第6話 あなたは聖女にふさわしくない
明日からは聖女の教育が始まる。
習うのは算術に語学、魔術に経済史に社交マナーなど、聖女に求められる教養だ。
講義は王城内部で行われ、以降私は王城で生活することになる。
与えられた一室は、モノグラム家とは比べ物にならないくらい豪華な部屋だった。
豪華すぎて落ち着かない。
かといって家具を取り除くと広すぎる。
泊まり込みの使用人もいるようだし、私もそちらに移してもらえないか交渉してみようか。
今は聖女候補という立場上許可が下りないかもしれないけれど、今日みたいな問答が繰り返されれば次第にメッキもはがれて、陛下や公爵様の関心も薄れると思う。
そうなってから使用人の部屋に移りたいと言えば、むしろどうぞどうぞって感じにならないかな。
……なんて。
当時の私は考えていたのですが――
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「はい! 紙幣を増やして国民全体に配布してはどうでしょう!?」
「その案はダメです。流通する金銭自体が増えればお金の価値が下がり、物価の上昇を招くだけです」
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「成人男性に兵役をつけて軍事力を補強するのはどうでしょう!?」
「市民から働き手を奪ってしまえば農作物の収穫量が激減してしまいます。結果として経済は圧迫され、予算削減のための軍縮に繋がってしまいます」
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「富を一度すべて国で管理し、一律で再配布するのはどうでしょう!?」
「ダメです。真面目に働いてもサボっても同じ給与なら、人は楽な方を選びます」
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カトレアが提案する改革案のいくつかは身に覚えのあるものだった。実現されなかったものでも、「そういう動きがあった」とか、「どうして実現されなかったか」という話は母の顧客から聞いていたので、彼女の改革案の問題点を的確に押さえている。
母の暮らしが悪くなると知って放っておくこともできず、私としては指摘せざるを得ない。
「アイーシャ殿は実に聡明であるな。おかげで国政を安定させることができておる」
「……恐縮です。陛下」
最近になって気づいたんだけど、どうやら母の知り合いには知者が多かったみたいだ。いろいろな話を聞けていたから、意見を求められても柔軟に対応できる場面が多い。
おかげで陛下や公爵様からの評価は登っていく一方だった。まあ、最近は部屋の広さにも慣れてきたから没落に拘泥する理由もないけれど、懸念があるとすれば一点。
その都度強まる、彼の関心。
「アイーシャ! この後少し時間とれないかな?」
「この後は魔術の授業が入っておりますゆえ」
「だったら今日の夜はどう? 例年より少し温度の低い夏になりそうだからその影響について話を聞きたいんだ」
「……少しくらいであれば」
「本当!? ありがとう!」
いえ、語弊がありましたね。
私が真に億劫だと感じていることは別にあります。
……もう一人の聖女候補からの干渉です。
「あんた、どういうつもり?」
「カトレアさん? 何の話でしょう」
「いっつもいっつも私の意見にダメ出ししてきて、そんなに目立ちたいわけ?」
授業と授業の間の、休憩中。
彼女は近くにやってきて、居丈高にどなった。
しばらく彼女とかかわってきたおかげで、見えてきたことがある。それは、彼女がボルストに抱いている好意です。
彼女は積極的でした。
いかに自身が優秀であるか。
ただその一点に持てる情熱すべてを注いでいるようにも思えたのです。
「最初に忠告したわよね? 痛い目を見たくなかったらおとなしくしていなさいって」
「ええ。でも私、同意した覚えはございません」
「生意気な!」
カトレアが掴みかかってこようとしました。
彼女からすれば、面白くないのでしょう。
自身の思い人が振り向いてくれず、気に食わない相手ばかり気にかけている構図が。
その気持ちがわからないわけではございません。
「なっ」
ですが、理解できるできないは別問題で、私からすればあなたの私情に巻き込まないでほしいというのが本音のところ。
それを体現するかのように、私につかみかかろうとしたカトレアの腕を、光のベールが拒みました。
「聖女になるべく、魔術を習ってもう6年。聖印を持つ私と偽物のあなたでは、それだけの実力差が生まれているのですよ」
「このっ!!」
私は私の周囲に、常に聖属性の防護幕を張っています。聖印の恩恵を受けたそれはもはや、聖印を持たないカトレアに破れるものではありません。
「私が本物だ! 本物に、なるんだ!!」
カトレアは牙をむいて猛りました。
「……なれませんよ。あなたでは、絶対に」
前世でカトレアは聖女の地位についていた。
だけどその心はひどく穢れていた。
彼女は聖女にふさわしくない。
(……いや、ふさわしくないのは私も同じか)
私だって、聖女を目指しているのは母を救いたい一心だ。それ以外の人間がどうなろうと、正直心は痛まない。
カトレアが今生の家族を人質に取ったところで、私の心は揺れないだろう。
私もまた、聖女にふさわしくない。
「……違う。聖女になるのは、私なんだ」
それでも、カトレアは繰り返した。
うわ言のように、呪うように。
まるで聖女になれない自分には価値が無いとでも言うように。
まあ、あと2年。
その年、国に疫病が蔓延する。
その時が来れば、どちらが本物かはっきりするだろう。