第二十四話『教会』
教会に似つかぬ大きな衝撃音が轟く。
アルバートの魔法によってもたらされた破壊。その衝撃は、アーシャが身を潜める天井裏にまで響いている。
慌てた様子で音の出どころに走って行く教会の人間は全て、亜人や獣人ばかりで、見るからにこの国の人間ではなかった。
捨て駒として使役される奴隷だろう。
家族が人質に取られている以上、逆らうことは許されない。シャオラスがそうであったように。
――ここ、崩れないわよね。
アーシャはいまだ続く破壊音を聞き、少し不安になってしまった。
アルバートの真上に位置する天井裏という、安全な場所に身を潜めてはいるが、芋づる式に天井が崩れないか心配だ。
身廊で一人戦う彼は爽やかな笑顔で魔法を放っており、顔が整っているからか狂気じみている。
アルバートしかこの場にいない現状に、彼女はため息をついた。
いくら彼が強いからといって、多勢に無勢は軽率な判断だと思ったからだ。
後ろから音を消し、気配も殺した亜人が短剣を持って近づいて来ているのを、彼は気付いているのだろうか。
「良い作戦だろうけど、残念。俺には聞かないよ」
彼は一度も振り向くことなく、短剣という小さな的に回し蹴りを入れた。
亜人は蹴りの重さに耐えられず手を離してしまう。持ち主のいなくなった短剣は、軽い音を立てて壁に当たり、重力に従って床へと落ちる。
そこへ妹を助け出すついでに他の奴隷も助けたのか、大勢の奴隷を引き連れたシャオラス達が身廊の奥に位置する内陣から現れた。
「アル!」
シャオラスの声が響く。
何故彼らが内陣から現れたのか。それは、内陣に隠し階段が設けられていたからだ。
教会に乗り込んだ彼らは真っ先に隠し階段へと直行した。
当初の作戦通り、彼らがアルバートを残し、そこから地下へと降りていく様子をアーシャはただ天井裏から眺めていた。
彼女が動く時は今ではない。
「シャオラス。終わったか?」
「あァ、この通り無事だ。簡単すぎて、今まで反発しなかった自分が馬鹿らしくなってくらァ」
シャオラスの後ろから、クーガの耳と尻尾を生やした可愛らしい女の子が顔を覗かせた。
彼と同じ髪色と瞳をした彼女がアルバートの顔をまじまじと見つめる。
「獣人と聞いていたが、亜人っぽくもなれるのか」
アルバートが感心したように言うが、シャオラスが「あー……」と言葉を濁して頬を掻く。
「ルーナさんが暴走したんですよ」
シャオラスに代わりレモラが答えれば、アルバートは納得したようだった。
当事者であるはずのルーナは少し頬を膨らませ拗ねているようだ。
その様子を見たアルバートは苦笑して、周りを見やる。
彼を排除しようとしていた奴隷たちは、唐突な家族との再会にも関わらず涙して喜んでおり、一目で彼らが善良な行いをしたのだと分かった。
そもそも帝国内で、こんなあくどい事業が野放しにされていることが可笑しいのだ。何故暗部へ排除の任務がきていないのだろうか。
「シャオラス!!!!」
空気を読まず反響した怒鳴り声は礼拝堂内に響き渡った。
わなわなと震える金髪の細身の神官は、憎悪の籠もった目でシャオラスを睨んでいる。
「お前、自分が何をしたのか、わかっているのか!?」
「分かってなきゃ、こんな事やらないだろォが」
「帝国を敵に回すというのがどういう事なのか、理解が足りないらしいな」
教会に囚われている奴隷を逃すことが、帝国を敵に回すのと同義だと神官は言う。
――なぜ?
教会に都合が悪いだけで、帝国は攫ってきた人々を魔の国へ帰そうと取り組んでいる。帝国は見て見ぬ振りをしてはいない。
――間違っているのは、教会の人間だけよ。
アーシャはそう自身に言い聞かせる。それはまるで子供の反抗期のようで、自身の過ちを認められずにもがいているだけの産物だ。
彼女がそれを認めるということは、これまでの人生を否定するようなもの。
人は、自身が信じ抜いてきた事を、そう簡単には断ち切れない。
「理解してるに決まってるだろ? なにせ、教会は帝国が造ったんだからなァ」
――帝国が教会を造った……?
