最終話 侵攻国主の異邦人
前回までのあらすじ!
妹だけ帰しちゃった!
程なくして、キオ国首都で執り行われていた祭は、その意味合いを変えた。
カルベカイン大将軍を通じ、新王、颯真大和の即位が発表されたのである。
多くの兵たちや、キオ国全土から集まった集落の民が、新王の即位を祝って歓声で溢れかえる中、魔女は呆然と立ち尽くし、遙か壇上のその姿を眺めていた。
着飾ることもなくいつもの長衣で、しかし右手には日緋色金の棍を持ち、堂々と胸を張って、この世界を去ったはずの颯真大和が、群衆の前に立っていた。
その瞳が彷徨い、遠く離れた位置に立ち尽くす黒の魔女で止められた。そして、颯真大和は吼える。ざわめきを貫き、どこまでも届く声で。
「オフィーリアァァーーーーーーッ!!」
一瞬にして静まり返る喧噪。
わけのわからない事態に戸惑うばかりの魔女の身体に腕を回し、坊主頭の大男がヒョイとオフィーリアを持ち上げ、自らの肩に担ぎ上げた。
「きゃあ!」
アガルトだ。全身に包帯を巻いているが、怪我など微塵も感じさせぬ大声を上げた。
「オラァ、てめえら道開けろぉ! この魔女は新王大和様直々のご所望だ!」
「え? え? ア、アガルトさん?」
「だーまってろって。行くぞ、ウシュラ」
ざわめきと同時に群衆が割れた。
大和へと一直線に続く道を、アガルトがオフィーリアを担いで歩き出す。その横を、亜種の少女が転がるように飛び跳ね、追い抜いて走ってゆく。
「早速、室をご所望たあ元気だねえ! いよっ、この助平王っ!」
どこかから聞こえた野次に、群衆がどっと湧いた。聞き慣れたその声に、大和が苦虫を噛みつぶしたかのような表情で叫ぶ。
「うるせーぞ、スキタラ! 今のはあんただってわかってんだからなっ!」
「ひゃっ、王が怒ったよぅ!」
スキタラがけらけらと笑いながら、群衆の中に紛れて逃げた。その一帯には、ケルク村の面々がいる。目が合った瞬間、トゥンク婆やハリキラたちが、子供のように笑った。
ウシュラは先に壇上に上ってから、アガルトに運ばれてきたオフィーリアに手を伸ばし、彼女を強引に引き上げる。
「大和! 魔女が泣きながら戻ってきたとき、ウシュラは大和が帰ったかと思った!」
「何言ってんだ、みんなをおいては帰れないよ」
「ウシュラはおまえが残っていて嬉しい」
犬が飼い主にまとわりつくように、ウシュラが大和の周囲を走り回る。
「アガルト、二人を連れてきてくれてありがとう」
「気にすんな――じゃねえ、気にしねえでくださいよ、新王様」
喧噪はあっという間に戻り、そこかしこで酒盛りが始まっている。
「はは、気持ちの悪いしゃべり方をするなよ。友だちだろ?」
「……やっぱだめかね?」
互いに目を見合わせて笑い合う。アガルトは壇上に上がると、大和の背後に控えていたカルベカインを睨みつけた。
「よお、将軍様」
「私に何か用か?」
アガルトが少し言葉に詰まり、剃り上げた頭に手を置いて、咳払いをしてから照れ臭そうに吐き捨てる。
「今度、あんたの剣を教えてくれねえか。まるで歯が立たなかったからよ」
カルベカインが、アガルトから視線を中央へと戻した。
「いつでも屋敷へ訪ねて来い。暇があれば手解きしよう」
ウシュラが無表情に言い放つ。
「アガルトはウシュラより弱い。教えても無駄だ、カルベカイン」
「な――っ、ウシュラてめえ!」
ウシュラとアガルトがカルベカインの前で取っ組み合いを始める中、大和はオフィーリアと静かに見つめ合っていた。
「ヒノモトに残ったのですか?」
「ああ」
「どうして、ですか?」
