6 クラスメイト
その日からしばらくは、平和な日々が続いた。
少しずつクラスの雰囲気も元に戻ってきている。みんな会話を交わすようになったし、笑うようにもなった。
「綾瀬さん、もう来なくなってから一週間経つね。」
誰かがそう言った。ああ、綾瀬さんが来なくなってからもうそんなに経つのか。
日常が戻りつつあったけど、もう元には戻らないこともあるみたいだ。
「あのぉ、ちょっといいですか?」
休み時間、ぼーっと宙を眺めていると、誰かにとんとんと肩を叩かれた。
驚いて見上げると、そこには意外な人が立っていた。
「あ、ああ、えっと……」
「あ、ごめんね、私の名前知らないよね。
湯川です。湯川結。」
「ああ、湯川さん……」
びっくりした。湯川さんとはこの高校に入学してから一度も言葉を交わしたことがなかったから。今聞くまで名前すら知らなかった。
急にどうしたんだろう。
「むすびでいいよ?」
湯川さんはにこっと笑った。
「じゃあむすびで……」
断る理由もなかったので名前で呼ぶことにした。
「私もりんねちゃんって呼んでもいいかな?」
むすびは顔を真っ赤にしてもじもじしながらそう言ってきた。
「うん。」
私は笑顔でそう返した。
むすびは大人しい子って印象だった。
栗色の髪をゆるく三つ編みにしていて、縁が太い真ん丸の眼鏡を掛けている。いつも教室の隅で二、三人で固まってゲームか何かの話をしているから、正直暗い子なのかと思ってた。
「りんねちゃんとずっと話してみたかったんだぁ」
むすびはそう言ってにっこりと笑った。むしろ明るい子なのかもしれない。
「え、ええと?」
満足げににこにこしたまま突っ立っているむすびにおずおずと尋ねる。
「話し掛けてくれたってことは、何か用事でもあるの?」
するとむすびは「あ」と声を上げて、またにこにこし出した。
「ごめんね、ただ話してみたいなぁって思ってたから話し掛けただけなの」
「そ、そか」
何か掴みどころがない子だな。
「良かったらこれからも仲良くして?」
「あ、うん、それはもちろん」
「えへへ〜?」
むすびはにこにこしながら制服のポケットからスマホを取り出す。
「LINE交換しよぉ?」
「そう言えば同じクラスなのに交換してなかったね。」
私もLINEを開いてQRコードを表示する。
むすびがそれを読み込んで、私達はスマホを閉じた。
「じゃあ、またね〜」
むすびは嬉しそうにスマホを抱えながら、いつものグループの輪の中に戻っていった。
ここ最近は殺伐とした気持ちだったから、少しだけ和んだ気がした。
何か不思議な子だけど、悪い子ではなさそうだな。
「りんねちゃんって英語苦手なの〜?」
「りんねちゃんって髪の毛短いよねぇ」
「私もりんねちゃんみたいに足細くなりたいなぁ!」
それから、むすびと私は仲良くなって、よく一緒に居るようになった。
……いや、これは仲良くなったと言えるのだろうか。ほぼ一方的に付き纏われてる感じなんですけど。
あれからむすびは何かと私に話し掛けてくるようになった。夜中は毎日LINEを送ってくるし、一緒に居ない時も気のせいかずーっと視線を感じる。
「はぁー」
私はむすびがトイレに行ったのを確認して、大きな溜め息を吐いた。
何だろう、ほんとに悪い子ではないんだけど、疲れるってゆーか……。
「りんね、大丈夫?」
心配そうな顔をしたしみずが近付いてきた。そう言えば、最近はずっとむすびと一緒に居るから、お昼以外はほぼしみずと話していなかった。
「湯川さん、最近明るくなったよね。りんねとよく話すようになってからかな」
「そー?確かに前までは存在も知らないくらい大人しかったけど……」
「最近りんね達すごい仲良いもんね。」
「見てて分かるでしょー?ほぼ一方的に絡まれてるだけってゆーか……」
「りんねちゃんひど〜い!」
いつの間にか教室のドアの前に立っていたむすびがぷぅと口を尖らせて駆け寄ってきた。そして私に抱き着く。
「ちょっと最近塩じゃない〜?」
「あー、あはは」
最近は疲れ過ぎて嫌な顔を取り繕う気力もなくなってしまった。でもいくら冷たくあしらっても、むすびは傷付いた顔一つせずにずっと絡んでくる。
しみずはそんなむすびに遠慮してるのかお昼休み以外は話し掛けてこなくなったし。今だってむすびが来た途端そそくさと自分の席に戻ってしまった。
その時、ガラッと半開きだった扉が開かれて、誰かがひょっこりと顔を覗かせた。
「湯川さーん?さっきこれ落としてたよ?」
そう言って教室に入ってきたのは、隣のクラスの子だった。
「えー?ありがと〜!」
その子がむすびに手渡したのは、
「ッ!?」
私と弓槻が同時に立ち上がる。
「待って、むすび、それ」
ものすごい勢いで弓槻が近付いてきて、むすびが受け取る寸前でそれを奪い取った。
「ちょっと、何するの〜」
身長が低いむすびが飛び跳ねて必死に奪い返そうとするけど、それを弓槻は軽やかに躱していく。
「あなた、これ、どこで手に入れたの?」
弓槻が握っているそれは、確かに真っ黒な水晶玉のように見えた。
むすびは驚いて弓槻の顔を見る。
……何かバレちゃまずい理由でもあるのだろうか。
「どこで、って、それ聞いてどうするつもりなんですか」
むすびは小さな声で早口でそう言った。いつもの語尾を伸ばす特徴的な喋り方じゃなくなっている。
「あなたが答えた内容によっては、私はあなたを――」
「教えないもんん!」
「あっ!」
むすびが無理矢理弓槻から黒い水晶玉をひったくった。そして大事そうにそれを抱えて教室から飛び出した。そしてすぐに弓槻も無言でそれに続いた。
「待っ……」
私も追い掛けようとしたけど、誰かに腕を掴まれた。振り返ると、不安そうな顔をしたしみずがぶんぶんと首を横に振っていた。
「えーと、何か……やばかった?」
隣のクラスの子が気まずそうにそう呟いて、そそくさと教室から飛び出していった。
「何でだよ、むすび……」
……まさか、うちのクラスを売ったのは、本当にむすびなの?