第四十五話『はじめての』
家に転移させられたアーシャ達は、ウッドデッキのテーブルに簡単な料理を運び、昼ごはんを食べながらこれからの事を話し合う。
魔の国の口座を持っていない彼女達は、シャオラスに教えられながら口座を開設した。
装着義務のあるデバイスに口座を紐づける。
途端に手当が振り込まれた。
──何もかもが監視されているみたいで、少し心地が悪いわ。
魔の国に住まう人々にとっては普通であっても、他国の人間であるアーシャ違和感を隠しきれない。
「オレとアル、んでアーシャちゃんは毎月金が振り込まれるけどよ、ルーナとレモラの生活費はどうすんだァ?」
「三人分合わせれば生活は余裕でできると思うけど、全員の衣服と武器を買うには厳しいかな」
「働くしかないでしょう」
「うん。ちゃんと、働く」
レモラとルーナが働く事を提案し、アーシャ達はその提案に乗る事にした。
しかし、問題が一つ。
「働くつったって、どうするよ? ここじゃ冒険者は儲からねえぞォ」
シャオラス曰く、ウルスラグナでは魔獣はあまりおらず、冒険者という職業は縮小気味。稼ぐには向かない職のようだ。
「辛気臭い顔してるから何かと思えば、んなことかよ」
食事の匂いに釣られたのか散策に出ていたスノーが戻って来て、行儀悪くレモラの皿からローストビーフを手づかみでさらった。
「ちょっとスノーさん。手洗いましたか? それに行儀が悪いです。欲しいならそう言えば取り分けますよ?」
「あん? うっせぇなぁ。お前はアタシのカーチャンかよ」
彼女の言葉にシャオラスが吹き出す。
「ぶはっ! レモラがカーチャン! やっべェ腹痛ェ」
「うるさいですよ、シャオラスさん!!」
少し赤くなった顔を隠すようにレモラは立ち上がり、スノーの為にイスを引いた。
彼はスノーをイスへ座るように促し、座った彼女に汚れ一つないハンカチを渡す。
「ほら、これで手を拭いて下さい。貴女の食事も持って来ますから」
「お節介」
家の中へ料理を取りに行ったレモラにスノーはため息混じりに呟いた。
レモラが戻ってきたタイミングを見計らい、アーシャは口を開く。
「それで、何か良い案があるのかしら?」
「しばらくはアタシが世話になってる所に行きゃあいいだろ。まっ、お嬢サマには難しいかもしれねぇがよ。賄い付きで給料もそれなりにいいし、丁度オーナーがぎっくり腰で人手不足なんだ」
というスノーの提案に満場一致で乗ることになった。
◇◆◇
スノーが紹介した職場は、配達も行っている喫茶店だった。
流石に五人を一度に雇うことは難しいと断られると覚悟をしていたが、あっさりと全員の採用が決まった。
スノーが働く喫茶店は、雑誌にも取り上げられるような人気店だったが、スノーが働く前はオーナーが一人で切り盛りしていた。
それが出来たのも一重に魔法のおかげである。
なぜなら、オーナーは魔法で七人分の分身を作り出す事ができたからだ。
分身の魔法は使える人間が少なく、稀有な魔法だとアルバートが教えてくれた。
魔法を駆使して店の経営をしてきたが、ぎっくり腰になり休養を余儀なくされ(分身は本人の健康状態を反映するらしい)唯一の従業員であるスノーが連れてきた人材であることから、すぐにでも働かせてもらえる事となった。
一ヶ月という短い期間しか働けないと事情を明かしても嫌な顔一つせず、快く受け入れてくれたのだ。
そして紹介されたその日のうちに制服の試着を進められた。
「うん、アーシャ似合ってるよ。可愛い」
「褒めても何もでないわよ。……ドレスよりはマシだけれど、動きにくいわ」
丸襟にフリルをあしらったブラウス。
その上には魔服衿の可愛らしいオフショルダー。
袖丈は50cmと長く、袖口も広いため腕を上げるとブラウスの袖口が覗く。
ハイウエストのロングスカートは、一見ヒダの大きなプリーツスカートだが、大きなヒダの内側には細かなヒダが折られており、歩くたびにそれが可愛らしく主張をする。
ウエストはリボンで彩られ、制服は全体的に可愛いで統一されていた。
アーシャ以外はブラウスを着ていないため、シミひとつない綺麗な肩が惜しみなく晒されている。
