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第7話 むしろゴチソウサマです!

前回までのあらすじ!


いいぞォ、日本男児!

 よく眠れた気がする。


 大和はカーテンの隙間から射し込む穏やかな月の光に、上体を起こして伸びをした。頭はすっきりしているし、身体にも疲労は残っていない。


 突然、唇をねじ曲げたかと思うと、大和は肩を震わせて静かに笑いだした。


 まるで中学生の妄想のような夢を見た。でも、ほら見ろ。この部屋はいつも通りだ。

 時計に目をやると、時刻は深夜一時だった。


「あっはっはっは!」


 バカバカしい。カーテンをつかみ、唾液を大きく飲み下す。妙な緊張感があった。


「ありえないってーの」


 カーテンを勢いよく開く。窓は閉じていない。エアコンが使えない状態では、暑いからだ。

 だから――。

 目に飛び込むは、一面の樹海。月光を浴びてなお、黒の森。


 数秒間固まった後、カーテンを閉じた大和の顔から笑顔が消えた。真顔でもう一度カーテンを開く。

 気のせいか樹海は、朝よりも黒く不気味に蠢いているように見える。

 颯真大和は頭を抱え込み、泣きそうな声で呟いた。


「……だよなあ~……」


 夢じゃなかった。

 ため息をついてうなだれる。


 立ち上がって着替えを済ませ、廊下に出て紫織の部屋をノックした。

 二人ともまだ眠っているのか、返事はない。


「開けるぞ」


 ドアを開けると、そこには紫織の姿もオフィーリアの姿もなかった。すぐにドアを閉めて一階へと下りる。

 トイレのドアに『使用禁止』と張り紙がされていた。筆跡から推測するに、書いたのは紫織だ。キッチンにも居間にも、二人の姿はない。


「外か……? 昨日の今日で、なんであんなに危機感がねえんだ、あいつは」


 まあ、ヒノモトに詳しいオフィーリアが一緒にいるのであれば、それほど無茶なことはしないとは思うが。


 幾分この世界に慣れてきたからか、ドアを開けて気がついた。

 獣の遠吠えやフクロウらしき鳴き声、樹海のざわめきや虫の音に混じって、水の流れる音が微かに聞こえている。


「近くに川があったのか」


 ちょうどいい。身体を洗いたかったところだ。


 樹海の中にポツンと建つ家から、わずか数十メートル。夜の闇に目を慣らしてから藪を踏み潰して歩いてゆくと、小さなせせらぎがあった。

 幅はわずか二メートルといったところで、深さは膝程度だ。


「へえ……」


 東京じゃまずお目にかかれないほどに透き通った流れの輝きに、手を浸して口をつける。

 水のうまいまずいはわからないが、少なくとも飲んでも支障はなさそうだ。可能であれば煮沸したいが、あいにくと容器は持ってきていない。


 飲み水は上流で確保するとして、下流の方を生活排水……に…………。


「……」

「……」


 視界の中。

 浅く緩やかな流れの中に足を折って腰までを浸し、ほっそりとした白い背中に、濡れた髪を貼りつかせた少女がいた。

 首だけをこちらに振り向かせ、尋常ではないほどの赤面――否、左の手で磨いていた右腕はもちろん、指先までをも桜色に染め、目を見開いている。


「オ、オフィ――」


 滑らかな曲線を描く白い肉体が震え、水面が流れの中で小さく波打つ。

 月を映し出す美しい瞳に、みるみるうちに涙が溜まっていった。


「あ……あ……、……やま……と……」


 颯真大和は硬直する。

 魔女が全身を水に浸して隠れようにも、せせらぎにその深さはない。


 今この瞬間にも悲鳴を上げられそうな状況に何を思ったか。大和が最初に取った行動はまったくの的外れにも、自らの唇に人差し指をあてることだった。


「し~……」


 こんなところを妹に見られでもしたら、自分もオフィーリアも何をされるかわかったもんじゃない。


 硬直したままだったオフィーリアが大和の意図を理解したのか、まるで油の切れた絡繰り人形のようにガクガクと首を上下に動かした。

 潤んだ瞳から伝うのは、水滴ではない。


 気がつけば顔や腕だけではなく、華奢な背中までもが桜色に、より鮮烈に赤く。

 左手で磨いている最中だった右腕から、月光を受けて黄金色の雫が流れ落ちた。大和はその神秘的とも言える光景に視線を奪われ、動けなくなってしまった。

 彼女はあまりに美しく、あまりに繊細で、そして儚い。


「……や、大和……」

「……あ、う、うん……」


 オフィーリアが浅い流れの中で背中を向けたまま、両腕を胸の前でたたんで背中を丸めた。


「……お、おねがい、あまりそのように見ないでください……恥ずかしい……」


 違う、違うだろう?


 紫織の観ていたような深夜アニメでは、こういった場合には大声で悲鳴を上げられ、ぶち切れた少女らに、石をぶつけられたり殴られたり蹴られたりするのが定石だ。


 ところがどうだ、この反応は!

