他人の彼
例えばここに女の子がいるとする。その子には、好きな男の子がいるのだけれど、その男の子にはもうカノジョがいる。男の子には、カノジョと付き合う中でさまざまなお悩みがある。女の子は、彼の悩みを真面目に聞いて、しかもアドバイスまでする。つまり、好きな男子の恋のお手伝いをしているわけだ。そういう、宇宙大に自虐的な行為をおこなっている女の子がいるとすれば、それがわたしだ。
梅雨時のじめじめした日、曇り空、学校からの帰り道。
「メールし忘れただけで怒ることないよなあ」
隣から聞こえる柔らかい声に、わたしはうっとりする。
「そこから何で『わたしのこと好きじゃなくなったんでしょ』なんて話になるか訳分からんよ。毎日メールしろとか言うし。毎日メールすることなんかないよ。学校で会ってんのに」
「女の子はね、いつも自分のことを気にかけてくれてるっていうことを、態度で示してもらいたいんだよ」
わたしは、そう言って、隣を見た。
雲の上に隠れた太陽が、人の姿をとってそこにいた。
わたしの片想いの相手。広瀬直樹。中1。
彼は、無造作に整えた髪の後ろを手でかくようにすると、
「じゃあ、具体的にどんな内容を書けばいいわけ?」
爽やかな瞳を心底困ったような色に染めて訊いてきた。
「なんでもいいんだよ。一言でも。『今何してる?』とか、『お休み』とか」
わたしはそう言って、空を見た。
降り出しそうな雨は降り出さず、もしも降り出したりしたら、どうしようか、とわたしは思った。彼は傘を持っていない。わたしは持ってるけど。
別れ道まで、あと10分というところ。
おもむろに彼は、肩掛けタイプの学校指定カバンの中をごそごそすると、携帯電話を取り出して、歩きながらメールをし始めた。
「『お休み』っと。これでよし!」
彼は満足げな顔をすると、カバンの中に携帯を戻した。
「え? 今何したの?」
「何って、アキに教わった通り、メールしたんだよ」
「お休みメールを今送ったの? まだ6時半だよ」
「良い子はもう寝る時間だ」
「まだ寝ないから。ていうか、そのリクツで行くと、わたしたち悪い子になるから」
「今日のおつとめ終了。これで、よし」
「そういう言い方ないでしょう」
彼は、形の良い唇を尖らせるようにして、
「でも、なんかそういう感じなんだよなあ。義務。義務ですよ。カレシの義務。朝夕の送り迎えとかさあ」
言った。そのあと、
「朝はいいよ。学校行くだけだし。でも、帰りは自由に帰りたいじゃん。今日みたいに、あいつの方に用事があるときしか、好きに帰れないんだぜ。どういうの、それ?」
と続ける。
「一緒にいたいんだよ。できるだけ長く」とわたし。
「すぐキレるし。女子と話していると嫉妬するし。てか、この前男子と話してるときでさえ、『ウチと話しているときより楽しそうだった!』とかって言って怒り出すし。もうなにがなにやらですよ」
「愛されてるわけじゃん、それだけ」
「愛かあ? 所有欲じゃない?」
「それも愛のうちだよ」
わたしはそう言うと、そろそろと、
「……でも、じゃあ、わたしと歩いているところとかバレたらまずいよね」
問いかけた。そんなに嫉妬深いカノジョだったら、自分以外の女の子と帰り道を歩いている――部活帰りにバッタリ会ったのだ――カレシの姿を見聞きしたら、激怒するに違いない。
「うーん、そう言われりゃ、そうかもな」
彼は今そのことに思い至ったかのような調子で言った。
「確かに嫉妬するかも」
わたしは、それを聞いても、「じゃあ、ここで別れよう」と切り出さない自分のことがあまり好きじゃない。もともとそんな自分だったら、校門あたりで彼に声をかけられた時に、「カノジョに悪いから」と言って、一人で帰っているはずだけど。
「でも、まあ、いいよ。アキとは小4からの付き合いだからさ。いくらあいつが嫉妬しても、アキと話すのに遠慮したりしない」
「……そっか」
彼のはっきりとした声に、わたしは嬉しくて、というのも、カノジョが嫉妬しても付き合いをやめないということは、それだけ大事だと思ってくれているわけで、そう考えると、わたしのテンションは一気に高くなって、しかし、
「大事な友達だからさ」
次に放たれた言葉のハンマーに、わたしは後頭部を撃ちつけられた。
「どうした、アキ。うつむいて。なんか下に落ちてるのか?」
「……ううん、ちょっと頭が痛くて」
「大丈夫か?」
「平気」
