第四十七話『闘技場』
アーシャ達はメイビスに別れを告げ、ウルスラグナの首都ブロッサムへと歩みを進めていた。
魔導輪を借りるという選択もあったが、少しでも多くのお金を衣服や装備に使いたいと節約する事になった結果、徒歩での移動となったのだ。
一週間野宿を繰り返し、街へと辿り着いた。
木造の家が立ち並ぶ大きな街。
街の中央を並木道が通り、その先には遠目からでもドーム状の大きな建造物が確認できる。
その風景は見るものを圧巻することだろう。
アーシャも例に漏れずその光景に圧巻されていた。
「そういやァ、ここ闘技場があるんだ。見に行かねェ?」
「シャオラス。見に行くだけが目的じゃないだろ?」
「アルは目敏すぎる……。でもまァそんな悪いもんじゃないって。ほら見てみろよ」
シャオラスが目を向けた方向へとアーシャ達も目を向ける。
そこにあるのは一つの掲示板。
「挑戦者求ム……?」
レモラがマジマジと掲示板に貼られたポスターを見る。
「つってもよぉ、魔法のみの戦いだろ? 面白くねぇじゃん。やっぱ戦闘は武器で殺り合ってこそじゃねぇの?」
「……戦闘狂の発言ね。元聖女だとは思えないわ」
「んだよお嬢サマ。文句あんのか」
「スノーも、主も、どうどう」
「私は暴れ馬じゃないわ」
「アタシは暴れ馬かよ」
ルーナの言葉に対する抗議の声が思いがけずハモってしまう。
二人は互いから目を逸らし、バツの悪い顔をして閉口した。
そんな彼女達を横目に、シャオラスがアルバートの肩に手を回しにやりと悪い笑みを浮かべる。
「これに出て、賞金いただこうぜ」
「その口ぶりだと、俺が出ることになりそうだな」
「そりゃあこん中じゃ、アルが適任だろ? な、アーシャちゃん。アルの格好いいとこ見たくない?」
いきなり話を振られたアーシャは驚きに肩を揺らす。
「え? そ、そうね」
「ほら、アーシャちゃんもそう言ってるぞー」
「全く……」
ため息をついたアルバートがアーシャの隣に移動し、流れるような動作で彼女の腰に手を回した。
「ねぇアーシャ。俺の戦う姿、本当に見たいの?」
──闘技場って事は、私以外の人と戦ってる姿を見れる……?
一瞬で考えを巡らせたアーシャは素直に頷いた。
「対人戦ってことよね? それなら見てみたいわ」
「じゃあ頑張ろうかな」
アルバートはアーシャの頭に口づけを落とし、上機嫌で闘技場へと足を向けた。
彼のスキンシップに慣れ始めたアーシャは口づけを落とされた髪を気にしながらも隣に寄り添い着いて行った。
◇◆◇
闘技場内に興奮の渦が巻き起こる。
喧騒が鳴り止まず、司会すらも興奮の収まらぬ様子で叫んだ。
『ラストバトルまで勝ち進んだのは、今大会一番の注目を集めたこの御方!!』
司会の言葉と共に入場したアルバートに場内が湧き上がる。
耳をつんざく不快な黄色い金切り声。
彼を見つめる恍惚とした眼差し全てがムカムカとした感情に変わりそうだ。
『強く! 気高く! 美しく! アルバート選手だぁぁああああ!!!!!』
最前列から見えるアルバートは苦笑しつつも手を振っており、その仕草さえアーシャの苛立ちを増幅させていた。
「まァ……こうなるわな」
最前列を陣取ったシャオラスが苦い笑いを浮かべ呟いた。
「主、そんな怖い顔してたら、せっかくの美貌が、台無し」
「……怖い顔なんてしてないわ」
「怖い顔しなくても旦那はお嬢サマ一筋なんだろ? 心配いらねぇじゃねえか」
「スノーさんの言う通り、周りの女性を気にしなくても、アルバートさんはアーシャさんしか見てないですよ。ほら」
レモラの視線を追いアーシャがアルバートに目を向ければ、ばっちり彼と目が合う。
