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九階の滝2(2024年編集)

 ~ 秋田県仙北市 秋田焼山 ~ 


 四月七日、早朝。


「はあ、はあ。どの辺りまで来たんだ?完全に夜が明けたな」


 河端は、八幡平と九階の滝を直線で結んだ、中間地点、国道341号から、約六キロメートル離れた、山中を歩いている。夕べの風呂上がりに、宿の女将から、この地方独特の、逸話を聞いた河端は、勝利を確信した。


 明治時代の初期頃、山林を開拓していた木こりが、偶然発見した剣の話である。

 

 焼山の山頂付近にある奇妙な落石に、一本の古びた剣が、深く刺さっており、誰一人、抜く事が出来なかったという逸話だ。


 噂では、戦国の世を憂う神々が、終止符を打つ為に、施したと言う。これを聞いた者が、代々、書にしたため、村の言い伝えとして、残した。だが、ある代の村長が、部外者が聖なる地を、踏み荒らす事がないよう、口外を禁じた為に、表舞台には出なかったと、最後の書に記されていると、女将はこっそりと、話してくれた。


 これを聞いた河端は、胸の高鳴りを抑えられず、女将の懐に、十万円を入れ、直ぐにでも案内するよう懇願したが、真夜中の外出は危険であると、体良く断られてしまった。


 十万円が欲しい女将は、チェックアウト後の時間帯なら、案内出来ると申し出たが、櫻井が、先に聞きつけ、既に向かっているかもしれないと、居ても立ってもいられず、深夜のうちに、飛び出したのである。


 女将には、『十万円は情報料だから、返さなくて良い。その代わりに、自分に逸話の話を教えた事は、誰にも言わないで欲しい』と、更に十万円を渡すと、女将は、満面の笑みで頷いた。


(…女将に貰った地図では、かなり近いはずだ。本当に、そんなものがあるのかね?歩きやすい山中と聞いていたが、道なき道じゃないか。整備されてもいないし……待てよ。あの女将、しっとりとした瞳で、俺の事を見ていたな。大金を渡したし、満更でもない様子だったぞ。もし、一緒に来ていたら、ここで、押し倒せたんじゃないか?)


 ひび割れた岩に、手を置き、小休憩しながら、良からぬ妄想が脳裏を走り、思わず悶々としてしまう。


(今から戻って、女将と来るか?…何と言っても、あの器量だ。こんな好機(チャンス)を逃す手はないんじゃないか。……いやいや、ここまで来るのに、何時間掛かった?また、同じ苦労を味わいたいのか?それに、万が一、当てが外れて、『強姦された』と、訴えられてみろ?全てが台無しじゃないか。…まずは金だ。金さえあれば、綺麗な女は、腐るほど手に入る。目的に集中するんだ)


 河端は、両手で顔を叩くと、気合いを入れ直して、歩き出した。二十分程進むと、山中の植物が無くなり、岩肌が見え始める。


(森林限界を超えたという事は、標高1,500メートル以上の高さにいるのか。どうりで、さっきから、呼吸が苦しい訳だ。登山道具は、一通り揃えたから、その辺は大丈夫なんだが、足が重いし、言う事を聞かない)


 呼吸を整えながら、歩を進めても、二十歩歩くと、足が止まる。先程まで、火山岩で出来た道だったが、いつの間にか、細砂に近い石が堆積する道に変わり、泥沼と同じように、足を深く嵌め、行く手を阻む。大量の汗をかき、何度も、小休憩しながら、苦悶の表情で歩き続けると、一時間程で、やっと山頂が見えてきた。


(あれが、山頂か?やっと、ここまで来たぞ。逸話では、山頂付近と言っていたな。…この悪路も、あと少しだし、最後の踏ん張りだ)


 近いと思って、気を取り直した河端だったが、山頂までは、近くて遠い。足が馬鹿になっているせいか、何度も転んでしまう。


(ここまで来て、諦める訳にはいかない。這ってでも、登りきるぞ)


 アップダウンを繰り返し、三十分過ぎたところで、小高い丘が見えてきた。命綱のチェーンが設置された岩を、よじ登り、踊り場に辿り着くと、眼前に、落石に刺さっている剣が、唐突に姿を現す。


(------!)