 全身を桜色に染め、弱々しく瞳を伏せ、艶やかな背中を丸め、消え入りそうな声で。


 不埒な思考に呑まれかけていた大和の視線が、ふいに変化した。驚愕に目を見開いて。

 オフィーリアの腰部には、直系にして五センチにもわたる大きな傷跡があった。

 鋭利な刃物で貫かれたのではないことを証明するかのように、周囲の組織をも巻き込んで、傷跡の部分だけがわずかに膨らんでいる。


 なんだ、あの傷……?


 瞬間、大和は正気に戻った。


「ごめん!」


 大和があわてて背中を向けると、水音を立ててオフィーリアが地面にあがる音がした。次いで木の葉のざわめきに混じって、衣擦れの音が響く。

 紫織のときとは違って、振り返りたい衝動と理性がせめぎ合う。


「もう、いいですよ」

「あ、ああ」


 大和がふり返ると、そこには洋服を着た魔女の姿があった。

 おそらく紫織が貸したのだろう。チェック柄のワンピースに、白のカーディガンを羽織っている……が、小柄で幼児体型の紫織とは身長も肉づきも違うため、胸部は盛り上がり、幅広のスカートがやけに短く見えてしまう。

 とても同じ服とは思えない。


 オフィーリアが恥ずかしそうにうつむき、上目遣いで口を開く。


「ぅう~……、あのようなみっともない姿を見せてしまい、ごめんなさい。その……紫織が小川を見つけたと案内してくださったので、黒衣と外套を洗濯したかったのです……」

「な、なんでそれが水浴びになってんだよ」


 月光の下、互いに赤面し、あからさまに視線を交わさぬままに話し合う。


「そ、それは……、……あなたに臭いと思われたくなくて……身体を洗っていました……」


 いや、むしろ良い匂いだったよ! ゴチソウサマだよ! もちろん、そんなことは言えない。


 昨日、散々汗を掻いて走り回ったことを思い出し、大和はため息混じりにオフィーリアに視線を向けた。一瞬だけ視線を合わせたオフィーリアが、やはり恥ずかしそうに視線を逸らす。


「……ほ、本当に申し訳ありません。もうわたし、恥ずかしくて死んでしまいそうです……」


 魔女の瞳が再び潤み始めた。


「ああああ、泣くな! 泣くなって! 全然みっともなくなかったよ!」

「本当に……?」


 無自覚だろうか。オフィーリアが期待に満ちた瞳を、上目遣いに向けてきた。

 大和は、疼く胸の奥を掻き毟りたい衝動を抑えながら、ぶっきらぼうに吐き捨てる。


「む、むしろその……き、綺麗だったから、しばらく見てしまって……こっちこそ、ごめん。悪かった。髪、早く拭かないと風邪ひく」

「そ、そんな……綺麗だなんて、嘘はつかないでください……。……わたしは嫌われ者の薄汚い魔女なのに……」


 オフィーリアの腰部にあった深い傷のことが妙に気になったが、とてもではないがそんなことを尋ねられる雰囲気ではない。

 オフィーリアは恥ずかしそうに、大きな胸の前で指をくるくると回している。その様子がとても愛しく感じられてしまうのは、どうしてだろうか。


「う、嘘じゃない。……てゆーか、そもそも川を発見した紫織はどこ行ったんだ? あいつが見張っていれば、こんなことにゃならなかったろうに」


 半ば強引に話題をすり替えると、オフィーリアがようやく顔を上げた。


「え……、近くにいないのですか? ――紫織! 紫織! いませんかっ!?」


 みるみるうちにオフィーリアの表情が変化する。


「だめ、だめです。昼間は急だったので言えませんでしたが、ここらへんの森は危険なんです。剣歯虎こそいませんが、知能の高いヒトガタ魔獣の集落がいくつかあって、夜になると彼らの動きは活発になります。だから旅慣れていない人だと――わっ」


 言葉が終わるよりも早く、大和が両手でオフィーリアの肩を強くつかんだ。


「あいつと一緒に来たんだよな? どっちに行ったッ!?」


 大和の必死の形相にオフィーリアが面食らって、家のある方角を指さした。


「家にゃいなかったんだッ! しっかり思い出してくれッ!!」

「いえ、間違いありません。だとするなら、遺跡のある方角へ歩いて行ったのかも……」


 遺跡……学校か!


 大和が走りだそうとすると、オフィーリアがとっさにその手をつかんで止めた。


「待ってくださいっ」

「オフィーリアは家で待っててくれ!」

「同行します。水を入れておける容器はありませんか? 下位魔獣の数体程度であれば、少量の水を触媒にした魔法で追い払えますから」

「そんなもん探してる暇なんてない!」


 ヒノモトの常識はいったいどうなっているのか。危険な魔獣という存在に対し、見たこともない魔法などという不確定要素で対処などバカげている。


 乱暴にオフィーリアの手を切って走り出しかけた大和と、再びその手をつかんだオフィーリアの視界に、朝に乗り捨ててきたロードバイクを引いている栗色の髪の少女が映った。


「……」

「……」

「あれ? 二人とも、あんでケンカしてんの?」


 無表情になった大和が無言で紫織に近づいて、拳骨を縦に落とした。




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