第二十七話『積み上げてきたモノ』
「つまり魔力切れってことね?」
「そうだね」
船の中の一室。用意された部屋で寝台に座ったアルバートは、自分の状態を伝えていた。
彼が申し訳なさそうに眉を下げるので、寝台の隣にある椅子に腰掛けているアーシャも怒る気力が無くなってしまう。
この部屋にアーシャとアルバートしか居ない理由は単純で、彼女は不本意ながら彼の世話係を任されてしまったからだ。
そして一週間近く眠っていた彼がやっと目を覚ましたことで、その役目を終えようとしている。
「それにしても、君が俺の寝首をかいていない事に驚きを隠せないんだけど……?」
彼女の任務はアルバートの暗殺。絶好の機会を逃した彼女は、罰せられるだろう。
なにせレモラは皇帝直属の騎士団長だ。彼はアルバートの昏睡を報告しているはず。
きっと皇帝は信じて疑わず、彼女からの吉報を待ち望んでいることだろう。
彼女は彼の最もな疑問に、言葉を絞り出すように答えた。
「あなたが昏睡していたこの一週間、精一杯考えたわ」
アーシャの言葉に首を傾げるアルバート。
顔には戸惑いの色しかない彼女を安心させるように、彼は彼女の右手に自分のそれを重ねる。
いつもなら振り払われるはずのそれが振り払われず、ますますアルバートは困惑したようで、先程からまばたきが多い。
「なぜ帝国が悪だと言われるのか。なぜ私達暗部が反帝国の人間を処理しなければならないのか。本当に反帝国主義は悪なのか。なぜ宗教で心を掌握せねばならないのか。なぜ私の両親は皇帝崇拝ではないのか。たくさん自問自答を繰り返したの」
彼は黙ってアーシャの言葉に耳を傾ける。それに甘え、彼女は言葉を続けた。
「でも答えが出なかった。出せなかった。こんな気持ちで武器を振るうのは、いけないことよ」
無心になれないのなら武器を振るってはいけない。
迷い、悩み、苦悩、躊躇。
それらは判断を鈍らせ、鈍った攻撃は一度で終わらせる事ができず標的を苦しめるだけだ。
それ故に、暗殺者は揺らいではいけない。
悔しさか、それとも自分の愚かさか分からない感情がアーシャの心に渦巻き、俯いて唇を噛み締めた。
一度彼の前で涙ぐんでしまった事はあるが、泣くことは許されない。誰かに弱みを見せてはいけない。弱みを見せれば殺されるしか道はないのだから。
言葉が続かないアーシャを、アルバートは慈愛に満ちた瞳で見つめる。
「ブランジェでも言ったと思うけど、それは君が囚われている見えない鎖を認識したって事だよ。成長したんだ」
優しい声が聞こえた。
無意識の内に握り込んでいたアーシャの右手を、ゆっくりと彼の手が開かせる。
「こんなもの、成長とは言わないわ」
「立派な成長だよ。囚われている事を認識できたんだから」
「……あなたも、帝国はおかしいと言うの?」
「今も昔も変わらない事がある。“圧政によって従わせた王が賢王であった試しはない”という歴史だ」
圧政。
その言葉が重くのしかかった。
彼の目には、この国は圧政を敷いているように見えるらしい。
「なんで、どうしてそう言い切れるの?」
「言っただろ? 昔から何一つ変わらない。圧政、独裁政権、悪政、洗脳、隠蔽、情報統制、恐怖支配。そんな事を平気でする為政者がまともだと思うか? 思わないだろ? 歴史を見れば分かる。そういう為政者の最期はたいてい同じだ。身近な誰かの暗殺か内乱、反乱軍と言う名のレジスタンスに討ち取られるかだ。王を打ち取れば、それが正義になる」
「そんなの……」
彼の言葉に反論しようにも、適切な言葉が出てこない。
それを彼も分かっているようで、目を泳がせるアーシャを気にする素振りも見せずに話を続ける。
「間違っていると思うか? まぁでも、反乱軍によって解放された国の寿命も短いのが世の末だけどな」
「……どうして? 解放されて幸せになったんじゃないの?」
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶと言われている。歴史は繰り返すんだ。どれだけ時代が移り変わっても、人間の本質は変わらない。一度下剋上を覚えてしまった民は、また繰り返す」
説得力のある言葉に、アーシャは反論の余地もない。
公爵令嬢として、帝王学や歴史を習ってはいたがそこまで詳しい教師はいなかった。
「あなた、もしかして前の世界で王子だったりするの……?」
「ははっ、俺が王子か。というか、いい加減アルバートって呼んでほしいな」
アルバートが甘い声でおねだりをし、するりと頬を撫でれば、免疫のないアーシャは顔を真っ赤に染めるしかない。
名前を呼ぶまで離さないと言わんばかりの彼の顔を見て、早々に諦めたアーシャが口を開き、
「……アルバート」
彼の名を呼べば、嬉しくて堪らないといった様子で破顔したアルバート。
「よくできました」
彼はそう言って彼女の髪をすくい、柔らかな彼女の髪に口づけを落とした。
更に顔を赤く染めた彼女が煙に巻かれた事に気がつくのは、彼女が平常心を取り戻した後の事だ。
「おーい。お二人さん。そろそろいいか?」
呆れた声の次にノックの音が聞こえた。
そちらを見れば、開いた扉に寄りかかり困った顔をしたシャオラスがそこにいた。
彼の右手は自身の顔の横にあることから、言葉よりも後に聞こえたノック音は、指の節で扉を弾いた音だと、アーシャは悟った。
「普通ノックが先じゃないのか? シャオラス」
