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第二十六話『腹心』

 アルバートが昏睡してから五日経った。

 いまだ目を覚まさない彼のために医者を呼ぼうとアーシャは一度町に行ったが、彼らが指名手配されていることを知りとんぼ返りした。

 彼らの居場所を知られてはならない。

 医者も呼べず、看病するだけの日々に、アーシャの心に少しの焦燥感が生まれる。

 アルバートが眠っている寝台の横に持ってきた椅子に座って、彼の汗を拭う。

 五日前と比べると顔色はだいぶマシになってきたが、油断はできない。


 ――彼が二度と目を覚まさなかったら……。


 最悪の想像を振り払うようにアーシャは頭を振った。

 無音の空間に突如として音が生まれる。

 それは部屋の扉が開かれた音。


「ノーチェちゃん」


 ノックもせずに部屋に入ってきたシャオラス。

 その両手にはおぼんが握られており、食事を持ってきてくれたのだと納得した。

 両手がふさがっていては、ノックも満足にはできないだろう。


「ありがとう」

「どういたしまして」


 テーブルに食事を置いても出ていく気配のないシャオラスに、「何か用でも?」と尋ねれば、彼は言いにくそうに口を開く。


「ノーチェって偽名だよな……? 本名は何ていうんだ?」

「鋭いのね」

「同業者のことはお互い情報を掴んでるもんだろォ?」


 そう言って苦笑いをするシャオラスは相当優秀なのだろう。

 そんな彼を手放した教会は今頃、ハンカチを噛んで悔しがっているはずだ。


 ――お父様が欲しがりそうな人材だわ。


 シャオラスの情報分析能力と優れた身体能力。

 アーシャは自身の父親が好む人材だと判断した。それは最上級の褒め言葉だ。

 彼は彼女が偽名を使っていた事、そして同業者であるという真実にも辿り着いており、これ以上の秘匿は危険だと判断したアーシャは肯定を口にした。


「そうね。名声高い『黒』に会えて光栄だわ」

「やっぱ知ってんのか……」


 項垂(うなだ)れたシャオラスにアーシャは薄っすらと笑みを浮かべる。

 暗殺者『黒』とは、見た目でつけられた(あざな)だ。暗闇の中では、彼の髪色は黒にしか見えない。

 太陽の下で見れば、彼の髪色が黒でなく濃い藍色だと知ることができたが、暗殺者は夜にしか行動しないため、それが訂正される事はなかった。

 アーシャも彼が『黒』本人だと気づいたのは、教会の間者だと彼が暴露してからだ。

 世間は意外に狭いもので、彼の暗殺者としての腕はそれはもう素晴らしかったと聞く。

 彼女はかち合う事こそなかったものの、部下がかち合った際には必ず獲物をかすめ取られたと嘆いていた。


 ――彼と私なら、どちらが強いのかしら?


