第5話 魔女ってあの魔女です?
前回までのあらすじ!
この魔女、まるで話を聞いてくれない。
走りながら考える。
紫織の奇行のおかげで、頭は冷静さを取り戻せた。
父親の再婚から二年。一緒に暮らしてきたこの妹は、未だにつかみ所のない人間だ。
「おまえ、なんで学校の勉強できねーの? 剣歯虎のときも思ったけど、おれなんかよりよっぽど機転が利くと思うんだけど」
紫織の表情が痛々しいものに変化した。
「うげ! それ、今聞くこと? 昔から母ちゃんには叱られっぱなしなんだから成績のことには触れないでよ。あたしは大和くんみたく器用じゃないの。興味のないことなんかを頭に詰め込んだら、少ない脳みその容量がもったいないじゃん?」
その言葉に、大和は思わず苦笑いを浮かべる。
「はは。でも、おまえらしいわ、それ」
「でっしょー!」
「褒めてねえんだが」
「知ってる~ぅ」
大和と紫織が同時に笑って、階段を駆け下りる。
砂埃が積もっていることが幸いした。オフィーリアのサンダルの足跡が明確に残っている。むろん、自分たちのものもだ。
だが、反対方向から来ていた騎士らしき足跡もまた、オフィーリアの足跡と交差してから方向転換し、彼女を追うように続いていた。
突如、階下で甲高い笛の音が聞こえた。おそらく、騎士がオフィーリアを発見したことを仲間に報せたのだろう。
「急ぐぞ、紫織!」
「はいよー!」
階段を五段飛ばしで駆け下りる。
後ろから紫織が、ちょこちょこと走りながらついてくるのを確かめて踊り場の壁を蹴り、さらに飛び下りる。
雲泉東の校舎には、廊下の片側にしか階段が存在しない。非常階段ならばあるけれど、薄い金属で造られた校舎外にある階段では、この経年劣化の具合からして実用に耐えうるはずがない。それどころか、まだ残っているかさえアヤシいくらいだ。
つまり、先に逃げたオフィーリアが廊下で追い詰められてしまっているのだとしたら、状況はかなり逼迫していることになる。
階段を下りきると、廊下の先にオフィーリアと騎士の姿が見えた。その向こう側に、使用できる非常階段はやはり存在しなかった。
オフィーリアは廊下の隅に追い詰められていた。
「何やってんだよ……!」
そのまま走って外に逃げてくれれば良かったものを、と思う。
もしかしたら彼女は、自分たちの逃げ道をより安全に確保するため、二階廊下の端まで騎士を引きつけているのかもしれない。
だからこそ腹が立つ。腹を立てるのだ、この颯真大和という少年は。黒の少女に対し。
「オフィーリアーーーーーーーーーーーーーッ!!」
オフィーリアが大和の叫び声に視線を跳ね上げて、目を見開く。
「来ないで! そのまま下へ逃げてくださいっ!!」
その言葉で確信を得る。案の定だ。
大和の走る速度が目に見えて増した。紫織はついてこられない。それでも、間に合わない。
わずかに振り向いた騎士が、オフィーリアへと向き直って剣を振り下ろす。
オフィーリアは片手に持っていた木の杖の両端をつかむと、振り下ろされた剣を受け止めた。騎士が手加減をしたのか、それとも異様に堅い木なのかはわからないが、刃は杖で止まった。
その瞬間、大和の中で何かが弾けた。
恐怖は立ち消え、怒りがマグマのように頭と胸を焦がして煮えたぎる。
「てンめえッ、女相手に何してやがんだぁぁぁぁーーーーーッ!!」
三クラス分の距離を一気に駆け抜けた勢いそのままに、ステンレス製の柄を騎士の頭部へと振り抜く。金属同士のぶつかる甲高い音が響き、振り抜いた腕が痺れた。
ステンレス製の柄が、くの字に折れ曲がってしまっている。
「おのれ……貴様……っ」
騎士は数歩前によろめいただけで、平然とふり返った。当然だ。朽ちかけたステンレス製の箒など、騎士の兜を貫けるものではないのだから。
「邪魔をするな! この女は傾国の魔女オフィーリアなのだぞ! キオ国が滅んでも良いというのか!」
魔女――!? オフィーリアが国を滅ぼす魔女?
