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 その日の夕方ごろ。私はヒロムンに3部屋ほどの簡素な自宅の中を案内していた。

「ここのベッドを使っていいわよ。……って言っても分からないんだった」

 ヒロムンはまだぽやんとした顔をしている。

 まだ私はほぼ知らない人なのだから、家に連れて行かれても不思議なのは当たり前だろうけど。

(……っていうか、これ誘拐とかにならないよね?怪我してたし、親も見当たらなかったから仕方ないよね?大丈夫……70%ぐらい……!)

 ヒロムンの表情を見ていると急に心配になってきてしまった。いや、あれこれ考える前に、今はやるべきことが色々とある。

 私はヒロムンとテーブルを挟んで向かい合って座った。そして統計学の資料を取り出すと、その裏に両親と手を繋ぐ子どもの絵を描いた。とても上手いとは言えないのはお察しの通りである。

「あなたの親は、どこにいるかわからないの?」

 私は鉛筆で親の方を指した。ヒロムンはしばらく考えているようだったが、やがて真顔のまま首を横に振った。その目には心細さが見えたが、私の知っている、親を亡くした子の目ではなかった。もしくは、それを知らないだけか。いや、今は悪い想像はしないでおこう。

「そっか、やっぱりわからないのね……」

と言うより、自分の親がどこにいるのかも分からなければ、自分がどこにいるのかもおそらく分かっていないのだろう。とすれば、当面の目的はこの子の故郷を突き止めることになりそうだ。

 といっても、もちろん他の言語を話す地域なんて見当もつかない。だからこそ興味をそそられるのだけれど。

「一体どこから手をつければ……」

 ヒロムンの故郷について手がかりを与えてくれそうな場所や人を考えてみたけど、思い浮かぶのは調べ尽くした近所の図書館や、ミリィのような同級生ばかり……いや、一人いるではないか!確かに力になってくれそうな人物が身近に一人思い当たる。決まりだ。明日にでもヒロムンと一緒に会いに行こう。

 色々と整理がつくと、体の芯からどっ、と疲れが溢れてきた。本当に体験したことのないことばかりの1日だった。もう今日は眠ってしまおう。

「今日はもう寝よっか。私はソファでいいから、ベッドはヒロムンが……」

 ……ヒロムンはこっちをぽやんと見つめている。

「……にしし……」

 私は自分でわかるほど不敵な笑みを浮かべると、すっと立ち上がり、

「えいっ!!」

「**!?」

 ヒロムンを後ろから抱きかかえ、そしてそのままベッドに倒れこんだ。

「えへへ、2人でも余裕だね」

「*****……」

 ヒロムンは顔を赤くして向こうを向いてしまった。流石に恥ずかしかっただろうか。しかし、ベッドから出て行くようなことはなかった。私はそのまま静かに目を閉じた。なんだかいつもより温かい気がする。



 次の日の午前中、私は授業が無いのに大学の廊下を歩いていた。おまけに隣にはとても大学生とは思えない程の子どもを連れていたのだから、さぞ目立ってしまっていたことだろう。

 東洋言語学棟2階、一番東の扉の前で、私は足を止めた。コンコン、と短くノックすると、入れ、といつも通りのサバサバとした声で返事があった。

「失礼します」

 物が多いけど、綺麗に整頓された部屋だった。

「イットか、どうした。今日は授業が無いはずだろう」

 ブライユ教授は何か書きながらそこまで言って、顔を上げた。あまり表情の動かない人だが、ヒロムンの姿を見つけて眉がピクリとするのが見えた。

「……何か随分訳ありのようだな」

「ブライユ教授の力を貸して欲しいんです」

 私はミリィに話したのと同じように、昨日起こったことを話した。それにヒロムンが他言語を話すことも付け加えて。

「その話が本当なら、その子は我々にとって未知の地から来たことになるのか」

「そうです。だからこの子の故郷について何か手がかりになる物がないかと思って」

「その前に、私はまだその子の声を一度も聞いていないぞ」

 そうだった。私はポケットにあった鉛筆を取り出すと、ヒロムンに向けて喋る身振りをしたり、鉛筆を指差したりした。もはや見慣れた不思議そうな顔の後、部屋の中に高い声が響いた。

「***」

 ブライユ教授の眉がまた動いた。さっきより幾分かわかりやすい。私は続けて部屋の物を手当たり次第に指差してゆく。ヒロムンがその都度それに答える。

 しばらくそうして、私とヒロムンがブライユ教授の方に向き直ると、教授は露骨に目を丸くしていた。すぐに咳払いをしていつもの顔に戻ってしまったけど、あんな表情をしているのは見たことがなかった。

「ど、どうやら他言語を話すというのは本当のようだな」

「はい。それで、この子が話した言葉、この旧言語に似てるとかありませんか?」

「ふむ……悪いが、私の知る旧言語には無さそうだ」

「そう……ですか」

 わかってはいたが、やはりそんな簡単に解決するわけはない。これからどうすれば良いのだろう。私はしばらくの間言葉が出なかった。

「……本気でその子の故郷を探すつもりなのか?」

「は、はいっ!!私ずっと、知らない言語が今の世界にないかな、とか思ってて……もちろんヒロムンが心配なのが第一ですよ!?