ゆるやかな長い坂道を下って行くと、その先に国道が横たわっていて、そこがわたしと彼のお別れポイントだった。わたしは道沿いに左に折れて、彼は歩道橋を渡って、国道を横切る。
「じゃあね」
坂を下りきったところで、わたしが名残惜しさを慎重に隠して言うと、
「家まで送ってくよ」
と彼が言った。
わたしは断った。でも、
「気分良くないんだろ。心配だし。それに、いつもアキにはオレのグチ聞いてもらってるからさ」
そう言った彼はさっさとわたしの少し前を歩き出した。
わたしは彼の背を追った。
彼のカノジョに対して、悪い、と思う気持ちがあったということは付け足しておきたい。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★
小4のとき、初めてクラスメートになったときから、彼のことが好きだった。明るくて、優しくて、まっすぐで。それからずっと片思いを続けている。去年、小6のとき、もう一回同じクラスになって、そのときに「言おう、言おう」と思っていたのだけれど、結局言えなくて、中1になったらもう速攻で、どこの誰とも分からない別の小学校の子にさっさとさらわれてしまいました。マヌケすぎる。
わたしと彼の関係は、仲の良いお友達。
彼はいろいろと「お友達」にカノジョの文句的なことを言ってくるけれど、けしてカノジョのことが嫌いなわけじゃないのも分かるわけで、聞くたび正直へこむけど、今カノジョとの仲がどんな感じなのかを知りたくて、それに困っていることがあるなら助けてあげたくて、といってもわたしは男の子と付き合ったりしたことがないので、わたしの答えがカノジョの答えの代わりとして適切かどうか本当のところは分からないのだけれど、とりあえずベストを尽くしたいわけで。
「そういう風にベストを尽くしております!」
わたしは曇り空の下で男らしく宣言した。いや、凛々しくと言うべきかな。だって、女の子だもん!
「うぜえんだよ、このドM女!」
友達のリンカがわたしに指をつきつけながら言った。
わたしたちがいるのは学校の中庭。今はお昼休み、給食が終わったあとのリラックスタイム。わたしは、お腹が満足したので、今度は心を満足させようと、友達をガールズトークに誘い出したのだった。
「なんだよー、ドMって」
座っていたベンチの上で、ムッとしたわたしが、変な属性をつけないでよ、と抗議の声を上げると、
「ドMでしょ。自分で自分をいじめて喜んでるんでしょ……ん、待てよ、じゃあ、Sか?」
リンカが首をひねる。
わたしはその首を両手でもとに戻してやりながら、
「仕方ないじゃんか。友だちなんだから」
言った。言って悲しくなってしまった。
リンカは、ふーん、と流したあと、
「そのカノジョから奪えばいいんじゃね。略奪愛」
簡単なことのように言う。
「できるか、そんなこと。フェアじゃないもん」
「フェア?」
「そう……彼女は正々堂々告白して、付き合えるようになったんだよ。それに比べて、わたしは気持ちも言わないで、いつかもしかしたらあっちから告白してくれるんじゃないか的なことを考えててさ。だから、いまさら好きだなんてこと、言えるわけないし」
「じゃあ、それ、いつまで続けるの?」
「え?」
「その片想い」
「いつまでって……いつまでだろう」
片想い歴が長すぎて、片想いしている状態の方が普通になってしまって、そう訊かれると答えられないわたしがいた。
「そのカノジョと別れたら告白するの?」
「え、別れる?」
「そりゃ、別れるでしょ。いつかは。いつまでも付き合い続けるわけないもん」
「そうなの?」
「じゃなかったらなに? このまま付き合い続けて結婚するわけ?」
「それは……ファンタジーだけど」
「でしょ」
「でも、あいつがカノジョと別れようとするところ、あんまり想像ができないんだけど」
「そっちはそうでも、カノジョの方から別れたいって言うかもしれないじゃん」
「それはダメでしょ!」
「え、なんで?」
「だって、あっちから付き合ってって言ったわけだからさ、それっておかしいでしょ」
「おかしくはないってば。飽きたら別れる。普通のことじゃん」
「リンカはドライすぎるよ」
リンカには遠距離恋愛中のカレシがいて、それなのにそういう発言ができることがもうわたしにはびっくりだった。それとも、わたしの方がおかしいのかな。
「まあ、とにかく、別れたとしたら、その時告白するの?」
「……分かんないよ」