オフィーリアの表情が泣きそうなほどに歪んだ。胸を締めつけるような表情で、掠れた小さな声で「おねがい……言わないで……」と呟く。
だが、それで十分だった。
それだけで、この颯真大和という少年には必要十分だった。血液は血管内を熱く駆け巡り、体熱を一気に引き上げる。
「そんなもんッ、おれが知るかぁぁーーーッ!!」
くの字に折れた柄を持ち直し、鎧の隙間を目掛けて薙ぎ払う。
「莫迦がッ!」
両刃の剣とステンレス製の柄が激突した瞬間、箒の柄はあっさりとその身を真っ二つに割った。騎士はなおも両刃の剣を打ちつけ、ステンレス製の柄はみるみるうちに形を失ってゆく。
それでもあきらめない。颯真大和はあきらめない。
箒の柄を騎士へと投げつける。だが、軽い音がしただけで、当然のように騎士に変化はない。
「どこの集落の者かは知らぬが、国軍に逆らうからこうなる!」
騎士が両刃の剣を振りかぶった瞬間、オフィーリアが叫びながら杖を投げた。
「大和!」
袈裟懸けに振り下ろされた剣を身をよじって紙一重で躱し、オフィーリアの杖を片手でつかみ取る。
「避けるな小僧! 斯様な愚か者でもキオの国民! せめて苦しまぬよう、一撃で首を飛ばしてくれるわ!」
返す刀で騎士が真横に両刃の剣を薙ぎ払う。
体勢を戻しきれなかった大和は、長く細い木の杖でとっさに刃を受け止めてしまった。しかし覚悟をしていた斬撃はやって来ず、木製の杖に防がれ、勢いで背中を壁へと叩きつけられるだけで済んだ。
「ぐぅッ」
オフィーリアの杖は折れない。じんと、手が痺れたけれど。
「イッテェ……!」
「魔法で付与してあります! 今、その杖は鋼よりも堅い!」
大和は騎士から視線を外さずに、木の杖を握り直す。
驚いた。すでに木の感触ではない。見た目通り木枝のごとく軽いが、わずかもたわむことがない。重量感と質感の合わない奇妙な感覚に陥る。
これが魔法……? それでも一発逆転というわけにはいかないな……。
騎士が舌打ちをして、再び両刃の剣を頭上高く持ち上げた。
「魔女め、余計なことを!」
考えるのは後だ。目の前の敵に集中する。
振り下ろされる鋼鉄の刃を、杖を取り回してその表面を滑らせることで軌道を変える。木の杖は、その表層すら削られることなく鋼鉄の刃を静かに去なした。
「~~っ」
「――ッ」
振り下ろした両刃の剣の重さに引かれて、わずかに騎士の頭部が下がる。
大和は両手でさらに杖を回転させ、その先端を照準する。
騎士の兜はフルフェイスだが、視界を確保するための穴がある。
「らあぁッ!」
眉間を目掛けて、大和が杖の先端を突き出した。フルフェイスのわずかな隙間を縫い、杖の先端が騎士の眉間へと突き刺さる。
「――イギァッ!?」
騎士が両刃の剣を取り落として眉間に両手を重ね、膝をついた。
その隙に大和は一気に騎士の横をすり抜けて、オフィーリアへと手を差し出す。
「あ……」
「来い!」
オフィーリアの手が少し上がり、躊躇い、そして下ろされる。魔女が何かを言わんとして口を開き、しかし悲しげにうつむいた。
「……わたしは傾国の魔女で……だから、その手をつかめばあなたを死の運命に引き込んでしまう……」
「オフィーリア、事情は知らない! その魔女ってやつがなんなのかもだ!」
大和はさらなる声で叫ぶ。
「だけど、死にたくないのなら、この手はおまえがつかめッ!! 自分から助かろうともしないやつは、誰にも助けられないッ!!」
背後からの足音にふり返ると、ちょうど残る二人の騎士が階段を上ってきたところだった。いつの間にか紫織の姿もない。うまく隠れてくれたのなら、それでいい。
「オフィーリアッ!」
オフィーリアの肩がびくっと震えた。
「あ……」
おずおずと伸ばされた指先が触れ合った直後、指をたぐって大和の手がオフィーリアの手を強くつかむ。
よし!
