東の森
オズーの計画はこうだ。東から攻め入り、城に隣接した森の木々を使い高い壁を越える。
並の人間では出来ないが、オズーにはそれをやり遂げる自信があった。
白の王の首をとる。
そうして黒の国へと、自分の居場所へと帰る。
それだけを考えていた。
ざわ、と木々が揺れた。
間違いなくここに隠れている。いや隠れているというよりはむしろ、待ち構えられているという方が正しい。オズーは辺りの気配を探る。
初めての経験だった。闇討ちを得意とする自分が自身の察知能力の高さを逆手にとられて、よもやこのように奇襲をかけられるとは。
この森に必ずいる。白の軍勢が身を潜めている。オズーはこの森を抜け、城へ攻め入る必要があった。身を潜めるに相応しい深い森は、オズーにとってまさに狩り場と言って良い。けれどどうだ、今は敵の視線に晒されている。まさか白がここまで上手く隠れるとは思わなかった。
…いや、違う。何か理由があるはずだ。オズーは考えを巡らせる。誰か、自分の行動を把握している奴がいる。つまり-
「裏切り」
木々のざわめきに紛れて、自分の声は酷く掠れて聴こえた。余りにも脆弱で、自分でも笑ってしまいそうなほどだった。しかしそうだとすれば誰が、この様な真似を。
オズーは不穏な気配が自身を支配するのが分かる。いや、まさか。そんなはずない。オズーは鼓動の速度を無理に抑えようとした。急くな、急くな。まだそうと決まったわけではない。
けれど、自分のこの行動及び思考を把握出来る人物は限られている。我らが王と、それから-
「…師匠」
今度は木々のざわめきに紛れ無かった。代わりに視界の隅に蠢く何かをとらえた。
「-動くな!…動くと殺す」
言葉と裏腹にその声には悲しみが滲んだ。まさか、あぁ、まさか。まさか、貴方が。
黒の王が我らの母であり総ての象徴なら、貴方は僕を導いてくれた、たった一人の父であったのに。我が誇りであり、憧れであったのに。
「裏切ったのですか…?」
オズーの声は葉の擦れる音にすらかき消されてしまいそうなほど小さく、また微かに震えている。
「ソッシュ兄さん」
その名を口にすると森が呼応するように視界を晴らした。
生い茂っていた木々や草花の葉の擦れる音も総て消えて、目の前に突如現れたその姿に絶望を覚える。
ひゅうひゅうと喉が音を鳴らして呼吸する。鼓動は、抑えられるはずもなかった。
「…泣くなよ、オズー」
困ったように微笑んだソッシュにそう言われてから、頬に伝う涙に気がついた。
キィン、と金属のぶつかるような音がして、揺れる木立も、ざわめく草花も動きを止める。ピキピキとその身を縮こまらせて、僕らを取り残す。
氷の力。貴方は凍らせて、そこに総てを閉じ込める。だけど僕だって、動きを止めることなら出来る。貴方の時間を操って、息の根を止める、ことも。
「手の内を知られてる、お前だけじゃ分が悪い」
す、とソッシュの後ろから薄桃色の柔らかな毛が揺れる。
「お前、白の-」
オズーの目線の先に現れたのは、白の歩兵総隊長ルーン。ソッシュの永遠の好敵手と言われていた男だった。黒の女王の命でソッシュに、討たれていたはずの。
「生きているのが不思議か?」
「そんな…」
いつから?いつからだ?いつからこの二人は、ソッシュ兄さんはいつから白へ下った?いや、まさか-
「最初から」
バッと合わせた視線に、目を潰されたのかと思った。真っ暗で、何も見えない。ぐら、と体がかしいだ。
「これが、お前の欲しかった答えだよ」
―あぁ、最初から。
そうか、最初からなのか。城の養成所に馴染めない僕に微笑んでくれたあの日から。鍛え、学び、遊んでくれたあの日から。笑うこと、泣くことを教えてくれた、あの日から。
一人じゃないんだと、教えてくれたあの日から。
「…殺してやる」
"敵と見なしたら直ぐ息の根を止めろ"
これは、貴方の教えでしたよね。オズーは、隠し持つ武器を構え瞬時に飛びかかった。
「その意気だ…!」
ソッシュの放つ冷気が身体をを強張らせる。
美しい氷の結晶が、オズーの頬から寂しそうに散っていった。