「全く、このチキン女! ここには何があるの?」
そう言って、リンカはわたしの左胸をぐっと指でついてきた。
「……巨乳?」とわたし。
頭をはたかれた。
「いたいなあ、何すんのよ」
「勇気でしょ。勇気。勇気を振り絞るの。そうして、玉砕しなさい」
「なんで、玉砕すんの!」
「それが、次の恋の土台になるのよ」
めちゃくちゃなリクツにわたしがリンカのほっぺたをつねると、彼女もわたしのほっぺたをつねってきた。そうして、友情を温めていると、わたしの視界に、まさに今話題の彼の姿が映る。
「あ、いたいた。アキ」
彼が手を振って来るのに答えて、わたしは友人の頬から手を離し、わたしの頬から友人の手を払い、「はい!」と立ち上がった。
彼は近づいてくると、リンカに挨拶した。リンカは、空気を読んでその場を離れた。
「ちょっとさ、頼みたいことがあるんだけど」
彼が言う。
「なに?」
「今週の日曜日、ひま?」
わたしの心臓が大きくどくんと鼓動を打った。
休みの日の予定を訊くということはもしかして、もしかすると、もしかするのではないか。でも、それはダメ。いくら仲良い友だちでも、それはダメに決まっている。「忙しい」って答えろ、わたし!
「ひまだよ」
「じゃあ、付き合ってくれないかな?」
彼が言う。
どこに何をしに行くのかということも聞かないうちから、わたしはうなずいて、自分の意志がいかに弱いものかということを知る。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★
約束の日曜日、わたしは駅前広場で彼を待っていた。
午前10時。
空はいわゆる五月晴れというヤツで、この頃グズグズとたまっている雲を思い切りぶっ飛ばした青さを見せていた。
わたしは、ちょっと前にアウトレットのお店で一目ぼれしたワンピースを身につけて、人を待つ幸せにくらくらしていた。待つ人がいるっていうのはいいことだ。それはわたしのところに来てくれる人がいるっていうことで、たまらなく嬉しい。たとえ、それがわたしに会うことそれ自体を目的としているわけではなくても。
「わり、ちょっと遅れた」
約束の時間から5分遅れて、彼はやってきた。
久しぶりに見る私服姿――小学校卒業した後にやったクラスのお別れ会以来3カ月ぶり――に、わたしの胸はどきどきと鳴る。わたしの為に着てきてくれた服だと思うと、もうダメです、はい。
「わたしも今、来たとこだよ」
本当は30分前から待っていたのだけれど、それを隠して言うと、彼は感心したような吐息をもらして、
「優しいなー、アキは」
言う。
「え?」
いきなりの褒め言葉に、わたしは驚いて、驚きつつも首元が熱くなるのを感じた。でも、
「マドカなんてさ、初デートのときに今みたいにちょっと遅れただけで、『時間にルーズなのはダメ』とか言って、ダメ出ししてきたんだぜ」
続けられた言葉を聞いて、わたしの首元はすぐに冷えた。マドカというのは、言わずもがなの、彼のカノジョの名前。
そのカノジョへのプレゼント選びを手伝って欲しいというのが、彼の「頼みたいこと」だった。とうとう相談を受けるだけではなく、カノジョへのプレゼント選びを手伝うということまでするようになってしまったわたしは、その自虐ぶりに、いくら彼に会いたいからだと言い訳しても、さすがに言い訳しきれないだろうことを認め、自分で自分にげんなりした。そのげんなりを隠して、
「初デートから遅れて来るってどういうの? 完全にナオキが悪いでしょ、それ。怒られてとーぜんだよ」
言うと、彼は歩き出しながら、
「ちぇ、アキはあっちの味方か。どっかにオレの味方してくれる可愛い女の子いないかな」
答えた。
「カノジョの他にそんな子を探してるの? 浮気者ー」
わたしが彼の隣につくと、彼は今気がついたかのように、
「その服いいじゃん。似合ってる」
言って来たので、わたしはまた首筋に熱を覚えて、
「そういうこと、サラっと言えるやつだったんだね、ナオキは」
「んー? マドカに女の子は必ず褒めろって言われてるからさあ。それでかな」
また、すぐに冷めた。
「……それは、『わたしを褒めろ』ってことで、他の女の子を褒めちゃいけないと思う」
「そうなの?」
「そうでしょ、普通」
「そーか、そーか」
「鈍感」
「わりわり」
彼は屈託なく笑いながら言った。そのあと、うーんと歩きながら伸びをして、
