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第三十四話『魔の国』

 進む方角を確認できた船乗り達は、船の修復をしなければならないと早々に退室した。

 残されたアーシャ達も宿へ戻ろうかと顔を見合わせた時。


「そろそろお腹が空いた頃でしょう。お食事を用意させましたので、どうぞ召し上がってください」


 男性がそう言うと、タイミングよく昇降機の扉が開き、配膳台を押した女性が二人到着した。

 配膳していく女性二人の服装はアルバートやアーシャ、そしてルーナの服装と似通っている。

 帝国で主流の服装とは全く異なる構造をしているその服は、袖丈は広く、被って着るわけでも背中側にファスナーがあるわけでもなく、ただ羽織るようにして身体に巻き付けて着るのだ。巻き付けた後は、ベルト代わりの長い布を巻いて結び固定するだけの、慣れれば手軽な服となっている。

 その服の上にエプロンを着用しているのが料理を配膳している女性達。

 彼女らを見たアーシャは一つの事実に辿り着く。


 ――まさか、この羽織はウルスラグナの魔服……?


 魔の国の伝統的な衣装。

 一反の反物から縫われると伝え聞くその衣装は、きらびやかなドレスよりも淑やかで、とても美しい。

 ペチコートで膨らまして歩くドレスを“動”とするならば、魔服は“静”の衣装だろう。

 揺れるリボンやフリル、広がったシルエットが愛らしいドレスとは違い、揺れる様な装飾は一切なく、描かれる文様が違うのみで、立ち姿こそが美しい魔服。

 袖の振りが長く、独特なシルエットをしているそれを、帝国では便宜上“魔服”と呼んでいる。

 アーシャが父であるアザミから、今の服を支給されたのは十年も前の話で、帝国が初めてウルスラグナと国交を結んだのも十年前。


 ――なぜこんな簡単な事にすら気付かなかったのかしら。我が国が、こんなに丈夫な服を作れるはずがないのに。


 十年前から着ている羽織は一度も破損する事なく、身長が変わる毎に手直しを加え、今も現役だ。

 そして、ルーナの服も十年前から変わらず使用できている。


 ――私とルーナの服はウルスラグナの物だとして、アルバートは……? 私達の服装と似通っていると思っていたけれど、これは偶然なの?


 どれだけ考えても答えの出ない考えに、彼女はなんとも言い難い気持ちになってしまう。


「どうぞごゆるりとお過ごし下さい」


 その女性の声にアーシャは俯き気味だった顔を上げる。

 食事の用意が整った女性二人は人の良い笑顔を携え、頭を四十五度下げて再度昇降機に乗り込んだ。

 それを見送り、アーシャ達は男性に促されるがまま席についた。

 男性も食事をするようで、誕生日席(長方形のテーブルの短辺にあたる部分)に腰掛けた。

 アーシャの隣に当たり前のようにアルバートが座り、その対面にレモラ、ルーナ、シャオラスの順に座る。

 テーブルに並ぶ料理は、彼らが初めて目にする物も多い。


 小さな茎のような物体と大豆の和え物。葱と白く四角い物の入ったスープ。

 見た事がないほどに大きな海老の焼き物。

 鉄板の上で脂を跳ねさせるステーキ。

 花を象られた野菜が色とりどりに盛られた煮物。

 土鍋で炊かれた、色々な具材入りの茶色く染まった米に、魚の姿を模した刺し身。


 食欲をそそられる仄かな香りにアーシャ達は生唾を飲んだ。


「アーシャは刺し身は初めて?」

「えぇ、そうね。知識として知っているだけよ」


 アルバートの問いに彼女は是と頷く。


「俺も初めてだ。一緒だね」

「アルもアーシャちゃんも初めてなのか」


 驚いた顔をするシャオラスにレモラとルーナが会話に加わった。


「僕も初めてですけどね」

「あたしも」

「オレ以外全員初めてか。まァ仕方ねェ。帝国じゃお目にかかれねェし」


 シャオラスが手を合わせて「いただきます」と呟き、箸を手に取った。

 彼は手本を見せるつもりなのか、刺し身の上に緑の物体を乗せ、黒に近い茶色の液体に漬け口に運ぶ。


「いただきます」


 続いてアルバート達も箸を取り、食事を始める。

 シャオラスの真似をして刺し身を口に運んだアーシャは、その辛さに目を見開いた。


 ――何!? 毒!?