とろけるような笑みをこちらに向けられるが、恥ずかしさよりもどす黒い感情が胸の内に渦巻いてしまい、アーシャはなんとも言えない顔をするしかない。
なぜなら、闘技場内どこからでも戦う様子が見えるよう四角い魔法映写が浮かんでおり、彼の顔が随時映し出されているからだ。
──今すぐにでもアルの顔を隠してしまいたいわ。
彼女しか見られなかったはずの笑顔が公共の面前で晒されてしまった。
アーシャは彼の特別だと感じられる表情を無防備に見せるアルバートにも、腹立たしさを感じていた。
「全く……。アルもアーシャちゃんも、独占欲が強いよなァ」
『アルバート選手と対峙するのは、竜族最強と名高いヴェルデ選手!!!!』
シャオラスの声はアーシャには届かず、司会の声にかき消された。
竜族のヴェルデは一見普通の人間と変わらない。
大きな体躯を除いては。
──まるで大人と幼子ね。
アルバートはそんな体格差を気に留める様子もなく、少しだけ口角を上げていた。
「何も語ることはない。最高の宴を始めようぞ」
「そうだね」
暗殺家業のため読心術を心得ているアーシャとルーナ、亜人であるシャオラスにはアルバートとヴェルデの会話が手に取るように分かる。
観客席へと魔法が飛び火しないよう、薄い膜のような魔力吸収装置が発動した。
防護魔法のかかった軽量飛行装置へと乗った司会が空中に移動し、口を開く。
『それでは、ファイッ!!』
司会の合図とともに、ヴェルデが地面に片手をついた。
ボコボコと蛇がのたうち回るように地面が盛り上がり、目にも留まらぬ速さでアルバートへと近づいていく。
それが彼の足元で弾けた。
一言で表すなら間欠泉。
直撃は免れないと誰もが息を呑んだ。
しかし、アルバートに攻撃が当たることはなかった。
足元で弾けたはずの水流は氷となり、綺麗なオブジェと化していた。
彼の周りにはひんやりとした空気が漂っているのか、薄っすらと霧が発生している。
アルバートはその場から微動だにせずに攻撃を防いでみせたのだ。
先程とは違う意味で観客達が息を呑む。
『ヴェルデ選手、魔素変異により水流を発生させました。対するアルバート選手は氷の初級魔法を使用』
機械音声が解説を挟む。これは観客が何が起こったのかを理解出来るようにするための処置のようだ。
間髪入れず地鳴りのような歓声が轟き、会場が湧き上がった。
『なんっということでしょう!!! アルバート選手、初級魔法で亜人の魔素変異を止めてしまいました!! 信じられません、初級魔法で止めれるなんて……!?』
興奮の収まらぬ様子で司会が早口で捲し立てる。
「まぁこれぐらいは防いでもらわねばな」
ヴェルデが頷き、次の一手を投じる。
彼が大きな口を開けるとそこから炎が噴射された。
瞬く間にアルバートが立っていた場所の景色が揺れる。
獣の咆哮かと聞き間違うような重々しい響きと皮膚を焦がすような熱風が吹き荒れ、巻き上がる砂埃で彼らの姿が見えない。
黒雲の中を駆けるが如く、砂埃の中に稲光が走った。
勢いよく砂埃の中から上空へと飛び出す大きな影はまさしく竜だ。
『ヴェルデ選手、火炎放射からの变化を使用。対するアルバート選手は水と火の初級魔法で対抗』
「なかなかやるではないか」
竜となったヴェルデがにやりと上空で凶悪な笑みを浮かべる。
砂埃が舞い上がる中、薄っすらと見えたアルバートは戦闘開始直後の位置から微動だにせずに攻撃を防いだようだった。
彼の足元に円を描き地面が抉れているのがなんとか見て取れた。
彼はなにやら考えているようで顎に手を添えている。
「……竜族でもこの程度か……」
そう小さく呟かれた言葉はヴェルデには届いていない。
しかし声が聞こえなくとも呟いた言葉を読み取れたアーシャは愕然と彼を見つめた。
──わざと攻撃を受けたって事……?
