異界転生法~天使のレポート1~
「ん?…あれ…ここは…?」
真っ白で何もない空間の中、無気力そうに青年がそう呟く。
状況を理解出来ず、ゆっくりと周囲をキョロキョロと見回すその青年に、私は背後から声を掛けた。
「おはようございます」
「!」
一瞬ビクリと肩を強張らせた後、青年は此方へと振り替えり、私を確認した後ボサボサっとした髪を掻く。
「えーと、あなたは誰ですか?この場所は?」
気だるそうなジト目で此方を見る彼に対し、私は軽く頭を下げながら努めて平静に答えた。
「はじめまして、私はマリアと申します、この世界では所謂"天使"と言われる存在です」
「えっ!?天使…天使がなんでいきなり…」
青年が慌てる。当然だ。天使が目の前に現れるなどという非現実な状況は、普通に考えると大方録なものではないのだから。
「すみませんが、先に御名前を伺ってもよろしいでしょうか」
「えっ?オレ?…川原信也だけど…」
「ではシンヤさん、出来るだけ落ち着いて聞いて下さい。突然ですが、貴方は不慮の事故により命を落としてしまいました。この場所は言わば現世とあの世の中間地点のようなものです」
「えっ!そんな突然…いや、確かオレ…トラックに跳ねられて…」
シンヤさんが額に手を当ててそう呟く。だんだんと"記憶"が鮮明になってきたのだろう。
「すみません。貴方が命を落としたのは我々天界側のミスです。貴方は本来まだ死ぬべき運命になかった。ですから謝罪を申し上げるべくこの場に貴方をお呼びしました」
「謝罪って、オレはもう死んだんだろ?後はあの世に行くだけじゃないのか?」
動揺はしているものの、シンヤさんは自身の死をもうある程度受け入れるのか、口調はそれほどさっきまでと変わらない。ひとまず私は安心する。
「確かに現世の貴方は死んでしまいましたが、これは私どもの責任です」
そこまで言って私は一呼吸置き、シンヤさんに向けて握手を求めて手を伸ばしながら、予め用意していた言葉を口にした。
「貴方さえ良ければ、今の記憶をもったまま、此方側で特別な力を付与した上で異世界へと転生させる事が可能です。新しい人生をそこで歩んで見ませんか?」
プロジェクト『異世界転生』天使達のレポート
「ん…」
頭に装着したVRモニターを取り外し、私は白衣姿のまま軽く伸びをした。固まっていた時計を見ると時刻は既に夕方6時を指している。
「だいたい予定通りの時間。今回も上手くいってよかった…」
デスク上のPCで今回の患者様のデータを整理した後、両手を胸の前で組んで目を瞑る。
「シンヤさんにどうか素敵な余生がありますように…」
ルーチンワークと化している"患者様"への祈りを込めた言葉を呟き、私は戸締りをして研究所に儲けられた個室を出た。
帰宅するため廊下をカツカツと歩いていくと、不意に後ろから声を掛けられた。振り替えると赤いロングヘアーの同僚が此方に歩きながら軽く手を振っている。
「あっ!真理亜!お疲れ様、今仕事終わり?」
「お疲れ様です香奈。はい。これから『安置室』に立ち寄って、それから家に戻ろうかと思っていました」
「またお祈り?」
「…はい、私にはそれくらいしか出来ませんから」
「そっか 私も今から帰りだし少し付き合うわ」
女性としては高身長な香奈が私の隣に並んで歩く。
彼女とは同い年で友達のような間柄だが、並ばれると私の低身長や子供っぽい特定の一部分がより際立ってしまうのがささやかな悩みだ。
「…たまには気分転換にパーっと買い物とかどう?最近仕事浸けなんでしょ」
並んで夕暮れの廊下を歩きながら香奈がそう提案した。
私達の"仕事はストレスが溜まりやすい"事から仕事続きの自分をどうやら心配してくれているようだ。
「患者様の新しい門出に立ち会えるのは純粋に嬉しいですし、今はまだ大丈夫ですよ」
「やっぱ真面目ねぇ…まあ真理亜が大丈夫って言うならいいんだけど、無理は禁物よ」
香奈に答えたそれは半分は間違いなく本心だ。
「はい。それより香奈の方こそ大丈夫ですか?今度の患者様、かなり重症だったと聞きましたが…」
