北の高原:降臨
この場にいる誰もが結末を知りたがった。
あり得ないとわかっていながら、幸せを心の隅で願っていた。
その願いを潰えさせるのが自らの手であるという、この残酷な物語の結末を。
目映い光の帯がこちらへ向かっていくつも鋭く延びてきたかと思うと、それを巻き込むようにしてベクールから放たれた鮮烈な赤が螺旋を描き黒の軍勢へと向かっていった。ベクールの放った炎の隙間から、光の刃が空を切る。
光の防御魔法のおかげでほとんど負傷することはなかったが、それでも衝撃を受けない訳ではない。
先の爆風に怯えた馬たちの背から降りることを否応なしに迫られたジュミスたちは、足を失ったと言っていい。ジェイクの攻撃をかわすのには早さが足りなかった。
ベクールの魔法で相殺する他に、イシンが大太刀を盾にすることで身を護り、その背にジュミスとベクールを隠した。
「イシン!」
ジュミスはそう声をかけながら水の防御魔法をイシンに施す。黒の兵たちからウンディーネと揶揄されるほど水の魔法と得意とするジュミスは、そのほとんどを詠唱破棄して使うことが出来た。
ジュミスのかけた魔法は対象に水の加護を分け与え、その身を衝撃から守るためのものだ。
そうして衝撃から逃れていた時、キィン、と脳髄に直接響く音がイシンを支配する。万が一何かあった時には、察知出来るようイシンは皆に補助魔法をかけていた。徐々に光の帯が数を減らし始め、イシンは音の出所を探る。
「―これは、東か…」
イシンの呟きにジュミスが直ぐ様呼応する。
「イシン行け!」
「っだけど―」
そう言いかけたイシンであったが、東にいるルーンにせよソッシュにせよ、滅多なことがない限り助けなど必要とするような者たちではない。ルーンかソッシュか、そしてそのどちらもかは定かではないが、二人が非常に危険な状態であると言うことは間違いなかった。
「…わかった」
イシンは大太刀を背に担ぎ直し、指笛で愛馬を呼び戻した。美しい白馬は怯えた様子ながらもそれでも主の呼び声には反応し近付いてくる。イシンは颯爽と飛び乗り、手綱を引いた。白馬は前足を大きく上げて、しなやかな身体を東へと向ける。
「ベクール!」
イシンの声に、
「はい!」
ベクールの驚きと緊張に満ちた返事が返された。
「-ジュミスを頼む」
「っはい!!」
自分と同じ、いや、もしかしたらそれ以上になるかもしれないベクールの光の力を、イシンは信じるしかなかった。
ジュミスを命を賭して護る。その心に偽りはない。けれど、ルーンもソッシュも、肩を並べこの国を護ると誓った敬虔な戦士であり友だった。先のベクールの働きを見ていれば、ジュミスを支える役目を担わせても良いと思えた。かつての友人と対峙し、想い出さえも胸の内にしまい刃を向けるベクールの意志の強さに、自らの意志を託しても良いと。
「ハッ!」
東へと向かうイシンの背を見送ることなく、ジュミスは呟く。
「頼んだぞ」
デジョンはその時になって初めて、自分の中に蠢く濁った意志を感じ取った。遠ざかっていく憧れの背は、自分に見向きもしていない。それなのに白の女王や、あぁ、ベクール、お前にも。心を許し信頼しているのがよく分かった。
ズズ、と重くなる心をデジョンは引き摺るようにして声を上げる。
抗うな、しかしそれでも喰われるな。デジョンの口はデジョンの意志で動き出した。
『聞け
混沌の名に座す者よ
地に沈み
目醒めの時を待つ者よ
我が声に応え その姿を現せ』
ズズズ、とまるでデジョンの心を貪るように上空を雲が覆った。唸り声のような雷がどこか遠くで、時々近くで哭いて、渦を作る。
『嘆きの礫
奈落の雷土
安息を妨げる破壊の王』
ゆら、と大きくなった影が揺れた。それはもうデジョンのものなのか、それとも別の"何者"なのかはわからない。
ベクールは、得も言われぬ不安に押し潰されそうになるのを必死に耐えた。渦巻く暗雲の隙間から、デジョンの悲しそうな笑顔が見える。
「下がれ!」
ベクールはその声にはっとした。身を引き再び光の盾を張る。
ジュミスの背から青白い粒子が渦を巻いて流れ出した。ベクールはそれが何なのか知っている。それでも見るのは初めてだった。
風が吹いた。ひやりとした風が、一度だけ。そしてジュミスの心地の良い声が響く。
『その羽ばたきは風を薙ぎ
山を動かし空を割る』
雨が降ってきた。デジョンの上に広がる空とは異なる、雲一つない、晴天の空から。
『移ろう時の流れに逆らえ
喩えその身が骨になろうとも』
ジュミスの声にベクールは鉄扇を構えた。自分もすぐ動けるように。この身を、白の女王その人を打たれないように。
『総ての眇たる魂に
終焉の始まりを告げよ…!!』
デジョンの声が天に届くと、酷い地鳴りが辺りを揺らした。
デジョンの頭上から黒い雷が落ち、空中で形を成していく。
『全ては一つ』
それに動ずることなく唱え続けるジュミスの声がよりいっそう熱を帯びるのがわかる。
『霧にも塵にも為らざるものよ
今ひとたび君臨せよ
我が王の旗の下!』
キラキラと輝く雨が自分たちの頭上で何かを形作る。途端に身震いするほどの強大な魔力を感じ取って、ベクールは思わず息をのんだ。
見ればデジョンの頭上には黒い龍が雷を纏って、ジュミスの頭上には光り輝く雨が大きな水の鳥となって姿を現していた。