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第二十五話『看病と葛藤』

 後処理が一段落ついたのかルーナ達がアルバートを休めるための部屋を用意し、運んでくれた。

 シャオラスとレモラの二人がかりで寝台まで運ばれ、「何、コイツ見た目に反してめっちゃ重ォ」とシャオラスにボヤかれていた。

 寝台に横たわる彼の顔色はお世辞にも良いとは言えず、心配になる。

 立ち尽くすアーシャに、シャオラスが声を掛けた。


「ノーチェちゃん。悪いけどオレらまだやる事があるからさ、コイツの事診といて」


 彼の言葉にルーナも頷いた。レモラだけは神妙な顔をしていたが。

 アーシャも鬼ではない。具合の悪い人を放っておくほど腐ってはないつもりだ。


「はい。わかりました」

「ありがとな」


 頷けば、シャオラスから爽やかな笑顔が返ってくる。

 彼は憑き物が落ちたかのように清々しく、今のアーシャにはとても眩しく感じてしまう。

 彼が部屋から出ればルーナもそれに続く。


「それじゃ、お願い」


 彼女はそう言葉を残して出て行き、最後に残ったレモラは一度頭を下げてから出て行った。




 それからアーシャは看病のため、桶と布を二枚借りてきた。

 彼女は水の入った桶に手頃な布二枚を浸して一枚を固く絞ってからアルバートの額に乗せる。

 もう一枚も同じように固く絞り、彼の顔に滲んだ汗を拭った。

 寝台の隣に用意した椅子に座り、彼女は思いを馳せる。

 暗殺者であるアーシャにも優しく微笑んでくれるアルバート。


 ――どうして、あなたはこんな私に愛を囁くの?


 十六年の人生で与えられた事のない確かな愛情。

 何をしようと揺るがないであろう、確かな愛にアーシャは戸惑うばかりだ。

 愛される理由に思い当たる節がなく、何も分からないのだから当たり前だろう。

 だが、自身に愛をくれる彼の看病をしなければ彼女は自己嫌悪に苛まれるだろう。


 ――これは良い事ね。


 良い事を積み上げればいつかは報われる時が来る。

 正義は良い事で、悪は名の通り悪い事。

 そうアーシャは母に言われ続けてきた。

 いいつけ通り、良い事を積み上げていく。

 積み上げて、積み上げて、誰も認めてくれなくとも、その行いは女神様が見ていてくれる。

 だから、誰も見ていない場所でも、誰も目を向けない汚れ仕事でも、良い事を繰り返し行うのだ。


 ――あなたはいつも正しいわ。


 彼が成す事は、いつ、いかなる時も正しい。

 冒険者を窮地から救い、攫われてきた亜人達を助け、教会に囚われていた亜人達奴隷を開放したアルバート。

 そんな彼を人々は『英雄』と呼ぶ。

 常に正しい道を歩み続ける。

 その事実が羨ましくもあり、妬ましくもある。


「ズルい人」


 思わずそんな言葉が漏れる。

 アーシャの事を好きだとアプローチしてくるアルバート。

 彼自身、女性に言い寄られる事が多いが、他の女性に現を抜かす事がないところを見ると誠実な人なのだろう。

 男性から言い寄られた事すらないアーシャは、真っ直ぐに想いを伝えられる、ただそれだけでドキマギしてしまう。

 すんなりと心に入り込んできて、消えない爪痕を残す。それがどれだけ難しい事か、彼は分かっているのだろうか。

 口から溢れた音に、無意識のうちにため息をしてしまったのだと悟った。

 彼が昏睡しているこの絶好の機会に答えを出さなければいけないと、アーシャは布を握り締めた。




 ◇◆◇




 びくりと体が跳ね、椅子に座ったまま、うとうとと船を漕いでいたのだとアーシャは(かぶり)を振る。

 アルバートはいまだに目を覚まさない。

 昏睡してから二日経っても戻らない意識に、このまま意識を取り戻す事はないかもしれないと嫌な想像ばかりしてしまう。

 一度嫌な想像をしてしまえば、負の感情は共鳴するように連鎖し、余計な感情さえも増幅させる。

 一人の時間が多ければ多いほど、その気持ちは膨れ上がるのだと初めて知った。

 これまでどうやって一人で過ごしてきたのかすら分からなくなりそうだ。

 彼女は座ったまま、膝の上で両手を握り込む。


「ねぇ、どうして帝国が悪だと言われるの?」


 アーシャの問いに答える人はいない。

 正義と悪が表裏一体なら、誰かの正義は誰かの悪になってしまうのだろう。

 帝国の繁栄の為にアーシャ達暗部が手を汚す事は、帝国にとっての正義だと言える。

 では、その反対は?

