第三十三話『未知なるもの』
手を叩く音が聞こえ、アーシャ達は音の方へ顔を向けるが、誰も居ない。
だが、その声には聞き覚えがあった。
岩礁の上から梯子を下ろしてくれた男性の声だ。
その時と同じく帝国語で話しかけてくる。
「いやはや、素晴らしい動きですね」
そう言った男性が、アーシャとアルバートが座っているベンチの横に現れた。
いきなり現れた優しげな顔立ちとちょび髭が印象的な白髪交じりの男性に、アーシャは反射的に跳び上がり距離を取る。加えて腰から刀を抜いて短刀を構える。そうして様子を窺うように男性を見つめた。
「反応速度も申し分なし。相当な手練なのでしょうな」
「隠密の魔法か。覗き見は感心しないなぁ」
アルバートは驚いた様子もなく、ため息をついた。
彼の様子に笑った男性は「気づいていたでしょう?」と問いかける。
「敵意は無いようだったし、放っておいても良いかなと思っただけだよ。……それに、敵意があれば攻撃してる」
「そうでしょうな」
「アーシャ。大丈夫だよ。この人に敵意はない」
アルバートの言葉に、アーシャは訝しげな視線を向けるしかない。
――敵意がないのなんて分からないじゃない。いつから居たのかも分からなかった……。この島の人達全員が魔法を使えるとしたら……。
嫌な想像をしてしまい、アーシャの背中に嫌な汗が伝う。
同業者の可能性もあるのだ。
アルバートが何故警戒しないのか、アーシャには理解できない。
「少し困っていまして……。船乗りの者々はまともに話も出来ないようで、話の通じそうな貴殿達を呼びに参ったんですよ。お嬢さん」
男性は困ったように眉を下げそう宣言した。
その言葉を信じたわけではないが、アーシャは刀を納める事にした。
右腰の鞘に刀を収納する。
「少しでも変な動きをしたら斬るわ」
「ええ。構いませぬ」
「んで、どうする事になったんだァ?」
シャオラスがアルバートに問いかけた。
武器の回収を終えたのか、シャオラス達はいつの間にかアルバートの近くまで集まってきている。
問われたアルバートは少し考える素振りを見せ、頷いた。
「とりあえず、行ってみようか」
「ありがたい。こちらです」
男性は仰々しく腰を折り頭を下げた後、こちらですとアーシャ達を先導した。
男性に連れられて訪れたのは、石造りとも木造とも違った材質の建物だ。
アーシャ達は木造の宿に泊まらせてもらっていたため、この建造物は初めて目にする。
アーシャは目の前にそびえ立つ建物を見上げ、動揺を隠せずにいた。
帝国から出た事のないレモラも口をあんぐりと開けて驚いている。
――これは、何……? 何階建ての建物か構造すら検討もつかない。
この島がウルスラグナ領だと言うのならば、これはかの国の技術力だろう。
材質すら予想することができない建造物を作ることができる、ウルスラグナ。
仮にウルスラグナと戦争する事になれば、アルビオン帝国は滅びの一途を辿るのみ。
技術力の差というものの恐ろしさを目の当たりにし、アーシャはゴクリと息を呑んだ。
男性が薄いガラスの前に立てば、ガラスが勝手に左右に開く。
「着いてきてくだされ」
躊躇いもなく入っていくアルバート達。動揺してばかりではいられないとアーシャも続いた。
後で聞いた話だが、勝手に開いたそれは“自動扉”というものだったらしい。
未知の物しかない場所に、アーシャは自分がここにいるのは場違いなのではないかと思い始めた。
広々とした建物内の端まで横断し、同じ扉が五つ並んだ場所で男性は足を止めた。彼が壁にあったボタンを押せば真ん中の扉が開く。
開いた扉の中を覗くとその中は四角い箱のようだった。
何のための物か分からずアーシャは首を傾げるしかない。
レモラも瞬きが異様に多く、恐縮しきった顔になっていた。
アーシャとレモラの困惑をよそに、男性はその箱に足を踏み入れた。
彼は箱の右側を陣取り、何かを押し続けている。
「これ、何?」
「これはなァ、昇降機って言うんだよ。わざわざ階段を使わなくても高層階まで一瞬で上がれるんだ。便利だろ?」
「そうだね」
その箱は昇降機という物らしい。
昇降機の中に入りながら独り言のように呟かれた質問だったが、シャオラスは聞き逃さずにルーナの問いに答えた。
ルーナとシャオラスの後にアルバートが続き、慌ててアーシャとレモラも昇降機に乗った。
全員が乗り込み扉が閉まると、人数が多いからか少し圧迫感を感じる。
三十と書かれた窪みを男性が押すと、文字の色が白からオレンジへと変わった。
数秒の間。
下から押し上げられるような、浮遊感がアーシャ達を包んだ。
「ぅわっ!?」
レモラが驚きのあまり声を上げる。
