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第36話 祭の夜

前回までのあらすじ!


ドラゴンぶん殴ったった。

 祭り囃子の音が聞こえていた。


 焦土と化したキオ国首都は、深夜であるにもかかわらず、ますます活気に充ち満ちていた。そこら中で獣肉を焼いたり、芋や米を炊く芳しい香りが街中に漂い、半壊した各集落より流れてきた難民の喧噪も未だ絶えることはない。


 兵も、老人も、子供も、男も、女も、祭り囃子に踊り、圧政の廃止とキオ国の統一を祝う。


 キオ国首都の外れで、しばらく祭の様子を振り返っていた魔女は、寂しげな瞳を月に向け、長い黒髪と黒衣を翻した。


「逃げるのか、魔女」


 突然呼ばれて、オフィーリアは足を止めた。

 大和が処置を施したケルク村とは違い、自然を利用したままの水路を渡る橋の欄干には、銀色の狼の耳を持つ少女が座り、闇の中で金色に輝く瞳をこちらに向けていた。


「ウシュラ……」


 ウシュラは言葉を待つかのように、ただ無表情に魔女を眺めていた。やがてオフィーリアは根負けしたように、ぽつぽつと語り出す。


「ケルク村はとても居心地が良かったです。呪われた魔女が、およそ一年もの間、自分は普通の人間なのだと勘違いをしてしまうほどに」


 ウシュラは何もこたえない。ただ視線を魔女に向けているだけだ。


「けれどウシュラ、わたしはあなたに謝らなければならない。魔女の呪いが伝承であれ、人為的なものであれ、わたしという存在が大和と出逢い、めぐりめぐってケルク村を訪れたことがイタリセの生命を奪う結果に繋がってしまったことに変わりはありません。魔女は、そこに存在するだけで多くの運命を狂わせてしまう」


 ウシュラが眉をひそめた。


「……ウシュラは頭が悪い。難しいことはわからん。もしもオフィーリアがイタリセに剣を突き立てたのであれば、ウシュラはおまえを殺した。だが、そうじゃない。魔女は多くの運命を狂わせると言ったが、それはウシュラも同じだ。父銀狼と母が出会っていなければ、ウシュラさえ産まれてこなければ、イタリセは今でもキオの大将軍をしていたかもしれん」


 屁理屈だと、魔女は思う。

 けれどそれを口にできないのは、あの村に未練があるからだ。多くの好い人たち。そして誰よりも、颯真大和という名の。


 それも、もう終わり。今夜、あの人はいなくなる。


「大和も同じだ。あいつがいなければ、ケルク村は豊かにならなかった。みんな同じだ。誰かと関わることで生きる。そして関われば、良くも悪くも運命は変わる。魔女に限った話じゃない。ちがうか?」

「……魔女が狂わせた運命は、悪いほうに転がるものです」


 少し意地悪な言葉を返し、魔女は亜種の少女に背中を向けた。そうして歩き出したとき、ウシュラはため息混じりに呟く。


「ウシュラはおまえと逢えて嬉しい。大和はおまえが去れば、きっと悲しむだろう。紫織などは心配で泣くのだろうな。アガルトやタタルもおまえに感謝してた。トゥンク婆は娘だと言った。スキタラはおまえと話すのが楽しそうだ。みんなおまえに、良いほうに運命を狂わされたからだ。なのに魔女は悪いほうだけを見る」


 魔女の足が止まった。月を背負い、オフィーリアがあきれ顔で振り返る。


「あのですねえ……」

「ちょうど今夜は祭りだ。悲しみは楽しさに紛れる。おまえが行きたいと言うなら、ウシュラはもう止めない。だが、大和には言ってから去れ」


 その言葉に、オフィーリアが初めて顔を悲しげに歪めた。


「けれど、大和は明日にはもう行ってしまう。自分の世界に帰ってしまうじゃないですか」

「別れを告げろ。笑って送り出せ。ウシュラはそう言っている。帰っていくあいつらに、心配させるな。その後は、おまえの好きにすればいい。だがな、魔女」


 ウシュラが一度咳払いをした。珍しく何かを躊躇うように口を閉ざし、視線を外して早口に呟く。


「魔女がやらんなら、ウシュラは今夜、大和を抱く」

「………………はい?」


 突拍子もない発言に、オフィーリアが真顔に戻った。その後、ゆっくりと首を傾ける。それに釣られるように、亜種の少女も首を傾げた。同じ角度に。


「ちがう。抱かれる? 交わる?」

「はあ…………。……はあ!?」


 唖然として、オフィーリアがぽかんと口を開けた。


「えっと……あの……? え? ええっ? ……え?」


 亜種の少女の顔が、みるみるうちに朱に染まってゆく。


「ウシュラは大和の子が欲しい。だが、おまえが先だと思った。だからおまえが産め。あいつの子なら、ウシュラでなくても、おまえでも、紫織でも……紫織は帰るからだめか。誰でも構わん。ウシュラは大和の子を育てたいと思う」


