九階の滝1(2024年編集)
~ 秋田県、鹿角市 ~
「やっと、着いた。…遠かったなあ、八幡平は」
「秋田県に来るのに、会社の信頼はおろか、職を失いましたよ。…芝山のせいで」
「解雇されたか。でも、まあ、億万長者になれるかもしれないんだ、一服しようぜ」
(………)
早朝六時台の、JR新幹線はやぶさ1号・新函館北斗行に飛び乗り、盛岡駅では迷いながらも、時間ギリギリに、IGRいわて銀河鉄道・大館行に乗り換え、やっとの思いで到着すると、二人からは、大きな溜息しか出てこない。
全ては、昨夜の電話連絡から始まった。
四月に入り、あすなろ物産の芝山から、ふいの連絡が来たかと思えば、『明朝に出発し、午後から調査をお願いします』の有無を言わせぬ、物言いだった。こちらからの質問には、一切答えず、『明朝六時台の列車に間に合うよう、東京駅の丸の内北口、開札前集合』しか言わず、癇に障ったので、苦言を呈しても、『現地で切符を渡しますから、一分でも遅れたら、そこで企画終了です』と、問答無用で宣告されたのである。
説明会とは打って変わった、芝山の態度に、違和感を覚えた櫻井英信は、『上から目線なら、参加を辞める』と、喉まで言葉が出掛かったが、目先の報酬が、辞退を思い留めさせた。それは、河端健次郎も同じである。
櫻井は、秋田県鹿角市八幡平にある、九階の滝を調査する事は、全体説明にて把握したが、時期については、晩餐後の個別説明で、親しい空気を醸し出しても、最後まで明言を避けられた。『四月に入ったら、教えますので、それまでは我慢して、待機していてください』と言われたので、心の中で準備をしつつも、日常勤務していた。『一週間前には、連絡が来るだろうから、その時点で予定を詰めれば良いだろう』と、気にはしつつも、問題ないと思っていただけに、前日の連絡に頭を抱えた。急遽、全ての予定をキャンセルし、秋田の地へ赴く事は、信用を失う。だが、この機会を失えば、永遠に億万長者になれないかもしれない。櫻井は、葛藤しながらも、企画を取る事にした。
(話が違うじゃないか。上層部への根回しは、どうしたんだ?)
櫻井は、予め、あるイベント企画に参加する為、長期休暇を取得する予定であると、所属部署には伝えてはいたが、社会人としての最低限のマナーである、『引継ぎや根回し』を、一切出来ない状態で、休暇を取得する結果になり、周囲の反感は、凄まじかった。大事な商談を間近に控え、見積りの最終チェックを任されていた櫻井は、帰宅する際、上司から、『もう来なくて良いよ、お前みたいな、無責任な人間は不要だ』と、引導を渡されてしまった。
正社員なら、辞令もない、突然の解雇には、応じる必要もない。労働組合があれば、組合事務所に泣きついて、労働基準法に則り、解雇宣告を撤回させる、時間を稼ぐのも有効である。
だが、人材派遣契約で勤務する櫻井は、端っから、交渉する事自体を諦めた。というより、何も考えず、逃げ帰ったのが、結末である。
太く短い人生か、長く巻かれた人生かを悩んだ櫻井は、『太く短い人生』を選択した。この企画に、己の全てを賭けようと、会社を後にすると、近くの書店に駆け込み、秘境に関する本を何冊も購入し、目を通した。相方の河端を想像し、相手を出し抜くには、『明朝までに、秘境の知識を頭に叩き込み、先行逃げ切りで、何としても企画を通す』と、意気込んでみたものの、いつの間にか寝落ちしていた。
五つの目覚まし時計が、櫻井を目覚めさせる。
(…ん、朝か?何時…だ?)
(………)
(------!)
櫻井は、予定の起床時間が過ぎていると、分かった途端、着の身着のまま、外に飛びだしたが、何とか、我に返り、財布と秘境に関する本が入ったバッグを、手にすると、急ぎ足で、東京駅に向かう。
(…えーと、集合場所は、丸の内北口、開札前だったよな?)
(…そういえば、相手の事、全く知らないだった)
(…どこだ、どこにいる?…あっ、あれか?)
北口の改札前で、芝山が誰かと話している。晩餐会で、上機嫌で周囲の者に、くだを巻いていた男だと、何とか思いだし、『競争相手には、足元を見られまい』と、ごく自然に振る舞った。
「おはようございます。お二人とも、早いですね」
「ああ、櫻井さん、間に合って良かった。時間がないので、これをどうぞ」
電光掲示板に表示された時間が、芝山の気持ちを急がせる。支度金と切符を手渡すと、やや早口で、企画開始を宣言した。
「では、これより、河端健次郎さん・櫻井英信さん、お二人の秘境ツアーを開始いたします。吉報を期待いたします。時間がありません、急いで乗り込んでください。盛岡駅は、結構迷いますから、無理をせず、駅員に聞いてくださいね。いってらっしゃい!」
新幹線に乗り込んだ二人は、早々に、昨夜購入した本を、熟読する櫻井とは対照的に、河端は、駅弁を二つも平らげ、ビール片手に、上機嫌である。
「あんたは、飲まんのか?」
「ええ、下戸なんで」
「ふーん、…ガイドブックか、真面目なんだな」
「気にしないでください」
(………)
櫻井は、河端と仲良くするつもりはない。『大したことない相手だ』と、内心、河端を見下す。
(…可愛げの無い奴だね、自尊心の塊みたいだな。…なら、少しだけ、からかうか?)
河端は、独学で学んだのか、『九階の滝は、昔から、地元の猟師でさえも、神様の沢として畏怖し、近寄れなかったと伝えられる、幻の滝で有名な秘境である』と、さりげなく披露して、ほくそ笑んだ。
(------!)
