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第零話『天使の看病』

 秘密裏に異世界から召喚された男が高熱に苛まれている。

 そして城のメイドや侍女は彼に接触させられない。

 侍女のお仕着せに身を包んだアーシャはそんな特別な事情の男の部屋へ行くため城内を闊歩していた。

 メイドや衛兵の目に触れぬよう巡回ルートは把握済みだ。


 ――極秘事項(トップシークレット)なのだから口の軽い彼女達には任せられないのは当たり前ね。


 アーシャは口が固く彼の存在を外に漏らさない。そのため彼の世話は帝国の影であり宰相の娘である彼女に一任されたのだ。

 侍女に扮したアーシャは、必要と思われる食事や着替えなどを乗せたワゴンと共に彼の寝込む部屋に入室した。


「失礼致します。お食事をお持ちしました」


 返事はないが、寝込んでいるため仕方のない事だろう。

 扉を閉めゆっくりと彼に近づけば、まだ意識が戻っていないことが伺えた。


 ――今日で三日目よ? いつになったら目が覚めるのかしら。


 異世界の人間は身体が丈夫ではないのか、召喚された代償なのか定かではない。

 一日目に比べれば顔色もだいぶ良くなってきているものの、このままでは城を追い出されてしまう。

 現に、王やその取り巻き達からは煙たがられていると父に聞いた。


「全く、勝手に呼びつけてあの(バカ)は……」


 用意していた濡れタオルで、彼の顔に滲む汗を拭う。


 漆黒の髪。

 腕利きの技師に彫られたような整った顔立ち。

 形のいい唇。

 瞳は今は固く閉じられていて見ることは出来ないが、美しいに違いない。


 彼の名はアルバート・ミトラ。


 意識が戻れば、見目麗しいその美貌でどんな女性をも魅了するだろう。


 ――本当、城の侍女に任せなくて正解ね。既成事実を作られてもおかしくはないもの。


 任せた瞬間に彼の存在がたちまち広がるだろう。

 守秘義務なぞ知らないと言わんばかりに好き勝手喋り、噂を広めるのが目に見える。

 (大物)を手に入れるためなら強硬手段にでも出るほど男に飢え、他国の重鎮に対しあわよくばを狙うのが城に勤める侍女やメイドだ。

 そこにプロフェッショナルはいない。

 むしろアーシャの家である公爵家の侍女やメイドの方が質も高く、プロフェッショナルとしての自覚もある。

 召喚された当初は公爵家お抱えの侍女に彼の世話を任せるという手も存在した。 だが、病に伏してしまった異世界人の世話をしたがる人間はいない。

 それでも公爵家お抱えの侍女達はそんな内心の不安や不満を顔に出さず仕事はしてくれるだろう。

 それゆえ本来であれば次期当主であるアーシャが面倒をみる必要もないが、彼女はその役目を自ら志願した。

 彼女の父は大反対したが、目に入れても痛くない愛娘のお願い。それも初めてのお願いに頷くしかなかったのだ。

 そうして見事彼の世話役を勝ち取った。


「うっ……」


 苦しげなうめき声と共に固く閉じられていた目が薄っすらと開かれる。

 藍方石(アウイナイト)見紛(みまが)うほどに美しく綺麗なコバルトブルーの瞳。

 不覚にも魅入りそうになったアーシャは、ひとつ咳払いをして自身を保った。


「ミトラ様。お加減はいかがですか?」

「はぁ……」


 意識がはっきりとしていないのかアルバートは苦しそうな声を出すだけだ。

 今朝も食事が取れていない。

 汗もひどく、拭わねば症状が悪化してしまうだろう。


 ――仕方ないわね。


「……失礼します」


 虚ろな彼の上体を起こし、近場にあったクッションを背に挟む。

 そして、汗で張り付いた服を脱がせた。

 彼女は公爵令嬢ではあるが、治療行為に対しての羞恥心はなかった。


 ――意外。鍛えているのね。


 想定以上に筋肉のついた身体にアーシャは驚きを隠せない。

 彼の背中に濡れタオルを這わすと、彼の口から気持ち良さげな声が漏れた。


「意識が朦朧としてるだけ、よね? まぁいいけれど」


 独り言を呟きながらもアーシャはしっかりとアルバートの身体を清めた。

 そして持ってきた新しい服を着せる。


 ――下半身は流石に起きてから自分でやってもらうしかないわね。不可抗力でしょうし、やってもいいのだけれど……。いえ、彼も私に見られるのは不本意でしょう。やめておきましょう。そんな事をしたらお父様にも怒られそうだわ。


 淑女らしからぬ事を考えつつ、持ってきたワゴンを見やる。


「普通の食事……は無理よね」


 ワゴンに用意してきた食事は、少し冷たくなってしまった粥だけだ。


「背に腹は代えられないわ」


 少しの間考え込んだアーシャだったが、粥の入った皿を持ち行儀悪く寝台に腰掛ける。


 ――寝台しかないこの部屋が悪いわ。


 食事をするテーブルもなければ、イスもない殺風景な部屋だ。

 冷めているのをいいことに、アーシャはアルバートの口に粥をすくったスプーンを突っ込んでいく。

 意識が朦朧としていても、口に物が入れば飲み込むことは出来るようで、口から溢れることなく呑み込む姿に、彼女は少し安堵した。

 彼は朦朧としつつも、食欲はあるようで用意した粥を全て食べ切った。

 器をワゴンに置き、上体を起こしている彼を寝かせるため背もたれとして置いていたクッションを退けた。

 彼を寝台に寝かせ、毛布をかける。


「早く良くなって下さいね」


 綺麗な顔を隠す髪を優しい手付きで横に流し、アーシャはゆったりと微笑んだ。


「それでは失礼致します」


 アーシャの所作を見る者は誰もいないが、スカートの裾を持ち上げ淑女の礼をして見せた。

 その流れるような動作は一介の侍女ではなく、貴族令嬢のそれだ。

 彼女は先に扉を開け、アルバートに背を向けワゴンを押し始める。


「ありがとう」


 アーシャの背中に突然声がかかり、彼女の肩が跳ねた。

 目が覚めたのかと振り返る。しかし、視界に入れたアルバートは両目を閉じていた。

 一瞬様子を伺うように息を潜めたアーシャだったが、寸刻経っても動かない彼に首を傾げ、今度こそ部屋を出る事にした。


 ――気のせいかしら?


 違和感を感じつつも城の侍女やメイドに見つからぬよう素早く移動し、屋敷へと戻った。

Copyright(C)2022-藤烏あや

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