「牙をもがれた獣は、一生服従するしかない」
シャオラスの言葉に、アーシャは息を呑む。
言い得て妙なその言葉は彼女が抱える違和感を増幅させるには十分なものだった。
「皇帝を崇拝し、反乱が出来ねェよう民の心を掌握するための手段……。それが教会の存在理由だ」
教会が造られた理由。
考えたことすらなかったアーシャは絶句するしかない。
人が暮らせば宗教が出来る。だからこそ、誰もが疑問を持たず当たり前のように信仰する。
国民全てを骨抜きにすることが出来る、効率のいい魔法のような方法。
――ありえない。
教会が嘘をついている可能性は捨てきれないが、ここでシャオラスが嘘をつく理由はない。
――そういえば……お父様もお母様も、女神に祈る事しかしないわ。
両親が女神にのみ祈りを捧げているのを目にした事がある。
幼かったアーシャは、なぜ皇帝に祈りを捧げないのかと問うたが、両親は微笑むだけで答えてはくれなかった。
それはなぜか。
――お父様もお母様も、馬鹿ではないわ。もし私の想像通りだとしたら……。
新たな疑念を上手く飲み込むことができず、彼女は身震いした。
一度話し合わなければと思うが彼の抹殺を終えるまでは、場を設ける事は叶わないだろう。
「お前らは反帝国者として、然るべき処罰を受けてもらう!!」
「はっ! なんの冗談だよ。オレは家族を返してもらっただけだぜェ? 反帝国主義なんて持ち合わせてないね」
「お前らの意思は関係ない。白であっても皇帝の一声で黒になる。それがこの国だ」
「腐ってんなァ」
神官をあざ笑うシャオラスは人一倍輝いており、囚われの獣が檻から解き放たれたような清々しさを感じる。
事実、教会の呪縛から開放された彼は、今までの動きが止まって見えるほど強かった。
ここに来る道中、魔獣の群れに襲われた彼らは文字通り瞬殺してみせた。ただいつもと違うのは、瞬殺したのがアルバートではなくシャオラスだったということ。
「って話してるうちに増援かァ? あんたは囮ってわけだ。ご苦労なこって」
ハッと意識を目の前のやり取りに戻す。今は考えても仕方のないことだとアーシャは結論付けた。
金属が擦れる音と共に、多数の重く鈍い足音が近づいてくる。
足音から察するに騎士だろう。
ここドミナシオンは帝都から馬で三十分もかからない位置にある。彼らが暴れている間に応援が呼ばれていてもおかしくはないが、予想よりも些か到着が早い。
――そういえば、騎士様がすでにいたわね。
騎士団長でありながら、自ら召喚者の監視を行うレモラ。彼の仕業に違いない。
アーシャは二日ほど前に出された任務を思い出し、ため息をついた。
アルバートの暗殺を目論んでいるというのに、その標的の行く先々にいる人物を殺せと簡単に言ってくれる皇帝にはため息しか出ないのが本音だ。
――悪には滅びを。正義には祝福を。いい言葉だわ。
アーシャは音を立てぬよう抜刀し、足裏に力を込め天井裏から飛ぶ。
標的に吸い込まれるように斜めに落ちてゆき、その勢いのまま神官の首に向かって刃を薙いだ。地に着いた足が地面を滑り、砂埃を巻き上げながら距離を取れば、流れるように羽織がひらめく。
衣服に血飛沫が付着することもなく、彼女は任務を遂行した。
彼女が体勢を正せば、袈裟斬りを受けた神官の身体が糸の切れた操り人形の如く、崩れ落ちた。神官だったそれは、驚愕を浮かべたまま絶命している。
黙ってそれを見つめ、彼女は目を閉じる。
黙祷を終え、彼女が伏せた目を開ければ、目を丸くしたアルバートと目が合った。
「君は――
「大人しく投降しろ!!」
彼の言葉は正面玄関を占領した騎士達によってかき消された。
小さく舌打ちした彼はアーシャの細腕を掴み、シャオラス達に声を上げる。
「逃げるぞ! この手は使いたくなかったが仕方ない。皆その場を動くなよ!」
逃げるのにその場を動くなとは、矛盾していないだろうか。
アーシャがアルバートを訝しげに見やれば彼の瞳の奥に赤い魔法陣が浮かび上がっていた。元のコバルトブルーの瞳と色がかけ合わさり紫にも見える様子は幻想的だ。
彼の言いつけ通りピクリとも動かないシャオラス達と元奴隷達。
彼がなにかの魔法を使おうとしているのは分かったが、瞬きする間に魔法を繰り出す彼らしくない。
「アーシャも離さないでね?」
「離してくれないのは、あなたの方じゃない」
ふっと笑った彼に少し胸が高鳴る。頬も心做しか熱い。
そんなだらしがない顔を見られないよう顔をそむけまたたきをした瞬間。
景色が変わった。
夕焼けにきらめく海はどんな宝石よりも美しく、オレンジサファイア色に彩られた水面が波に移ろう。
身体が波に揺られ、自身が船の上へ降り立った事を悟った。
――一瞬で、移動したの?
アーシャは先程の胸の高鳴りではなく、嫌な汗をかいてしまうような、うるさい心臓の音を鎮めるように彼に問う。
「……プルーヴね? この人達も全員ウルスラグナに帰すつもり?」
だが答えは返って来ず、代わりにアルバートの身体がぐらりと揺れた。
声を上げる間もなく彼の身体がアーシャにのしかかり、彼女は支えきれずに甲板へ押し倒される。
「ちょっと!?」
非難の声を上げるが彼に声は届いていないようで、荒い呼吸が聞こえてくるのみだ。
汗が額に滲み、美しく眉目秀麗を体現したかのような顔は苦痛に歪んでいる。
アーシャは困ったように周りを見渡すが、彼の仲間達は事後処理に追われているらしく、目が合ってもにっこりと笑われるだけで、助けてくれる素振りはない。
アーシャの右腕であるはずのルーナでさえグッと親指を立ててきたのだ。
――私、このままじゃ動けないんだけど!?
意外と鍛えているのか、筋肉質な彼の身体はアーシャには重く、自力で這い出すのは不可能だろう。
彼女はしかたないと息を吐き出した。
――手が空いたら誰か来てくれるでしょ。
そう諦めたアーシャは、自身の胸元にあるアルバートの頭を撫でる。少しでもその痛みが減るようにと思いながら、その柔らかな感触を楽しんだ。
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