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第二十九話『嫉妬』

 ルーナ達が出て行った扉を縋るように見つめるアーシャ。

 だが、どれだけ見つめても扉は助けてくれない。


 アーシャを抱きしめるアルバートの腕に力が籠もった。

 その力は一週間昏睡していた人間のものとは思えない。

 少しだが痛みすら感じるほどの力にアーシャが抗議の声を上げようと彼を見れば、仄暗い感情に支配された目とかち合った。

 アーシャは思わずごくりと息を呑む。


「俺の意識がない間に、シャオラスと仲良くなったの? 俺とは仲良くしてくれないのに?」

「え、っと……」


 向けられた非難の声に答えられず、先程までの眉を曇らせた様子が嘘のようにアーシャは視線を彷徨わせるしかない。


「可愛い顔を見せるぐらい、シャオラスには心を開いてるんだね……?」


 アルバートの苛立った声を聞くのは初めてだ。

 彼と話す内容はアルバートの事ばかりだったのだが、それを知るのは当人達のみ。

 言葉にしなければ伝わらない。


「お、落ち着ついて?」

「俺は十分冷静だと思うけどね?」


 優しげな言葉遣いとは裏腹に顔は全く笑っていない。


「絶対冷静じゃないわ」

「アーシャ? 君はもう少し、俺に心を開いてくれてもいいと思うんだよね」

「なんの話……?」


 にっこりといい笑顔で言い切ったアルバートの瞳には、隠しきれない劣情が宿っている。

 アーシャは脱兎のごとく逃げ出したい気分になったが、彼に捕まっているため逃げ出せない。

 どうやっても逃れる事の出来ないこの現状に顔が引き攣った。


シャオラス達(そと)には聞こえないから安心して」


 言葉のキャッチボールが出来ていない。

 もう一度問おうとして口を開いたその時。


 唇を塞がれた。


 何をされたのか理解できず、アーシャは目を見開くが、目の前に見えるのはアルバートの整いすぎた顔だけ。

 彼女が口づけをされてると理解した時にはすでに遅く、彼の腕の中にいては引き離すことすらままならない。

 思考すらまともに出来ず、アーシャは彼の胸を叩く。

 だが口づけが終わるわけでもなく、彼女はさらに抱きすくめられてしまった。

 閉じていた彼の両目が薄っすらと開いて、目が合うと楽しそうに歪んだのが分かった。

 生暖かい感触が唇を這い、アーシャは思わず目を閉じる。

 強引に唇を開かされ、口内を蹂躙せんと何かが侵入し、


 ──なに、これ……。


 未知の感覚にアーシャの身体がぶるりと震えた。

 口内を嬲っているのが彼の舌だと気が付いたのはいつだったか。それすらも分からないぐらいアーシャは溶かされていた。


「ふぁ、んぅ」


 自分の声が酷く甘い。

 息が上手くできず、頭がくらくらする。

 長い口づけが終わり、解放された時には足腰に力が入らなくなっていた。

 アルバートの胸にアーシャは頭をあずけもたれかかる。

 一週間眠っていたとは思えないほどのしっかりとした力強さに、彼女は白旗を上げるしかない。


「これで俺の事しか考えられないね?」


 頬に口づけを落とされ、アーシャは更に顔を赤く染めた。

 口づけは恋人同士がするものだと認識していたが、それは間違いだったらしい。

 好意を寄せられている事は知っていた。だがそれは、こんな激情に任せて伝えられるものなのだろうか。


「どうして──

「悪いけど、絶対に逃さない」


 今のアルバートを表すなら、“捕食者”という言葉が適切なのだとアーシャは回らない頭で思う。

 彼から逃げることもままならず、なすがままに流されて口づけを交わしてしまったが、不快ではなかった。

 己の恋心を自覚してからというもの、アーシャは彼の一挙一動が気になって仕方がないのだ。

 村娘に強引に唇を奪われていたことも、その時は何も感じなかった。だが、今となっては口づけた彼女を消したくて堪らない。

 黒い感情が渦巻く。

 これは本当に恋情なのだろうか。


「私のこと、どう思ってるの?」


 惚れた女と聞いたことはある。ただそれしか聞いていない。

 確実な言葉が欲しくて、アーシャは尋ねた。

 そうすれば彼はアーシャが望む言葉をくれるだろう。


「好きだよ」


 掠れた、色のある声で囁かれる。