まっすぐな黒の瞳から視線を逸らし、大和は少し照れたように呟いた。
「心残り、かな。オフィーリアと一緒に見たい景色が、二つあるんだ」
オフィーリアが首を傾げた。艶のある長い黒髪が音もなく流れる。
「一つはイヨノフタナ。おれは紫織と再会するため、この国の王となってオーザカ国を打ち倒す。敵は残忍で強大だ。だからオフィーリアにも力を貸して欲しい。紫織は今でも、イヨノフタナでおれを待ち続けているはずだから」
何千年、もしかしたら何万年も――……。
魔女は質問にこたえない。
「もう一つはなんですか?」
少し怒っているのだと、大和は思った。先ほどは不安な気持ちにさせてしまったから。けれど、あのときはああするしかなかった。一人で考える時間が、紫織と話す時間が必要だったから。
だから、というわけではない。もうずっと、一年もの間、こうしたかった。
大和は手を伸ばし、オフィーリアの腰を抱いて身体を引き寄せ、彼女の身体の向きを強引に自らと同じ方向へと向けた。
「これだよ、オフィーリア」
視界いっぱいに広がる、キオの人々。
魔女の噂は、すでに各集落の人々にまで広がっているはずなのに、シノタイヌの圧政から解放してくれた立役者の一人である魔女オフィーリアを、誰一人として脅えた瞳で見る者はいない。
それどころか、楽しげな笑顔、笑顔、笑顔。子供が手を振っている。忌み嫌われているはずの魔女へと。
「おれはこの景色を、キオ国だけじゃなくヒノモト全土に広げたい。魔女も亜種も関係なく、みんなが笑い合える世界にしたいんだ」
呆然と、魔女はその景色に魅入っていた。これまで彼女の視界にはなかった世界が、そこには広がっていた。
「その景色を、惚れた魔女と一緒に見たいと思った」
しかし次の瞬間には、オフィーリアは大和の腕から逃れて、対峙していた。
「オフィーリア……?」
緩やかな風に乗って、ふわりと黒衣の裾が舞う。柔らかな表情が、幸せな涙に濡れた。
「ならばわたしは魔女として、あなたに力を貸し、あなたに仕え、あなたを愛し、あなたの望む一つめの景色へと導くことを約束いたします」
壇上のただならぬ雰囲気に、けたたましく鳴り響いていた祭り囃子の音が、ゆっくりと遠ざかってゆく。
オフィーリアが、大和の片手を取って片膝をつき、拳を地面に当てた。
「それまでは、我が王。我が主。颯真大和様。わたしは騎士としてあなたの盾となり、魔女としてあなたの剣となり、室としてあなたの身体を労り――」
長い髪が地面に落ちても、魔女は凛々しく視線を上げる。
「――あなたにわたしのすべてを。禍々しき魔の法も、わずかばかりの拙き知識も、薄弱なる心も、不老なる肉体も、わたしの持つすべてを、あなたに捧げることをここに誓います」
立ち上がったオフィーリアが、大切な壊れ物をつかむかのように、暖かい両手で大和の手を胸の中央へと導き、頬を染めた蠱惑的な微笑みで首を傾げた。
「わたしは、あなただけの魔女になります。……どうか、末永く可愛がってくださいませ」
大和の顔が大炎上したその瞬間、これまで以上の大歓声がキオ国の首都を揺るがした。会話に夢中になってしまっていて、祭り囃子が消えていたことに気がついていなかった。
圧政の解放から始まった祭は、親王即位の祭となり、そして流れるように婚礼の儀へと再びその意味を変える。
ヒノモト歴一〇〇年。この日、愚王シノタイヌにより圧政を強いられていたキオ国は、解放王颯真大和を迎えて生まれ変わった。
後の世にヒノモトを席巻することとなる、侵攻国家キオの誕生である。