 吐き出すわけにもいかず、ゴクリとひと思いに飲み込む。

 そして、アルバートから手渡された飲み物を一気に飲み干した。


「大丈夫? わさび食べた事ないのに無茶するから……」

「わさび?」

「この緑のやつ。辛さと鼻に抜ける感覚が癖になるんだ。たまに無性に食べたくなる」

「分かってんじゃねェか、アル」

「わさびは食べた事があるからな」


 ニヤリと笑うシャオラスは、こうなる事が分かっていたようだ。


「お子様にはまだ早かったみたいだなァ?」

「……酷いわ。だまし討ちなんて」


 アーシャは瞳を潤ませて、口を右手で覆った。

 泣き出す一歩前のアーシャの顔を確認したルーナ達から非難の視線がシャオラスへと集まる。


「あーあ、シャオラスさん。どうするんですか」

「シャオラスが、泣かした」

「え!? オレのせい!?」

「お前以外に誰がいるんだよ……」


 レモラ達の視線に耐えられず、彼は謝罪を口にした。


「やりすぎた。悪い」

「よろしい」


 謝罪を聞いたアーシャはすぐに涙を引っ込める。

 それを見たシャオラスが「嘘泣きかよ!?」と叫んだ。


「涙は女の武器なのよ」


 彼女はそう言って舌を出し、今度はわさびを乗せずに刺し身を味わった。


「ん。美味しい」


 頬を綻ばせる彼女に、シャオラスは諦めたのか自身も食事を再開させた。

 アルバート達も同じように箸を進める。


「これ、美味しい」


 ルーナは夢中になって米を食べている。


「それは炊き込みご飯だな。出汁が美味いんだよなァ」

「美味しい」

「それは十分伝わってるから安心しろ」


 シャオラスが引き気味に笑う。

 普段あまり食べない彼女の食べっぷりに困惑しているようだ。


「僕はこの煮物が好みです」

「あァ、がめ煮か。それも出汁が上手いよな」

「ウルスラグナでは出汁が主流なんですね」

「聞いて驚け。そこにある豆で出来てる物はこの食事だけでも四つあるぞ」


 シャオラスの言葉に目を丸くして驚くアーシャとルーナ、そしてレモラ。

 食事をマジマジと見つめ「シャオラスさん。流石に騙せれませんよ」と呟く。


「ひじきの煮物に入ってる豆は言わなくても分かるな? あと、その味噌汁も、それに入ってる豆腐、刺し身を漬けた醤油も同じ大豆から出来てるんだよ」

「大豆大好き過ぎませんか!?」


 レモラのツッコミに、アルバートは思わずといった様子で吹き出した。


「そろそろ、よろしいですかな」


 彼らと食事を共にしていた男性が顔のシワを増やして笑う。


「構いませんよ。俺達をここに残した意味があるんでしょう?」

「えぇ、お察しの通りです。申し遅れました。私はここの長を務めております、キキョウと申します」


 キキョウと名乗った男性は、この島で一番偉い人間だったようだ。

 驚いた様子のない彼が続きを促す。


「俺達の紹介は必要ありませんよね? それで、何か相談事でも?」

「シャオラス様以外はウルスラグナの住人じゃありませぬな?」


 正直に答えるべきか否か分からず、黙り込むアルバート達。


「勘違いしないで下され。責めているわけではありませぬ。ただ、現在のアルビオン帝国はいかがなり申しているのかと……。今に至るまで、我が国民達の返還に応じる事は一度足りともなかった。どういう風の吹き回しかと疑問に感じるのは致し方ないと思われんか?」


 その言葉に彼らは肩の力を抜いた。

 彼女達の存在が外交問題に発展しては困るからだ。


「安心しろ、おっさん。帝国は何ら変わらずだ。いまだに科学が発展してねェよ。移動は馬だし、住居は石造り。質の良い物は一つもねェ。上下水がなんであるのか、こっちが知りてェぐらいだ」

