第四十一話『聖女降臨』
聖女を追いかけ森に入ったアーシャは、久しぶりに地に足付けて疾走していた。
聖女と一瞬だが目が合ったのだ。
つまり、存在がバレているのなら隠れる必要はあまりないと彼女は判断した。
聖女は非戦闘員なのだから、すぐに拘束できるはずだ。
その認識が間違っていると、この時のアーシャが知る由もない。
アーシャが足を止めたのは、不自然に開けた森だ。
彼女は力任せに倒された木々が大きな円を描いているのを確認し、円形闘技場のような印象を受けた。
――どこに行ったの? そもそも聖女は弱視のはず……。
弱視であるはずの彼女とアーシャの目が合うなど、本来であればありえない。
辺りを見渡し、ため息を一つ溢したアーシャがアルバート達の元へ戻ろうと踵を返したと同時に、
突如舞い上がる砂埃と地面を揺るがすほどの衝撃。
驚き、振り返ったアーシャの髪が突風に攫われた。
砂が目に入らぬよう、右腕で両目を隠す。
薄れていく土埃から、元凶の姿が徐々に確認でいるようになった。
アーシャは獲物を見つめる猛禽類の如くじっと見つめ、元凶の姿を捉える。
そこには、長すぎる真っ白な髪を地に付くことも厭わない女性が一人。
大地を揺るがす勢いで空から降ってきた黒い服に包まれた彼女。
彼女の頭にはフェロニエールが乗せられており、額には赤色の宝石が煌めいている。
彼女は手と足で体を支え、地に付いていない細腕で彼女の倍はある左右非対称で両刃の戦斧を軽々と持ち上げていた。
彼女とアーシャの距離はおよそ戦斧ほど。
その事実を理解した瞬間。アーシャは後ろに飛んだ。
彼女の羽織がひらめくと同時に重い風切り音と共に戦斧が薙がれた。
その勢いでケープから彼女の大きな乳房が見え隠れする。
純白。純真。無垢。
そのような言葉で語られる聖女のあるまじき衣服に、アーシャはギョッと目を剥いた。
「ッ、あなた! スノー・レウコウム・アエスティウムですね!?」
「あ゛ぁ? それがどうした!?」
「あなたを帝国に連れ帰ります」
「はッ! やっぱ帝国の犬か。誰があんな歪んだ国に帰るかよッ!!」
黒く露出度の高い巫女服を纏ったスノーが地を蹴り、アーシャとの間合いを詰める。
そして、戦斧を横に振り抜いた。
「ぅおらぁ!!」
重いものを振る為に出された大きな掛け声とは裏腹に、重さを感じさせないスノーの表情と斧さばき。
――妙ね……。
アーシャはその様子に違和感を感じた。
違和感の正体を確かめるため、自身を両断すべく迫りくる刃を背を反って避け、刃が届かない所までバク転を繰り返す。
暗殺者であるアーシャは、奇襲が本分であり、このように真正面からの戦闘は避けてきた。
避けてきただけで、真正面からの戦闘が苦手ではない。
今度はアーシャからスノーへ間合いを詰める。
はためいた羽織の残像がその場に残るほどの速度で距離を詰められ、スノーは少しだけ目を見開いた。
彼女の間合いに入る前、アーシャは足裏に力を込め上に飛ぶ。
またも横に大振りされた戦斧に乗ったアーシャは、それを踏み台に飛び上がる。
彼女の体重と蹴りつける力が加わっても下にブレる気配のない戦斧。
――ここ!
跳び上がったアーシャは、スノーの頭上に到達した瞬間に、袖口に隠し持っていた数え切れないほどのくないを投げた。
頭上から降り注ぐ刃の雨。
――これなら容易く防げないでしょう?
