東の森:死闘
ソッシュにしてやれることなどほとんど無い。ルーンは側にいて時々助けてやれるくらいだった。
むしろそれすらおこがましく感じていた。
この闘いを戦と片付けてしまうにはあまりにも、やりきれない。
無茶だ。そう思った矢先、ソッシュの肩が切り裂かれた。ルーンは声を詰まらせよろけるソッシュの足を浮かせて、自分へと引き寄せた。白の国の有力者には皆、得意とする力がある。ソッシュは氷、ジュミスは水、イシンは治癒。俺は、念力。
「悪いな」
「無茶をするな」
ソッシュは笑っているけれど、左肩から滴る鮮血を見れば、傷は思いの外深いようだった。
ルーンの見る限りソッシュがオズーに向かって行ったはずなのに、瞬きをする間にソッシュは負傷していた。オズーが時を止める力を使ったに違いない。
「お前には荷が重いんじゃないか?」
「それがそうでも、ないんだなっ!」
ソッシュは鮮血をほどばしらせながらオズーへと向かって行った。
「オズー!少しは休憩時間が減ったかよ!え?」
ひゅん、とソッシュのコルセスカがオズーの頬を掠めた。
黒のビショップであるオズーの先の読めない動きにも反応しついていけるのは、ソッシュが優れた戦士であることは勿論だが、かつてオズーを育てた師であるからに間違いないだろう。
オズーにとってソッシュは、最もよく知る敵であり、最も戦いたくない敵であった。オズーの時を操る力はそう長くは続かない。ソッシュが知る頃よりはおそらく長く、そして強力なものになったであろうが、使えば使うほど次に発動するのに時間を要した。
「うるさいっ!」
オズーの右手がまたソッシュの肩を目掛けた。息を吸いソッシュは身体を退ける。
「ソッシュ!」
ルーンの声が響くと同時に、ソッシュの身体はまた浮かび、風を切り勢いよく後退する。
「気を付けろよ!!」
ルーンの怒号に近い声を受けて視線の先を見れば、オズーの右手から先程よりも長く刃が伸びている。暗器使いの常套手段だ。
「相変わらずだな」
「能ある鷹は爪を隠す、でしょう?」
「はっ、言ってろ!」
"止まれ"
ソッシュの身体がオズー目掛けて大地を蹴った瞬間、ここにいるオズー以外全てのものが動きを止めた。木の葉も、風も、降り注ぐ光さえ、総て。
「さようなら師匠…いや、ソッシュ」
何一つ時を刻まない動かざる空間の中で、オズーの色の無い声が響く。
剣を交えれば、様々な思いが蘇ってくる。これ以上長引かせては、剣は鈍り、オズーは育ての父のような師の刃によって、命を落とすだろう。
「僕はあの頃とは違う!」
オズーは両手から幾重にも重なった鋭い刃を出し、ソッシュに切りかかった。
ザンッ、と切り裂いた鈍く重たい感覚を受けて気がつく。
「―違う」
バッとオズーが顔を上げればそこには小さな木ぎれが浮かんでいる。
「―何…?!」
「悪いな」
オズーの目に、白金がほんのりと薄桃に色づいたそれが美しくなびいた。まるで天使のように清らかで正しいと押し付けがましく主張してくる、かつて自分も持っていたはずの、白の証。
「お前が時間、つまり時空を歪められるなら、俺は次元そのものを、歪められるんでね」
ルーンの挑発にも似たその言葉に、オズーはついに声をあげて笑った。
「それで二人で僕を潰しに来たってわけ!」
「怒るなよ、オズー。お前もよく知ってるだろ」
時間を取り戻したソッシュはまた眉を下げた。
「敵と見なしたら直ぐ息の根を止めろ、その続きは?」
オズーへと投げ掛けるソッシュの声は、微かに哀しみが滲んでいた。
「敵に情けを…かけてはならない」
「―良く、出来ました」
バッと勢いをつけてソッシュは後退した。
『先ずは脚』
ソッシュのそれを聴いて、ルーンは咄嗟に声をあげた。
「よせソッシュ、本気か!?」
ルーンの制止を聞き入れることなくソッシュは続ける。
『次ぎは腕』
ザン、ザン、という重い水を切るような音が立て続けに響いた。見ればオズーの脚と腕は氷に覆われて、身動きがとれない。
『背、腹、胸、首、
鼻腔、口腔、網膜、鼓膜、
そうして五感を奪い去る』
ソッシュの口から出る言霊に操られるようにコルセスカの三つに避けた刃がオズーの身体に傷をつける。
脚を突かれ、腕を刺され、背、腹と身体のあらゆる箇所を無情に切り裂いていく。
「本気で殺す気か!」
気がつけばルーンはそう叫んでいた。
今は敵同士であれ、かつては深い絆で結ばれた師弟だったはずだ。
己の甘さと言われればそうかも知れない。だけどそれを、その技を使ってしまったら―
けれどルーンの悲痛な叫びはソッシュの決意にかき消された。
『生き永らえた 脳裏に刻め』
ズガン、と剣技というにはあまりにも重い一太刀がオズーに放たれた。
その瞬間、
「…やるじゃないか」
ソッシュは膝から崩れ落ちる。
「―っ?!おいっ!」
ルーンはソッシュへと駆け寄った。様子がおかしい。
「能ある鷹は…なん…だっけ?」
ソッシュの呟きと同時に、放たれた重たい一太刀がオズーの体を刻む。まるで花が咲いたように辺りを血飛沫が舞った。
「爪を隠す…です、よ」
ふ、と赤く染まった身体で倒れ込みながらオズーが微笑んだ。その右手に隠し持つ武器の先を見れば、怪しく光る液体が滴っている。血ではない。これは―
青ざめたソッシュの唇はカタカタと震えている。
―毒だ。
「ソッシュ!ソッシュ!!」
ルーンの声は、深い森の中に吸い込まれた。