あすなろ物産(2024年編集)
~ 東京都品川区 ~
帝国ホテルで、状況を確認した佐久間たちは、捜査一課に戻る前に、あすなろ物産を調べる事にした。京浜東北線の大井町駅で下車し、都道420号線を、品川区役所方面に進むと、程なく、目的地を発見するものの、二人とも、言葉を失う。
「ここです、警部」
(………)
(………)
「……随分と、こじんまりとした会社だね。どうみても、七百万円を、現金で支払える程、儲かっているとは、思えんな」
「もう見なくても、答えが出ました。架空会社ですよ、間違いなく。どうします?」
「ここまで、来たんだ。分かっていても、捜査はしよう」
佐久間たちが、諦めるのも、無理はない。
あすなろ物産は、地下一階、地上二階の、ごく普通の建物で、コンクリート壁は、経年劣化で、あちらこちらに、ひび割れていて、大地震が来れば、崩壊するかもしれない。秘境探索ツアーを企画した、華やかさの欠片は無く、閑古鳥が鳴いている。ガラス張りの高層ビル内に、事務所を構えているものだと、想像していただけに、先入観は危険だと、思い知らされる。
「……行きますか、警部」
「不安しかないがね」
受付を探したが、雑居ビルに、そんなものは、あろうはずが無く、郵便受けを見る限り、一階フロアに、あすなろ物産が入っているようだ。年季の入った、鉄製の白扉が、正面と左右に見られるが、会社名を知らせる掲示が一切無く、どの扉が正解なのか、分からない。
「…何とも、不親切なビルと言うか、会社と言うか」
「暴力団とか、テロ対策の一環なのだろう。空港系の管理会社みたいに、所在を公開しないのかも、しれないよ。知っている者しか、行けないようにね」
「手当たり次第、行きますか?」
(………)
「うーん。堂々と、正面から行こう」
正面の扉を開けると、瞬時に、『優良企業ではない』と実感した。八名程の社員が、つまらなそうに、仕事をしており、傍目からでも、場違いだと分かる。
(………)
(………)
(…警部、当たりですかね?)
(どうだろうね、何とも言えないな)
広告代理店や、イベント企画会社のイメージとは、全く異なる。どちらかと言うと、俗に言う、場末の窓際族が、会社から、仕事を与えられる事無く、時間だけが過ぎるのを待つ、埃だらけの資料室、そのものだからだ。
空気が淀んで、少しカビ臭い。天井の蛍光灯は、何箇所も球切れで、室内全体が薄暗い。
(誰も、こちらを見ませんね?)
(うーん、入る所を間違えたかな?)
とりあえず、扉に一番近い社員に、声を掛けた。
「すみません。ここは、あすなろ物産さんで、間違いないでしょうか?」
(………)
「あの、すみませんが…」
社員は、面倒くさそうに、佐久間を見ると、やっと口を開いた。
「…間違いないけど、どちらさん?」
「警視庁捜査一課の、佐久間と申します。代表の方は?」
(------!)
(------!)
(------!)
瞬時に、場の空気が変わった。
部屋中の空気が動き始め、視線が、佐久間に集まる。驚きのあまり、電話を切ってしまう者、席を立って、窺う者もいる。
「あの、申し訳ありませんが、代…」
佐久間にお構いなしに、急に、室内が騒がしくなった。
「警視庁やて!」
「事件か!」
「俺、ちゃうで」
「あの事ちゃうか!」
「あかん、免停や」
「ちゃうやろ、あれや、あの事や、きっと」
「社長!何かヤバイ事しちゃった?逮捕かもよ!」
(……警部?)
(……話が出来んな)
「えー、まずは、聞いてください。社長さんか、責任者と話をさせてください」
軌道修正しようとするが、収拾つかない。仕方なく、黙って様子を見ていると、責任者と思われる男が、佐久間の元へ、やって来た。だが、異様に汗をかき、何やら、興奮している。
「警視庁捜査一課って、あの、テレビの!…わて、逮捕されるんでっか!…やっぱり、この前、キャバ嬢のケツ、触ったからかいな?んな、アホな!わては、無実でっせ。この目を、見ておくんなまし!」
(…ダメだ、苦手な部類だ)
「…いやいや、そうではありません。少し話を伺いたく、お邪魔した次第で。宜しければ、他の社員さん達にも、事情を確認出来れば、助かるんですが。実は、ある捜査をしていましてね」
「そうでっか、あっ、わて、社長の亀田です。あんじょう、よろしゅう」
(社長か)
「ほらやっぱり、事件だ!」
「誰か、逮捕されるんちゃう?」
「わて、免停かいな」
「皆、静かにせえや。刑事はん、困っておるやろ?…でっ、刑事はん。ホンマに、わてを逮捕しに、来たんちゃいますやろうな?」
佐久間は、静かに頷いた。
「事情を聞くだけですよ」
その言葉に、安堵した亀田は、隣の会議室に、佐久間たちを案内した。
「皆、静かにせな、あかんで」
「社長が、一番やかましいわ、ドアホ」
「免許じゃなくて、良かった」
(………)
山川は、この雰囲気に、耐えられないのか、終始黙っている。
「すみません、刑事はん。うちの社員は、皆、口が悪いさかい、気にせんとって」
(………)
(…耐えられるかな)
「…いえ、大丈夫です。事によっては、色々と事情を伺うつもりでしたが、どうやら、取り越し苦労のようです。今から、お見せする資料ですが、身に覚えないですよね?」
(------!)
