二人の明暗(2024年編集)
~ 八月十八日、長野県松本市、上高地 ~
神の降りたつ地、神降地と称される、日本屈指の山岳景勝地に、北原朋和と佐野徳行は、約五時間掛け、現地入りしている。
「おい、やけに、警察官が多いぞ。事件でもあったのか?」
「知りませんよ」
通年通り、上高地や霧ヶ峰は、観光客が多く、高原の土産屋には、人で賑わっているが、警察官の姿が目立つ。観光客に職務質問をする者、無線連絡をする者、誰かを待っている者、様々である。東京駅から長野駅間には、警察官の姿は無かった。長野駅東口から、上高地行きのバスに乗り換え、大正池バス停を下りた途端、異様な景色が、視界に入ってきたのだ。
(事件だとしても、観光客は避難したり、野次馬している訳でもない。妙な感じだ)
賭博が全ての北原朋和と、几帳面な性格の佐野徳行は、二人で行動をする様、あすなろ物産の芝山から、前日に連絡が入り、嫌々、一緒に来たのであった。『断れば、即失格』と言われ、受けざるを得ない。二人とも、互いに、顔を合わせた時、『馬が合わない』と、肌で感じ取ると、移動の車内では、離れて座った。佐野は、思った事を、腹にしまうタイプであるが、北原はそうではない。到着早々に、不満を口にする。
「なんで、俺が、お前と一緒なんだ?協力して、レポートを仕上げろって事なのか?肝心の説明をしない、行動制限はする。…どうも、うさん臭いなあ」
「それは、こちらも同じですよ。とにかく、早いとこ、秘境中の秘境を、探しましょうよ。きっと僕らは、『組』で、企画の審査を受けるんですよ」
(………)
「と言う事は、放映権も、共同の受賞か。…まあ、選ばれたら、悩めば良いか」
「そうですね、まずは、情報収集しましょう。あそこの店は、大きそうですよ」
高台から、一通り、入る店舗を探していると、巨大な広告看板が、視界に飛び込んでくる。
(何だ、あの巨大広告は?…ん?)
『秘境ツアー、あすなろ物産参加者は、命が危ない。直ぐに警察に相談を。警視庁より』
(------!)
(------!)
二人とも、思わず、目を疑った。
「…おい、あすなろ物産って、書いてあるぞ」
「…命が危ない?…警視庁って、何ですか?芝山さんに、電話しましょう」
佐野は、芝山に連絡を試みるが、電源を切っている。メールで、写真を送っても、返信が来ない。
「…繋がらない。北原さん、看板の事は、事実なんでしょうか?」
(………)
動揺する佐野に反して、北原は、冷静だ。
(……警視庁が、ツアーの事を知っている。しかも、危ないと言っている。どうする?罠か?…まずは、慌てず、行動するのが先決だ)
「佐野、まあ、落ち着け。まずは、情報収集と、冷静な判断。それからだ」
「わっ、分かりました」
「良いか、状況が分かるまで、警察官と話すな。目も合わすんじゃ無いぞ」
「はい」
(……良し)
二人は、とりあえず、土産屋に向かい、事情を尋ねてみる。
「すみません。あの看板は、目立ちますね、何かあったんですか?心無しか、警察官も多いし」
店員は、首を傾げながら、事情を話してくれた。
「二週間前くらいですかね。警察署の方が来店して、何でも、『一連の事件で、被害を未然に防ぐ為に、設置したい』と、お願いされまして。私たちも、良く分かりません、反対したんですがね。事件なら、他所でやってくれって、言いたいですよ、全く。観光協会も、『景観が損なわれます』って、抵抗したんですがね、『利益追求よりも、人命優先だ』だと、有無を言わさぬ、圧力が掛かりましてね。…おっと、聞かれたら、マズい」
警察官を見かけた店員が、慌てて口を塞ぐ。
「…そうですか、事件ですか」
事情を知った佐野は、顔面蒼白となり、北原に泣きついた。
