第二十二話『違和感を抱えて』
アーシャは木の上で、村の長であろう青年が言った言葉を口の中で復唱する。
──この国が異常……?
背中を嫌な汗が伝う。
「異常さだと? そりゃ昔から何一つ変わってねェじゃねェか。何を今更」
わざと小馬鹿にした言い方をしたカルミアに激怒するわけもなく、村人たちは項垂れた。その様子に、悪態をついたはずの彼が慌てだす。
「ちょ、そんなに落ち込むことか!?」
「それに気がつくまでに、私は二十七年かかりました」
「あんた……えっと?」
彼に名を問われた村の長はヴァールハイトと名乗った。
落ち着かない様子のカルミアがいつもの調子を取り戻したことを確認し、アルバートが口を開く。
「ヴァールハイトさんは、何を持ってして帝国が異常だと思うんだ?」
彼が問うたのは、回りくどいものではなく、端的だ。
知りたかったことを的確に質問してくれた彼に、アーシャは感謝した。
プルーヴの港町から、うっすらと感じ始めた違和感。
その正体を知ることが出来るかもしれない。
「全てです。この国そのものが異常だと、私達は考えています」
「それは抽象的だな。カルミア、具体的には?」
「オレかよ。まァ、そうだな。確実に言えるのは、教会が推し進める皇帝崇拝なんてクソくらえだな。それがなけりゃ、国として、皇帝としての威厳すら保てないような皇族様だぜ? とんだお笑い草だ。それにだ、亜人や獣人を奴隷として扱うのも異常だろ」
吐き捨てるように言った彼に、アルバート達が目を丸くし、村人達は賛同した。
「俺達商人は、四年前までウルスラグナと取引してたんだ。それなのにいきなり帝国が関税を上げやがるから、税が重くてまともに取引なんてできやしねぇ!」
「ウルスラグナと取引していた商人が口封じのため殺された。大切な仲間が、大勢だ」
その言葉に、アーシャは息を呑んだ。
身に覚えのあったそれは、正義のためにしたことのはずだ。けれどなぜ、悪しき事のように語られているのだろうか。
──あのときの任務は、ウルスラグナと私的に貿易を行った商人の始末。悪事を働いたのは商人の方じゃない。なのにどうして?
胸に込み上げてくる吐き気と、ぐるぐると視界が回るような感覚に陥る。
今までアーシャがしてきたことは、正しい事のはずだ。
自身を落ち着かせるため、大きく深呼吸を繰り返す。
「それに、新聞社も国が買収してる。情報統制なんてお手の物だ」
村人がそれ以上言葉を紡がないよう、ヴァールハイトが静止をかけた。途端、静寂に包まれ、鳥の鳴き声までもが聞こえてくる。
アルバート達は彼らの様子に言葉も出ないようだ。
ヴァールハイトが静かに口を開く。
「今まで信じてきたモノ全てが、嘘にまみれた虚像だった。周りにいる人間が、得体のしれない化け物に感じてしまう。だから私達はここでひっそりと暮らしていくつもりです。帝国が滅びる、その日まで」
帝国は悪。それに気づいた人々が、帝都や他の村で暮らせなくなるほどに、異様な光景が広がっている。それは気づいた者にしか分からない感覚なのだろう。
だからこそ彼らは、帝国が滅びることを切に願う。
その事実が、アーシャの心を抉った。
彼女は帝国の繁栄のため、帝国の未来のために、その手を汚し続けてきたのだから。
森林に囲まれた集落だと言うのに、彼らがその内に秘めるものは底しれぬ憎悪だ。その憎悪を向けられるべきは、アーシャ率いる暗殺部隊か、それとも帝国か。
もし帝国が悪だと言うのならば、手先となって人を殺したアーシャ達も同罪になるはずだ。
──私は、間違っていたの?
