第8話 なんで拾ってきちゃったの!
前回までのあらすじ!
いいぞォ、大和撫子!
紫織が叩かれた頭を押さえて、額に縦皺を刻む。
「んあんっ!? なんでえ!? 大和くんのロードバイク取りに行ってあげただけなのに!」
「おまえなっ、どれだけ心ぱ――ぐ……むう……」
言うわけにはいかない。言えばこの妹は、必ずその言葉を恋心に絡めて受け止る。暴発内燃機関に余計な燃料は与えるべきじゃない。
オフィーリアが苦笑いで紫織の頭部を抱き寄せて、栗色の頭を撫でた。
「まあまあ、大和にも色々あるんですよ。ゆるしてあげてください。よしよし……て、え?」
オフィーリアが紫織の背中にくっついていた小さな黒い物体に視線を向けた。
てっきりそれが紫織の鞄だと思っていた大和は、目を丸くする。
――キュィ、キィ?
鳴いた。しかももぞもぞと動いている。
「あ、この子?」
紫織が背中に手を回し、両手に抱えた小さな……小さな……なんだ、あれ?
何らかの生物の赤ん坊であることはわかる。
全身が黒い体毛に覆われ、目玉は赤く、白目がない。人間の赤ん坊にしては体毛は濃いが、チンパンジーや猿のように頭蓋の下半分が出っ張っているわけでもない。犬歯が異様に発達しているのは、肉を喰い破るためだろうか。
両脇に紫織が手を入れて高く持ち上げると、機嫌が良いのか変わった声で鳴いて、足を楽しそうに振った。
「ロードバイクのところでよちよち歩いてたの! チョー可愛い! 放っといたら獣とかに襲われそうだし連れてきちゃった! ねえ、大和くん、こいつ飼おうよ!」
大和があからさまに顔を歪めた。
ぶっちゃけ、何だか気持ち悪い。それに得体の知れない地の得体の知れない生物だ。妙なウイルスを保菌している恐れだってある。
しかし最初に口を開けたのは、大和ではなかった。
「あああああっ!! い、いけません! すぐにその子を元いた場所に戻さないと――」
オフィーリアが口に両手をあてて、視線を散らした。
「どうしたのー?」
「しっ、静かに」
大和も気がついた。
先ほどまで聞こえていたフクロウの声が、まるでしない。それに、風も吹いていないのに草木がざわついている。
囲まれた……? 何に……? 騎士か? いや、この獣臭……。
「家に入りましょう。なるべく平静を装って静かに歩いてください」
尋常ではないオフィーリアの様子に、紫織が緊張感のない顔で問いかける。
「どったの? って、わっ!」
紫織の手を引いて、大和は家へと向かって歩いた。その後をオフィーリアが続く。
玄関のドアを開け、施錠してからオフィーリアを振り返ると、オフィーリアは額に手をあててうつむいていた。
「説明してくれ」
大和が問いかけると、オフィーリアが困ったような表情で顔を上げた。
「紫織、その子はヒトガタ魔獣ゴブリン族の子です」
「ふえ?」
紫織がゴブリンの子を持つ手を持ち上げて、顔をオフィーリアへと向けた。
「ゴブリンって、ゲームによく出てくるアレ? がおーって言うやつ?」
「げえむが何かはわかりませんが、とにかくヒトガタの魔獣です。彼らは結束が強く、一族に手を出したものを決してゆるさなくて、死に至らしめるまで執拗に追いかけてきます。ちなみに親元に返してもゆるしてはくれません」