「付き合って3カ月記念のプレゼントってさあ。なにその記念日。記念日作りすぎだろ。そのうち、記念日だらけになって、普通の日がなくなっちゃうよ」
言った。
「そんなに記念日、作ってるの?」
「女ってそういうの好きな」
「それは人によると思うけど……でも、毎日が特別な日だって言うこともできるよね。同じ日は二度と無いんだから」
「おー。アキ、今いいこと言った」
「そうでしょ。敬いなさい」
「その調子で、アキ姉さんにいいプレゼントを選んでもらおう。お願いします」
手を合わせて拝むようにするナオキに、わたしは一つ釘を刺す。
「ただ、カノジョさんの立場からすれば、どうかなあ。カレシが他の女の子と一緒に選んだ物ってちょっと微妙かも」
ナオキは、「そうかあ?」と首を傾げてから、
「て言ったって、だからって変な物選んだら、絶対ダメ出しするんだって。そういうヤツなんだよ。だから、アキに聞くしかないわけ」
言う。
「うーん……」
わたしは、いいのかなあ、と思ったけど、彼と一緒に買い物に行ける誘惑には勝てず。そんなわたしに、
「じゃあ、どこ行く。アキ?」
ナオキが笑顔で言う。
その笑顔がわたしだけに向けられていたものだったらなあ、なんてことを思って心の中でため息をつきながら、わたしは、小物屋さん巡りツアーをスタートさせた。
色々お店を回って、「アキ、もうやめようぜ、マジで」と彼が真剣な顔で言うまで、わたしはウインドウショッピングに熱を入れてしまった。見ているうちに変なスイッチが入ってしまって、
「絶対に最高のプレゼントにしてやるゼ!」
となんだか自分のカノジョに贈ろうとでもしているかのようなノリになってしまった。
そうして、お昼をちょっと過ぎたあたりで、一つのアクセサリーに決めた。
かわいい花――店員さんに聞いたところによると、ブルメリアというらしい――をあしらったペンダントだ。かわいいだけあって、お値段もそれなりに張って、
「オレの小づかいがあああ」
ナオキはがっくりと肩を落としたけれど、
「だからこそ価値があるんだよ」
とわたしは言ってやった。
とにかくミッション・コンプリート。
雑貨屋さんから出て、街の歩行者天国にいたわたしたちは、「メシおごるよ」というナオキの言葉で、ファーストフード店に入った。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★
ハンバーガーにかぶりついて、わたしは満足していた。
ハンバーガー大好き! っていうんじゃなくて、彼のカノジョへのプレゼント選びをうまくこなしたこと。我ながら、グッジョブ。
よくよく考えるまでもなく、その「いい仕事」のせいで彼の恋がいっそう花開くことになってしまうかもしれないわけだけれど、それはそれで仕方ない。だからと言って手を抜くことはできなかったわけだから。
「ホントに助かったよ。ありがとう、アキ」
対面に座った彼が言う。
「どういたしまして」
答えながら、わたしは心の中でため息。
それは、好きな人の恋の手助けをするという残念な行動についてのものじゃなくて、ハンバーガーを食べ終えたらもう彼と別れなくてはいけないということについてのものだ。わたしは、食べる速度をゆっくりにした。空腹に任せてパクパクするわけにはいかない。
食べながらする彼との会話は楽しかった。
クラスのこととか部活のこととか通っている塾のこととか友達のこととか、小学校時代の思い出まで飛び出してきて話は尽きず、結局、綺麗に食べ終えてからも話を続けて、随分長い時間いた。気がつくと、2時半になっていて、2時間くらいいたようだった。
「そろそろ出ようぜ」
彼が言う。
わたしは、うん、と言うのに、少しためらうようにしてしまった。これで別れないといけないんだと思うと、お祭りの後みたいな切ない気持ちになる。そこへ、
「アキ、まだ時間いい?」
彼の問いに、わたしは首を傾げた。「いいけど……」
「じゃあ、どっか遊びにいくか」
「ええっ!」
わたしはびっくりした。あまりにびっくりしすぎて、大きな声を出してしまって、まわりの人が、「なんだ、なんだ」というようにわたしたちの席を見るのが分かった。
「声、でけえよ」
彼が苦笑いしながら言う。
「ご、ごめん」
「今日付き合ってくれたお礼するからさ。どっか行かね?」
それはもしかしてデートのお誘いではないでしょーかと思った途端に、わたしの思考は停止した。
