい」
「あァ、あの皇帝ならやりかねないわな。たちの悪ィ好色家で有名だぜ。アーシャちゃんも誘われたって一時噂になってたぐらいだしなァ……うェ!? ちょ、アル! 顔! 顔!!」
「ヒェッ」
水に打たれたように酔いの冷めたレモラから声が漏れる。
見事な造形美が般若のような形相をしていれば誰であろうとゾッとするものだろう。
それは同じ寝食を共にする仲間とて同じ事。
「シャオラス……それいつの話だ?」
「うェ、えっと三年前ぐらいか……?」
「合意もなく組み敷いたって事だよな?」
美形を怒らせてはいけない。
そう心に誓ったシャオラスではあったが、今はどうにかして彼を元の憎たらしいほどに整った美形に戻さなければならない。
「い、いえ! 未遂だったはずです。城でもあの皇帝が連れ込めなかったと話題でした!」
「そうか。よかった。もし暴かれていたら……ふふっ」
「アル、お前も結構酔ってんな……?」
呆れを通り越して脱力したシャオラスが頭を抱えて呟いた。
「これっぽっちも酔ってないよ」
「嘘つけェ! 酔っ払いは全員そォ言うんだよ!!」
「そ、そろそろお開きにしませんか? 明日も早いですし」
「おう! そうだな!」
レモラとシャオラスが立ち上がり、酒を片付け始めた。
その様子を先程と打って変わってニコニコと見守るアルバート。
慌ただしくも彼らの夜はまだまだ明けない。
Copyright(C)2022-藤烏あや