大和が呆けてポカンと口を開けた。その大和の視線を受けて、紫織が舌を出す。
「てへっ?」
「てへ、じゃねーっ! ど、どうすんだ!? 今大量に来てたよな、何かが!?」
「おそらくゴブリン族で間違いないでしょう。下位魔獣なので数体程度であればどうとでもなるのですが、集った数がわからないことには……」
「二階のベランダから見ればいいんじゃん?」
まるで反省のない物言いに対しても、文句をつけている場合ではない。
大和を先頭にして駆け足で二階にあがり、音を立てないようにベランダのドアをそっと開けた。
地面を黒い影が無数に蠢いている。わずかな月明かりでも、こうして上から覗けば、その数が十や二十ではないことは明白だ。おまけに半数以上が石斧や木製の棍棒を手にしている。
「うっわぁ、マジですかぁ。一族総出のカチコミだね。仁義だ、仁義」
「うるせえよ……」
「あ、でも、あいつだけ他とは色が違うから、たぶん隣の家のオッサンだ。冷やかしに来たのかなあ。それとも、この子の本当の父ちゃんは――」
昼ドラのような設定を語り出す紫織を遮って、大和が嘆く。
「やかましいよ! ゴブリンの家族構成とか心底どうでもいい! ちょっと考えるから黙っててくれ!」
ゴブリンの一体がドアを指さして、仲間のゴブリンに何かを言っている。
どうやら先ほど玄関を通ったことで、あれが入り口であることに気がついたようだ。
「ちなみに――」
呟くオフィーリアを、現代人二人と一体の赤ん坊が振り返る。
「――成獣のゴブリンは飢餓に瀕すれば人肉を食すこともあります」
「もういい。もう聞きたくない」
このまま家の中に立て籠もっていれば、帰ってくれないだろうか。
そんな甘い考えを石斧でおもいきり薙ぎ倒すように、ゴブリンの一体がドアをデタラメに叩き始めた。ドアならばそうは簡単に破られはしないだろうが、リビングのガラス製の引き戸などを叩かれては終わりだ。
騎士の襲撃に備えて逃げ道確保のため、雨戸を閉めなかったことが裏目に出た。
「なあ、オフィーリア」
「はい?」
「あいつらに人質が通用するだけの知性はあるか?」
大和が呟くと、紫織が突然反発する。
「ええ! そんなの卑怯じゃん! こんな小さな子を人質にするなん――むぐ」
紫織の口を片手で塞ぎ、大和はオフィーリアに視線を向けた。
「あ、ええ……。う~ん、どうなんでしょう……。何分、おそらくまだ誰も試したことがないことですので……」
紫織が首を振って、口を塞いでいた大和の手から逃れた。
「大和くんの鬼畜! 悪魔! エイリアン! ミトコンドリア! そんなこと絶対させないからね! そんなことするくらいなら、あたしが今この場でこの子をあの群れに投げて返してあげるんだから!」
言うや否や、紫織はベランダの柵に駆け寄りって、小さなゴブリンの子を両手で月に掲げるように持ち上げた。
「誰かーっ! この子をぶん投げるから受け止めてーっ!!」
数秒の沈黙。赤い視線が紫織の両手に抱かれた赤ん坊に注がれた直後。
――ギイイイイィィィィィーーーーーーーーーーーーッ!!
――ギャッギャッ!!
――ケェェェェッ!
