第八話『それぞれの秘密』
前話から話が続いています。
「奴隷の違法取引は禁止ですよ。ご存知でない?」
レモラが問いかける。
彼はにっこりと笑っているが、目が笑っていない。
槍を向けられたヒポクシーは冷や汗をかいており、小刻みに震えながら「いや、あの、その」と煮え切らない返答を繰り返している。
「亜人を奴隷として売買すること自体はなんの問題もありません。ですが、許可のない業者は取り扱うことすらできない。一般常識です。ね?」
レモラが同意を得るように、ルーナへ目線を向ける。
目を向けられたルーナは、気の進まない様子で是と頷いた。
彼の言う通り、違法販売は法を犯す罪である。
そして、それを取り締まるのは騎士の仕事だ。だが、今のレモラは騎士としているわけではない。
騎士でなければ、誰がヒポクシーを現行犯で取り締まることができるのか。
それは──
「レモラ様。ご協力ありがとうございます。彼はこちらで引き取りましょう」
御者の服を脱ぎ捨て、白い服に身を包んだアーシャは、初めて彼らの目の前に姿を見せた。
木の上から音もなく着地したアーシャを目を丸く見つめるアルバート達。
姿を現すのはリスクが高い。だが、レモラが騎士だとアルバート達に知られるわけにいかない。
ならば、ここで動けるのはただ一人。
アーシャしかいない。
「……お前は誰だ?」
硬い声のカルミアが問う。警戒しているのか、彼は刀の柄に手をかけている。
アーシャは自分に敵意はないと一礼し、笑った。
「私はアルビオン帝国、レガリア騎士団所属。ノーチェと申します」
偽名を名乗り、以後お見知りおきをと締めくくれば、「帝国の犬か」とカルミアは肩の力を抜いた。
そんなカルミアをよそに、アーシャは隠し待っていた縄を取り出し、ヒポクシーを後ろ手に両手を縛り、念の為と両足も縛った。
アーシャを食い入るように見つめていたアルバートが口を開こうとした瞬間、ヒポクシーが周りの音をかき消すほどの声で叫んだ。
「唯々諾々とお上に従う騎士に!! 私らの商人の苦労が分かるのか!? 有象無象のお前らなんかに!!」
「……あなた風に言うなら、縁木求魚ってこと。苦労したってやり方を間違えたら、なんの成果も得られないって意味の言葉だよ。分かるでしょ?」
ぐうぅと唸るヒポクシーを連れて行こうと力を込めれば、土煙を上げて盛大に倒れ込んだ。
彼は往生際が悪く、なんとか逃げようともがくが、両手両足を縛られている状態では満足に動くことすら叶わない。
その様子は、まるで魚がまな板の上で跳ねているような動きだ。
大きなため息をついたアーシャは、ヒポクシーの首に手刀を入れ、意識を刈り取った。
動かなくなったヒポクシーを見下ろしたアーシャは、この巨体を担いで帰るのかと少しげんなりしてしまう。
じっと巨体を見つめ、考える。
──仕方ない。
指笛を吹き、居場所を伝えれば、すぐに黒ずくめの男二人が音もなく現れた。
「連れて行って。騎士団本部でいいわ。詳細は……言わなくていい」
指示を出し、自身も身を隠そうと足に力を入れる。
木の枝を伝って帰ろうと思ったからだ。
飛ぶ寸前に腕を引かれ、アーシャは重心がズレ後ろに倒れかけた。だが、アルバートの胸に当たり、転ぶことはなかった。
「……何か?」
不服そうな顔をしたアーシャが問う。
「君の名前を教えてほしい」
「ノーチェと申したはずですが?」
「本名じゃないだろ?」
彼の鋭い発言に、アーシャは「なんのことでしょう?」と笑みを浮かべ首を傾げる。
それでも彼は引く様子を見せず、掴んだ腕を離す様子もない。
「……今夜」
渋々といった様子でアーシャは言葉を紡ぐ。
「子の刻。初めて声を交わした場所でお会いしましょう」
「その姿で来てくれよ」
「はぁ……。わかりました」
アーシャが頷けば、アルバートは掴んでいた彼女の腕を離した。
──やっと離れられる。
胸を撫で下ろしたアーシャは森の中へと姿を眩ませた。
その様子を見守っていたアルバートが「やっぱいいな」と呟いていたことも知らずに。
◇◆◇
帝都へ戻ったアルバート達は、一度それぞれの家へ戻ることにした。
森へと姿を眩ませたアーシャは、城門付近で彼らを待ち伏せし、監視を続けている。
「で、なんでお前ら着いてきてんだよ。今日は解散じゃなかったのか?」
アルバートとルーナ、そしてレモラはカルミアの後を着いてまわっていたのだ。
一度家に戻ろうとしていたカルミアは、着けてくる三人に気づき、全く尾行を隠そうともしない彼らに苦笑いを浮かべ、そう問いかけた。
「カルミア。お前、怪我しただろ」
「はァ? この通り、ピンピンしてるっての」
「怪我を隠して死ぬ事もあるんですから、素直になりましょう。カルミアさん」
「いやいや、そんなヘマはしてねェよ」
「……いつもと歩くスピードが、半歩ほど遅い」
「え、何? ルーナ、そんなにオレのこと見てんの?」
照れるわーと言ってふざけ気味なカルミアに、ルーナは眉間にシワを寄せ、難しい顔をしている。
黙り込んでしまったアルバートに顔を向けたカルミアは、笑顔のまま固まってしまった。
カルミアの視線を追ったルーナとレモラも固まった。
お調子者のカルミアですら、恐怖におののくほど怖い顔をしたアルバートが、彼の腕を引き、引きずるように連れて行く。