「北原さん、何か、ヤバくないですか?僕たち、あすなろ物産に騙されてるんじゃ?」
(騙されてるんじゃ、ない。十中八九、そうなのだろう。警察が動くのは、余程の事だからな)
北原は、確かに、きな臭さを感じていた。
「…辞めるか、この企画。…警視庁が、あんな看板出してるって事は、既に、被害が出てるんだ。…この分だと、死者がいるかもしれないな。秘境だから、危険なところを調べて、滑落したとか。十分、ありえる話だ」
「…そうですね。そうでなければ、これだけの人数の、警察官はいない。僕たちも、警察なんかに、事情を聞かれたく無いです。とりあえず、今日のところは、宿だけを確保して、撤退しましょう。芝山さんとは、連絡が取れたら、辞退すると、告げれば良い」
「ああ、その方が賢明だ。一度、この地を離れよう」
観光であれば、雄大な景観に、心が躍るところだが、それどころではない。自分たちの身を案じ、早々に、退散する事にした。
~ 同日、二十時。松本市内の温泉ホテル ~
早めの夕食を済ませた二人は、時間を持て余し、ラウンジで酒を飲んでいると、あすなろ物産の芝山が、駆け付けた。
「お待たせして、すみません。いやあ、参りました。事実確認に、手間取りました」
開口一番、芝山が謝罪すると、二人は、まずは、黙って話を聞こうと、グラスを置いた。
~ 八時間前 ~
二人が、上高地を後にし、宿を予約したところで、芝山から、折り返しの連絡が入った。事情を話すと、芝山は、大笑いしながら、話を受け流す。
「あはは。デマですよ、デマ。実は、『あすなろ物産』は、『あすなろ』という、ロゴが付くだけあって、同業他社が、沢山あるんです。なので、うちとは全然、別ものなんです」
「そうなんですか。あっ、でも、秘境ツアーの事を書いてあったし、写真見てくれましたか?」
「ええ、勿論、確認させて頂きました。でも、おかしいと思いませんか?長野県に、何故、警視庁が出張るんです?長野県警察本部なら、分かりますがね」
「そう言われてみれば、そうですね。でも……」
「いやあ、今朝もですね、同じ問い合わせが、四件もありまして。その対応で、返信が遅れてしまいました。さぞ、心細かったでしょう、本当に申し訳ありません。丁度、私も、長野県に来ていますから、社として、お詫びも兼ねて、大サービスさせて頂きますよ。二十時頃には、合流出来ると思いますので、お二人が宿泊される、宿を教えて頂けますか?どうか、期待しちゃってください」
(大サービス?)
「ちょっと待ってください、隣に北原さんがいるので、聞いてみます」
「ええ、幾らでも、お待ちします」
「北原さん、どうします?スピーカーオンにしていたから、会話は聞こえてますよね?」
(正直、きな臭さは、消えない。長年の勘だが、どうも、怪しい。…怪しいが、あの快楽が、また味わえる。…まあ、油断しなければ、大丈夫だろう)
北原は、晩餐会の後に味わった、至福の酒池肉林を思い出していた。北原が頷くと、佐野も、即答で、宿泊先を教えたのだった。
~ 現在、松本市内の温泉ホテル ~
「…という訳なんです。誤解もいいところです。でも、良い事もありました」
「良い事ですか?」
「ええ、お二人が、警察に申し出ていたら、秘境探索に、有らぬ疑いが掛かり、企画倒れになったかもしれません。そうなったら、あすなろ物産は、放映権を放棄する事になり、会社自体が傾きます。だからこれは、企画存続に、貢献頂いたお礼です。それと、評価についても、差をつけると、お約束いたします」
(------!)
(------!)
芝山は、唐獅子色の風呂敷を広げる。
(金だ!帯付きだから、百万円か。えーと、一、二……)
「一人、二百万円ずつ、お受け取りください」
(------!)
(------!)