(------!)
(------!)
佐久間は、秘境探索ツアーカタログを提示した。全員が、驚きを隠せない。カタログを握り締めたかと思うと、室内が響めいた。
「うおおおぉぉ。なんや、これ?いつから、うちは、こんな、けったいな企画会社に?」
「社長!裏で、こんな企画したん?」
「ドアホ!わてが聞きたいわ!」
「あすなろ物産って、書いてますよ!」
「どこのドイツや?それはオランダ」
「しょうもない事、言わんときぃ」
(………)
(…警部、ダメです。この空気を、何とかしてください)
(耐えるんだ、山さん)
「…コホン。やはり、皆さん、身に覚えはないようですね」
「あるも何も、こんなんしとったら、うちは、皆もっと、こう、ギラギラしてまんがな。なあ、皆?」
「当たり前田の、クラッカーや」
「阪神に誓って、ないで」
(………)
(………)
「おい、刑事はん、だんまりやで」
「阪神の事を、言ったからや」
「かて、巨人は嫌いやしな」
「ちゃうやろ、空気読みいや、話をしたいんや」
「ほな、黙っとこう」
佐久間の困惑を読み取ったのか、度が過ぎたと、社員たちは反省し、場が静まる。
「すんません、脱線しました。これは、どこから?」
佐久間は、本題に入った。
「実は、今年の二月に、警視庁宛に、模倣犯から、犯行予告がありました。四月十日時点で、既に四名が亡くなっています。被害者は、全員、このカタログを所持し、説明会に参加しており、開催先のホテルでは、あすなろ物産の、芝山と竹中と名乗る人物が、主催者として、一晩で、七百万円あまりを、現金で支払っています」
(------!)
(------!)
(------!)
これを聞いた社員たちは、大騒ぎだ。
「殺人やて!」
「七百万円なんて、そんな大それたもん、見たこともあらへんがな。どないなってるん?」
「芝山と竹中って誰や?」
「社長、ウチにそんな大金あるん?」
「あるかいな。あったら、礼子ちゃんを囲ってるわ」
(……やはりな)
この様子に、佐久間は、全てを理解した。
「どうやら、架空会社に、利用されましたね。名誉毀損で、被害届を出されますか?」
「名誉毀損って、そんなけったいな。…訴えたら、金掛かるんでっか?」
「いいえ。裁判しない限り、費用は掛かりませんよ。ただ、関与を疑われない為にも、被害届を出しておく事を、お勧めしますが。社会的信用を失うリスクも、ありますから」
(………)
「皆、どうないしようか?」
「そら、出さなダメでしょう」
「会社無くなったら、路頭に迷うで」
「犯人見つけて、損害賠償するべき」
「そうや、それで、皆、がっぽがっぽや」
亀田は、佐久間の提案を受け入れる事にした。
「…あんじょう、よろしゅう」
「分かりました。手続きについては、別途、お知らせいたします。もし、秘境ツアーに関する、問い合わせがあった場合は、警視庁が受け答えしますので、相手にその旨を伝え、直ちに、警視庁へ、御社から電話頂くか、私の名刺を置いていきますので、私宛に連絡を入れるよう、話してください。警視庁捜査一課も、課内で、情報共有しておきます」
「はあ、分かりました」
「最後に、伺いたい事があります。今までに、秘境ツアーに関する電話を、受けた事がありますか?カタログに載っている、住所と電話番号は、道中、調べた限り、あるなろ物産で間違いありませんでした。参加者から、質問電話など無かったかを、確認させてください」
「皆、どうなんや?」
「うーん、ツアーの事、初めて知ったしなあ」
「わては、知らんで」
「あっ、時々、電話おかしくなかった?繋がらん事、あったちゃうか?」
「ああ、そう言えば、何回か、あったな」
「それは、いつですか?」
「四月に入って、間もなかったような。回線が、途中で混線するって言うか、切れるねん。夜、十分くらい、全く繋がらん事も、あったしな」
(………)
(………警部)
「模倣犯は、不正接続を得意としています。一時的に、電話回線の機能を奪って、成り済ました可能性が高いです。四月初旬であれば、被害に遭った四名が、芝山宛に電話を入れた可能性が高い。今後、同じ様な事があれば、直ぐに、警視庁捜査一課宛に、電話で教えてください」
あすなろ物産は、架空会社の、隠れ蓑として利用された事、芝山や竹中は、実在しない事、一時的に、電話回線の機能を奪われ、利用されていた事など、模倣犯の足取りが掴めてくる。
(想定通り、事実確認は済んだ。…木を隠すには、森の中か。…厄介だな)
佐久間は、今後の捜査が、困難を極めるだろうと、僅かに、眉根を寄せる。山川は、関西弁から解放され、安堵の表情で、佐久間の背を追った。