簡単に答えを誰かが教えてくれる訳でもない問い。自分なりの答えをすぐに見つけることの出来ない自身の不甲斐なさに、アーシャは唇を噛んだ。
──何も考えず、言われるがままに動いていた私は、まるで操り人形ね。
今まで信じてきたものは何だったのか。根本から揺らいでしまうような話に、耳を塞いでしまいたい衝動に駆られる。
だが、今それをしてしまえば、この先形容できない違和感を抱えて生きていくことになるだろう。
それだけはあってはならないと、彼女は彼らの話に再度耳を傾けた。
「信じたものが嘘にまみれたモノだった……という気持ちはよくわかる。それなら何故立ち向かおうとしない? 帝国だろうが、別のどこかだろうが、立ち上がれば変わることはできるはずだ」
アルバートが強い意思の籠もった瞳で村人達に言い放った。
彼の言葉には、なぜか説得力を感じてしまう。それはアーシャだけでなく、村人も、カルミア達も同じだったようで、彼から目を離すことが出来ない。
彼には、人を惹きつけてやまない何かがある。
アーシャはそう確信した。
彼は、眩しすぎるのだ。闇すらも飲み込む力がある。
彼女ですら惹き付けられ、飲み込まれそうだと感じるなら、一般人には毒になりえるほどに、のめり込んでしまう危険因子だろう。
「帝国に楯突くなど、できるわけがない! 私達は少数派だ。市民の洗脳を解けるわけないだろう!?」
ヴァールハイトが叫ぶ。
当たり前だ。彼らにとって、帝国が悪でも、一般市民にとって悪だとは限らない。
──そうよ。一般市民には、帝国が悪だと決まったわけではないわ。
今までやってきたことが無に帰すわけではない。意味のない、一方的な惨殺ではなかったと信じたいアーシャ。
決められたレールを歩く方が楽に決まっている。何も考えず、疑問にも思わず、人生を終える方が、楽な生き方だ。
──本当に?
疑問を浮かべてしまった己の考えに、アーシャは驚いた。自分の心と頭が分離したようだ。
敷かれたレールを歩む人生は、さぞかしつまらないだろう。
それはアーシャにも理解できる。
足元のレールに気が付かなければ、己の意思で掴み取った幸せに頬を緩めるだろう。しかし、レールに気が付いてしまったらどうだろうか? 今まで自身の手で選び取ったものすらも偽物に感じてしまうだろう。
管理されるということは、そういうことだ。
気付いた自分がおかしいのか、気付かない周りがおかしいのか。
そんな思考の渦に囚われてしまうことだろう。今のアーシャのように。
──私は悪だった? それとも、正義なの?
ぐるぐると同じ考えが頭を支配している。
アルバートの、強い意志の籠もった声が聞こえた。
「じゃあ、それがあんたらの限界だ。俺はできる。たとえ一人だろうと、やりきれる自信もある」
彼の言葉に、アーシャは息を呑んだ。
──限界? これが? 違うでしょう、アーシャ! 私は次期当主よ。迷いなど、あってはならない。
彼の言葉に己を奮い立たせる。彼女は弱気な自分を殺し、強く生きる者だ。
だが、今度はカルミアが噛み付いた。
「アル。ならお前は、皇族すらも討ち取り、その座に就くことも厭わないと?」
「仮定の話にはなるが、市民がそれを望めば力を貸すことに躊躇いはないな。その市民が受けているという洗脳が本当なら、目を覚まさせればいいだけだろうし」
「帝国を変えるには、教会も潰さなきゃならねェぞ」
「そこまで分かってるなら、話は早いな」
そう言って笑う彼に、カルミアがいつもの調子でニヤリと笑う。
「反乱軍か。いいねェ、なるか?」
「それでお前が救われるならな」
「……は?」
ポカンと口を開けたカルミアは、言葉の意味を理解した瞬間、凄まじい跳躍を見せた。
集落の近くに生えている樹齢三百年はあるであろう大木に跳び、姿を隠してしまった。だがそれは本当の目的ではなく、撹乱のためのものだと一番に悟ったのは誰だったか。
