クソゲーに迷い込んだ天使
そのキャラクターの挙動は、不審と言わざるを得なかった。
右を向き左を向き、直進したのち回転してジャンプ。そんな動きを十分くらいやっているのを、俺は遠目に観察していた。
キャラクターネーム『アリス・ネージュ』。初期マップの都市広場、ここはチュートリアルクエストを受注した新規プレイヤーが現れるスポットだ。そして名前の隣の葉っぱのマークと初期装備を見るに、始めたばかりの新規プレイヤーであることが見て取れる。いやこれがどっかのクソ廃人のサブキャラだという可能性も捨てがたい。俺がコイツをわざわざ十分も観察していたのは、そういう理由からだった。
>ミルク・ルーネイト「ガチ初心者に1M賭けるわ」
>トキ・セブンノーススター「急にどうしたの」
>エインズ・ワース「新規とか都市伝説でしょ」
ユニオンチャットに書き込むなり返ってきた反応を窺い、俺は唸りを覚える。
『冒険者たち11』。国民的RPGシリーズの十一作目がオンライン、それもVRMMORPGとして発売されたのは、およそ一年前のことになる。俺達は数々の争いを乗り越えここにいるわけだが、今更新規が増える要素などどこにあるのだろうかと、その答えを見いだせないのだ。
VRMMORPGも最早目新しいものではなくなっている。オープン一年というわずかな期間で飽きられ捨てられてしまったこのゲームもMMORPG法則の多分に漏れず、他の量産型MMOの波に飲まれてしまっている。アップデートは頑張っているし、ナンバリングタイトルとしてのネームバリューもある。しかし、それだけである。
>オフトン・ザブトン「ミルクさん、気になるのなら声かけてみては?」
おっと、キラーパス。
>ミルク・ルーネイト「おkまかせろ」
>トキ・セブンノーススター「えっ」
>ガレット・コア「まじでやんすか」
俺はアリスとやらに近づき、ちらりとしゃがみ込む。アリスの選んだ種族は等身の低いポポタンというものであり、しゃがみこまないとパンツが覗けないのだ。
「!?」
アリスは驚愕の表情を浮かべたかと思うと、即座に俺の目の前の楽園を隠す。スカートを両手で抑える彼女の恥じらいはなんとも嗜虐心を誘った。
>ミルク・ルーネイト「こやつ……やりおる!」
>ミルク・ルーネイト「俺がパンツ覗き始めてから隠すまでのタイムが二秒くらい」
>エインズ・ワース「にほんごでおk」
>ガレット・コア「なんでそんな挨拶代わりにセクハラみたいなノリが標準なの」
>トキ・セブンノーススター「なんでこんな堂々とセクハラできるんですかねぇ……」
>ガレット・コア「女性陣が居ないときのミルクさんのはっちゃけ具合は絶対異常」
「あの……?」
ユニオンチャットに書き込んでいると、アリスがさも胡散臭いものを見るように問いかけてきた。
「やあ、初心者かな? いや、なんだか動きが怪しかったから」
「あやっ!? えと、はい、今日からはじめました。アリスといいます。VRのゲームって初めてで……動きを色々試してたんです」
「なるほどねぇ。あ、はじめまして。私はミルク。大丈夫、不審者ではないよ」
「えっ、あの……はい」
「チョット前から見てたんだ。なんだか困ってるのかな、って。それで声かけたんだ」
>トキ・セブンノーススター「『チョット前から見てたんだ』」
>トキ・セブンノーススター「十分くらい見てましたよね」
>ミルク・ルーネイト「^^」
>ガレット・コア「ミルクさん絶好調すぎる」
どうやらユニオンメンバーのひとりが近くにいるようだ。
となれば呼ぶしかあるまい。
>ミルク・ルーネイト「トキてめーも来いよ」
>トキ・セブンノーススター「えっ」
>ミルク・ルーネイト「ガチ初心者だったんだから1Mよこせよな」
>トキ・セブンノーススター「無茶すぎませんか」
>ミルク・ルーネイト「無茶を通せば道理になるんだよ」
>エインズ・ワース「なんか微妙に言い回しが違う気がする」
「うちのメンバーが突然ごめんね。あ、僕はトキ。よろしくね」
トキが広場を囲む植え込みの茂みからのっそりと現れた。これにはアリスのみならず、俺もビクっと驚きを隠せない。
え。コイツ、ずっと隠れてたのか? そこに?