 

(眉唾じゃなく、本当にあった。凄えええ、本物じゃないか!!この錆び方、この色、この感触。これは、青銅の剣?模様からして……古代中国の、代物っぽいな。……これなら、雑誌や文献にも、載ってはいまい。……どうみても、俺の勝ちだ。…ここまでの道中、いかに困難だったか。ある地点を、決まった時間に、通過しないと、道が閉ざされ、絶対に辿り着く事が出来ないと、話を盛れば、秘境の一つとして、盛り上がるんじゃないか?あとは、滝裏の様子を、大袈裟に書けば、レポートとしても、申し分ない。これで、俺が、億万長者だ!!)


 河端は、まさに、冒険を制覇したかの如く、圧倒的な歓喜に打ち震えた。


(それにしても、ここまで大変だとは、思わなんだ。正直、身体が動かない。もう、慌てる必要もないし、女将が持たせてくれた、握り飯を食べて、仮眠してから考えよう。何なら、一晩、このまま体力温存に努めても、問題ないだろう)


 河端は、リュックを下ろすと、しゃがんで、中身を探る。


(あれ?握り飯と、水筒はどこだ?)


 河端が、リュックの中身に気を取られている、次の瞬間。


(………トン)


(------!)


 眼前の岩肌が、上昇していく。


(------!)


(------!)

(------!)


(------!)

(------!)

(------!)


(んんんんんんん!!!!!)


 音が消えると、早さを増し、高くなる岩肌は、数秒後には、鈍い音と共に、漆黒の闇に消えた。


 河端健次郎。…四十年の人生に、幕が下りた瞬間であった。



 ~ 同四月七日、九時三十分。岩手県八幡平 ~


 八幡平の麓に、宿を構えた櫻井は、朝食後、ゆっくりと温泉に浸かりながら、探索順序を練っている。昔から、長風呂をしながら、思案するのが好きなのだ。


(まずは、図書館に行こう。この土地の、風習・逸話・滝の習わしを、詳しく調べれば、多分、情報誌に載っていない事も、多少は見つかるだろう。九階の滝と、関連する滝もあるかもしれない)


 宿の玄関で、朝食の片付けを済ませた、若旦那が、櫻井に声を掛けた。


「いってらっしゃいませ、今日はどちらに?」


「ああ、若旦那さん。昨夜、話した通り、秘境を探す前に、まずは図書館にいってきます。闇雲に探すより、そちらの方が早いんで」


「そうですか、お気を付けて。良かったら、送迎しますか?」


「いえいえ、そんなに遠くないし、景色も味わいたいので、それには及びません。お気持ちだけ、ありがとうございます」


「分かりました、いってらっしゃいませ」


 櫻井は、気分良く、散策しながら、図書館に向かった。図書館は、宿から徒歩二十分程で、行く事が出来た。書籍を探すと、嬉しい誤算で、地域特有の資料が見つかった。九階の滝には、様々な尾ひれがついており、眉唾ものの噂や、文献も多く記されている。


(読み通りだ、期待以上のものが、見つかったぞ。……ん?)


 中でも、目を引いたのが、『紅の村』という、女人だけが存在する、小さな部落の存在である。


 女人だけの村には、鎌倉の時代から、代々受け継がれてきた呪符、地図、秘宝、文化などが、今でも山中深くに、ひっそりと存在するらしい。子孫繁栄には、男性の存在が絶対条件なのだが、記録には、一切残っておらず、意図的に削除しているにせよ、冒険心を(くすぐ)った。


(……間違いない。僕の全身全霊が、『この土地を調べろ』と言っている)


 次点に、目を付けたのは、秋田焼山の山頂付近にある、落石に刺さった剣の逸話だ。詳しい伝記は、この図書館には、残されていない。山頂付近とは記されているが、具体的な位置は、特定されておらず、これを調べる為には、地元民から聞くしかないらしい。


(地元民に聞けと、書いてあるという事は、何だか胡散臭いな。逸話だし、地元民が本当に知っているとしても、一部の高齢者しか、知らない可能性が高いぞ。それに、剣に纏わる逸話は、日本全国、腐る程あるだろうし、邪馬台国時代を超えるものは、中々、出ないだろう)