二人は、興奮しながら、金を掴んだ。顔からは、笑みがこぼれる。
「いやあ、そうなんじゃないかと思ったよ。なあ、佐野?」
「ええ、それはもう、納得しました。芝山さんが、僕たちを裏切る訳ないもの。明日から、仕切り直して、頑張りますよ」
芝山も、笑顔で、二人と固い握手を交わす。
「その意気です。お二人なら、必ず良いレポートが書けます。私も強く、上層部に、お二人を推薦しておきますよ。探索中、警察官が邪魔ですが、知らぬ存ぜぬで、頑張ってください。期待していますよ」
佐野は、上機嫌だ。北原も、札束を、何度も顔に擦りつけている。
「本当ですか!いやあ、なんか悪いですね。でも、正直助かりますよ」
(…頃合いだな)
芝山は、にんまりと、妖しい気配を放ち始める。
「…この後、どうされますか?宜しければ、娼婦を手配しますが。勿論、当社持ちので」
(来たあああ)
(待ってましたああ)
「…コホン、本当に?…甘えちゃいますよ」
「甘えちゃって、ください。お二人が、部屋に戻った、頃合いを見計らって、呼ぶようにしますから。ちなみに、今日出勤の、女の子はこちらです。レベルが高いですよ」
(おおおおおお)
(凄えじゃないか)
食い入るように、吟味する二人。好みが重複しない様、その場で、即決指名する。
「じゃあ、この娘たちを、お願いします。僕たち、部屋で待ってますから」
二人は、上機嫌で酒を途中で切り上げると、颯爽と戻っていく。エレベーターの扉が閉まり、芝山が視界から消えると、本音を吐き出し、浮き足立った。
「なあ、佐野!早まんなくて、良かったなあ?おい?」
「ええ、不信感で、警察に話掛けなくて、本当に良かった。まさか、何もしていないのに、二百万円も貰えるなんて。相当、うちらの判断が、効いたんですね」
「ナイスアシストってか!…どんな女が来るのか、ワクワクすっぞ。写真通りなら、超ストライクだ!」
「…僕、ドキドキします。本気出して、良いですか?」
「良いんでないかい?何回、出来るか、競争だ。じゃあ、また明日。結果、教えてな」
「ええ、勿論。精魂、果てるまで、頑張りましょう」
~ 二十一時、215号室 ~
「……コン…コン」
(来たあああ)
「はい、どうぞ!開いてますよ」
「佐野さん、すみません。少しだけ、失礼しますよ」
(…あれ、芝山さん?どうしたんだろう?)
予想を反した来訪に、拍子抜けしたが、無碍にも出来ず、芝山を受け入れる。事情を聞くと、手配女性の到着が、あと三十分程度、掛かるとの事だ。
「売れっ子の女性なので、確保するのに、難儀しましたよ。でも、一晩押さえましたから、朝までお楽しみになれますよ。…これをどうぞ、お待たせする、詫び代わりといっては、何ですが」
「これは?」
「魔法の薬です。弱めのバイアグラと、思ってください。私も愛用してますが、通常の薬とは違い、心臓に負担掛からないし、朝まで、絶倫になれますよ。女性が来る、三十分前に飲むのが、効果的にも宜しいので、ささっ、グイッと、いっちゃってください」
(へええ、バイアグラか。こりゃあ、熱い夜になりそうだ。ブイブイ、言わすぞ)
「それは、楽しみだ。いただきます」
佐野は、勧められるまま、魔法の薬を飲み干した。
(………)
芝山は、満面の笑みを浮かべ、佐野の肩を、ポンと叩いた。
「これで、今夜は最強です。その瓶は、女性に見せるものでは無いので、処分しておきますね」
「いやあ、ご配慮ありがとうございます。何から何まで、すみません」
「良いんですよ。では、熱い夜を!!」
固い握手を交わし、芝山を見送ると、佐野は、興奮を抑えられず、その場で腕立てをする。薬が効いてきたのか、心臓が高鳴っている。シャドーボクシングをしながら、女性の到着を待った。
~五分後、215号室 ~
突如、激しい頭痛と胸の苦しみが、佐野を襲った。
「ぐっ、ぐううう」
(なっ、なんだ。とっ、とりあえず、吐け、吐くんだ)
佐野は、意識朦朧で、バスルームに向かうと、吐こうとしても、力が入らない。視界が霞む。
(これは、バイアグラじゃない。…罠だった…のか?死に…たくな…い)
浴室カーテンを握りしめながら、無念の表情で、その場に、崩れ落ちた。
佐野徳行、四十一歳。
真面目で、几帳面過ぎる男の、あっけなく、侘しい最期である。
~ 二十一時十分、312号室 ~
「……コン…コン」
(うひょうー、来た来た)
「…はい、今開けますよ」
部屋を開けた瞬間、期待が裏切られた。ドキドキを返せと、言いたい。
「北原さん、すみません。少しだけ、失礼しますよ」
(芝山じゃないか、お呼びでないんだが)
芝山を部屋には入れず、事情を聞くと、どうやら、手配女性の到着が、あと三十分程度、掛かると言う。北原は、露骨に、不満を露わにする。