 ウシュラの言葉がオフィーリアの脳裏に浸透するまでに数秒。直後にオフィーリアの顔が真っ赤に染まった。


「な――っ!? そ、そ、そのような大それたこと!」


 両手で赤くなった顔を隠し、オフィーリアが蚊の鳴くような声で呟いた。


「ぅぅ……だって、わたしは魔女で……」

「嫌なのか? ウシュラは自分が亜種だからと引いたりしない。おまえはどうだ、魔女」


 ウシュラが欄干から腰を滑らせて下り、オフィーリアに顔を近づけた。オフィーリアは指の隙間から、ウシュラの尻尾へと視線を向けて、ようやく気がつく。

 尻尾は、大風を巻き起こさんばかりに振り回されていた。


「――! ウ、ウシュラ、悪い冗談です!」

「うむ。半分冗談だ」

「……全部じゃないんだ……」

「半分だ。おまえが今ここで去るなら、やはりウシュラが産むしかない。まかせろ。ウシュラの(はら)は大したものだからな」


 ウシュラがオフィーリアの背中を軽く叩き、その場にオフィーリアを置き去りにしてゆっくり歩き出した。


「――なあ、魔女。ウシュラは何があっても、おまえのことは恨まんぞ。昔も今も、大好きだ」


 いつもの無感情ではない、優しく包み込むような口調で静かに言葉を残し、喧噪の方角に去ってゆく亜種の背中を見送って、オフィーリアは満月を見上げる。


 でもね、ウシュラ。それでもあの人は、ヒノモトを去ってしまうの。この世界のどこにも、いなくなってしまうのよ。


「あの人の……子……」


 何か一つでも、あの人が残してくれたなら。もしも造られたこの身でも、身籠もることが可能であるのならば。


 わたしはそれを守って、生きていけるのかな……。


     ※


「颯真大和か」


 兵舎に一人佇み、カルベカインは背を向けたまま静かに尋ねた。

 内心、足音だけで判別ができるのかと動揺するも、この男ならばと納得もできた。


「まず礼を言うよ、カルベカイン将軍。あのときの援軍は、あんたの仕業だろ。どうやっておれたちの移動より早く、ケルク村の兵に援護指示を出せたんだ?」


 カルベカインが天井を軽く指さす。


「大したことではない。鳥だ。文をつけた鳥を飛ばした。シノタイヌ王の崩御を書いてな」


 あの時点では、まだシノタイヌは死んでなかっただろうに。まったく、このカルベカインという男は未来視でもできるのではないかと疑いたくなる。


「であれば、私がこの国の最高権力者となるゆえ、命令に異を唱える者はいない。むろんそれでも、妹御の案内なくば正確な位置はわからなかった。私などより紫織殿に感謝をすることだ」


 板間へと、大和がどっかりと胡座を掻く。カルベカインは静かにため息をついて、振り返るなり頬を弛めた。


「ふ……、なんだ、その仏頂面(ぶっちょうづら)は」


 大和は半眼でカルベカインを睨みつける。


「仏頂面にもなる。すべてあんたの掌の上での出来事だったんだからな。あんた、シノタイヌが各地の集落に派兵する直前に、各集落に遣いを出して民を避難させたそうじゃないか。おかげで間に合わなかったマルドラ村を除いては、ほぼ無傷だ。ドラゴン被害だって、キオの街の民を前もって地下に避難させたのはあんたの指示だろ。あんただけは、貴族どもの奉公に出されてたケルク村の女にも、最後まで手を出させなかったらしいしな」


 ケルク村の女たちに関しては、戦いの最中で最も気になっていたことの一つだ。だが、颯真大和は直感していた。敵であるこの青年は、決して人質などという非道は行わないということを。


「マルドラの民には、すまないことをした」


 一呼吸を置いて、カルベカインが続ける。


「此度の一件でキオの国力は極限まで衰退した。機に乗じて、カヒノ国は必ずキオへの侵略に動く。もはや国境ではその兆候が現れている。そのことに関しては貴方も予想していたはずだ。だからこそ、ケルク村はもちろん中央政権にも犠牲が出ぬよう、たった四人での強行軍などという無謀な作戦を立てたのであろう」