 櫻井は、女人だけの地を、調査する事にした。女体、女人など、性に関する逸話が、回り回って、滝にも繋がってくると、ヤマを張った。偶然見つけた割には、自分の想像に近い逸話であり、運命だと感じる。


 図書館から戻ると、手で顔を拭いながら薪割りをする、旅館の若旦那に、『紅の村』について、尋ねてみた。若旦那は、大いに感心し、丁寧に教えてくれた。


「お客様、よく調べられましたね。…普通の観光者は、九階の滝しか行きません。でも、『紅の村』は、我々、地元の者でも行った事がない。伝承でしか知られていない程、稀少で、小さな部落らしいです。実在するのかも、分かりませんし、道に迷えば、それこそ、命取りです。山中には、冬眠から覚めた熊が出ますから、危ないですよ」


 大事な客人を、危険な目に遭わせられない。そんな気持ちから、若旦那は、少し大袈裟な素振りをするが、櫻井も、好奇心を抑えられない。


「危険だからこそ、秘境中の秘境なんですよ、きっと。…地元の人でも、行った事のない部落か!発見したら、間違いなく、特集が組める。そうしたら、人生バラ色だ。…ダメ元でも、行きますよ、僕は!」


(この若者は、何を言っても、行くだろう。……仕方あるまい)


 説得を諦めた若旦那は、薪割りを中断し、一つだけ忠告をする。


「止めても、無駄なようですね。ならば、自己責任でお願いします。それと、()()を、必ず身を付けて下さい。良いですね、必ずですよ」


 若旦那は、戸棚の奥から、温泉手形を取り出すと、電源を入れて、櫻井に手渡した。チェックインする際に受け取った、小判型の温泉手形とは異なり、一回り大きく、重量もある。


(……ん?これは?)


「もしかして、発信機付き?」


 若旦那は、黙って頷く。


「この地方では、昔から、一見さんが、遭難に遭う確率が高いんです。八幡平は、散策しやすいが、ハイキングコースを外れると、別世界になります。冬は、滑走禁止コースを滑って、遭難する学生さん、夏は、お客さんの様に、興味本位で秘境巡りされる方、色々です」


「はあ、そうなんですか」


「念を押しますが、迷った時は、()()()()()()に、その場で旅館に電話してください。場所によっては、方位磁石が機能しない場合もあるし、無闇に動いて、滑落された方もいらしゃいます。下山中、コースを外れた場合は、正規ルートに戻るまで、『下山ではなく、来た道を登って、軌道修正する事が鉄則』なんです。夜になっても、お戻りにならない場合は、当館の判断で、躊躇せず、警察に捜索願いを出します。…良いですね、必ず、日が暮れる前に、旅館にお戻りください。場所が分かっていて、日暮れに間に合わない場合、連絡さえしてくれれば、捜索願いは出しませんが、本当にお願いしますよ。…クドいですが、約束です」


「もし、万が一、捜索隊が出たら、宿にも迷惑が?」


 若旦那は、首を横に振った。


「当旅館には、迷惑は掛かりませんが、山岳救助隊が出動したら、自費がとてつもないです。防災ヘリの出動に、五分で五千円、一時間で、六万円掛かります。 救助活動に、民間企業が加わると、遭難救助費用が発生します。 相場は、ヘリコプターによる捜索が、一時間で、五十~八十万円程であり、救助隊一人につき、一日、数万円必要です。 この為、捜索の規模によっては、一日に、百万円を超えると、お考えください」


(------!)


 若旦那の気迫に、従わざるを得ない。


「そのルール、良く分かりました。日暮れまでには、戻ります」


「ご理解頂けたようですね、安心しました。もう昼前ですから、本格的な探索は、明朝をお勧めします。この時間からなら、片道二時間ぐらいで、戻ってこないと、日が暮れますから、重々、気をつけるように、してください」


(昼前?ああ、もうそんな時間か。図書館に行って、時間が過ぎてしまったか)


「あの、少し、話が脱線しますが、秋田焼山の山頂付近に、剣が刺さっている逸話が、図書館の伝記にあったんですが、何かご存じですか?『紅の村』の次に、気になったので」


(………)