どのくらい思考回路がショートしていたのか、
「おーい、アキちゃん」
という声に気がつくと、彼がわたしの意識を取り戻そうとするかのように手を振っているのが見えた。
「オレおごるからさ、どこ行く? カラオケ、ボーリング、ゲーセン?」
わたしは慌てて手を振った。
「い、いいよ。プレゼントでお金使ったんでしょ」
「アキには使ってないよ」
その言葉に、ずきゅーんと胸を撃ち抜かれたわたしは、倒れそうになったけれど、何とか持ちこたえた。そんな自分を自分で褒めてあげたい。撃ち抜かれてしまっただけで、リンカあたりには思い切りけなされると思うけど。
「ダメだよ」
「ダメ?」
「その……誤解されるかもしれないし」
彼女へのプレゼントを選んでいるときだったら、誰かに見られて誤解されても、言い訳ができたけれど、もしも二人で遊んでいるところを見られたら言い訳ができない。
「そこまで考えないといけないのかよ?」
「……鈍感」
「そうかあ」
彼は本気で悩んでいるような顔をしている。
ホントに鈍感。でも、そうでなかったら、わたしの気持ちも読み取られちゃってたかもしれないから、それでいいのかな。ん? ていうか、読み取られた方が良かったのかな。
「付き合ってるからって、アキと普通にできないんだったら、つまんねーな」
「二人で遊ぶに行くのは普通じゃないと思う」
「そーなの?」
「そーでしょ」
彼は、「うーむ」と変なうなり方をしてから、
「……いっそ、アレだね。アキと付き合えば良かったな」
とんでもないことを言い出した。
もちろん、それは冗談だ。冗談に決まっている。
その「決まっている」というところに、ううん、決まっていなきゃいけないっていうところに、わたしは無性に泣きたい気持ちになって、
「トイレ行ってくるね」
彼に断ると、化粧室の鏡の中に、自分の泣き顔を見に行った。
こんなことになる前に、何で告白しなかったんだろう……。
わたしはファーストフード店のトイレ内というロマンチックのかけらもないところで一人涙を流した。
どうにかこうにか笑顔を作って彼の元へと帰ると、彼が数人の男子と話しているのを見た。
わたしがそろそろと席に近づくと、男子たちはわたしを見てから、わたしと入れ替わるようにして立ち去って行った。
「よし、じゃあ、遊びに行こうぜ、アキ」
彼が立ちながら言う。
「だからダメだよ。噂になるかもしれないし」
「もうなるよ」
「え?」
「今のやつら、すげえおしゃべりだから、絶対マドカの耳に入る」
まるでそれが望ましいことみたいに言う彼に、わたしは、
「……逆の立場のこと考えてみなよ」
言った。
「ん?」
「マドカちゃんがさ、他の男子と遊びに行ってたらどう思う。たとえ、何か理由があったとしてもさ」
彼は、うーんと考えると、「嫌かも」とぼそりと答えた。
「でしょ」
わたしはなぜかホッとしたような気持ちになって、その日はそれで別れた。
その翌日のこと。
学校のお昼休み、またリンカとおしゃべりしようと思って教室を出て、中庭へ行ったところで、
「佐久間さん……ですか?」
か細い声を聞いた。
声の方向を見たわたしの目に、彼のカノジョの姿が映っていた。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★
藤川さんとは初対面だった。見たことはあるけど、話したことはない。
一体何の用だろうと考えるまでもなく昨日の件に決まっていた。
わたしはごくりと唾を飲んで、藤川さんの言葉を待った。
ナオキは色々と性格がキツイというようなことを言っていたけれど、見た感じではとてもそんな風には見えない。小柄で線も細くて、お人形みたいな感じ。
「これ、ありがとうございました」
藤川さんがそのほっそりとした手に持って挙げたのは、昨日彼と一緒に選んだアクセサリーだった。もちろん、学校には持ってきてはいけないブツ。
「すごく可愛くて、気に入りました」
藤川さんは嬉しそうな顔で言った。それが言いたくて持って来たのだとしたら、どんだけ器が大きな子なんだろうか、とわたしは思った。カレシと一緒にいた女にお礼を言えるなんて。もしもそれだけで終わっていたら、わたしは完敗だと思ったことだろう。しかし、
「でも、もう二度とこういうことをしないでください」
続けられた冷えた声に、続きがあることを知った。そりゃそうだ。
藤川さんは、キッと目を鋭くして、
「ナオキはわたしのカレシです」