(何だ、それは?本には、書いていないぞ?)
河端もまた、『お前の思うような、飲んだくれでは、ないんだよ。お前よりも、この場所には、詳しいんだよ』と、博識を匂わせる事で、心理的に有利に立とうとしていた。
(何だよ、それ。知ったか振りして、マウントを取る気か?その手には、乗らないぞ)
河端の誘いに乗らない様、櫻井は、無言で聞き流す。こうして、約五時間の移動時間を、それぞれの思惑で、心理戦を繰り広げながら、目的地の駅に着いたのは、正午近くであり、二人とも、余計な疲労を使ってしまったと、反省した。
「なあ、櫻井さん。あんた、どんなレポートを書くつもりだい?」
河端は、県南の岩手山を眺めながら、直球で聞く事にした。普段は明るく、社交的な河端だが、レポートなど書いた事も少なく、内心、焦っている。
(………)
(…探りだろうが、直球過ぎる。さて、どうするか?)
櫻井は、黙っている。そんな様子に、河端は、更に踏み込んでみた。
「この地は、本当に色々な山があって、魅力的だよな。岩手山、倉沢山、焼山、女神山。正に、登山家の聖地だ。…やっぱり、山繋がりから、秘境に関連付けて、レポートを書いていくのかい?それとも、柴倉岳とか小又峡なんかを訪れて、なんかこう、独特な言い回しを、加味するのかい?」
(答えるまで、質問するつもりか?)
櫻井は、執拗に、質問を続ける河端に、その真意を掴めきれず、戸惑いながらも、腹の内を、少しだけ見せる事にした。
「…まだ、何も思いつかないですよ。九階の滝だって、ここに来る途中で、勉強したんですから。正直、どんな構成で、作り上げたら良いのか、ここから見える景色では、何も分かりませんよ。実際に、滝を見てから、具体的な内容を決めていこうと、思います」
(何だ、お前も、一緒じゃないか。杞憂すぎたか)
この答えに、満足した河端もまた、心内を明かす。
「……実はさ、俺もそうなんだ。レポートなんて、何十年も書いていないし、正直、芝山を唸らせるものが、書けるかは分からない。既に、この世に出ている情報を書くようじゃ、到底、論外だろうし。……あーあ、どうしたもんかな」
(心配して、損した。同レベルじゃないか。これなら、勝ち目があるぞ)
「まあ、何だ。互いの立ち位置は、同じだと分かったんだ。目的地は一緒だから、今は仲良くしようぜ」
少しだけ、距離が近くなった二人は、観光地巡りの看板で、目的地までのルートを探る。
「なあ、櫻井さん。あんた、今夜は、どこに泊まる?」
櫻井は、購入した本で、温泉リストを指でなぞった。
「国道341号沿いにある、玉川温泉ってのが、大きそうだし、無難な気がしますが、目的地まで最短というだけです。秘境を巡るには、森吉山方面まで足を運ぶか、迷いますね」
(…県西方面か。九階の滝は、西に森吉山、東に八幡平、南に田沢湖。地理的に、どの方面を選択すれば、本当の秘境に、辿りつけるのか。櫻井と同じ宿だけは、選ばないようにしよう)
(………)
「河端さん。我々が、この地に選ばれたのには、本当に、職業とか、趣味とか、思想なんですかね?良く分かりませんが、絶対的な条件があるような、気がするんです。私は、あなたの素性を知らないし、あなたも、私の素性を知らない。だからと言って、詮索するのは、お互いの足を、引っ張る結果になり兼ねない。それだけは、絶対に避けた方が、良いと思います。互いの探索力、行動を制限しない様、ここだけは、協力しましょう」
(櫻井、馬鹿じゃないな)
「…全く、同感だ。互いに、テレビ放映を賭けた、好敵手だから、馴れ合いだけは避ければ良い。俺は、あんたを、同等だと認めるよ」
「……ありがとうございます。では、ここからの行動は、別々ということで」
意見が合った二人は、互いを牽制しながら、軽い握手を済ますと、別々の道を選んだ。櫻井は、タクシーを捕まえ、河端は、路線バスを選択する。二人を運ぶ車両は、それぞれの思惑を乗せて、県北方面と県西方面へと、消えていく。
(…河端のあの様子だと、直感で動くタイプと見た。観察力は、然程、高くない。この勝負、どう見ても、僕の勝ちだ。河端よりも早く、九階の滝の秘密を暴いて、レポートを完成させる。状況次第だけれど、滝以外にも、秘密めいたものが、あるはずだ。まだ情報誌にはない、自分だけの発見をして、生き残ってやるんだ)
櫻井は、河端の力量を推し量りながら、九階の滝だけだはなく、周辺の逸話についても、調べる事にした。地元民なら、情報誌に載っていない、情報を持っているはずだ。
(念の為、図書館に寄って、文献を調べてから、地元民に聞いた方が良いな。文献の事を、ペラペラ話されても、時間の無駄だ。とにかく、一刻も早く、調べ上げよう。明日から、奔走するぞ)
河端もまた、櫻井の性格を見据え、調査しようと目論む。
(櫻井は、したたかそうだから、手柄を横取りされないように、気をつけなきゃな。あの様子だと、女には、モテないだろう。考えてから、動くタイプみたいだから、こちらは、機動力勝負だ。猟師でさえも畏怖する滝か。まずは、滝裏を中心に、探ってみるか。ひょっとして、まだ財宝が眠っているのかも知れんぞ)
芝山は、この二人が、『性格上、行動を共にする事はない』と予想していた。もし、二人が結託し、行動を共にしていたら、未来が変わっただろう。
芝山の予想通り、早々に、二人は別行動をとってしまった。
二小節目の詩が、始まろうとしていた。