「ああ、その逸話ですか。聞いた事はありますが、詳細の場所は、分かりません。ただ、見た事があると、話していた者がいたので、事実です」


「そうですか、事実ですか」


「うろ覚えですが、一筋縄ではいかないらしいですよ。山頂までの正規ルートでは、辿り着けなかったはずです。見た事がある者も、山頂付近で、滑落してしまい、たまたま、その場所に居合わせた様です。秋田焼山の麓の集落に、小さな村がありますが、一部の者が、代々伝承された地図を持っているか、言い伝えとして、残っているかもしれないので、探してから、挑戦するのが、確実でしょう。八幡平と同じように、闇雲に探しても、遭難するだけですよ」


(…伝承された地図か。どちらにせよ、後回しだな)


「情報ありがとうございます。その話、聞けて良かったです。まずは、『紅の村』を探してみます。見つけたら、電話入れますよ。世紀の発見になると、期待していてください!」


「ええ、お待ちしています。ですが、無理はしないでください。山は、逃げません。ダメだと思った時点で、お戻りください」


 こうして、櫻井は、意気揚々と、宿を出た。



 ~ 岩手県八幡平 中腹 ~


 人生を賭けた冒険から、三時間が経過している。若旦那から、言われた『片道二時間ぐらいで、戻ってこないと、日が暮れる』を、既に時間超過しているため、櫻井は、内心、焦り始めている。


(……ここは、どこだ?)


 秋田焼山の方向に向かって、方位磁針と地図を注視しながら、慎重に歩いているが、昼間だというのに、山林は日差しが届かず、薄暗い。整備された山道では、到底、『紅の村』には、辿り着けないと考え、山岳地図の等高線や地形から、登山路とは真逆の、()()()()を目指しているが、現在地がよく分からない。


 八幡平と秋田焼山を、直線上に結ぶと、登山道から外れた北西地点に、盆地で、狭隘な部分な箇所が、見受けられ、『この場所が、怪しい』と、着目したからである。地図の上では、水平距離で、十五キロメートルといったところだ。大人の足なら、容易く到達出来ると予想した。だが、思いの外、獣道が、櫻井の行く手を阻む。


 街の雑踏は、いつの間にか消え、大木の軋む音、虫の声、落ち葉を踏む音しか聞こえない。木々を通り過ぎる風の音が、孤独を感じさせる。幾度となく、顔に触れる、蜘蛛の糸が、煩わしい。


(若旦那に電話して、現在地を確認して貰おうかな?)


 櫻井は、寂しさに負け、若旦那に電話するが、圏外で繋がらない。


(ダメだ、圏外だ。このままでは、絶対に遭難する)


 全身が、危険信号を発すると、身体が元の方向に、向きたがっている。


(確か、迷った時は、元の道に引き返すのが、鉄則だったよな。……ん?あっちの方向…何だか、明るいぞ?あそこに行けば、森を抜けるのか?)


 蜘蛛の糸を振り払い、光の方向へ向かった櫻井だが、途中で、足を止めた。


(……何だ?何かあるが、嫌な予感がする)


 薄暗い山林から、急に視界が広がった為、その眩しさで、前がよく見えない。手をかざし、目が慣れるのを待つと、眼前の景色に、面食らった。


(………)


(………)


(…危なかった。闇雲に進んでいたら、死んだかもしれない)


 櫻井が立ち止まった、数メートル先は、道が完全に無くなっている。


(崖になっていたのか、それにしても、どのくらいの深さだ?)


 谷底を確認する為に、手元の石を放ると、十秒程かけて、清流に呑み込まれる。


(これは、流石に落ちたら、一溜まりも無いぞ)


 光が雲に遮られると、眼前の視界が広がり、遠方に秋田焼山が見える。


(…困ったな。方向は分かっても、この沢を越えないといけないし、高低差がありすぎる。第一、どうやって、あそこまで行くんだ?……何だか、疲れたな。遅くなったが、腹ごしらえしておこう)


(………)


(------!)


 櫻井は、背後に違和感を覚え、振り返った。


「順調ですね、櫻井さん」


(------!)


 櫻井は、驚きのあまり、握っていた携帯電話を、崖下に落としてしまった。


(ああああああ!!)