「重症過ぎて寧ろ楽だったわ…殆ど会話にならなかったもの。でも同意書のサインだけはあったし、仕方ないからこっちで勝手に仮想空間を設定させてもらって、ありったけのチートを付けて勝手にスタートさせたわ…あのままじゃたぶんそう長くは持たないだろうから」
「…そうですか。本当にお疲れ様でした。香奈」
少し寂しげな表情を浮かべる彼女に、私は静かにそう呟いた。
この仕事での私達の責任の重さは計り知れない部分がある。香奈も口では取り繕っているものの、やはり堪えている部分はあるのだろう。
廊下をゆっくり歩きながら、私と香奈はとりとめのない会話を交えながら安置室を目指す。
西暦2047年の日本
一度は少子高齢化が問題視されていたこの国も、2030年に施工された大規模な『富の再分配』によって働かない老人の富裕層が減り、若者を中心とした労働者層に資金が流れる社会が実現した。
保守的な高齢者の意見よりも前衛的な若者の意見が優先される社会性から日本経済は当時と比べて遥かに潤い、小国ながら現在この国のGDPは世界最高水準となっている。経済的に余裕がある世帯が増えた事で、全国的に出生率も大きく上昇した。
ただ、好循環を維持するそんな現代日本にも『富の再分配』以前から変わっていない(とされる)部分がある。
「それにしても、最近また一段と仕事が増えたわね」
「私達が研修生だった3年前は、まだこの仕事自体手探りでしたけど…最近は急速に普及してきたみたいですね」
「3年かぁ…今年で私達も23だし、いつまで"天使"や"女神"を名乗れるか疑問よね」
「それは…流石にもうちょっとは大丈夫…だと思いたいですね…でも女神様なら年を取っても違和感はないと思いますけど…」
「私の中の女神のイメージは30が限界値なのよ。それ以上は自己嫌悪しちゃいそうになるわ」
「フフフ、そうですね」
少し暗くなっていた雰囲気が、香奈の自虐で少し明るくなる。
『若者の自殺者数』
若者に金が回りやすい世の中ではあるが、人口が増加の一途を辿った結果として若者の数自体が大きく増えた。彼らにとっての悩みは基本的に『金』ではなくイジメを含む『人間関係』や『境遇』である事が殆どであるため、結果として"分母"が増えた分だけ単純に自殺者も増える。優秀な人材を渇望する過度なストレス競争社会である事も悪い意味で追い風だ。『有能』な人間はトントン拍子に成功の階段を掛け上がれるが、一度『無能』の烙印を押されると生活は出来ても別の意味で極端に生きにくくなる。若者が少なかった過去とは違い、今は何処に行っても文字通り代わりがいくらでもいるのだから。
「ホント、こんなに仕事に追われちゃうと婚期逃しちゃうわよ!」
研究所内に据えられた自動販売機で缶コーヒーを買い、飲み口を開けながら香奈はため息混じりにそう口にした。私達はまだ成人して日が浅いが、経済的な障壁がなくなった事で、結婚適齢期が低くなっている今の日本ではうかうかしていられない。
彼女の焦りは最もだ。
「真理亜も何かいる?これくらい出すわよ?」
「そうですね。ならリンゴジュースを頂きます」
「あなた毎回これね。……はい」
「ありがとうございます」
「お互い仕事終わったばかりだし、少しだけ座りましょうよ」
「そうですね。なら少しだけ」
自動販売機の隣に備え付けられたベンチに二人で腰かけた後、私も手渡されたリンゴジュースをちびちびと飲む。
「思えば私達の仕事って、なかなかぶっ飛んでるわよね」
「それは…国としても苦肉の策なんだとは思います。でも実際に成果は出てますし…まあでも賛否両論あるのは確かですね」
勿論この数十年、国もこの自殺者の増加問題を黙って見ていた訳ではない。
過去政府は様々な政策の元でこの課題への対策を取ってきたが、いずれも根本的な解決には至らなかった。
それも当然だ。自殺者増加の本質的な原因は、この『複雑に発展し続ける社会情勢』そのものにあるのだから。カウンセラーを一時的に各世帯へ派遣しようと、金回りを良くしようと、社会そのものに絶望した若者の数だけを大きく減らす事は難しい。
最新の技術による『記憶改竄療法』も、『捏造された当人の記憶』と『現実に置ける事実』との擦れ違いが新たな問題を生んだ事から、当初期待された程の成果は上がらなかった。
