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吹割の滝(2024年編集)

 ~ 群馬県沼田市 吹割の滝 ~


 四月十日、佐久間たちが、事件の全容を、話合っている頃、群馬県沼田市利根町に、一人の男が、足を踏み入れた。


「…やっと、着いたぞ。遠すぎるだろう」


 神田裕之は、単身、沼田市の秘境に来ている。


 昨夜遅く、あすなろ物産の芝山から、調査開始の連絡が入った為、慌てて出発する羽目になった。夜明け前に出社し、予定表の掲示板に、『長期休暇』の札を貼り付けると、謝罪の手紙を置いた。


(まあ、間違いなく、解雇だろうな)


 休暇明けは、間違いなく、職を失っているだろう。だが、失職しても、億万長者になれば、身の振り方は、幾らでもある。とりあえず、目先の利益を確実に確保しようと、指定された、東京駅の開札に向かった。開札前で、芝山から、片道分のチケットを受け取ると、JR東京上野ライン・高崎行きに飛び乗った。高崎駅で、JR上越線・水上行きに乗り換えると、沼田駅を目指す。


(やっぱり、バタバタだ。予め、乗り換えを調べておいて、正解だった)


 沼田駅に到着すると、関越交通に乗り、目的地に着いたのは、出発から四時後であった。


(ここまで、タイトだとは思わなかった。何が、『指定時刻までに、吹割の滝までに行ってください』だ。…芝山の野郎、そうならそうと、もっと前もって、言えってんだよ)


 神田は、事前に吹割の滝を、予め予習していた為、地理には自信があった。ただ、目視していない為、現地のイメージが掴めない。不安部分は、探索しながら、払拭すれば良いと、自分の直感を信じる事にした。



 ○ 吹割の滝


  群馬県沼田市利根町に、現存する秘境で、奇岩が1、5キロメートルに渡り、

  垣間見る事が出来る。

  片品渓谷に掛かる、高さ7メートル、幅30メートルの滝で、

  東洋のナイアガラとも呼ばれ、地元民から根強い人気を誇っている。


(個人的には、秘境に特化して評価するなら、赤城山か男体山の方が、神秘的だと思う。帝釈山や朝日岳も、甲乙付けがたい。赤城山は、昔から、徳川埋蔵金の話ばかりで、実際、何度テレビ番組に騙されたか。毎回、『ついに、埋蔵金が発見!』とか言って、番組最後まで引っ張られ、最後は、『埋蔵金と思われる一部分が発見された、次回に乞うご期待!』って、裏切られる。まあ、上手い言い方に騙される、視聴者も、俺を含め馬鹿なんだが、浪漫が詰まっていた。…吹割の滝は、確かに秘境スポットだ。でも、何故、この場所を推奨したのか、運営の考えが、今ひとつ分からんねぇ)


 休日なら、観光客で賑わうであろう秘境も、平日の悪天候が災いし、人気(ひとけ)が無い。吹割の滝の市営駐車場には、大型バスが、一台だけ停車しているが、車内には、数名の乗客しかいない。日本ロマンチック街道と呼ばれる、国道120号を北上すると、交番手前で、滝へと続く近道があり、地図を頼りに、探索を始めた。


 まずは、土産前で、順路通りに脇道に進み、石畳の通路を降りていく。


 通路の両脇には、出店・茶屋・土産屋が並び、薬草やクルミ、山菜、キノコ類の、地元特産品が並び、目移りしてしまう。また、小さな子供向けの、音が出る玩具や、蛇や蛙の模型品、笑い袋、ルービックキューブがあるかと思いきや、外国人向けの達磨(ダルマ)、ペナント、羽子板といった商品も、所狭しと並び、浅草の仲見世、富士山の土産店舗を連想し、苦笑いしてしまう。


(売れる物は、何でも売る。その姿勢は、評価出来るが、ドクダミ草なんて、何に使うんだ?煎じて飲むのか?それとも、切れ痔に、浸したものを塗るのか?それくらいしか、分からないぞ)


 品揃えの多さに、誘惑された神田は、本来の目的を忘れ、山菜を購入したところで、ふと我に返り、先を急いだ。


 木々のトンネルを抜けると、滝の轟音が、一際強まった。鱒飛の滝壺と呼ばれる名所は、悪天候で、立入禁止の札が掲げられている。


(…何だよ、期待してたのに。ここを止めるなら、入口から閉鎖しろよ)


 観光客は、札の前で記念写真を撮ると、早々に、次の滝を目指す。神田も、釣られる様に歩き出した。鱒飛の滝から、奥地へ五分程歩くと、獅子岩を過ぎる辺りから、人が増え、急に前が詰まる。吹割渓・吹割瀑と呼ばれる、一番の見所に辿り着いたのだ。


 水の音、風の音、虫たちの音、全てが想像の上を行き、凛とした空気が、一帯を支配する。遊歩道の柵が無い分、荘厳な迫力が、一気に眼前に広がり、直接、身体の芯まで貫く。激しい滝の流れが、奇岩が連なる岩壁群を彩り、全ての者を魅了する。