でも、そういうものが存在するならもっと知りたいと思うし、ヒロムンに会って、何かが始まる感じって言うかなんて言うか、その……すごくワクワクしてるんです!!」

 ……沈黙が部屋を包む。勢いでよくわからないことを言ってしまった。呆れられているだろうか。

 と、ふふっ、と小さな笑い声が響いた。他の誰でもない、ブライユ教授だった。今日初めて見る顔は、これで2つ目だった。

「もういい、お前が本気なのは十分わかった。ふふふ……」

 そんなに面白かっただろうか。私は少し顔が熱くなるのを感じた。

「そ、それで、どうしたらいいと思いますか?何か助言とか……」

「そうだな、旧言語が日常的に使われている場所は流石に心当たりがないが、今も人々の生活に根付いている場所や、旧言語の使用が噂されている場所なら心当たりがある。私の知り合いがいる場所もあるから、訪ねてみるのはどうだ」

 なるほど。そういう所ならヒロムンの故郷の手がかりが見つかりそうだ。運が良ければ、そこがヒロムンの故郷だったということもあるかもしれない。

「ぜひ!!お願いします!!」

「そうか、本棚の地図を取ってくれ。もちろん世界地図だ」

 私が地図を机に出すと、教授はその上のバラバラの場所に3つの丸をつけた。どれも行ってみようなどと考えたこともない遠い国の中だった。

「長い旅になるぞ」

 教授は再び私の覚悟を確かめるかのようにじっと私の目を見つめた。私は3割ほど虚勢の強気な笑みを浮かべ、

「望む所です」

と静かに言って見せた。

「ふふ、まあ多少心配だが私も楽しみだよ。

お前が一体何を持って帰ってきてくれるのか」

 教授はこの街から一番近い場所にいるという知り合いに、紹介の手紙を書いてくれた。

「馬車を使って陸路で行けないこともないが、流石に時間と金がかかり過ぎるな。2ヶ月に1本の定期船に乗っていくのがいいだろうな。船のチケットがあったはずだ。お前にやろう」

「えっ!?チケットまで……いいんですか?」

「言っただろう。私も楽しませてもらうんだ。構わんさ」

「あ、ありがとうございます!!」

 正直、教授がここまで協力してくれるなんて思いもしなかった。応援してくれている人がいるとは、こんなに心強いものか。私の中の不安は、どんどん小さくなっていくようだった。

「それで、その定期船、次はいつ来るんですか?」

「少し待ってくれ」

 教授は受話器を取り、港の関係者に電話をかけた。少しして教授は受話器を置き、手を組み短く言った。

「明日だ」



「まさかあんたにこんな行動力があったとはね〜」

「うん、私が一番びっくりしてるかも」

 そう。自分でも不思議なぐらいだ。私は今港にいて、本当に連絡船に乗ろうとしているのだ。これからゴールがあるのかもわからない途方も無い旅に出ようとしているのに、私の中に不安はほとんど残っていない。

 ヒロムンも、いつものぽやんとした顔をしているけど、その目に狼狽の色は無かった。これから何が始まるのかなんとなく察しているのだろうか。

「これ、クッキー焼いたから。ヒロムンにも」

「ありがとう。わっ、こんなに!?」

 こんな会話もしばらくできなくなると思うと、少し寂しい。ミリィも同じように思ってくれているのだろうか。

「あとこれ、ブライユ教授に渡されたの。今日の朝わざわざ私の家に来たのよ」

「え?ミリィのところに?」

 渡された簡素な茶色い封筒は、そこそこの分厚さがあった。開けてみると、行き先の町の詳しい地図だった。綺麗に折りたたまれているのを広げてみると、手のひらの半分ほどの紙片がひらひらと地面に落ちた。拾い上げて見てみると、小さな字で

お前ならやれる。

とだけ書いてあった。直接は言わないのがなんとも教授らしい。

 風が段々と強くなってきた。私が向かう方から見て向かい風だ。少しばかり高くなった波の向こうに、古めかしい装飾の連絡船が見えた。

「帰ってきたら、色々話聞かせてよ」

 ミリィはそのまましゃがみこむと、ヒロムンの頭を撫で、

「あんたも頑張んなよ。自分の幸せは自分で探すものなんだから。……ってまあ言ってもわかんないか」

と言って笑った。ヒロムンは少し恥ずかしそうだった。

 ほどなく連絡船が港に着き、他の客がぽつりぽつりと乗り込んでいった。私たちがギリギリまで他愛もない会話をしていると、

「お乗りの方、いらっしゃいますかー」

と船員が叫ぶのが聞こえた。

 私は深く呼吸すると、

「それじゃ」

といつものように言った。ミリィも

「ん、それじゃ」

といつものように返した。

 私はそのままミリィに背を向け、ヒロムンの手を引きゆっくりと歩き出した。

 床板を軋ませながら船の通路を歩き、窓際の席にヒロムンと腰掛ける。外に目をやると、ミリィはまだこちらを見ていた。

 船長の大男が鐘を鳴らし、床の下からスクリューの回る音が聞こえ始めた。船が動き出すとき、ミリィはこちらに手を振り小さく口を動かした。

 何と言ったのかはわからない。でも、それは私を勇気付けてくれる言葉だと断言できる。ミリィならそうしてくれることは、私が一番知っているのだ。

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