第九話『逢瀬』
街が静まり返り、闇が包み込む時間。
アーシャの心とは裏腹に、細い三日月は光り輝き、辺りを仄かに照らしている。
気の進まない彼女だが、約束は約束だ。違えるわけにはいかない。
アルバートと初めて接触した路地に入れば、彼はすでにそこにいた。
彼は佇んでいるだけだが、それだけでも絵になるのは顔がいいからだろう。
「遅かったね」
「あなたが早いのよ。手短に済ましましょう。要件は?」
まぁまぁと手を取られ、エスコートされる。
慣れた手付きでこっちだとアーシャは家へ招かれた。
その仕草を彼女が訝しげに見るが、アルバートは気にせず彼女を椅子に座らせた。
「コーヒーと紅茶、どっちが好き? ミルクと砂糖はいくつ?」
「……はぁ。紅茶でお願いします。ミルクも砂糖もいりません」
アーシャの答えに満足したのか、アルバートは鼻歌を歌いながら茶を入れ始めた。
ふわりと浮かんだ、センスの良いティーカップとソーサーがアーシャの目の前のテーブルに音も立てず着地する。
するとティーカップと同じ柄のティーポットが後を追いかけて来て、カップに紅茶を注いだ。
目の前の光景に、魔法は日常にも使えるのだと感心すら浮かんだ。
アルバートは自分でコーヒーを入れたようで、マグカップを持って椅子へと腰かける。
「本当に来てくれるとは思わなかったよ。君は義理堅いんだね」
「で、要件は?」
一向に紅茶に手をつけようとしないアーシャに、彼は少し困った顔をした。
「俺ってそんなに信用ない?」
噛み合わない会話。
アーシャは再びため息をついて、ティーカップの持ち手の端を親指と人差指だけの力で持ち、優雅に飲んでみせた。これで満足かと言わんばかりの視線をアルバートに向ける。
アーシャが紅茶に手を付けたことに満足したのか、本題に入った。
「君の本名は?」
「あなたはそればかりですね。そんなに気になるんですか?」
「そうだな。君のことをもっとよく知りたい」
普通の女性なら勘違いしてしまいそうな言葉に、アーシャは目を見張った。
彼が気になる理由は、ただ自分に靡かないからだろう。
「……アーシャ」
え? と首を傾げたアルバートに、「二度は言いません」と言えば、彼は大輪の花が咲いたかのような笑顔を浮かべる。
魅入られそうになる自分を叱咤して、彼女は口を開いた。
「あなたは――
「アルって呼んでほしいな」
「……アルバートは、魔法のことを喋ってよかったのですか?」
愛称で呼んで欲しいと、またも勘違いしそうな発言を物ともせず、アーシャは問いかける。
彼は大丈夫だろと陽気に笑った。
「ウルスラグナ国には魔法を使える奴がいるんじゃないのか?」
「――っ、だからその言葉は」
「大丈夫だ。外には何も聞こえないよ。防音魔法を使ってるからな」
ここでアルバートがアーシャに何をしようが、外には聞こえず、大声を上げたとしても無意味だ。
それに気づいたアーシャはサッと顔色を悪くして、立ち上がろうと足に力を込めたが、
「変なことはしない。誓っても良い。俺はここから動かない。だから、もう少しここにいてくれないか?」
彼の言葉に、力を抜いた。
アーシャは少し浮いた腰を下ろし、家を飛び出すのを止めた。
アーシャ自身、なぜかは分からなかったが、もう少しだけならいてもいいかという気分になった。
――きっと、紅茶が美味しかったからね。
そうに違いない。と自身を納得させたアーシャはそれで? と話の続きを促す。
「いないのか? 魔法を使える人種は」
「知らない。魔の国のことは、国交がもうないから分からないわ」
「関税を上げたって言っていたが、それ以前は貿易があったのか?」
「ええ。船が出来てすぐ、国交を結んだ。十年前ぐらいの話よ」
「貿易が無くなったのは?」
「四年前」
テーブルに肘をつき、額に右手を当てたアルバートに、アーシャは問いかける。
「魔法は誰でも使えるの?」
「あぁ。練習すれば、アーシャも使えるようになるはず。そもそも、今日の魔獣だって魔素が暴発したから、ああなったんだよ」
「じゃあ、魔獣は魔法が使えるってこと?」
「魔素が魔法を作る元になるって知っているんだね。でもそこまで知っていてなぜ使えないの?」
「知らないわよ」