「ちょ、おい、どこ行くんだよ!?」
「俺の家」
「はァ!? なんでだよ!! はーなーせー」
アルバートの手から逃れようと体を捻ったり、暴れてみたりと試みるが、彼の家に着くまで、逃れることは出来なかった。
カルミアがアルバートから逃れることは出来なかったが、最後の抵抗として、ズルズルと引きずられながら、アルバートの家へと招かれた。
そんな間抜けな様子を見守って、アーシャは彼の家へ忍び込む。といっても、正面からではなく、屋根裏へ忍び込むのだが……。
アルバートの家は思っていた以上に生活感があり、元の世界へと帰ろうとする様子もない。彼は元の世界に未練はないのだろうか。
「治療したいんだ。脱げ」
「嫌だ」
同じ問答を何度か繰り返した後、アルバートはルーナに目配せをする。
彼女は心得たと言わんばかりに頷き、カルミアの後ろに回ると、彼を羽交い締めにした。
「ちょ、そんなことしたら胸が……当たらねェな。痛ってェ!!」
心底残念そうな声を出したカルミアに、ルーナは羽交い締めにした腕に力を込めたようで、彼はギブギブと白旗を上げた。
呆れた顔を隠さずにアルバートが、カルミアの履いているブーツを両足とも脱がす。
彼はなぜか指先まで包帯を巻いていた。
応急処置をしたとも考えられるが、それにしてはしっかりと巻かれているため、応急処置ではないことが分かる。
ブーツの中に隠れていたパンツの裾もきっちりと縛られており、よほど見られたくないのだと窺える。
アルバートは無言で左のパンツの裾を縛っていた紐を解き、裾を捲くり上げた。
捲くり上げたパンツから覗く左足は、真っ白で、膝から足先まで、全てが包帯に守られていた。
「厳重だな」
苦笑したアルバートを睨みつけたカルミアにいつものお調子者の影はなかった。
ふんっとそっぽを向くカルミアの包帯にアルバートが手をかける。
きっちりと巻かれた包帯を解いていくと、そこには彼の髪色と同じ色をした毛が姿を現す。
「ふさふさ」
ルーナが呟く。
「なるほど。亜人だったんですね」
足は獣のそれで、彼が亜人なのだと悟る。
「頑なに見せようとしなかったのは、こういうことか。大きな怪我を隠してなくて何よりだよ。でも、こんな厳重に隠す必要があるのか? クーガーの亜人だろ? ……にしては黒いな。突然変異なのか?」
捲し立てるアルバートを、カルミアは魚のように口を開けて見ていた。
信じられないと言わんばかりの顔だったが、自身を羽交い締めにしていたルーナの力が緩んでいることに気が付き、ルーナから距離を取った。
一人考え込んでいるレモラを一瞥し、今にも泣きそうな顔をしてカルミアが口を開いた。
「……レモラとルーナの反応が普通なんだよ。亜人は忌み嫌われるものだ」
ルーナの拘束の手が緩んだのは、カルミアが亜人だったからだ。
それに間違いはないが────
「もふもふ!!」
目を輝かせたルーナがカルミアに飛びかかった。
「耳としっぽ!! 出して!!」
「え、ちょっ、はァ!?」
見てねぇで助けろ! と叫ぶカルミアに、肩を揺らしながらアルバートは、
「これが普通の反応か?」
と問う。
「んなわけねェだろ!? ちょっ、待て、待て。ルーナ!? いつもの口少なさはどこ行った!!」
「いいから出して!!」
狂ったように耳としっぽを出せとせがむルーナに、肩を落としたカルミアが頭の上に二つの耳と、腰より少し下にしっぽを出した。
さらに目を輝かせたルーナがしっぽや耳を執拗に触り始める。
「あのー、ルーナさーん? くすぐったいんだが……って聞いてねェ」
「もふもふ」
満足そうに触るルーナを放置して、レモラが呟く。
「亜人は人並み外れた身体能力を持つと聞きます」
「まァそうだな」
「羨ましい」
「は? 冗談だろ。その力と引き換えに忌み嫌われるのが羨ましい?」
「違いますよ。純粋な強さが羨ましいと言ったんです」
レモラの言葉にポカンと口を開けたカルミアが不意に笑い出す。
「はは、そうかい。そりゃあ最高の褒め言葉だ」
彼らの話が済んだと判断したのか、アルバートが遠慮がちに口を開く。
心底悪いことをしたと顔に書いてある彼は、カルミアに頭を下げた。
「知られたくないことを無理矢理暴いて悪かったな。怪我を治療しようと思ったんだが……」
「頭上げろよ。そんな大げさな事でもねェ。亜人でも気にしてないみたいだしな」
嬉しそうなルーナやレモラを見たカルミアはまぁいいかと笑った。
「詫びといってはなんだが、俺の秘密も一つ教えよう」
その言葉にまさかとアーシャは屋根裏で息を呑んだ。
それを見せてしまえば、アーシャ一人ではもう庇えなくなってしまう。
彼の周りが光りだしたと思えば、その光はカルミアとルーナへ移り、彼らの周りが輝き始めた。
変化が分かりやすかったのは、肌を晒していたルーナだ。
血が滲んでいたはずの肌は、何事もなかったかのように元通りになっている。
カルミアも驚いたように、左足を確かめていた。怪我をしていたのは確からしい。
「お前っ」
「アルバートさん……まさか」
「あぁ、巷で噂の召喚者ってやつだ。この通り、魔法が使える」
正体を明かしたアルバートは、魔法が使えると明言した。してしまった。
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