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第三十話『確かな愛情を胸に』

 アルバートが目を覚ましてから三日の時が過ぎた。

 彼は昏睡していた一週間で落ちた筋肉を戻すべくリハビリに勤しんでいる。

 一週間も寝ていれば本来なら歩くことすらままならない。だが、彼は魔法を行使してなかば強制的に歩行をしていた。

 彼の回復力は凄まじく、三日で元通り魔法を使うことなく歩いた時は思わず化け物かと疑ったほどだ。

 その様子を目の当たりにし絶句していたアーシャに、彼が「驚いた?」といたずらが成功した子供のように笑うものだから、彼女はたまらなくなって彼の部屋から飛び出した。

 一度外の空気を吸いに行こうと甲板への通路を歩く。

 すれ違う船員達は誰もが忙しそうにしている事に違和感を感じ、声をかければ一週間後の出航が予定より三日も早まったと告げられた。

 船乗りに礼を告げ、アーシャは彼らの準備を邪魔しないように、そっと船を抜け出した。

 指名手配されていたのはアルバート達だけで、彼女が一人で出歩く分には何も問題はなかったが、念には念を入れローブで顔を隠し行動する。

 彼女の足取りは、しっかりとしたもので、向かう場所が決まっているかのようだ。


 ――お父様は何を考えていらっしゃるのかしら。


 船から抜け出す直前。父の手先が今すぐに情報屋に向かうよう仰々しく頭を下げたのだ。

 拒否する選択肢のないアーシャは言伝通り、情報屋に足を向けた。

 町の路地に入り、入り組んだ道を間違えないように進んでいく。

 進めば進むほど暗くなる裏路地。

 一般人が近づかないであろうそこは、周りの建物と同じ見た目をしている。

 バーと書かれた看板が下がる場所で、彼女は歩みを止めた。

 そして地下へと続く階段を降り、扉を開けた。


「待っていたよ」

「……お父様?」


 開いた扉の目の前に置かれたテーブルについて優雅に紅茶を飲む父、アザミがそこにいた。

 アーシャと同じ銀色の髪はオールバックにされており一切の乱れがない。髪と同じ色の切れ長の瞳が嬉しそうに細められた。


 ――お父様はこんなに嬉しそうな顔をする人だったかしら?


 アーシャは初めて気が付いたアザミの表情に頭を悩ませる。


「アーシャ」


 名前を呼ばれ、我に返ったアーシャはスカートの両端を持ち上げた。ゆっくりと左足を後ろに引き、右足を折って淑女の礼をとる。

 その姿を見たアザミは満足気に頷いた。

 こっちにおいでとアザミに椅子を進められ、大人しく従い椅子に座ったアーシャ。

 何か込み入った話があるのだろうとアーシャは一人納得して、言葉を待つ。


「大変なことになっているみたいだね?」


 アザミがそう面白そうに言った。


「……困ったものです」


 アーシャは眉を下げ苦笑いを浮かべ答える。


「まさか教会に喧嘩を売るとはね。流石は『英雄』といったところか」

「お父様まで彼を『英雄』と言うのですね。意外です」


 港町での戦い以来、民衆は奴隷商から奴隷を開放したアルバートを『英雄』と囁いている。

 誰が言い始め、広がったかは分からないが、噂の出どころが掴めないほどに広がったそれはもう取り消せない。


「アーシャ。お前の婿が決まった。それを伝えに私はここに来たんだよ」


 ――婿……?


 突然のことに頭が真っ白になった。

 世界が逆さまになったかのような感覚がアーシャを襲う。

 アーシャは公爵の一人娘で、家名を継がなければならない長子だ。

 幸いにも帝国では女でも当主になれるよう法整備がされている。そのため婿養子が認められているのだ。

 ただ問題があるとすればそれをするのはごく一部の少数派であるという事。


「それは……でも、家名を捨てることが出来ない人ばかりで、候補がいないと……」


 アーシャは震える唇を隠すことも出来ず、今にも消え入りそうな声で呟いた。

 祈るように胸の前で両手を握りしめる。聞き間違いであればいいと願った。

 しかし、アザミの言葉が覆らない事をアーシャはよく知っている。

 アーシャも貴族の娘に生を受けた以上覚悟をしていた事ではないのか。


 ――でも、なぜ今のタイミングで……?