前に前にと成長を止めない社会、一向に改善が見られないその問題に対し、5年前にある1つの法案が可決された。
それが『異界転生法案』
私達が今携わる仕事の根幹だ。
「たまに思う事があるのよ。私のやってる事、本当は間違ってるんじゃないのかって…真理亜は実際どう思うの?」
「私は…今はまだ何とも言えません。本当に難しい問題ですから」
「そっか…まあそうだよね」
社会や学校内でのコミュニティに絶望する若者は後を絶たない。
だが、社会全体としてその者達に水準を合わせて経済全体を鈍化させるのは愚作。そう判断した政府による彼らに対する最後の救済措置がこの法律。一言で済ますなら『安楽死』に近いシステムだ。一点違う点を挙げるなら、投薬による肉体的な死ではなく、記憶をデータ化してPCに保存し、VR技術を用いた仮想現実に移行させる事。
『自殺志願者は減らない。なら、彼らに対して理想となる世界を提供する事で精神的な苦痛から解放し、自殺による肉体や臓器の損傷を未然に防ぎ、脱け殻のそれに1から新たな人格を構成、社会復帰させよう』
というある種の開き直りとも言えるのがこの政策だ。
しかし、単純な『意識の上書き(完全洗脳)』では当人達にとっては自殺との違いは何もなく、思い詰めた人間がわざわざこの施設へ足を運ぶような手間は行わないが、『理想郷への旅立ち』となれば話は別である。どうせ死ぬならと、彼らはこの場所に救いを求めて自主的に集まってくる。
当人の家族、友人から見ても『被験者の永久的記憶喪失』という代償こそあるものの最悪の事態だけは避けられるメリットがある事から、合理性を重視するこの社会では意外にもこの法律は多くの支持を集める結果となった。
実際にそれは年々結果を上げてきており、自殺志願者数そのものはあまり変わらないものの、自殺率はここ3年程は順調に右肩下がりだ。
この研究施設は言わば、『居場所がない人々の最後の砦』なのだ。
「でもホント凄い法律を作ったもんよね。私みたいなプログラマー志望してた人間が、まさか5年後には"女神様"やってるなんて考えてもいなかったわ」
「それは私もです。私は元々カウンセラー志望でしたけど、プログラミングを小さい頃からやってた経験が活きましたね」
「色素が薄いから、あんまり日の下にいられなかったんだっけ?」
「はい。昔はPCばかり触ってました」
アルビノ程極端ではないものの、色素がかなり薄い影響で私の体は昔から紫外線にとても弱く、俗にいう「もやしっ子」だった。
外で長時間遊べない事から小学生時代は寂しい思いをする事も多かったが、その経験も今の仕事で多少役には立っている。
「でもその銀髪私は綺麗だと思うけどね。ていうか、真理亜小さくて肌が綺麗だからナチュラルに"天使"っぽいわよね」
「誉めても何も出ませんよ。香奈はスタイルも含めて女神様じゃないですか。私はそっちが羨ましいです」
「もっと自分に自信持ちなって!真理亜先生はかわいくていつでも丁寧で親身になってくれるから、いろいろ話しやすいって噂よ」
飲み終えたコーヒーの缶をゴミ箱にポイっと捨てながら香奈は私をそう激励する。
「それは…はい。"コンダクター"として素直に嬉しいです」
この『異世界転生プロジェクト』は政府公認の医療研究施設によってのみ執り行われ、基本的に私達コンダクター(異世界案内人)と志願者の1対1のカウンセリング形式で進められる。医療機関からの完全紹介制であるため、ここに来る患者様は基本的に殆どが『何らかの解決しがたい大きな問題』を抱えている。とはいっても、私達に求められているのはそれ自体を解決する事ではない。
患者様との話の中から、彼らが理想とする世界やその中で自分が在りたい姿に耳を傾け、その世界をVR上で形作る事が我々コンダクターの大きな使命だ。簡単に言えば、プログラマーとカウンセラーのハイブリッドがコンダクターと呼ばれる私達。都合上、そのVR世界でのチュートリアル的な進行役も私達が勤める事になっている。その中で天使を自称するのも、全能の存在として患者様にイメージしてもらいやすく、チュートリアルの進行を簡潔化させるためだ。
自分の役割を何にするかは個人の自由、ちなみに私は『天使』を自称しているが、香奈は『女神』を名乗っている。男性コンダクターの中には『ゼウス』を語る猛者もいる。