 正に、東洋のナイアガラと呼ばれるに相応(ふさわ)しく、雄大な水しぶきと、神聖なる冷気に、時を忘れた。


(……こりゃあ、凄いわ。間近で見ないと、この迫力は伝わらない)


 神田は、ほとほと困ってしまった。


 この場所に来るまでの、景色や特徴は、手持ちの情報誌に、掲載されている。各岩の特徴、滝の水量、生息する魚、立ち寄る野鳥、昆虫に至るまで、紹介されているのだ。紹介通りに巡れば、観光としては、大いに役立つであろう。だが、これは、テレビ放映権を賭けた仕事(ビジネス)である。これ以上の提案を示さない限り、企画を通すどころか、最下位に終わる事は、明白である。


(……何も思いつかん。…何を、どう表現しろっていうんだ。滝の迫力を伝えたところで、それが成果になるのか?そもそも論で、滝=秘境という解釈が誤りなんじゃないか。…ダメだ、このままでは、誰にも勝てない。…秘境の定義を、見直す方が早いか?)


 どんなに些細な事でも良い。自分だけにしか、見抜けない能力がある。だから、自分が選ばれた。そう自分に言い聞かせ、吹割の滝を見つめても、一向に何も掴めない。


(……時間の無駄だ)


 神田は、深い溜息をついて、先へ進む事にした。


 展望台六角堂まで行って、滝を見下ろしても、『壮観な景色だ』と、平凡な言葉しか浮かばない。千畳敷は、初秋であれば、紅葉が見頃であろうが、宮崎県の洗濯岩には、見劣りするだろう。吹割の滝展望台から見る夫婦岩も、観光目線なら楽しめるが、評価するには、自分の力量では、説得性に欠けてしまう。


(うーん、困ったぞ。名所の残りは、…浮島観音堂と遊歩道くらいだ。この先は、獣道になるから、観光客は行かんだろう。川だって、極端に川幅が狭くなるし、水量も少ないからな。……本当に、まだ誰も知らない魅力は、残っているのだろうか?)


 観光客たちは、夫婦岩に辿り着くと、『一帯を満喫出来た』と、引き返していく。浮島観音堂まで、観光する客は、ごく少数だ。


(……ダメだ、この一帯は、諦めよう。絶対に、情報誌以上のものは、書けん)


 神田は、苦渋の決断で、渓谷を探索する事にした。些細な事でも良い、特筆に足りる資料が欲しい。


 経年劣化で、崩れ落ちそうな、吊り橋を渡り、苔で転ばないよう、慎重に歩を進める。腰の高さの、草を掻き分け、全身が草の露で濡れる。初めは、汚れを気にしていた神田も、いつの間にか、無心で、奥地を目指し、歩き続けた。



 どのくらい、奥へ進んだのだろうか?何時間、歩いたのだろうか?



 前方に、天然の岩で出来た、洞穴(ほらあな)が見える。片品渓谷も、吹割の滝周辺は、大きく、平らな奇岩が目立つが、沢を登るにつれ、普通の渓谷となり、魅力を感じない。それ故に、滝や岩よりも、洞穴が気になった。


 遠くから見えた洞穴は、浮島観音堂から、約ニキロメートルほど歩いた時点で見つかったが、想定以上に時間を要した。一本道かと思いきや、途中で迂回を余儀なくされ、分岐が三箇所もあったせいで、進んでは、行き止まりで引き返す、これを何度も繰り返して、ここまで辿り着いた。


(洞穴って、夢が詰まっているよな)


 先程までの、濡れた苔が付着する岩とは異なり、濡れて滑る、ゴツゴツした岩肌は、山岳トンネルで見受けられる、独特の火薬の匂いと、肌を刺す冷気が、『特別な場所に来た』と、教えてくれる。吹割の滝で感じた、荘厳な迫力とは違う魅力を、身体で感じても、特筆に値しないと、興醒めしてしまった。何故なら、神田は、この感じを既に体感している。静岡県の、佐久間ダム近くに存在する隧道と、雰囲気が非常に似ており、崩落を防ぐ為、隧道の壁面を、モルタル吹付けしてある時点で、天然ではなく、秘境とは言えない。


(……結局、こっちの方面は、ハズレだったか。まあ、半ば分かってはいたが、天然洞窟自体、全国には、腐る程あるからな。まったく、秘境レポートとは、大それた企画だぜ。神秘的で、そうそう巡り会えないから、人は、秘境と呼ぶんだ。時間を掛けて歩いても、見つけたのは、ありふれた隧道。この順路は、秘境でも何でもない。…まあ、初日から、結果が出ても、経費が貰えないし、一ヶ月ゆっくり稼ぐとするか。…さて、ここから、どうしようかな)


 洞穴を抜けた、先の沢には、見渡す限り、何も期待出来ない。というよりも、頭の中が勝手に、『このエリアには、もう何もない』と、答えを出している。日暮れまで、まだ時間はあるが、宿を確保していない。帰りの体力も、計算しなければならない。とりあえず、自分なりに、正当な理由をつけて、本日の散策は中断する事にした。


