負の連鎖(2024年編集)
~ 四月十二日、警視庁捜査一課 ~
佐久間は、昨夜遅くに、秋田県から帰還した安藤から、顛末を聞いている。
「課長、この度は、ご足労をお掛けしました。如何でしたか、秋田県警察本部は?」
「…疲れた。その一言に尽きる。秋田県警察本部は、事件が警視庁にあると決めつけて、早々に手放すつもりだ。…全く、けしからん。…何が、『警視庁主導のもと、捜査協力は惜しまない、何でも、お申し付けください』だ。『秋田県警察本部の縄張りだから、手を出すな』くらい、言えって思ったよ」
苦虫を噛む安藤に、山川も同調する。
「私も、秋田県警察本部の対応には、がっかりしましたが、諦めました。警部の方は、何か進展がありましたか?思ったよりも、課内が静かなので、『事件は発生していない』と、勝手に解釈してますが」
「幸い、事件はまだ発生していないよ。それどころか、詩の法則性が、少しだけ分かった」
「法則性ですか?興味が沸きますな」
「課長、川上真澄と話してみて、分かった事を説明します。どうぞ、こちらへ」
佐久間は、別室のホワイトボードで、詩の要旨を、二人に説明した。安藤は、何度も頷く。
「合点がいった。いや、実はな、機内で詩の事を考えていたんだ。模倣犯は、所詮、素人。文豪のような、考えには及ばない。ひょっとすると、警察組織は、詩の順番に振り回されているのではないか、そう思っていたが、正しかったようだな」
山川は、素直に驚く。
「…なるほど。鎮魂歌には、そんな意味が。詩に存在する秘境も、数が多いですな。法則性が分かっていれば、九階の滝で死んだ櫻井と河端を、救えたかもしれません。…残念です」
「ああ、完全に裏をかかれてしまったな。…山川、あれを、佐久間警部に」
(………?)
「ああ、そうでした。忘れてました、警部、これを」
山川は、秋田県警察本部から預かった秘境レポートを、佐久間に手渡した。
「これが、『秘境レポート』です。見てください。巻末に、佐久間警部宛の印字があります」
(なるほど、これか)
佐久間は、自分宛の印字を見ながら、擦ったり、透かしてみる。特段、細工された様子はない。
「これだけでは、何とも言えないな」
「どこの店で販売されているか、早速、素材成分を調べた方が良いでしょう。氏原さんに依頼しますか?」
「うん、捜査一課から、科捜研宛に、正式に依頼したうえで、氏原に頼んでくれ。ついでに、ノートに付着した指紋と、繊維反応も頼んで欲しい。被害者以外の、成分が出れば、御の字だよ」
「……プルル…プルル」
「はい、捜査一課。……分かった、一課に回してくれ」
「プルルルルル…」
佐久間が、内線に出ていると、もう一件、別の内線が鳴る。安藤が取る前に、山川が反応した。
「はい、捜査一課。…佐久間ですか?今、他の電話に出ています。代わりに伺います」
佐久間と山川は、同時に声をあげた。
「殺し!」
「殺しだと!」
(模倣犯が、さらに動きだしたようだな)
安藤は、成り行きを、静かに見守る。雰囲気で察したのだ。
先に電話を終えた佐久間は、安藤と目で会話し、山川を待った。山川が、詳細を筆記している側で、川上真澄に一報を入れる。
「急に済まないね。実は、続報が入ってね。……模倣犯が、また動いたよ。詳しくは、明日話そう。……いや、それには及ばない。今、動けば、それこそ、模倣犯の思う壷だ。現地に急行はしない。それよりも、善後策を打合せするべきだろう。……ああ、また明日、いつも喫茶店で。時間は、また電話します」
川上真澄と話し終えるタイミングで、山川も受話器を置いた。
「まずは、私から話そう」
佐久間は、群馬県警察本部の沼田警察署から連絡があり、吹割の滝近辺で、神田裕之が、殴殺と溺死、両方の状態で発見された事を告げた。
「山さんの方は、どうだ?」
山川は、福井県警察本部の坂井西警察署から連絡があり、東尋坊の崖から、船平貴明が転落死しているのを、巡航中の観光船が発見し、その後、海上保安庁の巡視艇で、遺体を回収した事を告げた。
(………)
(………)
(………)
「……偶然ではないな、詩による犠牲だ」
「全て秘境でです。…警部、レポート回収を依頼しますか?」
「そうしてくれ。回収次第、成分の抽出と、犯罪履歴の照会も頼む。明日、川上真澄と会って来るよ」
「はい、段取りしておきます」
(………)
「どうしました?」
「いや、ちょっと待て、山さん。氏原に、『成分は調べるが、そこまで労力を掛けるな』と、付け加えてくれ」
「どういう事だ?」
「…いえ、何と言うか、きな臭さを感じたんです。巻末に、私の名前を記して、事件後に届く様、模倣犯は画策した。つまり、『せいぜい、証拠品を調べるんだな』と、暗に言われています」
「そう言われてみれば、そうですね」
(模倣犯は、何を狙っている?)