 アーシャの思惑通り言葉をくれた彼は、恥ずかしげもなくそれを口にした。

 もう少し恥じらいを持ってもいいのではないだろうかと、アーシャは場違いにも思ってしまう。

 彼が恥ずかしがらない分、アーシャが恥ずかしさで死んでしまいそうだ。


「ドゥート村の女の子」

「んん?」


 愛を囁かれたはずのアーシャから出てきた言葉は、なんの脈絡もない言葉。


「あの娘を消してしまいたいわ」

「……え?」


 アルバートは意味が分からないと首を傾げ、アーシャを見つめる。

 彼から視線を逸らさずにアーシャは言い切った。


「そうすればこの世界であなたの唇に触れたのは、私だけになるわ」


 心に渦巻く黒い感情のままに、娘を殺せば満たされるだろうか。

 だがそれは悪い事だと理性が告げる。


「それを本人に言うのか……」


 片手を額に当て天井を見上げるアルバートに、今度はアーシャが首を傾げる番だ。


 ──なにか可笑しい事言ったかしら……?


 オロオロと頼りない視線を彼に向ければ、我に返ったアルバートは優しい笑みを浮かべた。

 優艶ゆうえんな彼の姿にドキリと胸が高鳴る。


「嫉妬してくれたって事は、少しは期待してもいいのかな?」


 仄暗い感情に名前を付けられ、これが『嫉妬』かとその言葉を咀嚼した。

 先程と打って変わって機嫌のいいアルバートが嬉しそうに破顔させた。


 ──顔が良いと、なんでも許してしまいそうになるわ。


 強引に唇を奪われた事に抗議しようと考えていたアーシャだったが、彼の笑顔に毒気を抜かれてしまった。

 もう一度アルバートに優しく抱きしめられ、アーシャの身体が強張る。


「アルバート」

「ん?」

「私は、あなたを殺さなければならないわ」

「知ってる」


 あっさりとした返事に、用意していたはずの言葉を忘れてしまう。


「いや、だから、あなたの想いには答えられなくて……」

「奪えばいいだけだろ?」


 強気に笑うその顔は、魔獣相手に勝ちを確信した時に見せる笑みそのもので、アーシャは自身が逃げられないと自覚した。

 引きつる顔を隠しもせず、アーシャは声を上げる。


「でも! 私達は敵同士で……」

「関係ない」


 アルバートが折れることはない。

 意思の堅いところも彼の魅力の一つではあるが、今はそれが少し歯がゆい。

 彼はどんな手を使ってもアーシャを手に入れるだろう。手に入れる為には手段さえ選ばないかもしれない。

 そんな事をしてしまわないように、アーシャは伝えなければならない。

 できるだけ明るく、その言葉を口にする。


「……その時が来たら、私を殺してね?」


 アルバートの瞳が零れ落ちそうなほど見開かれた。

 たとえ処分されるのだとしても、最期ぐらい我儘を言ってもバチは当たらないだろう。

 あれだけ良い事を積み上げてきたのだ。女神様も許してくれる。


「そんな事。出来るわけがない」

「お願い」


 アーシャの覚悟を感じ取ったのか、アルバートは自分で髪をかき乱し唸る。


「……分かった」


 しばらくの沈黙の後、絞り出すように呟かれた声。

 その言葉にアーシャは酷く安堵した。


「ありがとう」

「渋々だ。納得したわけでも、丸め込まれたわけでもないからな。……ただ君の覚悟に敬意を払っただけだ」

「それでも、意味のある言葉だわ」


 アルバートがアーシャを睨むように見つめる。アーシャは今にも泣き出しそうな彼の顔から目を逸らす事が出来ずにいた。

 その宝石のようなコバルトブルーの瞳に魅入られたのは何度目だろうか。

 アルバートにとって苦渋の選択だったとしても、アーシャの願いを聞き、頷いてくれた事に意味がある。


 好いた人に殺されるなら、本望だ。

Copyright(C)2021-藤烏あや

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― 新着の感想 ―
[良い点] 前回の終わり方が「アルバートめっちゃ妬いてるやん」と気になってたんですが、ついに……! そして、アーシャの嫉妬がいっそう深刻だった……。 こういう形でアーシャはアルバートへの好意を自覚し…
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