第4話 先見の明(前世の知識)
「需要と供給の、弾力性?」
首肯して、かつて聞いた話を思い出しながら話す。
「例えば上流階級の人は、宝石の購入量を意識的に抑えられます。これは消費者が需要を任意に変更できることを意味します」
「……そうか! しかし生産者はそう簡単に生産量を抑えることはできない! 土地代や人件費は今の収入を前提にしているから、収入を落とすわけにはいかないからだ!!」
「この需要と供給の差を埋めるために起きた物価の高騰はやがて市場全体に波及し、結果として経済そのものが不況に陥ります」
紙面上で学んだことは無いけれど、その世界を私は実際に体験してきた。だからこそ語れる実体験がある。
「しかし予算が減ってきているのもまた事実。アイーシャ嬢はこれをどうする?」
かつて導入された奢侈税は、中流階級以下に大きな負担を押し付けた。そして、奢侈税は撤廃されて、そのあとの税制は確か……
「……所得税」
「所得税? 聞いたことが無いな」
でしょうね。
だってこれ、未来であなたの息子さんが考案した物ですから。
「人頭税が一人一人に同じ額の徴収を強いるのに対し、所得税は一人一人の収入に応じて支払いを求めるのです」
「なるほど。頭数ではなく、所得の面で平等な税金か。だが、その問題点は分かっているだろう?」
「実施の難しさ、でしたら問題ないかと」
「何?」
かつての世界で所得税に切り替わり始めた時も、同じことが懸念されていた。だけど実際には、驚くほどスムーズに切り替わった。
「新しいことの導入で必要なのは2点。大義と実益の両方が備わっていることです。大義とは収入を把握することで計画的な支出ができること。実益とは税の負担が減ることです」
「待て、それでは税収が――」
「あくまで下流階級に限ってのことです。ご存じでしょうが、国全体の財の8割は2割の人間が支配し、残りの8割は2割の財を奪い合う形です。要するに、2割の財を代償に、約8割の国民の同意が得られます」
たしか、2対8の法則と言っていたかな。
これも母の顧客だった人に教えてもらった話だ。
「なるほど。だがそれだと、下流階級の者の負担を上流のものが肩代わりするだけで、総合的な税収は変わらないのではないか?」
「所得にかかる税を曲線的に引き上げます。先にも述べた通り8割の財は2割の人間が占めているので、総合で見れば税収を増えるように設定すればよいのです」
「面白い、実現できれば、な」
「最初は一人一人に所得税と人頭税、好きな方を納めるようにするのです。すると賢いものから順に、所得が少ない場合は所得税で納めた方が賢いと気づくでしょう。下流階級では情報がすぐに共有され、数年でほぼ全員が所得税に切り替えます。そのあとで人頭税を釣り上げれば移行は速やかに済むかと」
というより、前世では実際にそうなった。
私としてはただ史実を語っただけ。
でもこの世界においては画期的なアイデアと言っても過言ではない。
「はっはっは! これは愉快じゃ! のう、ライナグル公爵」
「陛下、緊急の会議が入りましたゆえ」
「よい。活躍を期待しておるぞ」
「はっ。アイーシャ嬢、この度の助言、心より感謝申し上げる」
「へ? は、はい」
感謝、されちゃった。
本当は、あなたの息子の手柄だったのに。
なんだか少し、複雑な気分。
でも、少しでも母の生活が楽になる可能性があるのなら、私は卑怯な手段だって使う。
だって私は、どうせ穢れた血なんだから。
「アイーシャさん、すごいね!」
カトレアが抱き着いてきた。
彼女が口にする言葉は、何となく予想できる。
『調子に乗るんじゃないわよ? 痛い目見たくなかったらね』
耳元で囁いた後、顔を離したカトレアの顔には人畜無害そうな笑顔が貼り付けられていた。