 大和が頭を掻き毟る。

 実にやりにくい。この男こそ、魔法なる不可思議な力を持っていそうな気さえする。


「それもあるけど、正直言って殺しをする勇気がなかった。言っただろ、おれのもといた世界は平和な世の中で――」


 大和の言葉を遮り、カルベカインが諭す。


「理由などどうでも良い。颯真大和、貴方のような男が現れるのを、私はずっと待っていた。そして貴方は私を打ちのめし、見事にこの国を変えた」

「あんた自身でやってりゃ、犠牲者を出すこともなく済んでたことだけどな!」


 痛烈な皮肉を言うと、カルベカインが瞳を伏せた。


「……あのような王でも我が主君。私には裏切ることはできなかった。その件については、如何様な処分も受けるつもりだ」


 穏やかな瞳に、覚悟の色が映る。


「私の沙汰は決まったか?」


 処罰のことだ。カルベカインは自らの身を大和の判断に委ねることで、すべてのキオ国兵の罪を不問にと嘆願してきた。しかし、もとより兵の処罰などを行っては脆弱なキオという国すら守れないことを理解していた大和にとっては、都合の良い申し出だった。


 大和が仏頂面のまま、口を開く。


「不問だよ。将軍としてウシュラに――ああ、サーシュラ姫に仕えてもらうつもりだったんだが、あのバカ娘は興味ないって辞退しやがったからな」


 どうやら王の地位より、わんわん三等兵の位をご所望らしい。


「王を失ったキオは、あんたがいなきゃこれから迷走する。国に忠義を誓ったんだろ。ならやれよ、最後まで。それが、おれがあんたに科す罰だ」


 堪えきれないといったふうに、カルベカインが噴き出した。


「くく、妙な男だ。なぜそこまで寛容になれるのか、シノタイヌ王に仕えてきた身としては、まるで理解できんな。……だが、私は件の話をまだあきらめたわけではないぞ」


 またその話か。

 会話の風向きが変わったことで、大和は早々に立ち上がった。

 今夜はまだ、やらねばならないことがある。ここへはカルベカインへの沙汰を言い渡しに来ただけに過ぎない。


「その話は、また今度な」


 今は、何も考えられない。一刻も早く、紫織と――。


 兵舎の扉を開けると、大和の前にはオフィーリアが立っていた。なぜか赤面していて、がちがちに固まっている。


「や、大和。は、は、話があります」


 しかし大和は静かな言葉のみを残して、オフィーリアの横をあっさりとすり抜けた。


「あとにしてくれ」


 冷たいその言葉に、オフィーリアの表情が固まった。一転して青ざめ、魔女はその場に力なく立ち尽くし、去りゆく大和を呆然と振り返る。


 わかったのだ。これが最後になるのだ、と。


 颯真大和の微笑みは、かつて見たこともないほどに暗く沈んでいた。

 オフィーリアが、信じられないといった表情で涙を溜め、微かに笑みを浮かべる。


「……あとって、いつですか……? ずるいです、大和……。すべてを失ったわたしに……独りで、最初から何も持っていなかったわたしに、たくさんの優しさを教えておきながら……希望を見せておきながら……こんな……」


 オフィーリアの苦しげな呟きに、大和が足を止める。

 黒衣の裾を両手でギュッとつかみ、オフィーリアが歯を食い縛った。


「こんな会話が最後だなんて――ッ!」


 その悲鳴のような声にも、大和はわずかに振り返っただけで、困ったような笑みで同じ言葉を呟くだけだった。


「……ごめんな。今は、紫織と二人だけにしてくれ。何も考えられないんだ」


 そのまま大和は兵舎を出て、焦土と化した街で繰り広げられる祭の中を、崩れたシノタイヌの屋敷へと向かって歩いてゆく。背中越しに、悲痛な叫びを聞きながら。


「こんなことなら、こんな痛みを知るくらいなら、あなたのぬくもりなんて知らなければ良かった! 誰かの優しさなんて知らなければ良かった! 魔女として世界に虐げられたまま旅を続けていたほうがずっと良かった!」


 大和は振り返らない。光と喧噪の海へと、長衣(ながぎぬ)の後ろ姿が消えてゆく。

 オフィーリアはその場に力なく崩れ落ち、もう届かぬ声で最後の言葉を呟いた。


「……この造られた身体に……心なんて……なければ良かった……」




残り二話です。

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