「警察組織に、証拠品を捜査させる=時間稼ぎをする為に、被害者に所持させたと考えれば、証拠品の捜査に時間を掛ければ、掛ける程、体力を奪われます。だが、捜査しない訳にもいかない。だから、科捜研に持ち込むが、最低限の捜査とした方が良いでしょう」
「分かった。山川、氏原に、その旨をきちんと話しておけ」
「分かりました、必ず伝えます」
~ 一方、その頃。東京都内の某喫茶店 ~
「お疲れさん。その様子だと、首尾は、上々みたいだな?」
疲労困憊で、ぐったりとしている竹中を、芝山は労う。
「…ええ、何とか、ギリギリでした。櫻井と河端が、予想に反して、別々の行動をしたもんですから、時間的に間に合うか、内心焦りました。秋田焼山を中心に、二人とも探索していた事が、幸いでした。山中を、ほぼ駆け足で追いかけて、二人を、片付けて、返す刀で、群馬県入りして。しかも、神田の野郎、張り切って、奥地まで行くもんだから、…正直、足がパンパンです。肘打ち食らった時は、流石に、踏ん張りが効かず、どうしようかと思いました。レポートに仕込んだ、発信機が無ければ、絶対に、間に合わなかったですよ」
「…発信機は、ちゃんと回収したんだろうな?」
「ええ、そりゃもう。佐久間の手に渡る時は、ただの紙です」
「ふふふ、そりゃそうだ。警察組織は、成分を躍起になって、科捜研で調べるだろうが、それも時間稼ぎだとは、夢にも思うまい。…せいぜい、足取りを追えば良いさ」
「本当、役人ってのは、馬鹿ですねぇ」
(………)
芝山は、コーヒーを飲み干すと、竹中を手招きする。
「まあ、座れよ。お前も、コーヒーで良いか?」
「ええ、頂きます」
芝山は、右手を挙げて、コーヒーを二杯頼んだ。
「それで、あの、旦那の方は?船何とか、でしたっけ?」
「船平だ。下の名前は忘れたがな。…何か、拍子抜けするくらい、あっさりと、片がついた。現地入りする日を告げたら、ネチネチと、反論してきたから、強引に向かわせた。東尋坊で待ち伏せてしていたら、船平が、事もあろうに、ふらっと、崖上に立ったんで、軽く背中を押してやったんだよ。そしたら、一瞬で、真っ逆さまに落ちていった。ありゃ、怖いぞ。意識ある分、死んでいくのが、分かるんだ。俺だったら、嫌だね。迫りくる岩、どうする事も出来ず、死んでいく自分。まあ、恐怖は一瞬だとは思うが、多分、念仏を唱えながら、目を瞑ったと思うぞ」
「で、死んで、船に回収された。ある意味幸せですね、その船何とかって奴、自分の苗字通り、船に縁があるんだから」
「…船平な、何度も言わせるなよ。それにしても、竹中。お前、面白い事を言うじゃないか?」
「そうすか?てっきり、それを見越して、芝山さんが、この場所を指定したのかと、思いましたよ」
「いや、その考えは無かったさ」
「コーヒー、お待たせしました」
(------!)