しかし、くないはまるで撃ち落とされた鳥のように落ちていく。
彼女に近づくに連れ、くないはゆっくりと速度がなくなったのだ。
アーシャが疑問を考える暇もなく、着地と同時に次の攻撃が襲い来る。
振り上げられた戦斧の影。
それを本能とも呼べる直感で回避する。
己の瞬発力に物を言わせ、姿勢を低くしたままアーシャは横へ跳ぶ。
勢いを殺さないよう地面に手を付き、宙へ体を押し上げる。そして体を最大限捻り、スノーから十分な距離を開け、力強い着地を決めてみせた。
その跳躍力は亜人であるシャオラスにも引けを取らないだろう。
回避を行い続けるのにもワケがある。アーシャはいつもなら武器で応戦するが、重量のある得物相手では分が悪いからだ。
刀同士であれば受け流す事は出来ても、それができる相手ではない。
まるで地面が爆発したかのような衝撃波と暴風が吹き荒れる。
アーシャが先程いた地面はすでになく、大穴の中心に戦斧が深々と突き刺さっていた。
――まるで大砲だわ。
想像を絶する破壊力にアーシャは目を疑った。
この威力を相手取らなければならないと、乾く喉を潤すため唾を飲む。
「どうしたんだよ! 避けてばっかじゃアタシは捕まらないぜ!」
「……まったく。その減らず口もすぐに聞けなくしてあげるわ」
ニヤニヤと下卑た笑いを向けるスノーに、本当に聖女だったのかすら疑問に感じてしまうアーシャ。
普段なら余計な詮索を避けるアーシャだが、今回ばかりは疑問を口に出す。
「なぜ皇帝の命を狙ったの?」
「はぁ? 誰が、誰の?」
「あなたが皇帝の命をよ」
「そんな話になってんの? それを真に受けてアタシを殺しに来たって訳? 無駄足、ご苦労様」
軽々と地面に刺さった戦斧を持ち上げるスノーの周りに少し砂埃が上がった。
――本気で殺らなければ、こちらが殺られるわね。
アーシャは羽織を脱ぎ捨て、左手で短刀を抜き構える。
両者は同じタイミングで走り出した。
薙がれた戦斧の下を足から地面に擦り付けて彼女の懐へ滑り込む事でアーシャは回避した。
そして下段のさらに下から攻撃を仕掛ける。
靴の裏から飛び出た刃物。
非常時用の仕込み刀だが、スノーの足を傷つけるだけなら十分な威力を発揮するだろう。
アーシャは滑り込んだ勢いのまま大きく彼女の足を蹴りつける。
力を込めて蹴ったつもりが、彼女に届く前に何かに阻まれ失速し、攻撃としての役割はなくなっていた。
頭で理解する前に体勢を立て直し、短刀を構え直す。
――やっぱり。
戦斧を掻い潜り、懐に飛び込んできたアーシャに両目を見開いて驚くスノーに、センスのみで戦闘をしているのだと、恐ろしく感じた。
――天才は、一人で十分よ。
アルバートの顔がチラついたが、アーシャは気にせずもう一度短刀を下から振り上げた。
その刹那。
肌を刺すような突風がスノーを覆うように出現した。
風の壁に弾かれたアーシャは持ち前の反射神経を駆使し、体を縮こませ空中で一回転をする。
アーシャは長い髪が後から追うように流れるほど華麗な着地を決めた。
「魔法が使えるのね」
「魔法? 違うね。これはアタシが神から与えられた力だ。悪しき者を退けるための!」
「悪しき者?」
「そうさ! アタシの純潔が皇帝に奪われそうになった時、発現した力だ!!」
「……そう」
皇帝の女好きは有名だ。
聖女という特別な女を欲してもなんら不思議ではない。
――あの女狂い……!!