 櫻井は、切れ気味に、竹中に噛みついた。


「竹中さん、びっくりしたなあ、もう。勘弁してくださいよぉ、携帯電話、落としちゃったじゃない!」


「いやぁ、すみません。ここまで、驚くとは意外でした。お詫びに、私の携帯電話をどうぞ」


「良いんですか?…じゃあ、遠慮なく」


 櫻井は、竹中との遭遇に、心底驚いたが、嬉しさも込み上げる。たった数時間しか経っていないが、極度の緊張と孤独感から、竹中の存在に、安堵したのも、事実である。


(一人じゃないのは、助かるんだけど…)


 櫻井は、携帯電話を受取りながらも、ある疑念を抱く。道中、人の気配は無かった。竹中が、どうやって、ここまで来たのであろうか?


「竹中さん、何故、ここに?……それにしても、僕の居場所が、よく分かりましたね?」


(………)


(あれ?聞こえているよね?何故、答えないんだろう?禁句(タブー)の質問だったのかな?)


 首を傾げる櫻井に対して、竹中は、飄々(ひょうひょう)としている。


「まあまあ、良いじゃないですか、そんな事。それよりも、櫻井さんの持っている、握り飯。とても、美味そうだ。あの、あっしも、ご相伴に預かっても良いですか?実は、秋田焼山に登っていて、もう、お腹がすいちゃって。それに、ヘトヘトですわ」


(秋田焼山?……それって?)


 櫻井は、秋田焼山の逸話について、喉まで出掛かったが、とりあえず、言葉にする事を避け、自分の握り飯を、分け与える事にした。


「それは、大変だ。じゃあ、どうぞこれを。僕も、ちょうど、昼飯にしようとしてたんです、一緒に食べましょう」


 櫻井が、握り飯を差し出すと、竹中は、嬉しそうに、二個の握り飯を、勢いよく平らげる。頬についた、最後の一粒を摘まむと、惜しそうに、指ごとしゃぶった。


(余程、腹が減ってたんだ)


 喉も渇いているだろう。櫻井は、持っている水筒を差し出すと、竹中は、櫻井の事を考えず、全部飲んでしまった。


(あれ?全部、飲んじゃった?普通、少しは遠慮するよね?…まあ、後で沢に下りて、水を汲めば良いか。雇用主だし、我慢しよう)


「いやあ、ご馳走さまです。…親切に恵んで頂いたので、お答えしましょう。先程の質問ですがね、あすなろ物産は、雇用主ですよ?お二人の動向は、隈無く、陰ながら監視しています。あっしからの、質問なんですがね、お二人には、九階の滝について、調査を依頼したはずです。何故、こんな離れた山中を、探索しているんですか?普通なら、玉川温泉あたりに、宿を取って、最短ルートで調査するものとばかり。お陰で、居場所を特定するのに、手間取りましたよ。規定では、調査中は、極力、接触を避けるんですが、どうしても気になりまして。ルール違反ですが、声を掛けたという訳です」


(なるほど、合点がいった。常に、僕の行動は監視されて、筒抜けだったんだ)


「そうだったんですか。まあ、秘境の場所から、こんなに離れていたら、不審に思いますよね?でも、良かった」


「良かった?何がですか?」


「意気揚々と、宿を出たのは、良かったんですが、実際に、歩いて分かりました。山中深くに存在する、『紅の村』など、とてもじゃないが、見つけられない」


 竹中は、首を傾げる。


(何だ、その村は?初耳だが?)


「まあ、簡単に見つからないから、幻なんだろうけど。…実は、ずっと心細かったんです。知っている人がいるだけで、こんなにも、安堵するなんて。人は、一人では、ダメなんだと思い知りましたよ」


(いやいやいや、お前の心情なんて、知らんがな)


 竹中は、櫻井の本音など興味がない。『紅の村』が気になって仕方が無い。


「お気持ち、察しますよ。あっしだって、同じ気持ちです」


「本当ですか?嬉しいなあ」


「ええ、そりゃあ、もう。ところで、さっきの、『紅の村』なんですがね、もう少し、詳しく聞かせてください」


「図書館で、調べたんですよ。『紅の村』という、この山岳一帯のどこかに、女性だけが住む村があるそうです。九階の滝は、確かに秘境ですが、単体ではつまらない。もしかすると、九階の滝と、この部落が、逸話として、繋がっているかもしれない。それが、事実だとすれば、テレビの放映権も夢じゃないと、勝手に決めつけていました。…まあ、笑ってください」