>ミルク・ルーネイト「てめーが一番不審じゃねーか!」
こればっかりは、言わざるを得ない。
トキというやつはユニオン内では一番常識人ぶっている癖に、こういうところで才能を発揮する。
「メンバー……?」
「あぁ、ユニオンって言ってね……他のゲームだと、ギルドとかチームとかクランとか、まあそういうやつ」
「はぁ……」
俺は悩んでいた。あまりに暇を持て余していたからと言って、一体何をやっているんだろうかと。
いやネトゲってのはつまるところ混沌の坩堝であるとも言える。発売一年にも関わらず末期ゲーの匂いをさせているこのゲームにおいて、俺の行動は別段おかしなものでもないはずだ。そう信じる他無い。
「まあはっきり言っちゃうと、暇なんだよね、僕ら。それで初心者さんってのが珍しくて」
「あぁ、なるほど、そうなんですね」
トキの野郎は口が上手い。俺が適当なことを考えている間に、トークを膨らませていたようだった。
トキの種族はイーヴという、ファンタジー界隈ではエルフ的なポジションにあたる種族だ。
だったらエルフでいいじゃねーかとも思うが、このゲームは人間ですらヒューマンという呼称ではない。キャラメイクのときのデフォルトだとゴリラそのものだから、それには納得している。
ともかく、イーヴは顔がいい。顔のいい男が爽やかに声をかけてきたら、大抵の女はコロっといくのだろう。
もっとも、トキのやつは名前の通り元ネタがトキなので、青年よりは壮年寄りの風貌になっている。口調は下っ端そのものだから、なんともアンバランスだ。
「そうだ、フレンド登録しようよ」
「あ、はい! えっと……どうやるんですか?」
などと逡巡していると、フレ登録までこぎつけていた。さすがトキ、手口が巧妙である。
巧妙すぎてイラっとするレベルだ。
「メニューを開いて、ブラックリストって項目があるから、そこにトキって名前をぶっこめばいいよ」
「ちょっ!」
「!?」
「あぁ間違えた、フレンドリストってとこだった」
「……はい、ありました」
「っと、きたきた。承諾っと。困ったことがあったらなんでもいってよ」
「ありがとうございます! あの……ミルクさんも、いいですか?」
「ああごめん、私、基本的にフレンド登録拒否してるんだ」
「えっ」
「このゲームのフレンドって、別名ストーキングリストっていってね……」
「新規さんにそういう嘘吹き込むのやめなさいって!」
あながち嘘でもない。
ネトゲのフレンドリストは、なんとなく開いて行動監視が主な用途である。
誰それがどこに行ってるとか、誰と一緒だとか、そういったプライベートデータをあっさりと想像出来てしまうのだ。ウィスパー機能はフレンド相手ではなくても、名前さえ知っていれば利用できるのだから、それで十分だというのが俺の主張である。
「あの……」
「ま、まあそういうことで……そろそろ僕ら行くね。また今度あそぼ」
「は、はい! ありがとうございました!」
「いえいえ。じゃあね~」
俺はトキに引きずられるようにしてアリスから離れていった。
「おい、離せよ。友達に噂されたら困るだろ」
「あんた友達いないでしょうが」
「失礼なやつだな。俺にだって友達くらいいるよ。ボールとかな」
ネトゲにおいて他のプレイヤーは競争相手である。友達にはなりえないのだ。
「それにしても、今時新規ねぇ」
「さっきのは何キャラだったの?」
「頼れるお姉さん的なの」
「全然見えなかったわ」
「ぶっころ」
俺の操作するミルクというキャラは、キャラメイクに三日かけた美少女キャラである。
VRでは声も加工できるから、所作に気をつければネカマも可能なのだ。わざわざおっさんキャラをクリエイトする理由も価値も、毛ほども存在しない。
「あの子、続くかなぁ」
「興味ねーな」
俺は言い捨てた。
「新規構う暇があったら生産するわ」
「どの口でそれ言うの」
「上の口だよ。はー、久々のネカマモードで無駄に疲れたわ。とりあえず……」
>ミルク・ルーネイト「おれたちゃナイトウォーカーず。本日も異常なし!」
>トキ・セブンノーススター「ええぇ……」