「ならばこれはどうだ?」
「遅いよ」
ヴェルデが次の攻撃へ移ろうと大きな翼を広げたその刹那。
回避すら出来ず翼を広げたその姿のまま彼は炎の竜巻に飲み込まれた。
最初は炎だけだったが、炎だけでなく竜巻の中には稲妻が走っている。
『アルバート選手。火、水、風の初級魔法を使用』
『これは……!? どういう事でしょう!! ここ、魔法闘技場では中級魔法までの使用しか認められていませんが、初級魔法でこの威力!!!!!』
魔法の効力が切れたのか竜巻が消え、鱗が少し焦げたヴェルデの姿が確認出来た。
その様子を晴れ始めた砂埃の中から眺めるアルバートは、恐ろしいほど冷たい目をしていた。
誰も彼の表情に気がついていない。
だが、彼を唯一見つめていたアーシャは、砂埃の合間から垣間見えた炎すらも凍らせてしまいそうなその冷たい瞳に、ぞくりと背筋が冷たくなるのを感じた。
──あんな冷たい表情も出来るのね。
暗殺者よりも暗殺者らしい表情。
初めて目にした一面に戸惑いを隠せないアーシャだったが、機械音に現実へと引き戻される。
『一定以上の魔力を検知。防御不可と判定。ヴェルデ選手、失格です』
『ヴェルデ選手にレフェリーストップが入りました!!!! よって、今回の栄えある優勝者はアルバート選手だぁぁぁぁぁぁぁあああああ!!!』
勝敗が決したと同時に薄い防護膜がなくなり、魔力吸収装置が停止した。
今日一番の歓声が響き渡る。
それは空中をこだましながら、観客の昂りとともに渦を巻き上昇していく。
鳴り止まぬ歓呼の中、先程の表情が嘘のようにニコニコと笑顔で観客に手を振るアルバート。
──見間違いだったのかしら? でも、あの表情は……。
アーシャが思考の海へと再び沈もうとした瞬間。
重力など存在しないかのように、彼女の体がふわりと浮いた。
「え?」
浮いたアーシャが助けを求めるようにルーナやシャオラス、レモラに目を向けるが、三人共に首を横に振った。
──薄情者……!!
こんな強引な手を使ってくるのはアルバートだけだとは理解しているが、心臓に悪い。
観客の注目の的となりながら会場の中心まで誘われ、アルバートの腕の中へと引き寄せられた。
「アーシャ」
熱を帯びた瞳で見つめられ、反射的にアルバートから視線を逸らす。
すると彼はアーシャに唇を寄せ、髪に、額に、頬に、さらには首筋に、寵愛を雨のように降りそそいだ。
「は、え、なっ、なっ……!?」
一瞬にして真っ赤に染まる彼女に気を良くしたのか、アルバートは鼻歌交じりに用意された壇上へと上がった。
「ちょ、ちょっと、アル!?」
「アーシャ、君は自分がどれだけ注目を集めてるか自覚してる? 無防備すぎ」
「それは貴方も一緒でしょう? アルは私だけ……見てればいいのに」
尻すぼみになる声量。
普段なら聞こえないが、抱きかかえられ距離が近いためその言葉はしっかりとアルバートへと届いた。
虚を突かれた彼は驚きに目を少し見開くが、すぐにいつもの顔に戻った。
「可愛い」
『えーそろそろ表彰へと移ってもいいでしょうか?』
「はい、大丈夫ですよ」
司会に現実へと引き戻され、アーシャはアルバートにお姫様抱っこをされた状態で、彼とともに表彰される事となった。
明くる日にはアルバートとアーシャの仲睦まじい様子が色々な媒体で中継されたとか。
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