膝をついた騎士に背を向けて距離を取る。
しかし階段方向からも二人の騎士が近づいてきて、大和は足を止めた。北側の教室と背中の間にオフィーリアを隠し、歯がみする。
完全に挟まれた。
「……この莫迦餓鬼がッ」
膝をついていた騎士が立ち上がった。額からの流血がヒドく、兜の首もとにも赤い筋の流れが出来てしまっている。
「くそ……!」
背中からオフィーリアが早口に呟く。
「おそらく彼らはわたしをすぐには殺しません。やはりわたしがおとなしく捕まりますから、大和だけでも逃げてください」
「冗談じゃない。おまえは、おれの手を自分からつかんだ。最後まで責任を取ってもらう」
「意味がわかりません!」
オフィーリアが必死の形相で大和の肩をつかみ、強引に自らの方を振り向かせた。
「意地を張っている場合ではないんです!」
「だったら、おそらくってなんだ! あのイカれ野郎どもは、おもいっきり刃物を振り回してたじゃないか! それにもう遅い。少なくともあいつは、おれを殺す気だよ」
血まみれの眉間もそのままに、両刃の剣先を廊下で引きずって、兜の上からでもわかるほどに憤怒の形相を浮かべた騎士は、すでにオフィーリアを見ていない。
「……ああ、もう……」
オフィーリアが嘆く。
こちらは攻撃力には期待のできない、けれども決して折れない杖一本。敵は迫り来る三人の騎士。戻るは行き止まり、進んで階段を目指すには騎士二人をどうにかしなければならない。
背後、たとえ北側の教室に逃げ込んだとしても、せいぜい数秒長らえるだけで精一杯だ。
「では、こうしましょう。わたしがあの二名の騎士と本気で戦いますから、後ろの怒っている方は放っておいて、隙を衝いて逃げてください。必ず後を追いますから」
「できるか!」
お花畑を見ているかのような目出度い意見を却下して、大和は背中でオフィーリアを壁へとおもいっきり押しつける。
「ンむあぅ」
「勝手に動かれるのはもう御免だ」
オフィーリアが壁と背中に圧迫されて変な声を出したが、気にしている場合じゃない。挟撃する騎士との距離は、もういくらもない。
「大和くん、こっち! ここからなら下まで飛べる!」
ふいに向かいの南側教室から、紫織が叫んだ。騎士たちの視線が一斉に紫織へと向けられる。
「バカッ、黙って隠れてれば――」
紫織の指さす先、南側教室の窓。
大和はとっさにオフィーリアの手をつかみ、南側の教室へと飛び込んだ。挟撃の予定だった騎士が、あわてて追いかけてくる。
紫織は先に立って走り、硝子の消えた窓枠に足を掛け、躊躇うことなく蹴った。その姿が空に浮かび、一瞬の後には重力に引かれて落下する。
オフィーリアが息を呑んだ。
「な、なんてことを――!」
大和があわてて覗き込むと、支柱が折れて屋上から落ちたと思われる錆びた貯水タンクに立って、紫織が手招きをしていた。
「早くー!」
校舎の二階から地面まで飛び降りたとなれば、ただでは済まなかっただろう。だが、巨大な貯水タンクがその高さを半減しているのであれば。
紫織はさらに貯水タンクから地面まで飛び降りて、大和を急かす。
「急いで大和くん!」
「先に行け、オフィーリア」
「はい」
オフィーリアが黒衣のスカートを押さえながら、ふわりと貯水タンクに舞い降りる。
「大和!」
背後から迫り来る三人の騎士の気配に、大和は振り返らずに窓枠を蹴った。壁を伝う蔦を片手でつかみ、落下速度を調整しながら貯水タンクに飛び降りた瞬間、錆びて腐蝕したタンクが足もとで軋む。
すかさず地面に着地をすると、背後の貯水タンクに轟音が響いた。視線を上げれば、額を突かれて怒り狂った騎士だけが、タンクの上へと飛び降りて追ってきていた。
「逃がすものか、この糞餓鬼どもが――うおぁっ!?」
しかし鎧の重さに腐蝕した金属が耐えきれず、騎士の足もとが割れて、タンクの中へと落ち込んでいった。ゴン、という重量感のある金属音が響いた直後、騎士がタンクの中で暴れまわる音が鳴り始めた。
「出せ、貴っ様ぁぁぁ! 罠とは卑怯だぞぉぉ!」
もちろん、そんな恨み言を悠長に聞いている余裕はない。
「へ~んだ、ばーかばーか! 鼻毛オヤジー! おまえなんかこうだっ!」
ここぞとばかりに貯水タンクにガンガン蹴りを入れている紫織の襟首を引っつかみ、大和はオフィーリアの手を引いて樹海へと逃げ込んだ。