アーシャもルーナも声を上げそうになったが、口を一文字に結んで堪えた。
数分間登り続け、浮遊感が突如として消える。
そして、ポーンと独特な音が鳴り「三十階です」と無機質な女性の声が降ってきた。
「さぁさ、お先どうぞ」
窪みを押し続ける男性が昇降機から出るように促す。
それに従い昇降機から降りれば、仕切りのない広い空間が広がっていた。
よく観察するとこの場が応接間だという事が分かった。
目の前に置かれている長方形のテーブルについている船乗り達が萎縮しきった様子で座っている。
「アルバートの旦那ぁ!」
アルバート達が入室したのを見た船員達が、縋るような救世主が現れたと言わんばかりの顔をアルバートに向けた。
アーシャは彼に腰を抱かれ、一緒に船員達に近づいた。
アルバートは何故かアーシャの腰をよく抱きたがる。
自分の女だと主張するためなのだろう。彼は仲間以外の前では必ずと言っていいほどアーシャを側に置くからだ。
アルバートが問いかける。
「何か問題があったのか?」
「いやね、ここから魔の国に行くための航路を教えて貰おうとしたんだ」
「そしたら妙なもんを使って説明しやがるから……」
「怖気づいた、と」
アルバートの辛辣な言葉に、船乗り達は俯いてしまった。
彼の近くで行動してアーシャは気が付いたことがある。
それは、意外と毒舌だということだ。
遠慮なく他人が言ってほしくないことを言ってのける彼は、空気が読めないのか、はたまたわざとなのか。多分後者だろう。
「未知のモノを見て畏怖するのは簡単だが、怯えていてもそれは不利に働くだけだぞ」
「そう言われても困る。おいら達は船乗りであって、冒険者じゃないんだ」
「あんたらは、惚れた女の前でもそんな湿気た面晒すのか? 無様だぜェ」
「シャオラス。それは、言い過ぎ」
「あん? そんなこたァねえだろ?」
アルバートに続いてシャオラスが船乗り達に近づいて、怖気づいて動けずにいる彼らをあざ笑う。
それを嗜めるように、ルーナがシャオラスの腰を軽く叩いた。
「船乗りに、度胸を求める方が、間違ってる」
「それのが酷くねェ?」
ケラケラと笑うシャオラス。
「そろそろ、宜しいですかな?」
テーブルの奥に立ち、黒色の四角い箱を手に持った男性が、何かを起動させた。
すると壁に地図が浮かび上がる。
その異様な光景に、アーシャは目を剥きそうになったが、なんとか平常心を保つ。
「ここまで緻密な地図は初めて見ました」
レモラが感嘆を呟く。
「投影機だな。上から映してるのか」
「ええ、そうです」
アルバートの呟きに答えるよう男性が頷いた。
上という単語にアーシャは上を盗み見る。
天井には不自然に丸い形の何かが、重力に逆らってそこに鎮座している。
彼の言う“投影機”とは天井のそれを指す言葉なのだろう。
投影機から出る光が壁を覆い尽くし、そこに地図が浮かんでいる事を確認し、アーシャは息をついた。
どういう原理なのかは分からないが、目の前の現象は受け入れるしかない。
「これは映像を映し出す機械だよ」
アーシャが食い入るように見つめていた事に気が付いたのか、アルバートが説明をしてくれる。
壁一面に映し出された映像。
細かく描かれた地図に、まるで国を、この世界を上から見ている様な錯覚を起こしそうだ。
「今いるバンブ島は……。見たところ、思っていた以上に北西にいるみたいだね」
アルバートは地図からバンブ島を視線だけで探し出した。
「読めるの?」
「もちろん。このまま一日と六時間ぐらい西に進めばウルスラグナに着くと思うよ」
華やかな笑顔でアーシャに解説をするアルバート。
アーシャはウルスラグナ語で書かれた文字を、当たり前のように、すんなりと読んでしまうアルバートに違和感を覚えた。
――どうしてウルスラグナ語を読めるの……?
アーシャは貴族令嬢としてウルスラグナ語を嗜んでいる。読めて当たり前だ。
他国では帝国語で通じるが、ウルスラグナだけ言葉が違うから学ぶ必要があった。
だが、アルバートは異世界から来た人間だ。
ウルスラグナの文字が読める事が不自然で、おかしい事なのではないだろうか。
――今まで気にした事がなかったけど、アルバートはこれまでも帝国語を理解して生活してたわよね? だとしたら、一体どういう事なの……?
世界を渡る時に、不自由がないよう言葉を翻訳する能力を手に入れたのか、それとも彼の魔法の力なのか。
今までなんとも感じてこなかった違和感がアーシャを支配した。
「ん、どうしたの?」
黙り込んでしまったアーシャの顔を覗き込むアルバートが、得体のしれない化物に見えた。
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