第十八話『反帝国』
「反帝国とは、それすなわち大罪じゃ」
そう投げられた言葉に、アルバートは否定の言葉を返す。
「俺にはあなた達が進んで大罪を犯すような人間には見えないけどな」
その優しい言葉にキクコは破顔し、生きていて良かったと呟いた。
アーシャから見ても、キクコ達は至って普通の人間だ。
法を犯すような人間は、顔を見ただけで分かる。悪事は人間の心だけでなく、顔までもを歪めてしまうのだ。
罪を犯した人間は例外なく凶悪な顔つきに変貌する。
元の姿がどれだけ優しくともそれは変わらない。
人が闇に落ちるのは一瞬で落ちてしまえば二度と戻れずに引きずり込まれる。その後はただ破滅するだけ。
シャヒードが補足するように口を開いた。
「オレたちは、国籍がないんだよ」
「国籍が?」
国籍がないとはどういう事だろうか。
アルバートが問えば簡単に答えが返ってくる。
「あぁ。国の政策でな。そういう人間がたくさんいるんだよ。だから社会的弱者ってわけだ。国からは出れねぇ。働こうとしても身元の保証が出来ねぇから、安く買い叩かれる。その労働環境が嫌で、お上に歯向かった。労働環境の改善と賃金を上げて欲しいとな。そしたらこのザマだ」
「戦争でもあったのか? 戦争孤児のように国籍がないままか?」
アーシャの記憶が正しければこの数十年、戦争はなかったはずだ。
もしアルバートの言う通り戦争孤児であれば、終戦後に国籍の再取得を申請する事が出来たはずで、なら彼らは、その制度を知らなかったのか。
「そうじゃない。増えすぎた人口を減らすため、子供を増やさないようにしたんだよ。協力した家庭には国からそれなりの金が貰えたらしいぜ」
「目先の金欲しさに、届けを出さない親がいたってことか。エグいことを考えついたもんだな」
確かに家庭教師の歴史の授業で、大昔にそのような政策をしていたと習った。
百年に一度の飢饉を乗り越えるために行われたものだとされていたが、全くと言っていいほど効果がなく、政策から四十年足らずで廃止されたと聞き及んでいた。
だが、そんな国籍すらない人々がいるなどという情報は、一度も聞いたことがない。
影の報告でも、その様な話はなかったはずだ。
──くだらない妄言ね。
彼らが都合よく己を守るためにでっち上げた妄言だろうとアーシャは結論づけた。
彼らの話を信じるには根拠が欠けている。
根拠がなければ、誰も信じてはくれないだろう。
「ま、あいつらは使うだけ使って、あとはポイだ。そういや、オーバーザウンからここに逃げて来る時にちらっと聞いた話だが、帝国は亜人や獣人を攫って売っぱらってるらしいぜ」
シャヒードの言葉に、思わずといった様子でレモラは口を挟んだ。
「待って下さい。攫ってというのはどういうことですか? 亜人達は魔の国に売られてこの国に来たのでは?」
「さぁな。あくまでも聞いた話だ。だが、中と外じゃ認識すら違うってことを覚えておいた方がいい」
あっさりと返され、レモラは口を噤むしかなかった。
レモラの問いが終わると、またすぐにアルバートが質問を繰り返し始める。
「中と外とは、一体なんだ? 帝都の中の人間と外の人間ってことだよな?」
「その認識であっておる。中は情報統制が凄まじくてな。帝国の都合のいいように情報は捻じ曲げられて伝えられるんじゃよ」
情報を流すのはアーシャ達、暗殺部隊の仕事だ。
世に流す情報は指示された通りに伝えている。
確かに、帝都で事実がそのまま伝わることは少ない。
情報は発信源から遠のけば遠のくほど脚色され、尾ひれが付くものだからだ。
それを情報統制だと言われるのは心外でしかない。
──彼らの話は嘘ばかりね。
今までしてきたことを否定され、アーシャは話半分に聞くことにした。