(------!)
二人は、話し声が周りに漏れていないか、念の為確認すると、声の音量を落とし、犯行計画に、漏れがないかを確認する。
「旦那、この後の事ですが、警視庁捜査一課は、どう出ますかね?そろそろ、四人分の凶報が、伝わっている頃ですが?」
芝山は、ほくそ笑む。
「…今頃、二小節目の詩に、振り回されたと、相当焦っているだろう。捜査一課の頭じゃ、『この後も、まだ被害が出るに違いない』と、闇雲に、捜査を開始するに決まっている。秋田県警察本部、群馬県警察本部、福井県警察本部、それぞれと、合同捜査本部を立ち上げて、終わった捜査をするに違いない。そして、当然、身内で『どちらが、主導権を握って捜査するか』で、揉めて、時間だけが過ぎていく。まあ、その為に、事を急いだんだからな」
「流石っす」
「だろう?行政の考えは、嫌と言うほど、分かるからな。どの機関も、同じだよ。反論出来ないくらい、攻撃されると、頭の固い上層部は、思考が停止するからな。今回は、それを狙った」
竹中は、ふと、疑問を口にする。
「流石は、旦那です。ただ、あっしが、一つだけ心配なのは、警視庁の切れ者刑事です」
(………ふむ)
芝山は、右手で、顎先を撫でるように触った。
「……佐久間警部はな、竹中が危惧する通り、相当切れる。…何せ、身を持って、経験したからな。だが、九条大河と、九条絢花が死んだ今、鍵を握る作品には、絶対に辿り着けない。四人の遺留品から、秘境の事、レポートの事、説明会の事、真相が、明らかになっていく。…少しずつな。それが、本当の罠さ。何せ、まだまだ、仕込んでいるからな。真相を辿れば、辿る程、警視庁捜査一課は、絶望と敗北を味わう」
(本当に、悪者の表情するんだな、この人は)
「次は、どうする気で?あっしは、この後の事を聞いていませんぜ?」
「ここまで、事を急いだんだ。まずは、警視庁捜査一課の体力を奪ったし、思考を停止させた。佐久間の事だ。『まだ、次の犯行が、近々に行われるかもしれない』と、強引にでも、秘境と詩の関係を読み解こうとして、課員総動員で、作品を洗うだろう。…それが、罠なのだよ。何せ、日本には、秘境と呼ばれる場所が、星の数程あるからな。作品を、探せば探す程、時間は掛かるし、何十もの作品の中から、『秘境』の単語を探すのは、骨が折れるし、面倒だ。…間違いなく、三ヶ月もすれば、警視庁捜査一課は、緊張感を無くし、雑な捜査になる。人間ってのはな、『人の噂も、七十五日』って言って、どんなに気を張っていても、二ヶ月半くらいで、関心が薄れるし、どうでも良くなってくる生き物なんだ。その虚を突いて、裏をかけば良い。それで、この事件は、詰みだよ。前回は負けたが、今度こそ、完全勝利で、決着をつけてやる」
竹中は、心底感心した。
「完璧過ぎますぜ、旦那。これが、完全犯罪って言うんでしょうね。…うーん、奥が深い」
これまでの犯行は、芝山が、自画自賛する程、捜査一課の裏をかいて、大きな戦果を上げた。彼らにとっても、佐久間を出し抜く為、危険を顧みず、大きな賭けであった事は、言うまでも無い。
だが、芝山もまた、佐久間の捜査力を、この時点で大きく見誤るのである。
佐久間の反撃が、始まろうとしていた。