「……仕方ないか。まず魔素の暴発ってのは、魔法を使うのとは違うんだ」
魔法の解説をし始めたアルバートは、饒舌に喋りだす。
話によれば、魔素はそのままでは使えず、溜め込むだけしか脳のない魔獣は、溜めきれなくなった魔素を魔素として放出する。
それが今回の爆発の原因だった。
魔法は術式を練る必要があり、一度練った術式は省略することが可能らしい。
魔獣が魔法を使えないのは、術式を練ることが出来ないからだそうだ。
ただ、アルバートは瞳に術式を埋め込んでいるだけで、本来なら、術式を書いた紙を持ち歩く必要がある。
そして、持ち歩いて術式を練っている魔法のみが、無詠唱で使えるとのことだ。
瞳に埋め込んでいるため、魔法を使うと瞳に術式が浮かび上がる、という弱点になりえそうなことも話してくれた。
アーシャは魔法陣を確認しようと彼の瞳を食い入るように見つめるが、それらしきものは確認できない。
今もなお、外に声が漏れないよう魔法を使っているのは確かなはずだが、それすらも隠蔽することが出来るのだろうか。
「ということは、あなたは――
「アルバート」
「……アルバートは、頭がおかしいってことでいい?」
「なんでそうなる」
褒め言葉が出てくると思っていたのか、彼は脱力した。
「持ち歩けば良いものを、瞳に埋め込むだなんて……信じられない」
「俺がいたところでは主流の方法だよ。当たり前なの。冒険者になるって奴には必須の処置だ」
「元の世界にも冒険者はいたのね」
「そうなるね」
異文化交流のようで面白いと思い始めたアーシャは、次々とアルバートに質問を繰り出していく。
「アルバートは、元の世界に戻りたいと思わないの?」
「ここでの暮らしの方が百倍マシだよ」
「未練はない……ってこと?」
「これっぽっちもないね。念願叶って冒険者ライフを満喫してる」
そうと返事をして俯くアーシャに、うろたえたアルバートが声をかける。
「俺は大丈夫。ここじゃ俺は強いみたいだし、なんの心配もない」
「……今日、いいえ、もう昨日ね。昨日、アルバートが秘密を暴露したおかげで、私のささやかな気遣いが台無しよ」
瞬きすら忘れたアルバートが、ごちそうさまと立ち上がったアーシャを見つめる。
アーシャは自身を追うように慌てて立ち上がった彼を一瞥し、諦めたように笑った。
「魔法が使えると広まれば、あなたは殺されるわ」
「誰が来ようと、俺は負けないさ」
「……そう。今度会う時は、きっと敵同士ね」
ルーナにすら黙っていたと言うのに、彼はあっさりと秘密を晒してしまった。
朝には、皇帝から暗殺の命令が出されるはずだ。
親しい相手を暗殺させるのが好きな皇帝は、アーシャへ暗殺の命令を下すだろう。
あの時と同じように。
「俺は、アーシャ、君よりも強い」
「そうね。失敗すれば私は処分されるだけだもの。私がいなくなれば、次が手配されるだけよ」
「……君はそれでいいの?」
「そう、ね。そういうものだと思っているわ」
憂いを帯びた目をしたアーシャが、「絶対外に聞こえない?」と尋ねる。
その問いに、もちろんだとアルバートは頷いた。
「本当は、死にたくない。でも、仕方がないの。そういうものだもの」
秘密と人差指を唇に寄せる彼女は今にも消えそうだ。
アルバートは消えそうなアーシャを繋ぎ止めるように、玄関扉へ追い詰め、背中が壁にぶつかり逃げ場を失った彼女の右側に手をつく。
そして、左手は優しい手つきで顔を掬った。
否が応でも彼と視線が絡む。
「なら、ずっと機会を伺ってればいい。絶対に仕留められる好機が来るのを待つのも仕事だろ?」
ニヒルに笑う彼に、アーシャは得体のしれない寒気に襲われた。
「――っ、何もしないって言ったじゃない!!」
アルバートを突き飛ばし、脱兎のごとく玄関から飛び出す。
幸いにも、彼が追いかけて来る様子はなく、久しぶりに感じた恐怖を振り払おうとアーシャは必死に駆けていった。
アーシャが出ていってしまった玄関では、アルバートが「あれは変なことに含まれるのか……?」と茫然と固まっていたことを彼女が知る由もない。
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