「何だって?早くしてくれよ。待ちきれないんだよ」
(性欲に、正直過ぎるだろう。超せっかちな奴だな)
「本当に申し訳ないです。人気ナンバー1の女性らしく、確保するのに、難儀しましたよ。他の客がついてたんですが、倍の料金を払う事で、来て貰える事になりました。間違いなく、大当たりです!」
「…まあ、俺は、好みには、うるさいよ」
自分が選んだ女性が、一番の売れっ子だと聞かされ、気を良くした北原は、予約した女性の顔写真を、マジマジと眺め、益々上機嫌だ。
(単純で、分かりやすい奴だ)
「一晩押さえましたから、朝まで、お楽しみになれます。良かったら、これをどうぞ!お詫びですよ」
「何だ、これは?…覚醒剤じゃなさそうだが?」
「魔法の薬です。弱めのバイアグラみたいなものです。私も愛用してますが、朝まで、絶倫になれますよ。女性が来る三十分前に飲むのが、一番、効果的なんです。ささっ、グイッと、いっちゃってください」
(………)
北原は、両手で拒否をする。
「…バイアグラなら、さっき飲んだから、要らん」
(チッ…。馬鹿野郎、勝手に飲むなよ)
芝山は、満面の笑みを絶やさず、しつこく勧める。
「…これは、一粒、五万円の代物です。普通のバイアグラとなら、相乗効果が期待出来ます。一緒に飲んでも、心臓に負担掛かりませんから、大丈夫。これで、バッチグーです」
(………)
「…そうか、まあ、良いか」
北原は、仕方なく、勧められるまま、魔法の薬を飲み干した。
「これで、今夜は最強ですよ、北原さん!その瓶は、女性に見せるものでは無いので、処分しておきますね」
芝山の、瓶を回収しようとする手を、北原は、払いのけた。
「別に気にしない。もう出ていってくれ、頼むから、邪魔はするんじゃないぞ」
「…分かりました。では、楽しい夜を!」
扉が一歩的に閉まると、芝山から、満面の笑みが消え、鬼の形相に変わる。
(チッ、回収出来なかったか。…まあ良い。死亡を確認したら、金と瓶を回収するだけだ。お前の命は、あと数分。せいぜい、粋がれ。…グッバイ、北原)
「スト…スト…スト…」
(………)
芝山を、半ば強引に、外に追い出した北原は、ドア穴から、外の様子を窺う。
(…良し、去って行ったな。間に合うか?)
芝山に対して、不信感を覚えていた北原は、冷静だった。
身の危険から、迷わずバスルームに行くと、右手の人差し指と中指を、喉に突っ込み、出来る限り、飲まされた薬を、吐きだした。
(芝山の、あの雰囲気。毒だと厄介だ。吐けるだけ、吐くしかない。佐野は、大丈夫だろうか?)
(------!)
身体が、痙攣してくる。
(…やっぱり、毒だ。けっ、警察に。…死んでたまるか)
意識が朦朧とする中で、北原は、110番を押した。北原が、掛けた110番は、最寄りのNTT交換局で、発信地を自動的に識別し、長野県警察本部通信司令室へ繋がった。
「もしもし、警…察か?毒を…盛られた」
「もしもし、どちらから、お掛けになってますか!直ぐに、救助に向かいます。話せますか?」
「…こっ、このまま、通話にしておくから、逆探知で頼…む。意識が、飛び…そうだ」
「もしもし、分かりました!そのまま、状態を維持してください。もしもし、もし…」
「俺は、北原。…あと、佐野…という奴も、多分…。たっ、頼ん……」
(…ゴトン)
北原の意識が無くなり、携帯電話が手から落ると、電話越しに、司令室の声だけが響く。
(------!)
生命の危機を察した、司令室オペレーターは、懸命に、位置を特定し、所轄署の全警察官へ、緊急無線を飛ばす。
「通信司令室より、緊急連絡。只今、一般通報で、服毒情報あり。通報者は男性、キタハラと名乗っている。現在、意識を失っている模様。場所は、松本市安曇○○番地の、グランドホテル上高地安曇野。近くにいるパトカーは、至急現場へ直行せよ。また、サノと言う者も、同様の可能性あり。繰り返す、通信司令室より…」
(------!)
夜間勤務で、当直していた、長野県警察本部、安曇野警察署の名取巡査部長は、事件関係者だと感じ、直ぐさま、行動に移した。
「課長、この緊急無線は、警視庁が話していた、事件関係者かもしれません。直行しますので、他の者に、ホテルに電話を掛けさせ、この二人が、宿泊している部屋を割り出させてください。出来れば、ロビーで待っていて欲しいと。それと、救急車の手配も、お願いします。現着次第、助け出さないと、救えないかもしれません。安曇野警察署の行動が、事件の鍵を握るかもしれません」
「分かった。他の者は、名取をサポートしてやれ。事件関係者を死なすな!」
「了解」
「了解」
二人の救助に向けて、安曇野警察署が動き出す、瞬間であった。




