夏の儚い思い出
「大丈夫、私はもう、一人じゃないよ。」そう言った彼女の目に、薄っすら涙が溜まっていたのを悠人は気づいていた。そしてそのことを忘れてしまわないように、その悲しい表情を自分の胸の奥に刻みつけた。絶対に忘れたくない、忘れないように今できることをしようと心に誓った。
悠人は何も言わずに彼女の小さくて、細い右手を掴む。彼女のきめの細かい白い肌は、まるで上質なシルクのように滑らかで、そして少し冷たくて、震えていた。だからずっと握っていたいと思った。彼女の儚いような体温さえも忘れないようにと、心の中で手を強く握りしめる。
「必ず、もう一度君に出会うから。その時は…」次の言葉を言いかけた途端、フラっと体勢を崩し、倒れこんだ。悠人の意識は、すでに微睡みの中に包み込まれていた。その時、何か言っていたがその声は鼓膜に届くことはなかった。
爽やかな目覚ましの音楽が鳴り出す。軽快な音だが、音量はかなり大きめ。それもそのはず、なかなか起きないことを自分自身で自覚しているからだ。
「ふぁ〜ぁぁあ」目が完全に開いていないが、鳴り出したスマホを手探りで探す。しかしなかなか見つからないので、諦めて体を起こした。
するとスマホはすぐに見つかった。ベッドの下に、この間新しくしたばかりのスマホが、暗闇を照らして、こちらに気づいてもらおうとしていたからだ。手をベッドの下に入れる。下の隙間は大体25cm位は軽くあるので、簡単に手を入れ、目的の物を掴むことができた。「よし。届いた!」ふと、手に違和感がある。何か別の物にも手が触れている感覚だった。そのまま、その物も一緒にこっちに引っ張ってみる。
ベッドの隙間から落ちたスマホは無事確保できた。「なんだこれ?」スマホと一緒に見つけたのは一冊のノート。それも少し埃が被っている、表紙の氏名欄には『風神 悠人』(かざかみ ゆうと)と丁寧とは言えない字で書かれていた。A四サイズの黄色で、白いラインが引いてある表紙。高校生三年生にでもなれば、このノートを使ったことがないという人はいないのではないと言うほどの知名度。それはそうとこれに記憶はなく、「何書いたんだっけ?覚えてないってことは、まさか…」人には秘密にしておきたいことがある、特に、学生の時期にはみんな経験がある黒歴史と呼ばれるものがあるがこれが言う類のものだろう。
「悠人は、ソッとノートを閉じた。」そうナレーション風に言ってノートを閉じ、そのまま捨てようとゴミ箱の方へ。部屋の広さは大体8畳程、全体の雰囲気はナチュラルな感じで白を基調としている、この部屋を悠人自身はかなり気に入っている。窓が正面向かいになる机のとなりに、ポツンと息を潜めている黒い長方形型のゴミ箱。
捨てようとしたその瞬間に、扉がコンコンッと叩かれた。「悠人いたぁ??部屋入るよ〜。」いつも聞いているこの声はハッキリしていて、明るさが伝わるような声。すかさず、「待った!!今ちょっと待ってくれ。」と悠人は扉の向こうにいる相手にそう伝えた。疑問いっぱいの「何してるの?」という言葉には答えない。とにかく今はこのまま入られてしまうと、悠人の黒歴史が見られてしまう可能性が高い、なので咄嗟に参考書と参考書の隙間に無理矢理ノートを詰め込んだ。「このパターンだとこれを見られたら最後、高校卒業までこのネタでいじられるな。」そう悠人は心で思った。
ガチャッ。扉は引き戸でこちら側に扉を引いた。焦りを見せると疑われかねないのでそのことに気づかれないために、平静を装いながら何事もなかった様に「こんな朝早くにどうした?彼氏の事でお悩み相談か?」と冗談混ざりに言った。「それもあるんだけど他に聞きたいことがあるの。」といって、続けて更に気になったことを聞いてくる「それより今、何してたの?」彼女の目にはいやらしいものを見るような目で見てくる。すかさず「はい?何も。それより何?気になるから言ってくれ。」相手の疑問は流して悠人は本題に入ろうとしていた。
彼女は、不満げな表情と疑いの眼差しは残したものの、話を戻し、続きを話し出した。
彼女の名前は、速水 美莎高校三年生で、悠人とは同い年、そして悠人とは同じ高校だ。幼稚園からずっと一緒で、幼馴染というやつだ。彼氏は別な高校にいるが、名前は知らない。なぜかというと、平均二ヶ月ペースで彼氏が変わっているので把握していられないからだ。幼馴染としては、素敵なやつと幸せになってほしいとは思うがそれ以上を言うつもりは今の悠人にはないので、今日も悠人はその話には触れないでおく。
「それで、彼氏のやつが…って聞いてるの?!」美莎は、彼氏を名前で言わないのはどうやら彼女なりに気を使っているのだろう。
「はいはい、それで本題の方は?」
「もう〜!話聞いてないじゃん!」唇を尖らせて拗ねた表情を浮かべる。だがすぐに話に戻る。
「聞きたいことは、悠人の友達のことなんだけどね。その、須賀くんのことで聞きたいんだ。」
須賀 光雷、悠人の友人で、スポーツ万能で成績も優秀、非がない男なので男からの人気もいい。
それでと話を続ける。「須賀くんの好みってわかる?」子供が親にオモチャをおねだりするように目を少し大きく開いてこちらの反応を伺っていた。「なんだ、そんな事かよ。」とめんどくさそうに答える。
朝ごはんはパンを一枚だけ、口にくわえてすぐに家を出る。玄関の前で悠人は「うんうううーん。」と言葉じゃない言葉を唱える。家の奥の方から母親が「いってらっしゃーい。」と反応を返してくれた。
美莎はそのまま後ろを付いてくるが、どうやらご不満らしい。通学路を歩きながら後ろの方でずっと、「さっきの質問答えてないじゃん。」ぶつぶつ何か言っていた。気にせず前を向いて歩く。
二人が通っているのは、家から約20分ほどの距離にある、白澤高校という、県ではそこそこ優秀な県立高校である。学生がアリのようにみんな同じ方向にゾロゾロと向かっている。巣に帰るように歩いている姿は単調で、よく言えば慣れ親しんでいるような感じだろうか。