断られたからといって、簡単に暗殺命令を出さないで欲しい。
アーシャ達暗殺部隊は皇帝の手先ではあるが、私怨を晴らすための道具ではないのだ。
「魔の国に来たのは四年前ね?」
「ああ。そうだよ。それ以降貿易が無くなったからな、都合が良かったんだ。だけど、そのお陰で帝国は頭のおかしい国だって気づいた」
教会で聖女と呼ばれ、崇められていた筈の人間から、おかしい国だと言わしめる帝国は、すでに後戻りが出来ない域まで達しているのだろう。
いまだにその事実を受け入れられないアーシャは、痛む心を押さえつけ刃を振るうしかない。
スノーが戦斧を持ち上げたのを確認し、彼女は短刀を構え直した。
二人の視線が絡み、どちらともなく駆け出そうとした、その時。
「はい、ストーップ」
スノーの真後ろに突如として現れたアルバートが、彼女のフェロニエールをおもむろに取り上げる。
するとスノーは持ち上げていた戦斧を滑り落とした。
大きな音を立てて地面に突き刺さる戦斧。
――全く気配がしなかった。隠密の魔法を使っていたとはいえ、油断した……!!
アーシャはアルバートの接近に気が付かなかった事に唇を噛んだ。
フェロニエールを取り上げられたスノーは先程までの強気な姿勢はなく、
「わっ、たったった」
と困ったように呟くのみだ。
「風魔法の施されたアクセサリーか。珍しいね」
アルバートは彼女から取り上げたフェロニエールを持ち上げて、まじまじと見つめる。
赤色の宝石だとアーシャは認識していたが、今は緑の宝石が光っていた。
――魔法を使う時に色を変えるのね。
そのような鉱物があるとは知らなかったが、目の前でその現象を見てしまえば納得もいく。
「……あんたは?」
棘のある声色で彼女はアルバートに問いかける。
「俺はアルバート・ミトラ。君は?」
「アタシはスノー・レウコウム・アエスティウムだ。あんた、強そうだな?」
「……ノーコメントで」
「はっ! まぁいいさ」
眉間にシワを寄せたスノーに、アーシャは頬が引きつるのを感じた。
――しかたない。スノーは皇帝の性欲の被害者で、悪ではない。ここは引くしかなさそうね。
アーシャはアルバートに声を掛けられる前にこの場を離れようと判断し、短刀を納め一歩後ろへと後ずさる。
目敏くアーシャの動きを察知した彼が、視線だけを彼女に向けた。その視線は動くなと言いたげに細められ、蛇に睨まれた蛙の如く彼女は森に逃げることも出来ない。
「それで? あんたはなんでここに?」
スノーが彼に問いかければ、彼は外向きの笑顔を貼り付け答える。
「爆発音が聞こえたからね。あと家を使っていたのは君だよね? あの家に戻って伝えてくれないかな? 俺、今日は野宿するからって」
「はぁ? ……まぁいいけどよ」
「そもそも家主は俺じゃないしな。ちゃんと手入れもしてたみたいだし、事情を話せばそのまま暮らせると思うよ」
「仕方ねぇな。わかったよ」
彼女が頷いた事を確認したアルバートは、持っていたフェロニエールを返す。
返されたフェロニエールを頭に乗せ、スノーは軽々と戦斧を持ち上げ来た道を戻っていく。
その際にアーシャとスノーの視線が絡んだが、二人共が戦う気を削がれていたため、ただ彼女が通り過ぎるのをアーシャが見守った形となった。
スノーを見送ったアルバートは、先程と打って変わって満面の笑みを浮かべ、アーシャに声を掛けた。
その仕草だけで、自分だけが彼の特別だと思い知らされる。
「急に居なくなるから心配したんだよ。ね、一緒に行動しようよ。アーシャと過ごした日々が忘れられないんだ」
誘惑にまみれた言葉。
彼の色香はアーシャにすら毒だ。
――彼には悪いけれど、どうにかして離れないと。
アーシャはじっとアルバートを見つめ、意味ありげに目を伏せる。
すると彼は彼女の予想通り、優しい声色で「どうしたの?」と問かけてきた。
彼女はその問いに答えず、懐から緊急用の発煙弾を取り出し、彼の静止も聞かずに地面へ投げつけた。
辺りに広がる煙幕。
咳き込むアルバートを放置して、アーシャはその場を離脱したのだった。
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