「ちょっとシャオラスさん!」


 シャオラスの言葉に反応したのは、キキョウではなくレモラだった。

 皇帝に仕える騎士として、帝国の内情はあまり口にされたくない気持ちもアーシャは理解できる。

 しかし、会話の流れから話すという選択肢しかない。


「いいじゃねェか。機密情報でもあるまいし」

「ですが……」


 納得のいかないレモラに、ルーナが口を挟んだ。


「ウルスラグナの方が、発展してるんだから、何も、危惧する事は、ない」


 彼女の言葉にぐうの音もでず、レモラは肩を落とした。

 それをフォローするようにアルバートが軽い口調で喋る。


「まぁ魔法が滅んでる割には、科学が何も進展してないよな」

「……失礼ながら、そのような話ではないのです。今になって拉致した人々の返還に応じる理由を知りたいのです」


 静かに、だが力強い声色でキキョウは彼らに問いかける。

 船乗り達をあっさりと船へ戻らせたのは、彼らが欲しい情報を持っていない事を知っていたからだろう。

 欲しい情報を明確にされてしまっては、彼らが答える事は不可能だ。

 途端に黙り込んでしまった彼らを不可解な面持ちで見つめ、続く言葉を待つキキョウ。


 ――ここが使いどころね。


 アーシャは音を立てずに立ち上がる。

 一気に集まる視線に居心地の悪さを感じるが、顔色一つ変えないよう細心の注意を払い、堂々と、キキョウの前へ移動した。

 そして流れるような動作で片膝をつき、胸に手を当てて頭を垂れる。

 その美しい所作は本職の騎士にも劣らないだろう。


「遅ればせながら名乗りを上げる事をお許し下さい。私はアーシャ・ティア・デューク・フォン・ウォフ=マナフ。アルビオン帝国の宰相を父に持つ者です」


 彼らの息を呑む音が聞こえる。


「あぁ、あのウォフ=マナフ家の娘か。して、名乗った理由は?」

「はい、宰相から信書を預かっております。こちらはウルスラグナの王へ届ける予定でした。よければご確認頂きたく存じます」


 彼女は懐から肌見離さず持ち歩いていた手紙を取り出し、キキョウへと差し出した。


「拝見しよう」


 キキョウが手紙を受け取ると、どこからともなくペーパーナイフが現れ、彼はそれを手に取る。

 紙の切れる音がやむと、沈黙が降りた。

 重い空気に海の底へ沈んでいるような錯覚を覚えてしまう。

 その、重苦しい空気を断ち切ったのはキキョウだ。


「あいわかった。これは預からせて頂きますぞ」

御心(みこころ)のままに」


 二度目の沈黙。

 だがそれは一度目よりも、軽く晴れた気持ちの沈黙だ。

 キキョウがアーシャに席へ戻るよう促す。彼の望むがままに彼女はアルバートの隣へと戻り、席につく。


 三度目の沈黙は長くは続かなかった。

 キキョウが食事を再開した事で、彼らは食事を続ける事が叶ったからだ。

 食事の音だけが響く中、空気を変えるようにアルバートが口を開いた。


「そういえば、ウルスラグナは今、皇紀何年ですか?」

「丁度、皇紀四千三百年になったところですな」


 彼の問いに、シャオラス以外の視線が集まった。

 皇紀とはウルスラグナが建国してからの歴である。

 ウルスラグナについて学ぶ機会がなければ知り得ない情報。

 彼は半年足らずでその情報を掴んだという事になる。

 彼の情報収集力にアーシャは思わずうなってしまいそうだ。


「……そうか。でもまぁ、俺は空を拝めただけで十分かな」

「やはり、そなたは……」


 アーシャは黙り込んでしまったアルバートとキキョウを交互に見つめ、意味深な言葉の続きを待つが、続きを聞く事は出来なかった。


 ――帝国はウルスラグナを"魔の国"と貶めてきたけど、井の中の蛙大海を知らずとはこの事ね。ウルスラグナの技術力は素晴らしいわ。


 アルバート達と一緒に彼女が行動していなければ見られなかったウルスラグナの技術力。

 今まで知り得なかった情報に、アーシャは心躍らせた。

 ウルスラグナが未知の技術力を持っている事を知れたのは大きな収穫になるだろう。


 ――これからは、未知の技術力に敬意と畏怖の念を込めて呼ばせて貰いたいわ。未知なる魔界の国。"魔の国"と。

Copyright(C)2022-藤烏あや

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