 彼女は湧き上がった純粋な疑問を飲み込んで、次の言葉を紡ぐ。


「もちろんよ」

「まァ、オレも『雪白(せっぱく)』を知ってるし、お互い様だわな」


 雪白。

 それはいつしか呼ばれるようになった(あざな)だ。

 その名に相応しくあろうとしたが、今のアーシャにその字を名乗る資格はないだろう。

 なぜなら、アーシャは暗殺者でありながら、標的に近づきすぎた。

 そしてあろうことか標的に抱いてはいけない感情を持ってしまった。

 これのどこが白いのだろうか。


 白とは、清く、精錬で、正しい事。


 今のアーシャは己の信念すら貫けていない。

 それのどこが白なのか。


「アルは知ってるのか?」

「ええ」

「そうか」


 会話が続かず、居た堪れない雰囲気が部屋を包む。

 その空気に耐えられず、アーシャは告げる。


「彼らに接するように喋ってもらって構わないわ」


 調子よく喋らないシャオラスは違和感しかない。

 もう少し騒がしくても今は構わないと思ってしまう自分に、彼女は内心苦笑する。

 自分が感じている以上に参っているのかしれない。


「なら、名前教えてくれ!」

「彼と同じ事聞くのね。……私の名はアーシャよ。家名は長いから省略させてもらうわ」

「なァ、アーシャちゃんは本当のところ、アルの事どう思ってるんだ?」


 好奇心は猫を殺すという言葉を知らないのか、彼は好奇心を隠さずに聞いてきた。

 いっそ清々しいまでに直球で、アーシャは思わず笑ってしまう。


「黙秘するわ」

「えェー……」


 心底がっかりしたと言わんばかりの声色と顔に、彼女は笑みを深くする。

 悲しみに沈む彼女を気遣ってか、明るく振る舞うシャオラス。


「彼があなたの事、気にいるのも分かるわ。面白いもの」

「その評価はどうなんだァ?」


 彼がなんとも微妙な表情で頭を掻く。

 その様子にアーシャはまた笑った。


「気にしないで」

「って言ってもなァ。あ、アーシャちゃんは貴族だろ?」


 頷いて肯定すれば、だよなァと気の抜けた返事が聞こえた。

 貴族だとなにか問題があるのだろうか。

 そう疑問に思った彼女が首を傾げる。


「いや、結婚する時大変そうだなって」


 とふざけた言葉が呟かれ、アーシャはぎくりと身を強張らせた。


 ――そんなに分かりやすいのかしら?


 密かに抱えている想いが筒抜けな気がして、アーシャは居心地の悪さを感じてしまう。

 暗殺者である彼女が甲斐甲斐しくアルバートの世話をしている。それが全ての答えだと、アーシャは気づいていない。

 彼との会話を楽しんでいれば、ノック音が聞こえ、扉が開いた。


「シャオラス。メイビスが、呼んでる」

「おう。行くわ」


 メイビスとは、教会に囚われていたシャオラスの妹で、両親を殺されてなお彼が教会に従っていた理由だ。

 妹に呼ばれた事が分かると彼は「じゃあ」と一言残して部屋から出て行く。

 だが、シャオラスを呼びに来たはずのルーナは、彼を見送った後、扉を閉めアーシャの隣に座った。


「どうしたの?」

「そろそろ、参っている頃、だと思って」


 タイミングの良さに、彼女は千里眼でも持っているのかと疑ってしまう。

 アーシャは苦笑を溢す。


「冷めない内に、食べて」


 有無を言わさない言葉に従い、アーシャは移動して食事に手を付けた。

 温かいスープが身に染みる。


「根を詰めても、仕方がない」

「分かってる」

「はぁ。アルバートが起きた時、憔悴した主を見て、喜ぶとでも?」


 反論の余地もない言葉の刃が刺さった。

 身体にも休息は必要だと暗に告げられている。

 食事を摂らなければ弱る一方だ。

 そんなやつれた姿を、愛しい彼に見せたいと思うか。

 アーシャは自問自答をする。


「……喜ばないわ」

「でしょう? 分かったら、食べて、しっかり寝て」


 ルーナには、アーシャが寝ていない事までお見通しらしい。

 流石は彼女の腹心だ。


「察しが良すぎるのも問題ね」


 有能すぎる右腕を持てて良かったと喜ぶべきか、隠し事が出来ないと嘆くべきか分からず、アーシャは複雑な笑みを浮かべるしかない。


「主が、分かりやすい、だけ」

「そうかしら?」

「絶対、そう」


 他愛もない会話にアーシャが頬をほころばせれば、彼女も同じ様に微笑んだ。




 しばらくお互い無言になり、アーシャが食事を食べ終えれば、ルーナが空になった皿を見て頷き、食器を下げてくれる事になった。

 アーシャは彼女の好意に甘え、礼を口にする。


「ありがとう」

「いい。主がやつれていくのは、見ていられない」


 彼女の言葉に、アーシャは苦笑する。

 もしかすると、彼女はアーシャの父から面倒を見ろと仰せつかっているのかもしれないと、アーシャは感じた。


 ――お父様なら、やりかねないわね。


 思考があらぬ方向へ飛びそうになったが、彼女の言葉に引き戻された。


「それじゃ、おやすみなさい」


 強制的に灯りを消されてしまえば、睡眠を取る以外の選択肢が無くなってしまう。

 ルーナが部屋を後にし、アーシャは手近にあった毛布を羽織ると短いため息をついてテーブルに突っ伏した。

 少しはしたないが、仮眠するならこれで十分だ。

 お腹が満たされれば、おのずと睡魔はやってくるもので、アーシャは五日ぶりに夢の世界へと意識を手放した。

Copyright(C)2021-藤烏あや

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