──こんな可愛らしい服を着るのはいつぶりかしら? 落ち着かないわ。
暗器を隠す場所も少なくアーシャは心許なく感じるが、致し方ないと諦める。
「アルも似合ってるわよ」
「ん? ありがとう。アーシャにそう言ってもらえるなんて光栄だね」
「オレらも同じ服装だけどな。目を離せばすーぐイチャつくの止めろよなァ」
「いい加減慣れてもいいんじゃないか?」
「んな無茶な」
そう言ってケラケラ笑うシャオラスも微妙な顔をしているレモラもアルバートと同じ制服だ。
ウィング・カラーの白いシャツにクロスタイ。
女性陣のオフショルダーと同じく、アウターは魔服衿のジャケットで袖丈も50cmと長い。
腰のベルトは布を二枚重ねたような見た目で、左端が二つのボタンで止められている。
後ろから見れば普通のパンツ。しかし前から見ればスカートのような前掛けが付いている、魔服独特のパンツだ。
歩くたびに右側の布がせわしなく揺れる。
「これだけ美形が集まったらやばいだろうなァ、店が」
「否定しきれない」
この時のシャオラスとルーナの言葉が当たったのは、それから一週間後の事だ。
そして現在。
アーシャ達が仕事を励んで一ヶ月が過ぎようとしていた。
彼女達の出勤は今日で最後。
満員御礼と言わんばかりに混雑している喫茶店。
「アルバートくぅん♡ 注文お願ぁい」
「シャオラスくんはこっちねぇ♡」
見目麗しい彼らが注目されないはずもなく、就職一週間にして大量のファンが押し寄せる形となった。
もとより食事が美味しいと有名な喫茶店であったため、アルバート達がいなくとも満席にはなっていただろう。
そんな彼らを横目に見ていると、カウンター越しに声がかかった。
「アーシャちゃんアーシャちゃん。注文いいかな?」
「承ります」
「アーシャちゃんの笑顔一つ」
そう言った男性客を冷ややかな目で見つめ、口を開く。
「……ご注文がなければお帰り頂いてもいいんですよ?」
「ああ! ごめんね!! コーヒーを一つ」
注文を聞いたアーシャはオーダーを厨房へ通す。
アーシャは知らないが、彼女にもファンクラブが出来ていた。
その名も、アーシャちゃんに蔑まれ隊。
そのため、ファンクラブの人間がわざと笑顔を要求している事に、彼女は気がついていない。
「アーシャ。それは俺が持っていくよ。君は注文だけ聞いて」
厨房へオーダーを通しに戻ってきていたアルバートが、ルーナからコーヒーを受け取った。
不服そうに見上げたアーシャの頭を撫で、彼は笑う。
「あんなドジっ子を発動されたら、お客さんが大変だから……ね?」
「あんなヘマ、もうしないわ」
「あれをドジっ子で片付けるアルのが怖ェよ。熱々のコーヒーを客にぶちまけそうになるわ、料理をすりゃあ何でも焦がすわ、オレは自分の目を疑ったね」
シャオラスの言葉に厨房の奥で聞いていたルーナも頷く。
「主は意外と、生活力がない」
「もう! 私だって好きでそうなってるわけじゃないのよ!?」
「はいはい。そんなに怒っても可愛いだけだよ」
アルバートはそう言ってコーヒーを持って行った。
今まで侍女やメイドに全てを任せていた為、アーシャには生活力というものが欠けていた。
それが露見しただけなのだが、アーシャ以外は難なくこなせている仕事が出来ないという、産まれて初めて受けた屈辱を晴らそうとするも、その機会は与えられない。
「私だって、やればできるもの」
「じゃあ配達に行ってもらおうかな。アルバートくんと一緒でいいかな?」
「オーナー。……わかりました」
控え室からひょっこりと顔を覗かし声をかけてきた初老の男性が、この店のオーナーだ。
「わかりました。行ってきますね。オーナーは明日からまた一人なんですから、休んでいて下さい」
「そうだね、ありがとう。アルバートくん」
「いえいえ。じゃあ行こうか」
アーシャはアルバートに手を引かれ、裏口から魔導輪に乗り込んだ。
彼はこんな時でもレディーファーストを忘れない。
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