(今日は、朝から頑張った。…いや、初日から、頑張りすぎた。芝山に、『指定時刻までに、吹割の滝までに行ってください』と、言われたものの、あすなろ物産の者は、誰もいなかったし、焦る必要なんて、なかった。これなら、今日は下見だけで、本格的な探索は、明日からで良かったんだ)


 神田は、帰り支度を始める。


(遊歩道まで戻ったら、展望台近くの山茶屋で、山菜蕎麦を食べよう。…鮎の塩焼きが、あった気がする。先は長いんだし、自分への先行投資だ。……それにしても、冷えるな。今更なんだが、濡れすぎたな)


 人目を気にせず、(おもむろ)に、岩場の上から小便をした。春を迎えたといっても、この辺りは、標高も高い。すっかり身体が、冷え切ってしまったのだ。


(沢を登りすぎたな。レポートするにも、普通の観光地だし、貧乏クジを引いちまったか?……神田裕之(俺様)よ、よーく考えろ。確かに、吹割の滝を、調査する依頼を受けた。受けたが、馬鹿正直なレポートを、あすなろ物産は、期待しちゃいない。……では、どうするか?思考を、その先へ進めろ)


(………)


 神田は、その場に胡座をかき、持参した地図を広げると、水脈を、指で北へと辿っていく。


(…ん?この場所は?)


 等高線の狭い部分を見つけ、そこから、川上を探すと、新たな候補地が何箇所か浮かんできた。


(武尊山、至仏山、白根山。…それに、鬼怒沼山、奥利根水源の森に、それぞれ繋がっている。…もしかすると、まだ推測の域だが、これらの地と、水脈を繋がるポイントにこそ、隠れた逸話があるんじゃないのか?……逸話を調べるなら、楽が出来るのは、どこだ?……山茶屋、旅館、あとは、地元の図書館か。…宿を転々としたって良いんだ。金ならあるからな。北上して、逸話自体を巡ってみるか?結果的に、吹割の滝に結び付くなら完璧だが、違ったとしても、テレビ放映権に耐えられれば、問題はないはずだ。それに、大きく逸脱する訳ではない。この地方って事で、大目に見てくれるだろう)


 正解が見えた気がした。秘境と呼ばれるものは、中途半端な覚悟では、見つからない。これまでの人生経験と、予測から鍵を見つけ、その壁を突破して、初めて辿り着ける。今日の順路は、残念ながら、失敗に終わったが、成功の為の布石だったのだ。この場所まで来たからこそ、地図を広げる結果に繋がり、この結果を知り得た。そう、自分なりに拡大解釈すると、虚脱感が一気に無くなり、明日の計画(ビジョン)が見えた事で、気力が戻ってきた。


(んんんん、身体の芯から、やる気になってきた。一服したら、さっさと帰ろう)


 気分良く、煙草に火を点け、地図をリュックにしまう。引き返そうと岩場に手を掛け、ゆっくりと、立ち上がろうとした瞬間。


(------!)


 背後から、見えない力が、神田の頭を押さえつける。


「グググググ…ググ…」


(------!)


(何だ!何が起きている!)


「だっ、誰だ…」


 為す術がない。あっという間に、水中に顔面が沈む。


 藻掻こうにも、相手の力の方が強い。『殺されてたまるか』と、首に力を入れても、水面では、呼吸が出来ない。死に物狂いで、顔をあげても、水面ギリギリで、鼻と口が、酸素を取り込めない。


(絶対に、諦めない!!)


 薄れゆく意識の中で、神田は、最後の力を振り絞り、右肘を、後ろに放った。


(------!)


 鈍い感触が、右肘に伝わる、刹那であるが、押さえ込む力が弱まった。


「ぐふっ。…まだ、こんな力が」


(今だ!)


 神田は、何とか、窮地を脱し、水面から顔をあげる。


「はあ、はあ、はあ。…一体、誰だ、舐めやがって。殺してや…」


(------!)


 神田は、自分を陥れた男の顔を見た瞬間、硬直してしまった。


 男もまた、神田の、一瞬の隙を見逃さない。既に、次のモーションに入っている。


(------!)


「おっ、おい!やめろ、やめてくれええぇぇ!」



「ゴンン!」



 両手に抱えられた、サッカーボール程の石が、躊躇無く、振り下ろされる。


「ぐわわわああああ!!!」


 黒い血が、渓流を染めていく。神田は、その場に倒れ込み、薄れゆく意識の中、命乞いした。


(…頼…む、助け…て。まだ、死にた…くな……)


(………)


「あの時、被害者も、同じように、命乞いしなかったか?助けてくれと、泣かなかったか?」


(------!)


(なっ、何故、それ……を)


 神田の魂が、身体から離れた。


(せいぜい、地獄で懺悔するんだな)


 男は、神田に唾を吐くと、薄暗くなる獣道に消えていく。


  

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