それに今の立場で口を挟むのは得策ではない。
「キクコさんも国籍がないのか?」
「わしは違う。国籍のない彼らを保護し、ここで傷を癒やしてもらうのを生きがいとしておる物好きなババアじゃよ」
「自分で物好きって言いやがったぞ。この婆さん」
カルミアが苦笑いを浮かべ、結論を急かす。
「それがどうアルが英雄って話と繋がるんだ? なァ、婆さん?」
「そうじゃのう。未知の力を持つ召喚者は、この国の希望じゃ」
「わっかんねェよ。アルを英雄に仕立て上げたいのは、あんたの言ってたある御方なんじゃないのか?」
カルミアの言葉に場が凍りついた。
部屋の温度が下がったようにも感じてしまうほどだ。
だが、誰もが口にしなかった事をカルミアは言ってのけた。
その勇気に、隣に座っているルーナですら一瞬目を見開くほどに驚いていた。
「ふぉっふぉっ。疑り深いのう。……のうカル坊。今、この国は大きな分岐点にいるとは思わんか?」
カル坊と呼ばれたカルミアは少し嫌そうな顔をしたが、キクコが求めていた回答をした。
「……ウルスラグナだな」
「そうじゃ。貿易が止まって、今年で五年目になる。このままでは戦争になるじゃろうて」
「まァ、そうだろうな」
ここに来て新しいことばかり耳にする。
魔の国と戦争はしない。そうアルバートに言ったのはいつだったか。
上の、いや、この国の宰相であるアーシャの父アザミは戦争はしないと民に向かって明言している。なのになぜ、戦争の話が出てくるのだろうか。
──理解出来ない。
心からの言葉だ。
顔が見えないよう、布を巻いていて良かったと心底安堵した。アーシャは今、ものすごく嫌な顔をしているからだ。
「戦争になればこの国は終わりじゃ」
「ウルスラグナの兵力は世界で随一と言われてるからな。喧嘩を売る相手を間違えたんだろ」
「だから、ウルスラグナに対抗出来る力を持つ召喚者さまが英雄なんじゃ」
「他力本願だなァ」
カルミアはもう聞くことはないと、背もたれにもたれかかり頭の後ろで腕を組んだ。
つまり、アルバートを盾にしたいと。
他力本願も極まると滑稽だ。
外からノックの音が聞こえ、シャヒードが対応しに行ったと思うと、大きな籠を抱えてすぐに戻ってきた。
「婆さま。例の物を摘んでまいりました」
「おおそうじゃ。お主らテラスの涙が欲しいんじゃったな」
「あぁ、そうだな」
「ほれ、持っていくがよい」
そう言ってテーブルに置かれた籠。
そこには、角度によって色彩を変える、美しい草が籠いっぱいに積まれていた。
「これがテラスの涙じゃ」
「は? 今摘んできたって言ってなかったか?」
「ここではテラスの涙を栽培しておるんじゃよ。お主らにやろう。ただでとはいかんが……」
「……これは滋養強壮効果に、代謝の向上効果のある薬草だな」
テラスの涙を一瞥したアルバートが呟く。
彼のいた世界でも同じ薬草があったらしい。どれだけの親和性があるのか少し興味があるが、今それを問うことは敵わない。
「食べてよし、煎じてよしの万能な薬草だと記憶してるが、違うか?」
「英雄さまは博識でいらっしゃる。わしらの話を少しでも心に留めておいてくださること。それがこれを譲る条件じゃ」
そんな簡単な条件でいいのか。
皆そう思ったようで、ポカンと口を開けて驚きを隠せずにいた。
いち早く衝撃から返ってきたアルバートが頷く。
「わかった。心に留めておこう」
「ありがとう。お主らに安寧が訪れるようにと、女神様に願っておくとしようかね」
高らかと笑ったキクコに、アルバート達は顔を見合わせて笑った。
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