「そういえば香奈、さっき患者様とは会話にならなかったと言いましたが、どんな設定で転生を?」
「そうね…今回は相手の感情が読み取れない程希薄だったし、会話も殆ど出来なかったから、人気の高い『剣と魔法の中世』にしたわ。細かい調整は出来なかったから、テンプレートの世界をほぼそのまま使った感じね」
「それで"女神様"として見た時、異世界内では大丈夫そうでしたか?」
「たぶん…ね。相変わらず会話はしてくれなかったけど、少なくとも自分の状況は受け入れてた…とは思うわ。まあ設定上無敵で不死身だし、スキルも全て習得済み。『カリスマ』や『魔性』も限界まで上げたから、同性異性構わず勝手に後をついて来るし、そこまで悪い気はしないんじゃない?」
「そうですか……ありがとうございます。参考になりました」
『異世界』内は本人の思考レベルに合わせて登場するNPCの性能を決める。だから少なくとも当人が現実で抱えるような劣等感をVR内で感じる事は殆どない…と思う。加えて初期設定時に当人が臨むチートコードを予め打ち込んでおく事で、むしろNPCに対してある種の優越感さえ抱く事も可能だ。彼らにとって都合の悪い情報は彼らの世界に持ち込まない。あちら側で目を覚ませば、プログラムによって不慮の事故により突然異世界へと召喚されたように錯覚し、チート能力はその事故を起こしてしまった私達の謝罪だと認識する。あくまで『不可抗力や第三者によってこちらの世界に来てしまった』事にすれば、その世界で本人の自尊心にキズは付かない。その世界では望めば誰もが『勇者』で『魔王』で『完全無欠の世界最強』になれるのだから。
「そう言えば、今年で法律が出来て『5年』ね…」
香奈が神妙な面持ちでそう口を開く。
「はい。もう今年なんですよね」
ただこのシステムには実は一部不完全と言える部分もある。
現在の量子コンピュータの性能をもってしても、被験者1人1人に『本物の世界』と等しいVR空間を用意するには明らかに要領が足りない。だから完璧に世界を再現出来る空間は東京都の面積とほぼ同じくらい。後はVR内の情報操作、本人の意識操作によって"あたかも存在しているかのように錯覚させる"。
それでも年々増加する被験者を受け入れ続ければ何れ要領は限界に達するため、『現実世界で5年』を目処にその世界は彼らの意識諸ともリセットされる。それが彼らにとって明確な死の瞬間だ。もっとも、当然ながらこれらの情報も彼方側に意識を移した時点で記憶内から消去されているため、当人にとってはある日突然意識がホワイトアウトするまでは何不自由なく暮らしていけるだろう。現実と仮想空間の時間の流れはリンクしていないため、人によって消滅までの体感時間は異なるが、彼方の時間に直しても概ね20年程だろう。
「香奈、暗くならない内にそろそろ行きましょう」
「そうね。ありがと、小休憩に付き合ってくれて」
「いえいえ」
ベンチから立ち上がり、私達は再び歩き出す。時刻は既に6時半、夏が近いとはいえ、そろそろ日が沈む頃だ。
先程の話の続きとなるが、私が担当したしたシンヤさんも、学校内での激しいイジメが原因で中学から現在まで引きこもってしまい、社会から完全に孤立してしまった背景があった。
彼は私や香奈と同じ今年23歳だったが、将来への不安と激しい劣等感に苛まれた結果、過去に2度の自殺未遂を起こしたと報告を受けている。
カウンセリングの結果、小学生の頃によくプレイしたゲームの主人公に強い憧れを持っている事が分かり、彼自身もその世界で生まれ変わる事を切望したため、彼が望んだ『古の大魔法』と『それを容易く扱える魔力量』を初期のプログラムに盛り込んで意識を仮想現実に移行した。
勿論、ここでの一連のやり取りをあの世界の彼は覚えていない。
私達が今向かっている安置室は、『脱け殻となった現実のシンヤさん』や香奈が担当した無口の患者様が一時保管されている部屋である。
異世界転生後、私達コンダクターに患者様との接触義務はないが、私は出来る限りこの場所に足を運ぶようにしている。
自分が担当し、ある意味この手で命を奪ってしまったと言える患者様の顔を忘れる事がないように。