 アルバートに抱く恋心を自覚した途端、この仕打。


「毎日報告は受けているよ。意味はわかるね?」


 その言葉を紡ぐアザミは穏やかな顔をしている。

 だが優しげな眼差しとは裏腹に、語られた言葉がアーシャの心を冷え切らせるには充分だった。

 アザミの手先がアーシャの行動を逐一報告しているとはいえ、筒抜けな情報に頭を抱えたくなる。


 ――もう少しぐらい夢を見させてほしいというのは、傲慢かしら?


「彼なら、アーシャを幸せにしてくれると判断した。大事な娘に、愛のない結婚生活を送ってほしくないからね」


 実の父であっても見惚れるほどの笑顔を向けられ、アーシャは頷くしかなかった。

 これ以上、恋心を育てる前に摘み取っておけという事なのだろう。

 夫になる男性を愛せるように。愛が分からない欠陥品に愛を教えてくれた彼を捨てて、未来の夫を愛せと。

 アザミはそう言っているのだ。


「わかりました。その話お受けします」

「そうか。それと、これからウルスラグナに行くと聞いた」

「はい。その通りです」


 この話は終わりだと言わんばかりに話題を変えられ、反論すら許されないアーシャは今後の方針をアザミに報告する。


「船の中では隠密行動はできないだろう? 彼らと共に行動するんだ」

「ですが、それはあまりにも……」


 彼らから離れた今。今度こそ身を隠し、今後は船乗りに変装してやり過ごそうと模索していたアーシャに、アザミから告げられた方針。

 思わず彼女は苦言を呈した。

 しかし、アザミはそれすらも想定内だったようで、にっこりと綺麗な笑みを浮かべた。


「ウルスラグナに入国するまでだよ。そこからまた、身を隠せばいい」

「分かりました。お父様」


 アザミには何か考えがあるのだろうと、彼女は言葉を飲み込み頷いた。


「いい子だ。……アーシャ、くれぐれも身体に気をつけるんだよ」


 アザミの心配そうな眼差しに、アーシャは初めて愛されているのだと感じた。

 今までは暗殺者として、次期当主として育てられてきただけだと勘違いしていた。アザミは、アーシャ個人を愛していないのだと。

 だがそれが間違いだった事に、こんなにも遅くに気がついてしまった。


 ――情けない。


 ごくりと唾を飲み、アーシャは立ち上がる。

 彼女の唐突な行動に、腰掛けたまま驚いた顔をしているアザミに、彼女は抱きついた。

 愛情と期待。

 それは近すぎて別の感情だということすら分からずに混じり合う。


「どうしたんだい? アーシャから抱きしめてくれるなんて、初めてじゃないか」


 嬉しそうに声を弾ませ、壊れ物を扱うような手つきでアーシャの頭を撫でるアザミに、少し罪悪感が芽生える。

 アザミは知らない。彼女がアルバートに殺してくれと頼んだ事を。


「愛されている事を実感したんです」

「いまさらだね」

「はい。いまさらです」


 アザミとアーシャはお互いに顔を見合わせ笑い合う。そしてまた抱きしめ合った。

 初めて交わす心からの抱擁は思っていた以上に心地がよく、離れがたい。

 アザミの肩に顔を埋め、呟く。


「お母様にもよろしくお伝え下さい」

「もちろんだ。帰ってきたらすぐ顔を見せに帰ってきておくれ」

「……はい」


 アザミから顔が見えないのを逆手に取り、彼女は虚言を吐いた。

 嘘に優しいも冷たいもないが、その言葉は確かに優しい嘘だ。

 アザミを抱き締める腕に力が籠もる。


 ――もし私という存在が、消えて帰って来れなかったとしても、お父様とお母様に頂いた愛は忘れないわ。


 初めて感じた心の温かさを胸に、アーシャは覚悟を決めた。

Copyright(C)2021-藤烏あや

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