(なるほど、そんな逸話が。ある所には、あるんだな)


 竹中は、否定も肯定もしない。今後の予定だけを尋ねる。


「『紅の村』の事は、よーく分かりました。それで、これから、どうする気です?継続して探すんですか?」


(………)


 空の弁当箱を片付けると、櫻井は、ゆっくりと背伸びをする。


「そうですね。時間も時間なんで、今日は、宿に戻ります。明朝、日の出くらいに、出発すれば、結構、良い調査が出来ると思うんです。それでも、見つからないなら、一旦、『紅の村』は諦めて、もう一箇所、行こうと思っていた場所に向かいます」


「ひょっとして、秋田焼山の山頂付近ですか?剣を探すんですか?」


(------!)


「ええ、そうですが。……流石は、あすなろ物産。何でも、お見通しなんですね。これじゃあ、レポートにならないな。やっぱり、『紅の村』を探し出すしかないか」


 ところが、竹中は、『違うよ』と、首を横に振った。


(………?)


(あれ?違うの?そうじゃないの?)


 櫻井は、竹中の真意が分からない。


「知っているも何も、その場所なら、河端さんが、もう辿り着きましたから」


(------!)


 櫻井は、呆気に取られてしまった。よもやと思っていただけに、心が折れてしまう。


「……参ったな。でも、竹中さんの素振りから、大した秘境じゃないってのが、分かりました」


(………)


 不意に、竹中が微笑みながら、ゆっくりと近づく。


「…その考え、流石です。その通り、大丈夫ですよ」


(大丈夫?)


「それは、どういう意味ですか?」


「だって、河端さんは、亡くなりましたから」


(------!)


「死んだ?河端さんが?どうして?」


「ん------。崖下にね、転落しちゃったんですよ」


(------!)


「転落?……ああ、そうか、事故ちゃったんだ。確か、宿の若旦那も、似たような事を言っていました。同じように、剣の刺さってい場所を、見た人がいるらしいんですが、山頂付近から、滑落してしまって、偶然、発見したと。そんなに、危険な場所なんですか?」


(………)


 またしても、竹中は、不敵な笑みを浮かべ、首を横に振る。


「いいえ、平場だし、そこまで、危険な場所じゃないです」


「じゃあ、何故?自殺する訳もないし?」


「……私がね、『トン』ってね、背中を押したんですよ♪」


(------!)


 その場の空気が、瞬時に緊張し、櫻井は、その異質さに、思わず後退る。


「……次は、櫻井さん。あんたの番です」


 竹中は、ほくそ笑みながら、ポケットから拳銃を取り出すと、躊躇なく、櫻井の眉間に、銃口を向ける。


(------!)

 

 櫻井は、冷や汗で潤んだ、目を拭いながらも、両手を掲げ、竹中を刺激しない様、細心の注意を払って、命乞いする。


「ぼっ、僕が一体、竹中(あんた)に何をした。…さっき、握り飯あげたじゃないか?何でも、する。いや、何でもしますから。賞金が入ったら、全部、渡しても良い。だから、たっ、助けてくれませんか?」


(………)


 竹中の不適な笑みが、真顔に変わる。


「助けません。…まあ、後生だから、好きな方を選んで良いですよ。あっしはね、優しいし、慈悲深いんです。……この距離で撃たれたら、あんたの顔は、原形すら無くなりますよ。飛び降りた方が、まだ生きる確率はあります。一縷の望みに掛けてみては?何せ、下は、川ですからね。…老女の代わりに、仇を取らせて頂きますよ」


(------!)


 櫻井の表情が、瞬時に曇った。


「老女?……あっ、あんた、まさか?」


「ズ…ズ……ズシャ!」


「うわぁ------!」


 次の瞬間、櫻井は足を踏み外し、悲鳴と共に、崖下に消えていく。


(………)


 竹中は、拳銃を懐にしまいながら、冷静に落ちていく様を見届け、溜息をついた。


「あーあ、ダメ元で落ちちゃった。助からないよ、だって、そこ、水深すごく浅いから。…はい、これで二人目完了」


 佐久間たちの予想を裏切り、犯行が完了した瞬間であった。


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