「何回もしたさ。でも流石にそれ以上は不味いかなーって思ってな」
亜人であるシャオラスには、外に居てもアーシャとアルバートの話は聞こえていたのだろう。
その事実を理解して、アーシャは熱の引いてきた顔を再び真っ赤に染めた。その様子は、ボンッと音が出ているのではないか錯覚してしまうほどだ。
「目が覚めたようでなによりだ。アルが目覚めるこの一週間、お前が死ぬんじゃないかって心配してたんだよ。アーシャちゃんが」
救援が来たと思ったそばから、背中を撃たれた。
ケラケラと笑うシャオラスをジト目で睨みつけ、立ち上がる。
「私の役目はこれで終わりね」
「おう。ありがとな」
「別に、あなたのためじゃないもの」
なにか言いたげなアルバートの視線を無視して、アーシャは部屋を後にした。
今は、一人で考える時間がほしい。
一週間という時間がありながら結論を出せず、足踏みしていたアーシャに、いとも簡単に助言をしたアルバート。
彼の考えが正しい事は、考えなくとも分かる。分かるからこそ、心がかき混ぜられ、地に足をつくことすらままならない。
彼女は自分に与えられた部屋に向かって足を運んだ。
早る気持ちを抑えられず、歩みはすぐに早足になり、部屋に着いた時には駆け足だった。
灯りも付けず、はしたないと感じながらもアーシャは寝台に飛び込んだ。
――落ち着くのよ、アーシャ。彼は一般論を語ったに過ぎないわ。帝国が圧政を敷いているなんて、そんなの嘘よ。
バクバクと嫌な音を立てる心臓を鎮めるため、大きく息を吸い、ゆっくりと吸い込んだ空気を吐き出した。
しかしそう簡単には落ち着かない。
それはアーシャが図星を突かれたからだろうか。それとも、彼が嘘をついているようには見えなかったからだろうか。
少なくとも、今までアーシャが監視し、接してきたアルバートは不誠実な人間ではなかった。
――私は、私たちがやってきた事は全て、無意味な事だったというの……?
民の自由な思想を奪い、自由な発言をも奪う行為を、悪だと知らずに続けていたのだろうか。それが悪だとも知らず、考えようともしなかったアーシャもまた悪だろう。
控えめなノック音が聞こえた。
誰かと喋る気にもなれず、アーシャが返事もせずにいれば「入りますよ」と言って、ルーナが遠慮もせずに部屋に入って来た。
「うわ」
心底嫌そうな声が聞こえ、彼女を見れば、部屋に灯りを灯すところだった。
明るくなった部屋に少し顔をしかめ、起き上がる。
明るさに慣れた頃、ルーナが慣れた手つきでテーブルへ紅茶を配膳した。椅子に座れということだろう。
渋々と椅子に腰掛ければ、ルーナもアーシャの隣の椅子へと腰掛けた。
「アルバートが、原因?」
確信をついた言葉に、アーシャは口をつけていた紅茶を危うく吹き出すところだった。寸前で耐えたが、ゴキュッと喉から変な音が聞こえた。
「……何があったの?」
彼女なりに心配してくれたのだと分かった。ただ、これからは心配の仕方は少し改めて欲しい。
無言で頭をなでくり回され、早く喋れと圧力を感じる。
「私たち暗部がしてきたことは、間違っていたの?」
「唐突、ですね。主は、どう思う?」
問いたいのはアーシャの方だと言うのに、質問を質問で返されてしまった。
「私は正しい事をしてるんだと、ずっとそう思ってやってきた。なのに突然、それは悪いことだと突き付けられても、簡単に受け入れられない」
「認知的不協和」
「そうね。その言葉が一番適切かもしれないわ」
「主。もし、帝国が悪だとしたら、どうする?」
避けてきた問いを容赦なく突き付けられる。さながら絞首台に立たされた罪人の気分だ。
その答えが見つからない限り、いつ崩れるかも定かでない、この泥舟からは抜け出せないだろう。
「……分からない。ただ一つ分かるとすれば、答えが見つからない限り、前に進めないという事だけ」
「それが、理解出来ているなら、大丈夫」
ゆったりと笑ったルーナが、またアーシャの頭を撫でる。
包容力のあるルーナを目の当たりにして、改めて二つ年上なのだと感じた。
「アルバートのこと、好き?」
「は!? え!?」
突然の問いかけに、顔に熱が集まるのが自分でも分かった。
「今まで、部下が同じこと、進言しても、考えを曲げなかった主が、アルバートの言葉は、素直に聞くので……てっきりそうだと」
「え? そうだった? 覚えがないわ」
アーシャは、部下にそのようなことを言われた記憶はない。
首を傾げていると、ルーナがため息をついた。
「まぁ主が変わってくれるのは、大歓迎」
ルーナは自分が入れた紅茶を飲み終えると、唐突に立ち上がり言葉を紡いだ。
「そうだ、主」
「どうしたの?」
「彼らが呼んでる」
彼らとはアルバート達のことだろう。彼らが何故アーシャを呼んでいるのだろうか。
「これからの事を、話し合う場に参加して欲しい、みたい」
その提案は予想外で、アーシャは目を丸くして驚いた。
その場の空気に飲まれて接触をしてしまっただけで、ここまで長く行動を共にする予定ではなかったからだ。
本来であれば、とっくの昔にこの場を離れてなければいけない。それが出来ていない時点で、こういう展開も予想していなければいけなかった。
迷いは判断を鈍らせる。
その言葉が重くアーシャにのしかかった。
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