はっきりと断言した。
近くを通行する生徒がいる中で言われたその声に、わたしは、はい、とうなずくしかなかった。
それで言いたいことは終わったのか、立ち去る藤川さんの背を見ながら、わたしは、長いため息をついた。それから、ピシッとほっぺたを両手で叩いて気合を入れたところ、それをリンカに見られて、
「なにやってんの、大丈夫?」
心配そうな顔で見られた。
「うん、わたし決めた」
「なにをさ?」
「ナオキと話さないようにする」
「……はあ?」
「決めたの」
藤川さんのセイジツさに比べて、わたしは自分が何てズルくてグズグズしててしょうもない子なんだろう、と思ったのだ。
「バカだね、アキは」
リンカの呆れ顔。
「そうかもしれないけど、決めたからさ」
それから、わたしは彼と話さないようになった。会えば、あいさつくらいはするけれど、一緒に帰ったり、まして休日に出かけることなんてなくなった。はっきり言って、かなり辛くてキツイことだったけど、それがキツイっていうそのことが、わたしがしていることの正しさを証明しているように思えた。
「なんか、オレのこと避けてない?」
1カ月くらい続けていたら、彼がわざわざそんなことを訊きに、昼休みに例の中庭にやって来た。そのときは、リンカを待っているときで、わたし一人だった。
「そんなことないよ。気のせいだよ」
わたしは言った。
「いや違うね。絶対避けてる」
さすがに1カ月まともに話さなければ、そういう確信を抱くようになっても仕方ないかもしれない。
わたしは、「委員会があるんだった」と言って、その場を離れようとした。
彼はわたしの手を取った。
「なにするの? 離して」
「いやだね。なんで避けてるのか言わないと、離さない」
「分かった」
わたしは彼に向き直った。「好きなの」
「……ん?」
「小4のときから、ナオキのことずっと好きだった。だから、避けてるんだよ」
そんな言葉がするすると出てきたのが、どうしてだったのかわたしには分からない。多分、彼と話せないストレスから、つい口走ってしまったのかもしれなかった。自分の口から出たはずの言葉が、まるで誰か別の人の言った言葉みたいに聞こえた。
わたしは、その場を立ち去ろうとした。
彼の手がそれを許さない。
「……離して」
「アキ」
「……なに?」
「オレの気持ちは聞かないのか?」
彼が真剣な目をして言う。
わたしは首を横に振った。「聞かない」
「どうしてだよ?」
「……わたしのこと友達としてしか見てないってそういう答えだったら聞いても仕方ないし、だからって、逆にわたしのこと女の子として見てるってそういう答えも聞きたくないから」
本心だった。わたしが好きな彼は、付き合っている人がいるのに、別の女の子に心揺れるような人じゃない。そういう人だと思うから好きなわけだから。そうじゃなかったら好きじゃなくなると思う。
「……分かった」
彼の手が離れる。
「藤川さんのところに行って」
わたしの言葉に、彼は素直に歩き出した。
その背を見送るわたしはぼうっとした気持ちだった。
入れ違いになるようにリンカが来る。
わたしはリンカに抱きついて、その肩を借りて泣いた。
「どうしたの、アキ?」
リンカは驚いたような声を出したけど、わたしは何も答えられなくて、そのうち背をよしよしとさすられているのに気がついた。
「もうやだ、リンカ。もうやだよ」
わたしは3年分泣いた。正確に言えば、3年と3カ月分。
何が起こったのか想像できたのか、リンカは、「大丈夫、大丈夫」と言って、ただ背をさすってくれていた。でも、あまりに、大丈夫だから、と言われ続けたので、
「全然、大丈夫じゃないよ!」
わたしが怒ったように言うと、
「うるさい!」
と注意された。
その声にわたしの目からいっそう涙があふれて、
「またバカなことしちゃったよお」
と言うと、
「仕方ないよ、アキだから」
リンカが答える。
確かに仕方がなかったのかもしれないと、わたしは納得した。
ナオキにつかまれた手首の部分が、熱を持ったようにあつい。
「アキにはちゃんと未来があるよ、未来に生きな。いろんなチャンスがあるんだからさ」
未来……。
今起きたことで精一杯のわたしは、未来のことなんか考えられるわけもなく、でも、リンカもそれが分かっているのか、それ以上、前向きな言葉をかけたりはしなかった。わたしは、しばらくの間、友達の肩を借りていた。
(おしまい)