興奮した数十体のゴブリンが一斉に鳴き、その場で足踏みを始めた。木の棒や小さな石ころをこちらにぶつけようとしているのか、次々と投げてきている。
「……あんれえ? 返すっつってんのに、なんかめっちゃ怒ってない?」
大和とオフィーリアが現実逃避の微笑みで、夜空を見上げる。
「……人質作戦は通じなかったな……」
「そう……ですね……」
階下ではゴブリンの群れが次々と壁やドアを叩き始めている。もはや収拾がつかないどころか、取り返しもつかない。完全に裏目に出た。
「あの、大和? 逃げる方法を考えませんか?」
紫に変色した紫織の首を絞めてガクガク揺らしていた大和が、視線を跳ね上げる。
「ハッ、そうだ! こんなことしてる場合じゃない! 玄関以外の出口は――」
硝子の割られるけたたましい音で、大和の言葉が途切れた。
何重にも重なる軽い足音が、階下を荒らし回っているのがわかる。
「くそ、リビングから侵入された! 玄関のドアも時間の問題だぞ!」
嫌な汗が伝った。
三階へ逃げるのは悪手だ。追い詰められるし、飛び降りて逃げるという手段まで失ってしまう。だが、ここから飛び降りても下はゴブリンだらけだ。
「と、とりあえずバリケードを作って考える!」
「ばりけど……?」
言葉に詰まったオフィーリアを置いて、大和がドアの前へと本棚を押した。オフィーリアが意を得たとばかりに部屋のデスクを押して、本棚の後ろに並べる。
だが、家具程度では石斧で殴られれば数分と保たない。
階段を駆け上がってくる無数の足音を聞きながら、大和は室内を見回す。
残念ながら武器となりそうなものは百科事典と椅子くらいのものだ。百科事典は手で振り回すには分厚すぎるし、椅子は香港映画のスターでもなければ狭い廊下では機能しない。
考えろ。考えろ。
ここは親父の書斎。考古学者である父親のデスクの引き出しには、拳銃が入っている……わけがない。これは映画やゲームとは違うし、まがりなりにも屋内は日本だ。
バリケードと化したデスクの引き出しを開ける。
やはり拳銃は入っていなかった。あるものと言えば大学の講義用に使ったと見られる書類と、オイルライターにタバコ。あとはガレージに停められている四駆のキーくらいのものか。
「紫織! 外の様子はっ!?」
「囲まれっぱなしー。生意気に突入班と包囲班で分けてて、逃がす気なさそーだよ。頭いいんだねえ」
うん、おまえよりはね! とか言ってる場合ではない。
瞬間、書斎のドアが堅いもので穿たれる音が響いた。バリケードにしていた本棚とデスクが数センチ下がった。あわててバリケードを押し返す。
「き、来たぁぁぁ!」
石斧が何度も何度もドアを穿つ。やがてできたわずかな隙間から、闇の中で赤色に輝く不気味な瞳が覗いた。
「とーう!」
すかさず紫織がドアに駆けより、いつの間にか手に持っていた害虫駆除用のスプレーを、割られたドアの隙間へと噴射する。
――ギィィィィィ!?
「にははは、どーだぁ! 誘拐犯なめんな!」
ドア向こうで悲鳴を上げて、石斧を持って先陣を切っていたゴブリンが悶絶する音が聞こえた。それでも他のゴブリンたちが何度も何度もドアを叩き、穴を広げてゆく。
瞬間、ひらめく。
「紫織! 火炎放射!」
大和がライターを投げると、紫織が片手でそれを受け取った。
「お? おお、なるほど。オッケー! 一回試してみたかったんだよね!」
「オフィーリア、杖を借りてもいいか?」
「あ、はい。では、付与をしておきますね」
オフィーリアの指先が杖上部にそっとあてがわれる。
唇がわずかに開いて、吐息が洩れた。音はない。言葉もない。ただ幾度か唇を動かし、何かを囁いているように見えた。
その間、わずか数秒。
「完了しました。どうぞ」
「ありがとう。魔法って、そんなに簡単にかけられるのか」
「はい。付与はそれほど複雑な数式ではありませんから」
数式? まるで数学だな。
ドアの蝶番が弾け飛び、バリケードにしていた本棚に収められていた本が床に散乱する。
オフィーリアから杖を受け取って、大和が手の中で取り回す。
すでに木の感触ではない。まるで重さのない金属のようだ。打撃には期待できないけれど、絶対に折れないという特徴だけでも心強い。
「オフィーリアは、おれたちの後をついてき――っ!?」
震動と大きな音が響き、バリケードにしていたデスクが大きくずれた。ドアがわずかに開き、そこから石の刃を持つ毛むくじゃらの黒い手が差し入れられる。
――ギィ、ガァ!