鬱蒼と生い茂る木々は、カルミアの味方だ。
木々のざわめく音が彼の居場所を惑わせる。
「ヴァールハイトさん。申し訳ないけどもう少し後ろに下がっていてくれ。内輪もめに巻き込んでしまって申し訳ない」
その言葉はカルミアが村人達を襲うはずはないと言わんばかりで、誰の目から見ても、アルバートが彼を信頼しているのだと分かるだろう。
アルバートとは対称に、冷え切った心でカルミアの動向を見守るアーシャは、人は追い詰められると思いもよらない行動に出る事をすでに知っていた。
村人達はカルミアの予想外の行動に困惑しながらも頷き、数歩後ろに下がった。
それは例えるなら、空を流れる星のごとく一瞬。
鈍い光と共に、黒い影がアルバートにめがけ降ってきた。
金属がぶつかり合う甲高い音が響く。
アルバートがカルミアの刀を己の刀で受け止めたのだ。
攻撃が防がれたと分かると、鍔迫り合いに持ち込むこともなく、またすぐに木々を伝い、身を潜めるカルミア。
それを幾度となく繰り返す。
その手慣れた攻撃に、これが彼の必勝パターンなのだと、同業者であろうアーシャは肌で感じ取った。
──正直、相手にしたくないわ。
相当の努力と、恵まれた体格。
僅かな音でも聞き取る亜人の耳や遠くのものを捕らえる視力は、時に驚異となりうる。
しかし、相手が悪かった。
カルミアがアルバートに刀を振り下ろした直後。
彼は最低限の動きで攻撃を避けると、振り下ろされた刀の柄を掴み、いともたやすく奪い取った。
今度はアルバートから距離を取らず、悲痛な顔をしたカルミアが震えた声で呟く。
「どうして反撃してこないんだよ」
「仲間だからな」
「そんなもん、お前の幻だ」
即座に感情を殺す様は、精鋭と呼ばれるアーシャの部下達にも引けを取らないだろう。
表情から感情の抜け落ちた彼が、忍ばせていたナイフをアルバートに突き付けた。
だが、その刃が彼に届くことはなく、彼に届く寸前で凍りついたナイフは、粉々に割れて地面に落ちた。
「幻じゃないものも多いはずだ。同じ時を刻んだ仲間だろ?」
「仲間だから? 笑わせんな!!」
たまらず声を荒らげたカルミアに、アルバートは眉を下げた。
「オレは裏切ったんだ。それなのに、なんでそんな平気な顔してるんだよ! もっと怒れよ!」
「その必要はない」
「なんでだよ!」
「お前が何か隠し事をしているのは、最初から分かってたからだ」
「はァ? そんな奴懐に入れるとか、意味わかんねェ」
信じられないと、眉をひそめるカルミア。
その反応はもっともで、裏切る可能性のある人物は排除すべきだ。ましてや、それが分かっているならなおさらだ。
「それはカルミア。お前が良いやつだったからだ」
「んなわけねェだろ。打算まみれに決まってる」
「少なくとも、俺が見てきたカルミアは、お調子者で頼りがいのある奴だよ。それは紛れもない真実だ」
グッと言葉に詰まったカルミアに追い打ちをかけるように、彼は言葉を続けた。
「何度も教会に足を運んでいるのも知っていた。何か困っているなら力になる」
「オレは!! お前を騙してたんだぞ。なんでそんな……」
「カルミアやルーナ、レモラも、アーシャも、皆、俺にとって大切な人なんだよ。誰一人欠けさせはしない。当たり前だろ?」
いきなり自分の名前が聞こえ、アーシャは息を飲んだ。ここにいることがバレている気がするのは何故だろう。
彼の言葉に、これ以上は意味がないと諦めたのか、その場にしゃがみ込んだカルミアは、うずくまり蚊の鳴くような声で呟いた。
「オレの本当の名前は、シャオラス。アルの予想通り、教会から派遣された間諜だ」
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