インモーニングルーティン
「別れてよかった」と君は言った。その顔には偽りも、悲しみも、哀れみもなかった。きっと君は僕を慰めるために言ってくれたんだろう。僕はそんなこと一切思わなかった。君とのあの時間が他の誰かのものになるのが心からいやだった。僕だけに見せてくれた君の表情も誰かのものになって、その誰かは君のことをネットにあげたりして。別れを告げたのは僕なのに、なに言ってんだよ。僕は。
「お前が幸せならよかったよ」と僕は言った。多分その顔には偽りしかなかっただろう。君が幸せになることはとても嬉しいし、僕も幸せになる。けど、それは僕の役割だってずっと信じてきた。その役割がたったの1年でクビになったのだ。あの時幸せを感じていたのは僕だけだったのか。心に開いた穴にピッタリはまりそうなものは、当分見つかりそうにない。
部屋の掃除をした。したくはなかった。君と2人で過ごした日々に僕だけでも置いていって欲しかったから。誕生日にもらった2人の写真で埋められたアルバムも部屋の隅でホコリをかぶってる。お揃いの腕時計はきっとまだ同じ時間を刻んでいるんだろう。部屋の片付けをしていると、僕がどれだけ君でできていたかが嫌になる程分かる。明日、目が覚めたらどこか遠い場所に行こう。君がいなくても僕は歩いていけることを、誰でもない、この僕に知らしめてやるんだ。ダンボールだらけで殺風景になった部屋のセミダブルのベッドに1人で寝転んだ。1人じゃあ大きすぎるか。目を閉じて、明日、また君の朝食を作る音で起きるなんてあり得ないことを考えながら眠りに落ちた。
目覚まし時計の電池の切れそうな途切れ途切れの音で起きた。朝7時10分。時間にルーズな君のために10分はやめた時計も後で戻しておかないと。朝の情報番組のニュースキャスターの空元気な声が空っぽな薄暗い部屋に響く。君も同じものを見てたらいいな。時計の針を60度戻す。そして両手でほっぺを軽く叩いた。よし。いこう。最後の時計をダンボールに詰めて、慣れた手つきで箱をガムテープで閉じる。これで部屋の中は10個近くのダンボールと備え付けのテレビとベッドだけだ。
アパートの重い扉を思いっきり開いた。夏の強い日差しが誰もいない部屋を物色している。僕は自転車の鍵を握りしめ家を飛び出した。他の人にとったらきっとごく普通の、ちょっとだけ憂鬱になる猛暑の1日に違いない。でも、少なくとも僕にとってはその異常な暑さすらも心地よく思える、そんな朝だった。