 一度も考えなかった、目を逸らし続けた疑問が浮かぶ。


 ――反帝国主義は、本当に悪なの……?


 宗教で心を掌握し縛り付け、皇帝は神だと、神の言う事は絶対だと、考える事すら許されない現状。

 それは果たして正義なのか。


 ――私が正義だと思っていたのは、誰かにとっては悪だったのかもしれない。


 反帝国を掲げる迷いの森にあった集落の住人からすれば、アーシャは悪そのものだろう。


 ――そんな事、一度も考えなかったのに……。


 彼女がそう考えるようになってしまったのも、全て彼のせいだ。

 アルバートが彼女の前に現れてから、何かが狂ってしまった。


 アーシャはゆっくりと立ち上がり、袖口に忍ばせていたナイフを取り出す。


 彼の頭の横に、ナイフを持っていない手を付いた。

 昏睡している今なら簡単に息の根を止める事が出来る。

 ごくりと息を呑む音がやけに大きく聞こえた。

 カタカタとナイフを持つ手が震える。


 ――どうして。


 初めて人を殺める時のように躊躇ってしまう自分に、アーシャは戸惑いを隠せない。

 己の不甲斐なさに涙が滲む。

 彼女は溢れそうな涙を零さぬように唇を噛んだ。

 

 ――どうしてこんなにも胸が苦しくなるの。


 ここで彼を仕留めるのは簡単なはずだ。今まで幾度となくしてきた事なのだから、簡単なはずだ。

 ナイフを彼の喉に突き立てればいい。

 ただそれだけの事ができず、暗殺者としての誇りすら失ってしまいそうだ。

 涙に沈むことすら出来ず、アーシャは深いため息をついた。


 ――煮えきらない感情のまま、刃を振るうのは悪いことね。


 常に己が正しいと信じる道を進んできたつもりだ。

 だがどうしても、アルバートを亡き者にすることが”良い事”だとは思えない。

 彼はありのままのアーシャを受け入れてくれた。

 その想いに、彼女はまだ返事をしていない。

 目を逸らし続けてきた感情に、アーシャは初めて目を向けた。


 閉じられた瞳を早く開けて欲しくて、優しく見つめて欲しいと願う。

 優美な立ち振舞は元の世界では王族であったのかと見紛うほどで。

 暴力的なまでの絶美をひけらかす訳でもなく、それでいて己の顔の良さを十分に理解した行動を取る彼。

 穏和かと思えば少し強引なところもあり、翻弄される。

 目が離せない。離したくない。


 ――これが恋慕の情。


 それは唐突な理解。

 自覚してしまえば逃れられなくなることも同時に悟った。

 今、無性に彼の声が聞きたい。


 ――まるで呪縛ね。


 呪縛を解きたくてナイフを振り下ろすが、すんでの所でピタリと止まる。

 それはまるで見えない何かに阻まれているかのようで、愛しい人を殺すには覚悟が足りないのだと妙に納得してしまった。

 堪えきれず、涙が溢れる。

 頬を伝って落ちた雫が、シーツにシミを作っていく。


 ――覚悟が決まるまで、待っていてくれるかしら。


 アルバートは何も言わずに待ってくれるだろう。

 彼だけは、自分の手で殺さなければならない。

 同時に生きていて欲しいとも願う自分も存在して、矛盾だらけの心に笑うしかない。


「私が、必ず貴方を仕留めるわ」


 決意の言葉を口にする。

 嫌だと泣き叫ぶ心には蓋をして、彼に待っていてもらおうと勝手に思った。

 彼女が任務に失敗したその時には……。


「私を殺して欲しい。……なんて言ったら、あなたはどんな顔をするのでしょうね?」


 死に際は自分で決めよう。

 そう心に決めた。



 いつか、アーシャと彼の道が違えるその日まで。

Copyright(C)2021-藤烏あや

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