「着きました。香奈はどうします?中に入りますか?」
「そうね。私もたまには患者さんの顔見ておきましょうか」
香奈の表情はやや複雑だ。彼女は自分の担当した患者様について、あまりその後を見たがらない。前述したように、患者様の命は我々が奪ったと言えるようなものだ。どうしても自責の念に苛まれる事から、メンタルを維持するためにも彼女のようにこの場所を避ける事が本来は正しい。それ以外にも、此処に足を運ぶ事で時々起こる『問題事』もある。
「ん?誰か居るみたいね」
「……そうですね」
安置室に一歩足を踏み入れると、直ぐにすすり泣く声が私達の耳に入ってきた。先客が既にそこにいたのだ。
「…真理亜、やっぱり私は外で待ってるわ。もし何かあれば呼んで」
「はい。お気遣いありがとうございます」
「気を付けて」
"声の主"の正体を悟った香奈は、そういうと入ったばかりの安置室から引き返す。私は振り向く事なく彼女に礼を伝えた後、『脱け殻のシンヤさん』の側に寄り添う、その声の主へと歩み寄った。
「あっ……」
その人が私の存在に気付く。
頭に電極を着けたままベッドに横たわるシンヤさんに寄り添っていたその人は、私を見付けると立ち上がり深々と頭を下げた。
「この度は…息子がお世話に…なりました…」
声の主はシンヤさんの母親。
「いいえ…私は…」
胸が抉られそうになる。同じ女性としてこの母親の立場を思えばもうこれ以上の言葉が出てこない。
彼女にとっての『シンヤ』さんはもうこの世界にはいない。
肉体こそ健全なままだが、これから構成される『シンヤ』さんは最早母親から見れば別人なのだ。
母子家庭であった事から一人で家事と仕事を両立していた強い女性だが、自分が気付かない内に2度の自殺未遂を許してしまった経験から、最悪の事態を避けるため今回のシンヤさんの決断を受け入れられた。母親にとってそれがどれ程苦渋の決断だったかは、今の彼女の表情を見れば想像に難くない。
見方を変えれば、私は彼女から息子を奪った死神だ。いきなり掴み掛かられても何も不思議はないし、過去には娘を失い取り乱した父親から全身に青アザが出来るまで暴行された事もある。そんな中で、その人は横たわるシンヤさんの頭を撫でながら穏やかに私に語り掛けた。
「信也ね…いい子だったんです…やさしくて…いつも…お母さん、お母さんって…」
「………はい…言葉を交わした回数は限られましたが…それはよく伝わってきました…」
「最後に…先生に救いを頂けただけでも…この子はすごく喜んでいたと思います…本当に…ありがとうございます…」
再び彼女はこちらに頭を下げる。
正直なところ、いっそ怒りに任せて掴み掛かってくれた方が楽だと思える程、彼女の優しい言葉と対応は私の心に深く突き刺さる。
先程香奈に言った『患者様の新たな門出に立ち会える喜び』自体は本心だ。しかし、『残された家族を思う苦痛』も確実に私の中に存在する。
「いいえ…すみません…お邪魔しました…」
いたたまれなくなった私は、お辞儀を返した後足早に部屋を出た。"万が一"に備えて入り口付近で待機していた香奈と合流し、その場を後にする。
「真理亜…目、赤くなってるよ。大丈夫?」
「はい…今日はもう行きましょう…お祈りはまた日を改めます」
「そうね。今はそっとして置くのが正解だわ」
去り際、私はもう一度母親の方へと目を配る。
「…助けてあげられなくて…ごめんね…次はお母さん…もっとがんばるからね…」
この仕事を選んだ事に後悔はない。でも葛藤がないと言えば嘘になる。涙混じりのそんな声を降りきるように、私はその日研究所を後にした。
私達コンダクターは『天使』か『死神』か。
勤めはじめて3年、『異界転生法』が制定されて5年目、初めて患者様のデータの消去を控えるこの年、私のコンダクターとしての答えはまだ出ていなかった。
御覧いただきありがとうございます。
ひとまずプロローグと設定はこんな感じです。
『技術的に異世界転生が出来るようになった場合』をコンセプトに今回初めて小説を書かせて頂きました。
慣れない作業ですので少し見にくいところもあるかもしれません。ご意見、ご感想があれば嬉しく思います。